12良いムード? いいえ、悪いムードです!
そして俊介と恋華は、シアターの中へと入った。前から2番目の座席という、中々良い位置である。
「今すごく話題の映画なんだって。ね、緊張するね俊介君」
椅子に腰掛けると、膝の上に置いた手をぎゅっと握りながら恋華は言った。
それは俊介も同じだった。
話題の映画を見るという行為よりも、恋華と一緒にいるというだけで、何故かとても緊張してしまうのだ。
「あっ! 暗くなった!」
ほのかに灯っていた明かりがゆっくりと消え、恋華は声を上げた。
「始まるみたいですね。もう静かにしといた方がよさそうですよ」
「えー」
「えー、じゃありません」
俊介がそうたしなめると同時に、ブザーの音が響いた。
スクリーンに映像が映し出される。
映画が始まった。
内容は王道のスペクタクルで、悪の化身に両親を殺された主人公が、さらわれたヒロインを救いだすというものだった。
主人公タケルと対峙する敵役ケルベロス。お互いに剣を構えている。
そして――
『いくぞ! 悪の化身ケルベロスよ!』
『タケルよ。なぜ我をそこまで憎むか? お主の両親を殺したことか? それとも、カルネア姫を捕らえたことか?』
『両方だ。――貴様には、人間の気持ちというものがないのか!』
『我は闇の覇王ケルベロス。お主ら人間などにかける慈悲は持ち合わせておらん。何でも食い、何でも犯す果てしない欲望にまみれた醜い生き物などにはな』
『俺達は醜くなんかない! 醜いのは、破壊の衝動しか持たないお前たちのほうだ!』
『くくく……やはり話は合わぬか。ならば、どちらかが消えるしかないな』
『望むところだ! 行くぞケルベロス!』
タケルは神速の剣をケルベロスに向かって叩きつけた。
その剣撃を、刀の鍔で受け止めるケルベロス。
キイン!
金属がこすれる甲高い音が聞こえる。
しばし鍔迫り合いを続けていた両者だったが、ケルベロスは横なぎに剣をさばいた。不意のことに体勢を崩すタケルに、ケルベロスは上から猛スピードで剣を振り下ろした。しゃがみながら、かろうじて受け止めるタケル。
しかし、窮地は脱してなどいなかった。
ケルベロスの放った刃は、タケルのすぐ首元まで迫っていたからである。
じりじりと肌を切り、タケルの喉からは一筋の血が垂れた。
その時、タケルは地面にかがんでいた足を跳躍させた。
そして、反対側の足でケルベロスを蹴り上げる。
『ぐわ!』
タケルの放った蹴りで、ケルベロスは数メートルほど引き下がった。
その一瞬の隙を突いて、タケルは――
「すごい……あれ、本物の刀かな」
スクリーンを食い入るように見つめながら、恋華は感歎の声を漏らした。
俊介も同様の考えだった。CGの迫力とか、役者の演技力だとか。そういったもの抜きにして、この映画からは見る者を引き込む気迫のようなものを感じるが。
なおも「すごい、本物だ」と言い続ける恋華に、俊介はボソッと呟く。
「えーと。多分、あの刀は本物じゃなくて作り物だと思いますけど」
「嘘! あんなに迫力あるのに!?」
「……最近の仕込み刀は、よく出来てますからね」
驚嘆する恋華に、俊介は苦笑しながら、
「あの刀はおそらくCGか仕掛け刀ですが、より安価なので仕掛け刀でしょうね。舞台の手品と同じです。あれは意外とフニャフニャで、作り方と撮り方で、さも本物っぽく見せているだけなんですよ」
そう言うと、恋華はふえーっと声を上げる。
いつもは俊介の薀蓄をうっとおしがる彼女も、今だけは素直に感心したようだ。
そうこうしてる内に、映画はクライマックスに入った。
悪の化身ケルベロスを倒した勇者タケルは、さらわれたカルネア姫を救い出し、抱きしめる。
『タケル……きっと、来てくれるって、信じてた』
『もちろんだ……君を助けるためなら、地獄の底からだって会いに行くさ』
タケルがそう言うと、カルネア姫はタケルの胸に飛び込んできた。優しくカルネア姫を抱きしめ、そっと頭を撫でるタケル。しかし、その背中からは大量の血が流れ出していた。涙を流して再会を喜ぶカルネア姫と、力なく笑うタケル。
そのシーンに差し掛かった時だった。嗚咽を漏らす音がしたのは。
俊介が隣を見ると、恋華の目からは涙があふれていた。
――その顔を見て、俊介はドキッとするのだった。
恋華は画面の2人を見ながら、長い睫毛をしっとりと涙で濡らしていた。
その表情は、俊介が今まで見た彼女のどんな表情よりも、女の子らしくて、そして儚げで――
「…………」
気づくと俊介は、恋華の手をそっと握っていた。
ためらいがちに、そっと。肘掛けに手を置く恋華の指に、俊介の指を絡ませた。
「……!」
恋華は、一瞬ではあるがビクッと肩を震わせたが、それもわずかのことで、
「……」
すぐに、俊介の手を強く握り返した。
一瞬目を合わせ、そしてまた2人は鑑賞に戻る。
タケルとカルネア姫は熱い抱擁をした後、口付けをする。『愛してるわ』『僕もだよ。たとえこの命が尽きても君を愛してる』と言葉を交わしながら。そしてキスを終えた瞬間、ゆっくりとタケルは崩れ落ちる。
そんな、クライマックスを迎えた瞬間――
バリッバリッ。
後ろで、お菓子を食べる音が聞こえた。
パリパリ。カリッカリッ。ムシャムシャ。バリバリ。
それも1つではなく、複数の音が同時に。真後ろから聞こえてきたので、映画の音が聞き取れないぐらいだった。反射的に俊介は恋華から手を離す。ムードを台無しにした無粋な客に、注意をしようと俊介が後ろを向いた時、彼は言葉を失った。
何と、後ろの座席に座っていたのは、俊介の妹達だったからである。
……。
俊介は、しばらく振り返ったまま硬直していた。
おそらく、和姫、レイラ、美鈴、ましろの4人。
おそらくと言ったのは、彼女達が変装をしていたからだ。
その変装というのがまたお粗末で……。
ハイヒールを履き、真っ赤なロングドレスを着て、つばの広いストローハットを目深に被った貴婦人風の女性――あれはおそらく、和姫だろう。
漆黒のマントを羽織り、頭には魔女が被るような先っぽが折れた3角帽子を被っている――あれがレイラだろう。もはや変装というよりコスプレに近いが。
多分美鈴――だとは思うが、探偵が身に着けるようなブカブカなトレンチコートを着て、ハンチング帽を被ってご丁寧にもサングラスをかけている。彼女に関してはもはやツッコミ待ちなのか? と本気で考えてしまうほどだった。
ピンクの豚さん柄のマスクと、毛玉の部分をクマさんに見立てた茶色のニット帽を被っただけのましろ(ましろに至っては顔も隠していない)が、一番ましに見えてしまうほどだった。
そんな4人が、無表情でポテチを食べていたのだった。
「な、何あれ……?」
同じように後ろを振り返った恋華が、ドン引きしながら俊介に尋ねる。
あれが妹達です、とは流石に言えなかった。
半分こうなることは分かっていたことだが。先ほど入口前で聞こえた声も、彼女達の内の誰かなのだろう。
俊介は後ろの妹軍団から目をそらし、こっそりと恋華に耳打ちした。
「目を……合わせないほうがいいですよ。決して、関わらないように」




