4偶然? いいえ、必然です!
「夜分遅くに申し訳ありませぬ、俊介兄君」
俊介の表情で心境を察したのか、緋雨は先手を打った。
状況から考えれば、俊介と恋華の会話を盗み聞きしていたのだから。
俊介の脳裏に嫌な予感がよぎる。偽装とはいえ自分が女性と付き合ってることが知れたら……恋華の身が危ない。
「そう構えないでくださいまし。わたくしめが来たのはつい先刻にございまする。電話の内容はほとんど聞いておりませぬし、聞くつもりもありませぬ。どうかご安心を」
しかし緋雨は、全く気にも留めてないといった風に言った。表情にも、特に怒ってる様子は見られない。もし女子と話してると分かったら、たちまち激怒してくるはずだが。
「わたくしめはただ、兄君に少々お話があっただけでございまする。突然の訪問、平にご容赦くださいませ」
「ああ、それは全然大丈夫です」
平穏。至って平穏な。
落ち着いて穏やかな会話をしている。
俊介は思った。緋雨は大分変わったのではないかと。
昔の緋雨ならば俊介が電話などしようものなら、問い詰めて相手の名前を吐かせたものだ。その後のことは思い出したくもない。
しかし今の緋雨は、TPOというものをキチンとわきまえている。
「ありがとうございまする。ところで今宵は、お願いがあって参上つかまつりました」
「お願い?」
「御意。明日から、兄君と登下校を共にしたいと思いまする。近頃何かと物騒ですし。わたくしめが護衛をつとめまする」
「護衛と言われましても。僕は子供じゃありませんし」
と、緋雨の提案に俊介は否定的。
大分温和になったとはいえ、まだ油断は出来ないのだ。
幸いなことに、恋華と登下校は別行動と言ってはいるが。
「駄目でございましょうか? 俊介兄君」
「いえ、駄目ってわけじゃないですけど……」
「お願いいたしまする、兄君」
そう言うと緋雨は、深々と頭を垂れた。
「ちょっと! 止めてくださいよ緋雨さん!」
制止する俊介の言葉も聞かずに。
たまらず、俊介は声を上げた。
「分かりました! とりあえず、顔を上げてください!」
「それでは、わたくしめの随伴を、許可していただけますか?」
「ええ、構いませんよ。まだ日本に帰国したばかりで、学校生活も不安でしょうからね」
そう言うと、緋雨は大層嬉しそうに笑った。
俊介は考えていた。恐らく緋雨は、海外生活が長かったがゆえに、日本は物騒だと決め付けているのだ。だから護衛を買って出たのであって、他意はないはずだ。
しかし、一応釘は刺さなければならない。
「でも、いいですか緋雨さん? 例え何があっても、誰にも暴力を振るってはいけませんよ。分かっていますね?」
「例え、兄君の身に危険が及んでも……ですか?」
「はい、絶対にです。約束して頂けますか?」
「……うふふ」
緋雨は、何故かくすりと笑みをこぼした。
「どうかしましたか?」
「失礼いたしました。ですが兄君は、わたくしめの事をどうにも誤解しておられまする。わたくしめが、同じ過ちを繰り返す人間に見えまするか?」
「では、もう誰にも暴力は振るわないと。約束できるんですね?」
「御意。わたくしめはもう、あの時の緋雨ではございませぬ故」
その表情はとても晴れやかで、優しく、落ち着いている。俊介は安堵した。
これならば、もう問題はないかもしれない。
「……ということですので。わたくしめの為に交友関係を隠す心配などございませぬ。もし恋人など出来ましたら、真っ先に知らせて頂きとうございまする」
「ああ、はい。分かりました」
くったくなく笑う緋雨につられて、俊介もにこやかに返事をした。
……? そこで、俊介は違和感に気づく。
緋雨は今さっき来たと言っていたが、恋華に登下校を別にする話は、大分前にしていたはずだ。よって、その会話の内容を緋雨が聞いているはずはない――はずだが。
だとしたら……。
「俊介兄君。わたくしめはこれにて失礼いたしまする。どうぞ、お休みなさいませ」
「……あ、はい。お休みなさい」
緋雨に言われ、慌てて俊介は頷いた。
胸の中のざわめきを、頭の中で何度も「偶然だ」と言い聞かせながら。




