1告白? いいえ、脅迫です!
授業が終わり、日が沈みかける黄昏時。
一人の少年が屋上に立っていた。
目の前には、同じクラスの少女。
瀬戸内恋華。
藍色の腰元まで届くロングヘアーをした美少女。高く整った鼻梁に、大きく澄んだ瞳。白く透き通った肌は粉雪のよう。そしてお淑やかで、物腰柔らかな態度――まさに「お嬢様」と形容するにふさわしい美貌である。事実、恋華は昨年のミス千本桜に輝いてあり、名実ともに学園のアイドルとして君臨していた。
可憐にして美少女。
優雅にして淑女。
清楚にして貴女。
つまり、全てがパーフェクト。
そのパーフェクトな恋華が、右上に視線を泳がせた後、正面に立つ少年を心細そうに見つめている。
長い沈黙が流れる。
厳密には沈黙ではない。ふー、ふー、と、彼女の口からは荒い息がもれていた。
緊張の糸がピーンと張り詰めた頃。
恋華はおもむろに口を開くと、こう言った。
「井川君。初めて会った時から、ずっと好きでした! 私と付き合ってください!」
「……すみません」
井川と呼ばれた少年は、慇懃に頭を下げながら言った。
「ど、どうしてですか? 私のことがお嫌いですか? でしたら言ってください! あなた好みの女性になれるよう、精一杯努力しますから!」
恋華は必死に食い下がった。
「理由を聞かせてください。私のどこが駄目なんですか?」
少年は答えず、ゆっくりと空を見上げた。
美しい夕陽を目に入れると、視線を空から恋華へと移した。
「いいえ。瀬戸内さんのことが嫌いだからではありません」
「じゃ、じゃあどうしてですか!」
恋華が問い詰めると、少年はため息をつきながら答えた。
「……だってあなた。嘘をついてるじゃないですか」
「……う、嘘? 私が、井川君に?」
「はい。正確には、大事なことを言っていない、と言ったほうが正しいですね」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
恋華は慌てて後ずさった。
燃えるような夕陽が、彼女の顔を赤く照らす。
保護色になって分かりづらいが、恋華の顔は緊張と恥ずかしさから赤面していた。
「私が井川君のこと、本当は好きじゃないって言うんですか!?」
「いいじゃないですか。そんなこと、どうでも」
「良くありません!」
恋華の口調には怒気が含まれていた。
表情も不安げな表情から、立腹した表情へと変わっている。
「……わかりました。お答えします」
少年は恋華の顔をまっすぐに見つめた。
「僕に告白をする前、瀬戸内さんは視線を右上に泳がせていました。左脳は言語を司り、右半身を支配していますので、どう嘘をつくかと言葉を選んでいる時は右上に視線が動きます」
「……そんなことで、私の告白が嘘だって言うんですか?」
そう言うと、恋華は憤ったように少年を見つめた。
少年は冷静に答える。
「いいえ、まだ根拠はあります。そうですね、瀬戸内さんと出会ったのは高校一年の入学式の日でした……。初めて瀬戸内さんが僕を見た時、驚愕して目を見開いていたのを覚えています」
「……えっ。でも、井川君その時……」
恋華が異議を挟もうとしたのを、少年はさえぎる。
「はい、僕は窓の外を見ていました。でもね、人間の視界というのは左右約180度と意外に広いんです。横を向いていても注意すればかなりの角度が見渡せるんですよ。その後も、僕は知らないフリをして、あなたが僕のことをチラチラ見ていたことを見ていました」
「…………」
恋華は、絶句しながら少年のことを見ていた。
少年はさらに続ける。
「ゆえに、瀬戸内さんの言う『一目ぼれ』は嘘ということになります。あなたは僕のことを前もって知っていました。だから僕のことを見てビックリしたんです。しかしあなたは僕に声をかけず、コソコソと盗み見るだけでした。そしてこの告白です。何かあると勘ぐるのが普通でしょう? よって、告白以外に何か別の企みがあるのでは? とカマをかけてみた次第です」
少年がそこまで推理を披露した時。
「ぷっ……あはははははははははは!」
恋華は笑っていた。
お腹を押さえて。
腹の底から。心の底から。
「あ~あ。ごめんね、笑っちゃって。だって、ここまで見事な推理を披露されるなんて、思ってもみなかったんだもん。さすが、私の見込んだ人だよ」
「落ち着きましたか? では、このお芝居がどういうことなのか説明願えますか?」
恋華が人心地ついたのを見計らって、少年は声をかけた。
恋華は不満そうに頬をぷーっと膨らませると、
「お芝居ってなによー? 井川君、ひっどーい!」
「瀬戸内さんが嘘をついてることは事実です。そのような批判を受ける筋合いはありません。そもそも、あなた性格が少し変わっていませんか?」
「だって、お嬢様っぽく振舞ってたほうが何かと便利だし。『掃除当番代わりますよ瀬戸内さん!』とか『焼きそばパン買ってきますよ瀬戸内さん☆』とか」
……。
恋華の口調は完全に年相応の少女のものになっていた。少なくとも今の恋華の姿を見て、「お嬢様」という言葉を連想する者はいないはずだ。
「まあ、瀬戸内さんが猫を被っていたなんてどうでもいいことです。僕が知りたいのは、『なぜ好きでもない男に愛の告白をしたか?』ということです」
少年がそう言うと、恋華はつまらなそうにフン、と鼻を鳴らすと、
「どうでもいいことです、とか言われると傷ついちゃうよね」
「あなたが傷つこうと傷つくまいと、どうでもいいことです」
「あっ、また言った。さては井川君ドSだな?」
「話す気がないなら、僕は帰りますよ」
「あっ、やだやだ。帰んないでよ! 意外に短気だなあもう!」
「十分に我慢しましたよ。それと、さり気なく人を侮辱するのはどうかと思います」
そう言って、少年が立ち去ろうとした時。
「――偽装恋人になってほしいの」
恋華が声を発した。
さっきまで悪ノリしていた時とはまるで別人のような、真剣な声色で。
「だから私、ずっと井川君のこと見てたんだよ?」
「僕を……?」
「そう」
恋華はフッと息をつくと、
「井川俊介君。千本桜高校2年A組で、私と同じクラス。身長170センチ、体重50キロ。大きな瞳に丸い顔の輪郭、痩せ気味な体はどことなく女性的である。授業態度や成績は至って真面目で、学内テストでは常に上位をキープしている。しかし、いつも教室の隅でボーッと窓の外を眺めていることが多く、友達はあまりいない模様。部活や委員会には入っておらず、学業に全てを打ち込んでいる、典型的真面目なガリ勉タイプ。ただ一つ特筆すべき点は、下に5人もの妹がいること。しかも5人それぞれがハイレベルな美少女であるが、俊介君自体はただの真面目なガリ勉タイプ。どう? 何か間違ってる?」
――などと。
「井川俊介」のプロフィールをまくし立てた。
恋華は俊介に関する、ありとあらゆる情報を調べている。
しかし、俊介が気になったのはそんなことではなかった。
「真面目なガリ勉タイプ、を2回強調したのはなぜでしょうか? 僕に対する嫌味ですか?」
俊介がそう言うと、恋華はペロッと舌を出して、
「ごめんごめん! それはもう言葉のあやって奴ですよ! 勘弁してくだせえお代官様~!」
古い時代劇のような口調で、大げさに謝ったのだった。
……こういう場合は「お奉行様」が正しいのだが。
俊介はあえて突っ込まずにいた。
その代わりに。
「話が脱線したので元に戻しますけど。偽装恋人ってなんですか?」
俊介がそう尋ねると、恋華は佇まいを直した。
さっきまでの真剣な表情に戻ると、
「文字通り、偽装の恋人だよ。私、学内1と言っていいくらいモテてるの。井川君にはわからないでしょうけど、毎日大変な苦労があるんだよ?」
そう。
俊介にはこれっぽっちも理解できなかった。
モテるならモテるに越したことはないのではないか?
まあ、男と女の意識の差と言ってしまえばそれまでだが。
「毎日色々な男から祭り上げられて、遊びに誘われて、告白されて。でもみんなが求めてるのは『お嬢様』としての私。本当の私なんて誰も知らないし、興味もないのよ。ヨヨヨ……」
恋華はわざとらしく目頭を指でぬぐった。もちろん、涙は出ていなかった。
「はあ……。それで? うっとおしいなら、そう言えば済むことじゃないですか」
「井川君って、頭はいいけどこういうことは全然ダメだね。結構キッパリ断ってるんだよ? それでも毎日告白が絶えないの。でも、私に彼氏が出来たとなれば、話は変わってくるでしょ?」
ああ。
恋華は何を言わんとしているか、俊介にも大体飲み込めてきた。
要するに恋華は、自分に「恋人のフリ」をしろと言ってきてるのだ。
嫌だ……。
俊介の脳裏にその2文字が浮かぶ。
どう考えても面倒なことになりかねないからだ。
「申し訳ないですけ「と、ゆーことで! これからよろしく!」」
俊介が辞退を申し出るより先に、恋華はペコリと頭を下げた。
「いやっ、よろしくじゃないですよ。今返事の途中でしたよね? しかも、どう考えても断られる流れでしたよね? それがどうして、これからよろしくになるんですか?」
俊介は冷や汗を流しながら言った。
……なぜだろう。
なぜか彼女と話していると、ペースが乱れるのだ。
「え。だって、学園のアイドルである私と付き合えるんだよ? 男の子がみんな付き合いたいと思ってる私のことを、好き勝手にできるんだよ?」
恋華は顔を上げると、グイッと顔を前に出し詰め寄ってきた。
俊介は顔を赤らめながら視線を外して、
「す、好き勝手ってなんですか」
「あら。知らないの? ウブだね。こーゆーことだよ!」
そう言うと恋華は。
スカートをめくり上げた。
輝く白い木綿のパンツが、あらわになる。
「な、ななななっ、なにをしてるんですか!?」
たとえ死体を前にしても、ここまで狼狽はしなかったろう。
俊介は慌てて顔を手で覆った。
「ううっ……。井川君にぱんつ見られた……。もう、お嫁に行けない……」
また「シクシク」と泣き真似をする恋華に、俊介は「はあ……」とため息をつき、
「自分で見せたんじゃないですか。これってもはや、告白じゃなくて脅迫ですよ」
「お、乙女のぱんつを見といて! よくそんなことが言えるね!」
「言えますよ。冷静に考えたら、単なる木綿で出来た布じゃないですか。人は誰しも下着をはいているのですから、恥ずかしいものを見たとは思いません」
「よくゆーよ! どうせ網膜に焼き付けたくせに! 今夜のオカズにするくせに! うわぁぁぁん、ぱんつの見せ損だあ。私、フラれた上に井川君のオナペットにされるんだぁ……♪」
「地味に嬉しそうに言うの止めて下さい。それに、僕はまだ断るとは言ってませんよ」
「いーのいーの。慰めは……えっ?」
そこで恋華はピタリと泣き真似を止めた。
「い、今……なんて言ったの?」
「了承すると言ったんです。瀬戸内さんの『偽装恋人』になると」
俊介がそう言うと、恋華は俊介ににじり寄った。
そして、ほっぺたを思い切りつねった。
「どう? 痛い?」
「いふぁいにひふぁっへるへひょう(痛いに決まってるでしょう)」
「あはは。だよねー変な顔ー」
「いいふぁふぇんにひふぁいほ、わふぁれふぁふひょ?(いい加減にしないと、別れますよ?)」
「……あっ、ダメダメ」
慌てて恋華は手を引っ込めた。
俊介は赤くなった頬を撫でた。
「でも、どういう風の吹き回しなの? さっきまで『僕はもう帰りますよ(キリッ)』とか、『どうでもいいことです(ドヤァ)』とか言ってたのに!」
「そんな言い方してなくないですか?」
「そーゆーツッコミはいいから!」
「……瀬戸内さんがさっき言ったように、僕には5人の妹がいるんです」
ふいに俊介の顔が重苦しげになった。
「血のつながりはない、いわゆる『義理の妹たち』なんです。そして5人それぞれが――僕に好意を抱いている」
「? どういうこと? 兄妹なら好意を持って当然じゃん。私だって弟いるけど、別に嫌いじゃないよ?」
「そういう意味じゃありません。何というか、僕を1人の男性として見てくるんです。風呂上りに裸で襲われたことや、寝込みを襲われたことが何度もあります。それで、何とか兄離れできる機会がないかと悩んでいたところなんです」
「……ははあ。なるほどね」
恋華は、合点がいったようにひとりごちた。
「つまり、妹思いの井川君としては、私という彼女とえっちい関係になって、妹たちの自立、ひいては兄離れを促したいと。こういうわけだ」
「……若干おかしな単語がありましたが、聞かなかったことにします。大体はその通りです」
「ちなみにえっちい関係というのは、性行為を伴う男女仲のことだよ」
「せっかく聞き流したのに、話を戻さないでもらえますか?」
俊介の脳裏に「後悔」の2文字が浮かんだ。
ひょっとして、早まった決断をしたのではないかと……。
「言っておくけど、今さら拒否はできないよ? ぱんつだって食い入るように見たんだし。責任とってお嫁にもらってくれるんだよね?」
グイグイ顔を近づけながら、恋華が問う。
「その言い方だと、かなりの語弊が生じますね」
俊介は赤く染まった積乱雲を細目で眺めながら答えた。
「ま、なにはともあれ!」
と、恋華は体を離すと、
「これからよろしくね! 井川俊介君!」
ニッコリ笑って、手を差し伸べた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。瀬戸内恋華さん」
俊介は、その手をそっと握りしめる。
――この時の俊介は、まだ気づいていなかったのである。
この「偽装恋人」が原因となって、5人のブラコン妹たちと、壮絶な修羅場を迎えてしまうことを。