奴隷と主人
俺様には奴隷がいる。奴隷の名前は知らないが、別に知らなくても不便ではない。
「奴隷A。ティッシュがきれた。買って来てくれ」
「あの、司様。私には上林れみ、という名前があります」
奴隷Aが言っている。
「ですから、せめて名字で呼んでいただけると」
「お前の名前は分からんし、覚える気もない。呼ぶつもりもない」
奴隷Aはガックリとした。つか、奴隷の分際で俺様に意見するとはどういう了見だ。まあ、俺様の寛大な心は奴隷の不始末をそんなに気にしないから、許してやろう。
俺様は目線でたらたらしてらんと早く買いに行けと命じる。奴隷Aは顔を青くして同意すると、すぐに出て行った。
俺様は無性に奴隷Cを殴りたい衝動に駆られた。しかし、いくら奴隷といっても暴力は気が引ける。どうしようか。そんなことを悩みつつも、俺様は男友達と楽しく会話している。お互いに知っているミステリー小説の探偵の良さやトリックの素晴らしさを話した。
「ところでさ、俺誰か殴りたいんだ」
「いきなり物騒な願望を述べるな」
俺様は危険な願望を持つ友人に呆れる。
「いいじゃんか、別に。お前だってそんな時あるだろ?」
「ねえよ」
口ではそう言う。でも、俺様も奴隷Cを殴りたいと思っている。
「そだ。お前んとこの池丸さんいんじゃん?」
奴隷Cのことか。
「その子をぶん殴らせてくんない?」
「何言ってんだ、お前」
「いいじゃん、殴らせろよ」
「ダメに決まってんだろ」
俺様は拒否する。だが、ナイスだ。利害が一致したな。俺様は視線で奴隷Cを殴るよう要求する。その意図を察した友人はニヤリと笑った。
「いやあ! やめてください!」
打撃音。別の部屋で友人が奴隷Cを殴っているのだろう。
「黙れ」
「ひっ!」
友人の脅す声に彼女は黙った。そして、続く打撃音を耳にした俺様は幸福で心が満たされるのを感じている。自分で殴る方がさらに良いのだろうが、奴隷Cなんぞで犯罪にはなりたくないからな。
友人が俺様のところにやって来た。その顔は幸福で満たされている。俺様もいい気分だぜ。
「たくさん殴らせてもらったぜ!」
「おいおい」
喜びで叫ぶ友人に口では咎めておく。
「んじゃな」
友人は別れの挨拶をしてさっさと帰っていった。友人に心の中で感謝して、俺様は奴隷Cのところへ向かう。
「あ、司様」
奴隷Cは見事にボロボロだった。鼻から血が流れているし、口からも血が流れていた跡が残っている。頬も腫れている。うん、ナイス友人って感じだな。
「奴隷Cよ。今から肉体関係を結ぶが、良いか?」
「司様、私を慰めてくださるのですか?」
ポカンとする奴隷Cである。
「いや、俺様がそうしたいからだ。お前を慰めるつもりなんて毛頭ない」
きっぱりと否定しておく。俺様はこいつに愛情なんてないからな。だが、奴隷Cは微笑むだけだった。素直じゃないと思われているんだろう。まあ、いっか。
「じゃ、やるぞ」
「はい!」
俺様がいつも通り部屋にいると、突如扉が大きな音をたてて開いた。そこにはナイフを持った奴隷Cが無表情で立っている。な、なんなんだ。
「おい、奴隷Cよ。何持ってる?」
「ナイフでございます」
「そういう意味じゃねえ」
奴隷のクセに反抗的だな。
「司様には私の初めてをあげましたよね?」
「それがどうした? 後、献上させて頂きました、だろうが」
「そして、何度も大人の関係になりましたよね?」
淡々と喋る。何をするつもりか大体察した俺様は百科事典を手に取る。
「そして、私は告白もしましたよね?」
「そうだな」
「でも、司様は大人の関係にはなってくれますが、彼氏にはなってくれないですよね?」
「当たり前だろ。てか奴隷の分際で図々しいな」
相手はナイフを持っているので、言葉は選ぶべきだったか? 奴隷Cのナイフを握る力が増した気がするし。
「さらに、司様は私を酷使して働かせますよね?」
「いや、お前が無償で尽くしたいって言ったんだろ? 自分の発言くらい責任持てよ」
「だからといって、ここまで酷使することないじゃないですか。物事には限度があります」
何を甘えたことを言ってるんだか。
「何か言うことはございませんか?」
最後通告と言いたげな口調で確認をとってきた。だから、何なんだ?
「ない」
「そうですか」
俺様の端的な答えに奴隷Cは息を吐く。そして、ナイフを前に突きだして突進してくる。やはり殺す気なんだな。俺様は懸命に横にかわす。奴隷Cが前のめりになり、バランスをとろうとする隙を狙って、渾身の力で彼女の後頭部に百科事典を叩きつける。鈍い音とともに奴隷Cはうつ伏せに倒れた。よし、逃げて警察だ。俺様は全力疾走をしながら、警察に電話をかける。
奴隷Cは無事逮捕された。動機は俺様に語っていたのと似たようなものだった。まあ、犯罪者の奴隷のことなんて忘れよう。奴隷はまだ他にいるしな。
俺様は今奴隷Bに肉体関係を求めている。
「貴方のこと好きですから、構いませんよ。後、私の名前は奴隷Bじゃなくて、『有河はなみ』ですよ」
覚える気ないでしょうが、と彼女は苦笑いで答えた。分かっているなら、黙っていれば良いのにな。まあ、頭がアレな奴隷には分かんないだろうけれども。
俺様と奴隷Bは肉体関係を結んだ。
「こないだは池丸さんを殴らせてくれてありがとな」
「殴らせてはいないけど」
友人が礼を言うが、俺様は建て前上否定しておく。
「つーか、あの子逮捕されたよな。ヤバい子だったんだな」
顔は良いのに、と友人が惜しむ顔で呟く。奴隷だから別にこうなってもおかしくないと思う。まあ、奴隷にしては根性なさすぎて話にならないレベルだったが。
「ところでさ、おまえのバイブルは何よ?」
「は? バイブル?」
「そ、バイブル」
バイブルって聖書だよな。俺様はそんなもん持ってねえぞ。
「おれは××のグラビア写真集だな」
友人がドヤ顔で平然という。あー、お気に入りの本ってことか。
「バイブルというか一番のお気に入りは大学受験の数学Ⅰの参考書だな」
理由は大学受験の時に一番お世話になったからな、と俺様は補足説明をする。友人は、ふーん、と言うだけでそれ以上を追求せずに別の話題に移った。
今俺様は奴隷Aが作った夕食を食べている。
「どうですか?」
奴隷Aが不安そうに聞く。うん、いつも通り美味しい。まあ、奴隷が美味しい料理を作るのは当たり前ではあるが、美味しいことには変わりない。
「不味い」
しかし、俺様はあえてそう言った。
「え?」
奴隷Aは聞き返す。なんて言ったか分からないと言いたげな表情だった。彼女を無視して俺様は奴隷Aが作った料理を全てゴミ箱に捨てた。
「司様!」
「うるさい」
奴隷Aの非難の叫びを一言で封じる。
「作り直してくれ」
「ですが」
「ですがもへったくれもない」
「時間がかかります!」
「簡易な物を作ってくれよ。おまえのアレな頭じゃ分かんねえのか!」
「は、はい」
奴隷Aが不服そうに頷く。気にいらない態度だが、不問にしてやる。それより、俺様はこいつに今やらせることは土下座だ。視線で土下座をしろ、と指示すると、彼女は焦った顔で土下座を始めた。しっかり額を床につけた土下座だった。うん、許してやろう。俺様の思考を感じとった奴隷Aはすぐに立ち上がり、礼を言ってから夕食の作り直しを開始した。
用意された食事は簡単な物である。食べてみたら、いつも通り美味しかった。まあ、量が少ないのが不満ではあるけれども。
友人が危険なことを言い出した。
「俺さ、見知らぬ女を殺したいんだよなあ」
「文字通りの意味か?」
「それ以外あんの?」
「いや、比喩的な意味とかあるだろ」
「そっか。まあ、それはいい」
友人は真剣な顔でこちらを見る。
「とにかく殺したいんだよ」
「やめとけ、犯罪だぞ」
俺様は止めておく。そういえば、女が四肢切断されたらどうなるのだろうか? どうせ殺すなら、そうして欲しいなあ。
友人がニヤリと笑いだした。どうしたんだ?
「おまえの望み叶えてやるよ」
「次のニュースです。○○区に住む△△さんが殺害されました」
翌日。テレビのアナウンサーが淡々と述べている。
「逮捕されたのは会社員の□□容疑者です」
お、友人じゃん。
「被害者は両手足が切断されていて、死亡していました。猟奇事件として警察は容疑者に詳しい事情を聞く方針です」
本当にやるとはな。先日の奴隷Cの件といい、この件といい、俺様に悪評判が飛び火しなければ良いのだが。まあ、俺様の要望を読み取ってくれた友人には感謝すべきだろう。ありがとう。
奴隷Aが意味不明なことを言い出した。
「何て言った?」
「で、ですから、あの!」
奴隷Aが深呼吸をする。そして、再度意味が分からないことを言う。
「わ、私とデートしてください、司様」
どうやら、聞き間違いではないようだ。はあ、身の程知らずな提案をしてくるものだ。
「奴隷なんかが意味不明なことを言うとは。正気か?」
「正気です! だから私とデートして頂けたら」
「拒否」
俺様は奴隷Aの言葉を遮った。彼女は涙目で俯いたが、スルーする。俺様は用事をすませるために、こいつを放置することにした。
昼下がりのファミレス。その日はそれほど混んではいない。そこで二人の女性が向かい合って、トークをしている。
「ねえ、れみ。あんた司とか言う男が好きなんだって?」
「うん」
上林れみが頬を赤くして頷く。
「あんたの友達として忠告しとくけど、あんな男はやめときな」
友達の忠告に上林はムッとした。
「あんたに司様の何が分かるのよ!」
「分からなくてもアレな男だと分かるわ。だって、女の子を奴隷として扱うみたいじゃない。あんたから聞いた話だと」
「奴隷として扱うも何も私は司様の奴隷よ」
「あの男のどこがいいの?」
「人を好きになるのに、理由なんかないわ」
強いて言うなら顔よ、と上林が付け加える。友達はもう忠告しても無駄と悟ったのか、何も言わなかった。
「司様!」
ある日。奴隷Aが叫びながら、俺様の部屋に入ってきた。
「騒がしいぞ」
「すみません」
奴隷Aが呼吸を整えている。そして、慌てて話し出した。
「はなみさんが死んでいます!」
「なんだと?」
奴隷Bが死んでる? 奴隷Aの表情から嘘は言っていないように見える。俺様は奴隷Bが倒れていると聞いた場所に足を運んでみた。血溜まりの中で彼女は倒れている。これは生きてなさそうだが。
「おい、奴隷B」
反応なし。
「おい」
反応なし。これは警察に電話だな。俺様は110番をプッシュした。
俺様と奴隷Aは事情聴取を受けた。奴隷Aは放心状態だったが、幸い受け答えはなんとかできていたらしい。遺書が見つかったり、様々な状況から奴隷Bは自殺と判断された。俺様自身は遺書を読んでいないが、奴隷Aはそれを読むと泣き崩れていた。
「司様、どうなされました?」
奴隷Aが声をかけてきた。
「奴隷の補充をする」
俺様は面倒くさそうにため息を吐いて答える。
「司様、悲しくないんですか?」
奴隷Aが恐る恐る尋ねてくる。
「悲しくない」
「冷たいです」
「それにいつまでも悲しんでいても仕方ない」
「司様」
奴隷Aが悲しそうな表情で俺様を見ていたが、いきなり、表情を和らげた。
「司様、我慢しなくて大丈夫ですよ」
「は?」
彼女は微笑んだまま答えなかった。俺様が悲しいけれども、天の邪鬼な態度をとっていると考えているのだろうか? まあ、いちいち否定するのも煩わしいし、いっか。俺様は新しい奴隷の選別を続けた。