ワシ、幼女になる。
『信長様……信長様……』
どこかから、ワシを呼ぶ声がする。
近いような遠いような……聞き覚えのある声。
これは、蘭丸の声じゃ。
『信長様……起きてください信長様……』
「なんじゃぃ……もう少し寝かせんかい……」
ワシ、一体どうなったんじゃっけ?
確か本能寺で……クソ金柑頭の兵士相手に暴れまくって、そのままおっ死んだ覚えがあるんじゃが。
どーでもいいが、クソ眠い。
「Zzz……あと三千年……」
『寝すぎにも程があります! 起きてください信長様!』
「うぅむむむ……しゃーないのぉ……」
しかたなーくワシが目を開けると――
そこには頭だけで一尺はあろうかという、クソデカイ犬のバケモノがおった。
なんか首が三つもある。
「何じゃテメェ?! 蘭丸をどこへやったァ!!」
『信長様、私が蘭丸です!』
「嘘吐けェ! 腹ン中か?! 腹ン中から蘭丸の声を出してんのか?! よっしゃ待ってろ蘭丸今すぐこいつの腹ァ掻っ捌いて出してやるからのう!!」
『ちょッ待って待って待って待ってッ!!!!』
手元にあった愛刀光忠をワシが振りかぶると、犬のバケモノはひっくり返って腹を見せよる。
なんじゃ降参か。
よかろう、そのままにしておれ。今首を刎ねちゃる。
「いっせーのー……」
『やめて! お願いですやめて信長様! 本能寺を共に戦った、この森蘭丸の顔をお忘れですか?!』
「ワシの家臣にそンな犬面はおらんわァ!!」
そらァ!! とワシが刀を振り下ろすと、クソ犬はゴロゴロ転がって避けやがる。
「ええい猪口才な! さっさと蘭丸を吐き出せぃ!!」
『だから、私が蘭丸なんですってばァァァァァァ?!』
どったんばったんがっしゃんどっしゃん。
ぎゃーぎゃーわーわー。
「クッソ、逃げ足の速いやつめが……」
『いい加減信じてくださいよ! 私は森可成の息子にしてあなたの小姓としてお仕えしていた森蘭丸なんですって!』
「黙れい! じゃあその姿は何じゃ! ワシの知ってる蘭丸は人間じゃぞ!」
『今の信長様が言えた義理じゃないでしょう!!』
「あンじゃとォ?」
『見てくださいよ、ほら!』
ずいっ、とクソ犬が頭を近づけてくる。
そのデカい頭を同じ大きな瞳の中には、ワシの姿が映っている。
そう、ワシの――
「――なンじゃこりゃぁ?」
瞳の中に映っていたのは、齢十かそこらと思しき裸の女であった。
腰よりも長く伸びた綿雪のような白髪。
鬼灯のように紅い大きな瞳。
陶磁のように滑らかな肌に、つるぺたすとーん、な体型。
幼女である。
紛うことなき幼女である。
「……これは幻術か?」
『いいえ、現実です』
蘭丸の声をした三つ首の犬が言う。
『これが今の貴女の姿です、織田信長様』
――ワシ、幼女になっとる。
「って、どーなっとるンじゃァァァァァァァァァァ!!!!!」
ワシは吼えた。
喉が裂けんばかりに吼えた。
「ワシの体は? イケメンナイスミドルなワシの体はどうなった?!」
『死にました』
「ンな馬鹿な! だとしてもどうして幼女になる謂れがある?!」
『落ち着いてください信長様』
「これが落ち着いていられるかァァァァッ!!」
『うわ危なッ?!』
ワシが振り下ろした実休光忠の刃を、慌てて避けるクソ犬。
その動きは無駄がなく、まるでワシの太刀筋を知っているかのようだ。
『ちょっとは話を聞いてくださいよ信長様! あなたは"転生"したんです!』
「転生だァ?」
ワシとて日本人じゃ、その言葉の意味くらい知っとる。
死後、生命の魂は輪廻の輪を巡り、別の生命へと生まれ変わるとかいう。
ワシの前世は虫ケラかもしれんし、来世は畜生かもしれんという教えじゃろう。
「するってーと、何か? ワシはあの時本能寺で死んで、そして幼女に転生したと?」
『そうです!』
「ふざけンなァ!!」
『危なッ?!』
ちっ、当たらん。
「ワシの太刀をここまで避けるとは……その回避力、まさか貴様本当に蘭丸か?」
『えっ、それで本物認定されちゃうんですか私?!』
「そのリアクションも言われてみればワシの知る蘭丸そのもの……! 生きておったか、蘭丸!」
『え、ええまあ、はい。生きてたというか、転生したんですけど』
なーぜか釈然としない表情で、クソ犬――改め、森蘭丸は頷いた。
「そうかそうか。おぬしも転生してそんな畜生の姿にのう」
『納得していただけましたか?』
「うむ。理解はできんが、とりあえず納得はした」
蘭丸が犬になることがあるなら、ワシが幼女になることもあろう。
世の中には人間の理解できんことなぞ幾らでもある。
これもその一つなのだ、と納得することにする。
「して蘭丸よ、ここは何処じゃ。京か、尾張か?」
『いいえ。そもそも日ノ本ですらありません』
「なんと、では大陸か。明か、それとも遥か南蛮か?」
『いいえ、そのどちらでもありません』
神妙な――まあワシに犬の表情は分からんのじゃが、恐らく真剣な――顔をして、蘭丸は言う。
『落ち着いて聞いてください、信長様――どうやらここは、我々の知る世界とは異なる世界のようです』
「なんと」
相槌を打ってはみたが、正直そこまで驚くようなことでもないのう。
目が覚めたら自分が幼女になっていたのと比べると、だいぶインパクトに欠ける。
「地獄極楽の類――いわゆる死後の世界でもなく、か?」
『はい。私もこの姿で目覚めて以降、付近を見て回りましたが――風土や文化こそ異なれど、この世界にも生きた人間がいて、草木や獣もいるようです』
「ふむ」
奇っ怪な話ではある。
金柑頭に裏切られ、本能寺で死んだはずのワシらが、幼女とバケモノになって異世界に転生したという。
なんぞ、御伽草子にでもすれば売れそうな題材じゃのう。
「神仏の気紛れか、それとも前世のバチが当たったかのう」
『だとすればなんで私まで……』
「知らんわ。つか、神罰にしてもワケが分からん。なんで幼女なんじゃ」
ワシはぺたぺたと自分の体を触る。
うん。つるっつるじゃな。
今さらじゃが声も、前世のワシの声とは似ても似つかんし。
かんっぺきに幼女である。
「南蛮にはロリコンという言葉があるそうじゃが、実は神仏にはそういう趣味があったのか?」
『またバチが当たりますよ』
呆れたように蘭丸が言う。
そうじゃな。もし神仏がロリコンなら、おぬしが犬になった理由が分からん。
「まあ、仮にこれが神仏の仕業だとして、その意図なぞ考えるだけ無駄じゃ」
『ばっさり言い切りますね、信長様』
「神は、人間には計り知れぬからこそ"神"と言うんじゃ。覚えておけ蘭丸」
連中は気紛れに人を罰し、時には加護を与える。
どこぞの越後の龍とかな。あいつ毘沙門天に愛されすぎじゃろ。
「今は、これからどうするかを考えるぞ。蘭丸、おぬしこの周辺を見て回ったと言ったな?」
『ええ』
「この世界にも生きた人間がいる……そうも言ったな?」
つまりは、この近くに人の暮らす集落があるということだ。
風土や文化は異なるらしいが、言い換えればそやつらは日本人とは違う"文化的な"暮らしをしているということでもある。
「まずはこの世界の人間に会う。そして情報と、当面の生活に必要な物を集めるとしよう」
とりあえずは飯と、あと服が欲しい。
なんでワシは素っ裸なんじゃ。
さっきから風が冷たくてかなわん。
「日ノ本の言葉がここの連中に通じるかは……まあ無理じゃろうが、もはやこの世界で生きていかねばならぬ以上、避けて通るわけにもいくまい」
『そうですね……私、この姿で人前に出て大丈夫でしょうか』
「案外、この世界ではおぬしのような三つ首の犬も普通におるのかもしれんぞ」
ここでワシら二人で頭を捻っても、出る答えなぞたかが知れておる。
ならば、行き当たりばったりでもレッツ行動じゃ。
「よし、行くぞ蘭丸。おぬしが人を見たという場所まで案内せい」
『畏まりました、信長様』
こうしてワシ(幼女)と蘭丸(犬)は、異世界での最初の一歩を踏み出したのであった。
・歴史人物解説その2
【森蘭丸】
森成利、森乱丸とも。信長、本能寺の変と来れば必ず登場するお方。
実は弟二人も一緒に本能寺の変で死んでいるが、そっちが取り上げられることは稀。不憫な。
とかく才気にあふれた美少年と言われ、信長にも可愛がられていたそうな。
しかし本作では表面上の扱いは割と雑。頑張れ蘭丸、強く生きろ。