第九話 造人と継承
小屋の中に、ぐったりと横たわる男と子供の姿がある。プロストは男の額に濡れた布を当てて、それから子供を診た。外傷は無く、陶磁器のような滑らかな肌を持つその子供は、どうやら男の子のようだった。ゆったりとした布衣に身を包み、細い手足をだらりと伸ばして寝転がっている。
「綺麗な、顔だな……まるで、造り物みたいだ」
指を伸ばし、プロストは子供の顔に触れようとする。
「その、通りだよ」
横合いから、男が声を出した。
「起きたの、竜にいさん?」
プロストが顔を向けると、男は寝転がったまま虚ろな眼を宙空へと向けていた。
「その子は、造り物だ。外皮も、内臓も……頭の中身、脳以外は」
男の言葉にプロストは、子供の顔に伸ばしていた指をびくりと止める。
「どういう、ことなんだ、竜にいさん?」
血の気の引いた顔で、プロストが男の瞳を覗き込む。縦に割れたような瞳孔には、プロストの顔は映っていない。一切の外界の光景を見ることを、拒絶しているかのようだった。
「……筋肉繊維も、神経も、骨格も臓器も血液も、その子の全ては、僕が造った物だ。錬金術の粋を用いて、持てる限りの技術と、僕の身体を使って……」
ひくり、と男の頬が動く。瞳の黄色い虹彩が細かく動き、ガタガタと全身が震えた。
「落ち着けよ、竜にいさん」
プロストの声に、男は顔を強張らせて歯を食いしばり、浮かび上がろうとする狂相をなんとか抑え込む。辛い、記憶なのかもしれない。先を促すべきではない。プロストの頭の中に、そんな考えが浮かぶ。
「脈も心音も弱いし、体温も子供にしては低い。この子の症状に、心当たりは無いか?」
だが、プロストは癒し手としての使命を優先させる。男の精神衰弱については、今は手の施しようが無い。時間をかけて、癒すしか無い。
「……造ったのは、五年、前だった。僕の血液を混ぜて、その子の血管に循環させて……臓器に、問題が出たのかもしれない。僕の技術は、人間の身体を造る領域まで、達していなかったのだろうね……」
男の言葉に、プロストは眉を寄せて唸る。
「人工臓器の、不調ってこと?」
問いかけに、男は首を横へ振る。
「わか、らない……」
そのまま首を寝かせ、男は子供に顔を向けた。
「わからないって、どういうことだよ? あんたが造ったんだろ?」
プロストは苛立った声を、男にぶつける。酷なことかもしれないが、今の男には、それが必要な気がした。
「僕は……国の命を受けて……研究を……していた」
男の呼吸が、荒いものになる。男の言葉を耳にしながら、プロストは側へ侍るように身を伏せているヴァイスの足元から白の杖を拾い上げた。
「命令だったから、この子を造った?」
白の杖を、子供に当ててみる。杖にある自我融合の力を利用して、プロストは少年の内部から記憶を引き起こすことにしたのだ。ヴァイスで実験をしたときは、上手くいった。りん、と杖が金属質の音を立てる。
「その子は……僕の研究室に運ばれてきたときには……虫の、息だったんだ」
軽い頭痛とともに、プロストの頭の中に流れ込んでくるものがあった。プロストは首を振り、子供の身体から杖の先端を持ち上げる。男の顔と、森の中の光景。それ以外は、一切の闇だ。
「僕は、その子の命を、救うつもりなんて、これっぽっちもなかった……」
男の声を聞きながら、プロストは子供の閉じた瞼に指を当てて開かせる。水晶のような、澄んだ美しさのある瞳だった。
「……研究材料、だった?」
尖る声音になるのを、プロストは自分で止められなかった。子供の手首を取って、脈拍を診る。
「研究……なのかな。僕は、何をしたかったんだろう? 言われるままに、その子を、その子の身体を部品に入れ替えて……少しずつ、組み替えていった」
子供の手首に、しこりのようなものがあった。細長いそのしこりは、手首から肘のあたりまで続いている。人工の血管が、浮き出ているのだろうか。子供のきめ細やかな手首に、プロストは顔を寄せる。
「命令の、ままに……武器も、仕込んだ」
男の声とともに、プロストの身体が後ろへ飛び退いた。座った姿勢から身をのけぞらせ、ベッドの端に頭をぶつける。後ろ頭をぶつけた痛みは、感じなかった。焼けつくような右目の痛みに、小さなそれは消されてしまっていた。
「ぐう、あああ!」
右目に突き立った針のようなものを、プロストは引き抜く。指を伝って、血が床へ流れ落ちた。
「プロスト!」
男が身を起こし、プロストへと駆け寄ろうとする。そのとき、子供がばねのように身を起こして男の胸に左手を向けた。
「やめろ!」
子供の腕から、針のようなものが射出される。それは男の胸を貫き、男は胸を押さえてうずくまる。
「ぐうう! ぼ、僕の、僕のせいだ! プロスト……」
男は叫び、腕を伸ばす。子供を押さえつけるようにして、プロストが倒れ込む。手にした白の杖が、子供に強く押しあてられた。
強く脈動する激痛の中で、プロストは見る。暗闇と、水音。どこかに、閉じ込められている。自分とは、何なのか。繰り返し、思考する。何度も何度も、思考を繰り返す。おぼろげに、誰かの懐かしい顔が浮かぶが、はっきりとした像を結ぶことなく消えてゆく。失敗か。そんな声を、耳にする。その声は、酷く冷たいものだった。竜にいさん。声の主に、プロストは呼びかける。次に見えたのは、知らない男の顔。その男が言う。竜安を、殺せ。命令は、すとんと胸の中に落ちた。逃げる竜安を追って、森へと入る。あくまで無感情に、命令を果たすために。
そうか。記憶も、無くしたのか。どんな子供だったか、少し気にはなるけれど。いいよ、俺のでよければ、あげる。優しい声が、頭の中に響いた。ぼんやりと空っぽだった場所へ、それが訪れる。かわりに、あの人のことは、竜にいさんのことは、頼むよ。癒し手として、中途半端はよくないから。癒し手? すぐに、わかる。白の杖は、君を選んだ。俺は、もう……名前、適当につけすぎだ、竜にいさん。二番目の素体だから、アル? 最後のともだちが……にんげんだなんて……。
ぱちり、と子供は眼を開けた。背後で、男がプロストの身体をベッドに寝かせて目の傷を調べていた。
「毒が……毒を、抜かなきゃ……プロスト」
びくびくと男の指が震えるのは、針に塗られた致死性の毒のせいだろう。だが診る限り、男は無事のようだった。
「やめなよ、『竜にいさん』」
子供の呼びかけに、男は肩をびくんと跳ねさせて振り向く。濡れた頬に、情けない表情があった。
「その、呼び方……プロストの……」
「俺はアルだよ。あんたが、そう名付けたんでしょ? それより、プロストの身体から離れなよ。プロストは、あんたの治療を望んじゃいないから」
アルの言葉に、男の顔が弾かれたようにプロストへ向けられる。
「だ、だけど、僕の血を、竜人の血を使えばきっとまだ……」
「人の命と向き合う覚悟の無い者に、医術を用いる資格は無い。竜にいさん、わかる? プロストが、たぶん竜にいさんに言いたかった言葉」
男の背中に声をかけて、アルはプロストの枕もとへと近づいた。
「……なんで、プロストを」
顔を俯けさせて、男が言った。男と並んで、アルはプロストの顔を見る。毒に侵されて青黒い顔色になりながらも、表情には静謐な色を感じた。
「たぶん、反射的に撃った。あんたが、造った仕組み通りにね」
息を吐いて、アルはプロストの前髪を撫でつける。それからベッドのシーツで、顔の血を拭った。
「僕が、僕が……こんなものを仕込まなければ……」
細長い針を握りしめ、男は泣いた。アルは黙って、男の肩を叩く。
「過ぎた時間は、戻らない。行ってきたことは、決して無くならない。俺も竜にいさんも、理由はどうあれ罪を持った。そのままでは、いられないよ」
アルの言葉に応じるように、ヴァイスが身を起こし、咆哮する。ざわり、と森の気配が小屋の中へと満ちわたり、白の杖が凛とした音を鳴らす。ぼんやりと光る白の杖をかき抱いて、アルは瞑目する。
「すまない……プロスト……」
プロストの小さな身体に取りすがり、男は涙する。プロストの身体が冷たくなるまで、男はずっとそうしていた。
「プロスト……きみの最後の友達は、俺が必ず治してみせるから……」
震える男の背中を見つめ、アルは誰にも聞こえない小さな声で呟いた。
小屋の外では、小さな森人を悼むようにウサギや小鳥が輪を作り、首を垂れていた。その輪の外で、鴉たちが同じく輪を作り、恭しく頭を下げていた。森に夜が訪れて、再び開けるまで彼らはずっとそうしていた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
これで、プロストの話は終わり、次話からは新章となります。
週一更新となりますので、気長にお待ちいただければ幸いです。
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