第七話 森人と廃人
お待たせしました。新章開幕です。
穏やかな、陽だまりに風が吹き抜けていった。丈の短い草の中に、白い花が雪のように咲いている。
倒木に腰掛けた少年エルフ、プロストは膝に乗せたウサギの足を診ていた。
「岩に、引っ掛けたみたいだな」
白い毛並みのウサギの後ろ足に、ざっくりと深い傷が刻まれている。プロストの足元で、白狼のヴァイスが身を伏せて、のんびりと寝そべっていた。ヴァイスに首根っこを咥えられて、ウサギはプロストの元へと連れて来られたのだ。
プロストの背中で、白の杖が澄んだ金属の音色を立てる。
「おとなしく、してるんだぞ。今、薬を塗るから」
プロストは若草色の上着のポケットから、薬の入った木の実の殻を取り出してウサギに言った。痛みがあるのか、ウサギは小刻みに震えながらも全身を、プロストに預けている。
プロストは指に薬を取って、ウサギの患部へと塗布する。エルフの秘薬、と呼ばれるその薬は、あらゆる外傷に効くものだ。調合手順も何もかもが門外不出のこの薬を、プロストは作ることができる。材料は、森の恵みですべて揃えることができた。
薬を塗って、プロストは針と糸でウサギの傷口を縫合する。銀色の細い糸が、ウサギの破れた皮膚を繋いでゆく。包帯を巻いてやって、施術は完了した。
「よし、もう大丈夫だ。今日一日、大人しくしていれば治るよ」
膝元でくるまるウサギの頭を、プロストが撫でる。ウサギは目を細めて、プロストの指をなめた。
プロストが、背中の白の杖を抜いて倒木の側へと置く。そうしてしばらく経つと、ウサギは首をぴんと起こし、きょろきょろと周囲を見回し始める。プロストが、先ほどと変わらずに手を伸ばし、ウサギを撫でようとする。ぴょん、とウサギが跳ねて、その手から逃れるように地面へと降りた。
ウサギは、足を引きずるようにして、茂みの中へと姿を消した。
「やっぱり、身に着けていないとダメみたいだな」
呟いて、プロストは白の杖を背中へ差し直した。
プロストがしているのは、白の杖の実験だった。森の意思との融和を果たすその杖には、謎が多い。じっくりと、調べてみる必要があった。
「この杖のことがわかれば、もう、二度と……」
斜めになった杖の先端に目をやり、プロストが言った瞬間、ヴァイスが身を起こす。
「どうした、ヴァイス?」
プロストの問いかけに、ヴァイスは応えず早足で森の奥へと歩いていく。しばらく進んでからヴァイスは、プロストの方へと振り向いた。
「付いて来い、って言うんだな。わかった」
長い間、ヴァイスと共に癒し手をしたプロストにはその意図が何となく読めるようになっていた。もともと森の民であるプロストには、動物と心を通わせる才能のようなものがあった。
ヴァイスに導かれ、プロストは森を進んでいく。茂みをかきわけ、倒木を越えて、道なき道を歩く。身軽に動くヴァイスに付いてゆくのは、エルフのプロストであっても難しいことではあった。
ヴァイスが足を止めたときには、プロストの息はすっかり上がってしまっていた。肩を上下させて、木の幹に手をやり身体を預けるように立つ。そんなプロストの様子には目もくれず、ヴァイスは大木のウロの中へと侵入していった。
「………」
人の、声のようなものが聞こえてきた。ぴくり、と耳を動かしたプロストは、呼吸を整えて木のウロを覗き込む。ぬっと出てきたのは、ヴァイスの鼻先だ。暗いウロの中で、ヴァイスの金色の瞳がじっとプロストを見据えている。
りん、と白の杖が涼やかな音を鳴らす。
「中に、何かいるのか?」
問いかけに、ヴァイスは応えずに外へ出てきた。入れ替わりにプロストが、ウロの中へと首を突っ込んだ。内部は広い空洞になっていて、饐えたようなにおいが漂っていた。不意打ちの悪臭に、プロストは顔をしかめた。
プロストの眼は、闇を見通すことができる。闇の中にいると、ぼんやりとかすかに周囲の地形が見えたりするのだ。はっきりとした姿かたちを見ることはできないが、どんな形のものがそこにあるのか、くらいは見分けることができる。
「……人間?」
プロストが見つけたのは、うずくまる人間のような形だった。死体ではないらしく、微妙にではあるが身体が動いている。ずいぶんと微かなものだが、呼吸の音も聞こえる。
プロストは白の杖を抜いて、光源代わりにウロの中へと突き出した。ぼんやりと光る白の杖が、中の様子を浮かび上がらせる。
うなだれた姿勢の、人間がそこにいた。白の光に照らされて、その人間の白い外套がくっきりと浮き上がる。光に驚いて、小さな虫が何匹か人間の身体を這って逃げてゆく。だが、その人間は身じろぎもしない。ただ、膝の間に頭をうずめ、呼吸をしているだけだ。
「なあ、あんた、こんな所で何をしているんだ?」
プロストが、人間に向かって問いかけた。だが、人間に動きは見られない。プロストは、白の杖の先端で人間を突こうとして、思い直して左手を伸ばす。白の杖を誰かに接触させることは、避けるべきだ。そんな思考が、働いた。
「おい、しっかりしろ。寝てるのか?」
人間の腕をゆすって、呼びかけてみる。のろのろとした動作で、人間が顔を上げた。
「お、お前……」
人間の顔を見たプロストは、驚いて身を引いた。ウロの出口で頭がぶつかり、鈍い音を立てる。
「痛てて……お前、あのときのしつこい人間だよな?」
後頭部を押さえながら、プロストが問いかける。その人間の顔は、グレイと出会ったときに見た顔だった。エルフの秘薬の秘密を知りたい、そう言って追いかけてきた、あの人間だ。頬は痩せこけ眼光は鋭くなっていたが、丸メガネと癖のある黒い髪の毛はそのままだった。だが、とプロストは思い直す。
「そんなわけ、無いか。あれからもう、五十年は経ってるもんな」
あの男が生きていたとして、中年くらいの外見のはずは無い。おかしな思考をしていたが、間違いなく彼は人間だった。
「と、すると……あいつの子孫か親族か? 何だって、こんなところに」
ウロから這い出て、プロストは首を傾げる。その背後から、ごそごそと音が聞こえてきた。
「ひっ!」
振り返ると、木のウロから男が這い出てくるところだった。骨の浮き出た指が、ウロの入口をしっかりと掴んでいる。反射的に、プロストは白の杖を構えて男に正対した。
「……やあ、久しぶりだね。たぶん、会ったことのある人だね?」
中腰になったまま、男が枯れた声で言った。
「ひさし、ぶり? い、いや、そんなまさか!」
ぶるぶると首を振り、プロストは男を睨みつけながら視界の端でヴァイスを探す。白の杖にも、森にも呼び掛けてありったけの獣に集合をかけた。
「君は……いや、有り得ないな。エルフでも、少年が大人になるには、五十年は長すぎるくらいだから……でも、似ている……まあ、どうでもいい、か」
ぶつぶつと言いながら、男はその場へ座り込む。その近くでヴァイスが座り込み、集合をかけられたウサギや小鳥が男の周囲へと集まってきた。
「おや、白狼くんか……懐かしいね。君は、元気だったかい? 僕は、ぼく、は……」
男が、突如自分の両腕を抱きしめ身体を震わせる。不審に眉を顰めるプロストの前で、男が嘔吐した。胃の中にはほとんど食物は無かったらしく、胃液の中にわずかにどろりとしたものが零れ落ちた。
「い、いきなり吐くなよ。お前、具合、悪いのか?」
驚いて飛び立った小鳥が、プロストの肩と頭に止まる。ウサギは逃げ去り、遠巻きに茂みの中から男を見守っている。プロストは白の杖を握り、解散を命じた。森の獣たちは、瞬く間に姿を消してゆく。
「ぼ、僕は……う、うああああ!」
両手で頭を抱え、男は地面に額を打ち付け始める。
「な、何してんだ! ヴァイス、頼む!」
プロストの声に応え、ヴァイスが男にのしかかる。大きな白狼の体重に圧されて、男はあっという間にひっくり返された。
「……まずは、大人しくさせないとな」
プロストはポケットから木の実の殻を取り出した。先ほどの傷薬とは違う、赤い色の付いた殻だ。
「……睡眠薬、かい?」
男の鼻先に、薬を入れた殻を持っていく。男は、その中身を正確に言い当てた。
「あたり、だよ。お前が大人しくしてくれれば、使わなかったんだけれど」
とろり、とした液体が男の口に流し込まれる。男は何を思ったのか、されるがままに睡眠薬を飲み込んだ。
「僕に、薬は効かない。けれど、心遣いはありがたく頂戴しておくよ……」
そう言いながら、数秒後には男は寝息を立て始める。
「何なんだ、こいつ……やっぱり、あのときの人間なのかな……」
首を傾げながら、プロストは男を乗せて運ぶようヴァイスに指示を出す。ヴァイスは眠った男を軽々と背中に乗せて、さっさと歩き出した。
「気にしても、仕方がないか。まずは、癒し手の使命からだもんな」
白の杖を背中に仕舞い、プロストもヴァイスに続いて歩き出す。白の杖は、光を放つこともなく収まった。
夕暮れの森の空気に包まれて、プロストたちは小屋の前にたどり着く。小屋の隣には薬草を収納しておく小型の倉庫があり、外壁に使われている丸太の具合から長い年月を経た建物であると見えた。さらに、小屋の側に大きな岩とそれに寄り添うような木製の墓標が立っていた。
男を乗せて小屋へと入るヴァイスを見やりながら、プロストは墓標の前に立つ。
「ただいま、グレイ」
シェラの墓標の隣に立つ、木の十字架に黙とうを捧げた後に、プロストも小屋の中へと入って行った。グレイ、と彫られた墓標の文字は、頼りなく風化してゆく木目にうっすらとかすれていた。




