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森の癒し手  作者: S.U.Y
シェラ
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第三話 惨状と伝承

 小鬼のグレイが暮らしに加わり、半年が過ぎた。グレイのリハビリは順調に進んだが、肉体の回復に対して言語の習得は進みが悪かった。

「シェラ。グレイ、ヴァイス、狩り、行く」

 片言で、何とか伝えるグレイにシェラは笑顔で応じる。

「ああ。あまり、遠くに行くんじゃないぞ」

 シェラの言葉に、グレイはこくんとうなずいてヴァイスと共に小屋を出て行った。その足取りに、ぎこちなさはもう見当たらない。

 グレイの背は、半年前に比べてかなり伸びた。今ではグレイが立ち上がると、シェラは完全に見下ろされてしまう。二メートルを超える巨体に、小屋は少し窮屈になりつつあった。

「今後のことを考えると、増築をしたほうがいいかもしれないな」

 グレイと暮らし、言葉を交わし合うようになってもシェラの独り言は無くならない。十年の孤独な生活で身に付いた、悲しい癖だった。

 シェラはグレイとヴァイスが狩りに行っている間、薬の調合をしていた。グレイが動けるようになり、薬草の備蓄も相当に増えていた。

「倉庫も、建てたほうがいいのかもな」

 呟きながら、シェラは薬草をすり潰す。調薬に使うのは、シェラが大事に使い続けていた道具だった。グレイにも調薬を教えたかったが、彼の怪力に耐えうる道具は持ち合わせていない。だから、薬を作るのは今の所シェラだけの役目だった。

 シェラがひたすらに調薬に専念していると、小屋の戸が開いた。入ってきたのは、ヴァイスだった。

「どうした、ヴァイス?」

 シェラは問いかけたが、ヴァイスは後ろを振り返りながらシェラの元へと来るだけだ。入口へシェラが目を向ける。間もなく、大きな熊を担いだグレイが身を屈めて戸を押し開けた。

「シェラ。熊、傷、ある。癒し手、必要」

「わかった。グレイ、まずは熊をここへ寝かせてやってくれ」

 グレイの言葉に、シェラが指示を出す。言われた通りに、グレイは小屋の床へ熊の身体を横たえた。

「熊、矢傷、ある」

 グレイの太い指が、熊の首元辺りを指した。黒い熊の毛皮が裂けて、赤黒い血が流れて床を汚す。

「……重症だな。グレイ、湯を沸かしてくれ。私は矢を取り出すから」

 グレイがうなずき、かまどに薪をくべて火を熾す。

「ヴァイスは、熊の気を鎮めてやってくれ」

 耳を伏せ寝そべっていたヴァイスが、のそりと熊に向き直る。ヴァイスの鋭い銀色の瞳が、熊の眼を射すくめた。うめき声を上げて身じろぎをしていた熊の動きが、止まる。

「よし。そのまま、良い子にしてるんだぞ」

 シェラが、熊の傷口に手を当てた。痛みに、熊が身をよじる。シェラはヴァイスに視線を送ったが、ヴァイスは諦めるように目を伏せた。

「さすがに、気を鎮めるだけでは無理か……グレイ、湯はいったん置いておいて、こちらを手伝ってくれ」

 大鍋の前で火を見ていたグレイが、うなずいて熊の側までやってくる。

「傷口が動かないように、押さえておいてくれ」

 熊の頭と腕を指して、シェラが言う。グレイはうなずき、大きな手で熊を押さえにかかった。

「そのまま、押さえ込んでいてくれ……すぐ、矢を抜いてやるからな」

 シェラは小刀を持って、熊の傷口を切り拡げた。熊の口から、くぐもった悲鳴の咆哮が上がる。びくん、と熊の身体が跳ねそうになり、グレイの腕に大きな力瘤が浮かんだ。

「……取れた!」

 ピンセットに持ち換えたシェラが、熊の肉の奥深くに刺さった矢じりを捕まえる。真っすぐにピンセットを引くと、矢じりは乾いた音を立てて床に落ちた。

「あとは、薬と縫合だな。グレイ、もう少しだけ頑張ってくれ」

 シェラの言葉に、グレイがうなずく。シェラは化膿止めの傷薬を熊の傷に塗り込み、それから針と糸で縫い合わせて傷口を閉じた。熊の皮膚は硬く、苦戦はしたものの針はなんとか通った。

 閉じた傷口が開かないように、包帯で固定する。全ての処置が終わり、グレイが手を離した。熊はぐったりとなって、目を閉じるとそのまま眠ってしまった。

「化膿止めと一緒に、睡眠薬も投与したからな。しばらくは、大丈夫だろう。ご苦労だった、ヴァイス。それにグレイも、ありがとう」

 額の汗を拭うシェラに、ヴァイスは謙遜するように少し離れて丸くなった。

「グレイ、手伝う。シェラ、癒し手。当たり前」

 鋭い牙の生えた顔で、グレイは笑って見せる。照れているのだ、とシェラには理解できた。

「さて、グレイの沸かしてくれた湯で道具は消毒するとして……グレイ、この熊を発見した場所と状況を、聞かせてくれるか?」

 床に落ちた矢じりを拾い上げながら、シェラが問いかける。グレイはうなずき、寝転がっていびきをかく熊へと目を向けた。

「グレイ、ヴァイス、狩り、出た。グレイ、ウサギ、追った。ヴァイス、吠えた。ウサギ、逃げた。ヴァイス、走った。グレイ、追った。水、流れる、近く。熊、いた」

「ウサギを追っていて、ヴァイスが途中でいなくなった。追っていくと、小川のほとりに熊が倒れていた。こんなところか?」

 断片的なグレイの言葉を推察して、シェラが言う。グレイは、それにうなずきを返した。

「ヴァイス、遠く、吠えた。グレイ、熊、担いだ。熊、重い。グレイ、歩く、遅い。帰る、ヴァイス、先」

 グレイの言葉に、シェラは考え込んだ。

「グレイが熊を担いでいたから、ヴァイスのほうが先にここへ着いた……それは、わかった」

 うなずくグレイを見やり、それからシェラはヴァイスに視線を移した。

「ヴァイス、もしかして狩人か何かを見たのか?」

 ヴァイスは顔を上げ、短く吠える。肯定とも、否定ともとれる態度だった。

「グレイ、お前はどうだ? 人間が、近くにいたか?」

「グレイ、知る、無い」

 グレイが首を横へ振って、言う。熊に矢を射かけた者は、どうやら発見できなかったらしい。

「ふむ……」

 シェラは顎に手を当てて、唸った。人間がこの森の奥までやってきたことは、これまでに無いことだった。シェラとてほとんど行き倒れになり、ヴァイスに導かれて人の領域からかけ離れたこの場所へやってきたのだ。ヴァイスの案内無しには、この森を迷わず歩くことは不可能だった。

「狩人が、迷い込んだのだろうな……きっと」

 呟いて立ち上がり、シェラは壁に立てかけた白の杖を手に取った。森のざわめきが、シェラの頭の中へと流れ込んでくる。

「森も少し騒がしい。ヴァイス、戻ったところで悪いが、付いてきてくれ」

 入口へ向かうシェラに、ヴァイスは黙って追従する。

「グレイ、行く?」

 そう言って立ち上がろうとするグレイを、シェラは手を挙げて止めた。

「いや、グレイは熊に付いていてやってくれ。目を覚まして動き回ると、傷口が開いてしまうからな」

 シェラの指示に、グレイはうなずいた。


 森の中を、シェラは歩いた。ヴァイスを先導にして、向かうのは小川の流れる場所だった。迷いのないヴァイスの歩みに、シェラは早足で歩を進める。ほどなく、シェラは小川のほとりにたどり着いた。

「ここで、間違いなさそうだな」

 小川の砂利石の上に、熊の毛が何本か散乱していた。赤黒い血は、グレイが熊を持ち上げたときに流れた血とみてよさそうだった。白の杖を地面に突き立て、シェラはしゃがんで周囲を調べる。足跡の類は、無さそうだった。

 不意に、ヴァイスが木々の奥に向かって吠えたてる。

「どうした、ヴァイス?」

 シェラの問いかけに応じることなく、ヴァイスは吠え続ける。がさり、と茂みが揺れた。

「見つけた……白い狼と、人間?」

 茂みを割って現れたのは、大弓を背負った人間の男だった。

「おい、こっちだ! 白い狼と、人間がいる!」

 男はシェラとヴァイスを視界に収めると、わずかに首を後ろへ向けて叫んだ。茂みを踏み鳴らす足音が近づいてくる。

「何だ、お前は?」

 シェラが問いかけると同時に、男の背後の茂みが揺れる。続いて、二人の男たちが姿を現した。男たちはそれぞれ、剣や斧といった武器を背負っていた。衣服は軽装の皮鎧で、森歩きに適したものだ。

「見ろ、白い狼だ。それに、女が一人。恰好からして、医師だろう」

「医師が、こんな所に何でいる?」

「わからんが、それより狼だ!」

 当惑するシェラをよそに、男たちは周囲をはばからない声で話し合っていた。相談が済むと、男たちは武器を抜いてシェラとヴァイスに近づいてくる。

「待て、一体何のつもりだ、お前たち!」

 シェラの問いに、答えたのは大弓を引き絞る男だった。

「俺たちは、冒険者だ! この大森林の奥に棲む、伝説の白狼を狩りに来た! 女、邪魔をするな!」

 男が放った矢が、シェラの足元に突き立った。白の杖によってシェラは、森の生物から敵意を受けることは無かった。だから、目の前の男たちの剥き出しの殺意に、頭の中が真っ白になる。

「ヴァイス、逃げろ!」

 彼らの狙いは、ヴァイスだ。そう判断して、シェラは叫んだ。ヴァイスは身を翻し、ひと飛びに小川を飛び越えて木々の間へ消えてゆく。

「あっ、逃げたぞ!」

「追え! やっと見つけた白狼だ!」

 駆けだそうとする男たちの前に、シェラは立ちふさがる。

「待て、話を……」

「邪魔だ!」

 男のひとりが、シェラに向かって剣を振り下ろした。袈裟懸けに、刃が深くシェラを抉る。シェラの身体が、もんどりうって倒れた。白の杖がシェラの手から落ちて、からんと乾いた音を立てる。

「馬鹿が、女を斬ってどうする!」

 大弓に矢をつがえながら、男が叫ぶ。剣を振りぬいた姿勢の男が、刃に付いた血脂を振り落とす。

「構うか、まずは白狼だ!」

 そう言って駆けだそうとする男の足が、止まった。

「どうした!」

 後ろを走ってきた男が、剣の男にぶつかりそうになって急停止する。あがった抗議の声を聞き流し、剣の男が森の木々を指差した。

「あそこに、何かいる……!」

 声を震わせる剣の男に、他の男たちもそちらを見やった。無数の、赤い瞳が木の陰から見えていた。低く、唸る声もする。

「お、狼……黒色狼! モンスターだ!」

「あんなにたくさん……くそ、撤退だ、数が多い!」

 無念な表情を浮かべ、男たちはくるりと向きを変える。そして、その足が止まった。

「は、灰色熊……」

 男たちの退路には、小山のような巨体の灰色熊が立ちふさがっていた。灰色熊の瞳には、ただ男たちへの殺意がある。

「に、逃げ……」

「向こうが速い! ここは、戦って血路を開くしか……」

 怯える男たちへ、灰色熊が一気に間合いを詰める。太い右手が一閃し、ひとりの男の首が可動限界を超えてひん曲がった。

「う、あああああ!」

 斧を持った男が、灰色熊に刃を振るう。斧の刃は灰色熊の腕に当たり、弾かれた。生半可な攻撃に怒りを激しくした熊が、男に飛びかかり頭へ牙を立てる。凄まじい重量に潰され、さらには頭を噛み砕かれて男は瞬時に絶命した。

 残った男が、木々の間に逃げ込んだ。たちまち、男の全身に狼が襲い掛かる。なすすべもなく、最後の男も喉笛を食いちぎられ、死んだ。

 ぞろぞろと、川のほとりへ獣たちがやってくる。空には鴉が舞い、倒れ伏したシェラの周囲へ円を描いて飛びまわっていた。


 ざわり、とグレイの全身が震えた。突然のことだった。小屋の中央で、傷ついた熊が雄たけびをあげた。押さえつけようとしたグレイに、熊が視線を向ける。少し前まで言葉を持たぬ獣であったグレイには、熊の視線の意味がわかった。

「グレイ、行く。お前、動く、無い!」

 熊にそう告げて、グレイは疾風の勢いで小屋を出た。入口の戸が、押し開けるグレイの力に耐えきれずに弾け飛んでいった。委細構わず、グレイはひた走った。

 小川のほとりに、獣たちが集っている。その中心点へ、グレイは飛び込んでいく。グレイを遮るものは、何も無かった。獣たちは駆け抜けるグレイを、じっと見守るだけだった。

「シェラ!」

 倒れ伏したシェラの身体へ、グレイは駆け寄った。抱き起こそうとして、流れる血に気付いた。

「ぐ、グレイ、か」

 微かな声で、シェラが言う。その身体は小刻みに震え、顔色は真っ白になっている。美しかった朱色の唇も、いまは青紫に変わってしまっていた。

「シェラ、喋る、無い! 傷、深い!」

「そう、だろうな……」

 シェラが腹部に当てていた手が、だらりと落ちる。それを追うように、シェラの傷口から内臓がどろりと流れた。

「シェラ! 大事、無い! グレイ、シェラ、治す!」

 叫びながら、グレイはシェラの白衣のポケットに手を入れた。取り出すのは、針と糸だ。

「ああ、お前が、い、癒して、くれる、のか」

 傷口に針を刺そうとするグレイの手に、シェラのてのひらが重なる。

「グレイ、お前には、まだ、縫合は、無理、だ……し、白の、杖を……手に……」

 ゆっくりと、力なく垂れ下がっていたシェラの指が持ち上げられる。指し示しているのは、地面に落ちている白の杖だった。

「杖、使う。シェラ、助ける!」

 グレイは、シェラの望みに従った。白の杖に手を伸ばし、掴み上げる。とたんに、グレイの頭に激痛が走った。

「オオオオオオ!」

 グレイの口から、獣のような咆哮が迸り出る。

「つ、杖を、離すな……」

 シェラの言葉に、グレイは何とか杖を握りしめる。頭痛は、さらに強くなっていく。同時に、グレイの頭の中に、様々な光景が去来してゆく。初めて父親に調薬を習ったとき、泣きながら死体を腑分けしたとき、傷口を縫い合わせるのに失敗して斜めに縫ってしまったとき、薬を間違えて調合して父親に怒鳴られたとき、浮かんでは消えていくそれは、シェラの記憶だった。

 杖を握るグレイの中に、やがてグレイ自身も経ち現れる。どうしようもなく、弱かったグレイ。話し相手が、欲しかった。もっと、巧く話せるようになればよかった。杖の見せる記憶や感情と、グレイ自身のそれが重なり合う。きしむような頭痛の中で、グレイはシェラの記憶と一体化していった。

「……シェラ。グレイ、知る、できた! シェラ、助ける……」

 頭を振って、グレイがシェラを診る。だが、シェラはすでに息をしてはいなかった。微笑むように、わずかに口元を歪ませ、シェラは死んでいた。グレイの得た知識は、命ある者を癒す医学だ。死んでしまった者に施せる術は、何もない。

「シェラ、シェラ! オ、オオオオオオオ!」

 シェラの亡骸を抱えたまま、グレイは天に向かって吠えた。応じるように、狼や獣たちも咆哮した。

 グレイの咆哮が収まると、いつの間にかグレイの前にヴァイスが立っていた。白の杖を持つグレイが、ヴァイスに片手を差し出す。ヴァイスは、グレイの指を恭しい態度で舐めた。りん、と白の杖が鳴る。それは、新たな癒し手の誕生を意味していた。続いて身を伏せようとするヴァイスを、グレイは手を出して制する。

「グレイ、癒し手、違う」

 グレイの言葉に、ヴァイスは抗議をするような眼で白の杖を見る。

「杖、借りる。シェラ、返す」

 空を見上げ、グレイは言う。ヴァイスもその視線を追うように、空を見上げる。分厚い雲の間から、かすかな陽光が漏れ出て森を照らしていた。

「魂、天、昇る。シェラ、再び、帰る。杖、シェラ、渡す」

 そう言ったあと、グレイは静かな瞳でヴァイスを見つめた。ヴァイスも視線を返し、二つの視線がしばらく交わる。

 ヴァイスが、長い咆哮を上げた。周囲で首を垂れる獣たちは、黙してそれを聞いていた。


 グレイは、シェラの死体を小屋の側へ埋めた。大きな石をそこへ置いて、墓標にする。それからグレイは、小屋の中へと入って行った。森の癒し手の象徴である白の杖は、墓標の側に立てかけられた。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。お話はここでいったんの区切りとなりますが、不定期に細々と書き続けていく予定です。よろしければ、気長にお付き合いください。

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