第二十話 真相と準備
心臓と一体化した腫瘍へ、ヴァイスは小刀の刃先を入れる。すっと入った切れ目から、紫色のどろどろとした膿のようなものが流れてくる。
「なんだ、これは……」
思わず手を止めたヴァイスの横合いから、ベアトリスが小さな匙を差し出し膿を掬った。
「不用意に突かないで。たぶん、アルの記憶にこれと似たようなものがあった筈よ」
言いながら、ベアトリスが掬った液体を空の瓶へと移してゆく。どろりとしたそれは、瓶の中からまるで這い上がるように表面にへばりつき、底面をのたうっている。
「本体の切除を。こいつの処理には、手持ちの薬剤じゃ足りないわ」
「ああ、わかった」
うなずいたヴァイスは、小刀を動かし腫瘍を切り剥がす。万が一にでも、心臓に傷を付けるわけにはいかない。ヴァイスの額に、新たな汗が浮かぶ。
「……これが、癒し手たちの感じていたものなのか」
思わず口にした言葉に、ベアトリスがうなずく。
「そうね。それが、命の重み、というものよ。あたしの場合は、お金の重みであるけれど」
軽口を叩きながら、ベアトリスが匙を動かし膿を掬う。片腕で、繊細な動きを狂いなくやってのける様子に、ヴァイスは感嘆の息を吐いた。
「大したものだ。胆力といい、技術といい……白の杖がお前を選んだ理由が、わかった気がする」
ヴァイスの指先で、肉の塊が心臓から剥離した。ベアトリスの匙が動き、素早くそれを掬い上げる。
「称賛は受け取っておくけれど、あなたに比べれば大したものではないわ。何の儲けにもならないことのために、あなたたちは命を張っているんだもの」
小刀を引いて、ヴァイスは傷薬を塗布してゆく。プロストが作り上げ、ソテロが改良を加えた水薬。効能は、疑うべくもないものだ。
「……使命を知りながら、そんなふうに言えるのか、お前は」
血管をつなぎ合わせ、傷口を糸で縫い合わせる。ヴァイスの汗を、ベアトリスが拭った。
「あたしが、今も癒し手だったら、こんなに落ち着いていられなかったかも知れない。悪あがきを続けて、もっと取り返しのつかない事態を呼び寄せていたかも知れない。あなたたちのやろうとしていることは、どう考えてもお金にならないから」
縫合を終えた胸に、薬を染み込ませた布を巻く。微かに上下する胸の隆起が、メイドが生きていることを証明していた。
「……俺は、彼女の意思を尊重する。それだけだ。病魔を根絶し、人を癒し続ける」
天を仰ぎ、ヴァイスは大きく息を吐く。天井に彫られた、天使がヴァイスを見つめ返してくる。
「たった一人の少女が抑え込んでいる、病魔を駆逐する。それだけのために、様々な力を持つ癒し手を集めたのだものね」
「……そこまで知っているのなら、解っているのだろう」
「ええ。癒し手は、その医術の全ての記憶を白の杖に捧げ、蓄積する。それが使命。そして、病魔の影響を広めないために、癒し手は森を出ることを許されない。文字通り、森のために人生の全部を捧げることが義務付けられる。悪く言えば、監禁、あるいは終身刑とも取れるわね」
「……否定はしない。それでも俺は、彼女の願いを叶え、そして彼女を救う道を探りたかった」
「目的の為なら、手段を選ばない。その考え方には、共感を持てるわ。お金になるかどうかは別としても」
そう言ってベアトリスが浮かべるのは、皮肉な笑みだ。
「だからあたしは、あなたたちを否定しない。森を拡げ、あなたたちと共存しながら経済を回すことは、あなたたちの禁忌には触れない。森の化身である、白の杖と、ヴァイス、あなたとあたしは、利害を共有することができる」
ベアトリスが差し出してくる手を、ヴァイスは取ろうとする。手を伸ばそうとしたヴァイスの全身から、力が抜けたのはその瞬間だった。
ヴァイスの身体を、青白い光が包む。光の中でヴァイスは変質し、視界が低くなり、鋭敏な五感が戻ってくる。大きく広がった口から出るのは、戸惑いの唸り声だ。
「……力を、使い果たしたの?」
ベアトリスの問いに、ヴァイスは首を横へ振った。白狼の身体となったヴァイスが見やるのは、巣穴の外から差し込んでくる朝日だった。
「どういうこと?」
訝しげな表情のベアトリスに、ヴァイスは地面に落ちた白の杖を咥えてベアトリスに触れる。言葉を失った今、意思の伝達にはそれが必要だった。
「……月がまた昇るまで、人間には戻れない。わかったわ。それなら、陽のあるうちに必要なことを済ませましょう」
うなずいて、ベアトリスは倒れたメイドの身体を指差した。
「これ、このまま置いておくのは危険よ。何とか運べないかしら?」
ベアトリスの言葉に、ヴァイスはメイドの傍らに身を伏せた。ベアトリスが片腕と足を使い、何とかメイドを転がしてヴァイスの背に乗せる。立ち上がったヴァイスが、数歩歩いたところでよろめいた。
「大丈夫?」
問いかけに、ヴァイスは短く吠えて応じる。咥えた白の杖が、落ちそうになった。
「それなら、外縁の集落まで運んで頂戴。準備のために、人手がいるわ」
うなずいて、ヴァイスは重い身体を引きずるように歩き出す。人間になって施した手術は、重い疲労をヴァイスの全身にもたらしていた。
森の外縁にある、集落へとやって来る。ヴァイスが足を踏み入れるのは、初めてだった。巨大な白狼が、メイドを背に乗せて闊歩する。住人たちがその様子を、恐る恐る窓から見ている。ベアトリスはヴァイスを先導し、一つの小屋の前に立った。
「入るわよ」
小屋の戸を押し開け、中に入る。
「何の用じゃ!」
たちまち、怒声が飛んでくる。ベアトリスは意に介さず、ヴァイスに指示をしてメイドをベッドへと寝かせた。
「わしの家だぞ!」
勝手知ったる態度に、ドワーフがずかずかと歩いてくるが、ベアトリスの姿を見て足を止める。
「お主、その腕は……」
ドワーフの視線の先にあるのは、ベアトリスの左腕だった。肘から先が失われ、ぶらりと白衣の袖が揺れている。
「ちょっとしたトラブルがあったの。それより、ベッド借りるわよ? あと、あのメイドの監視もお願い。一応処置はしたけれど、目を覚ましたらどうなるかわからないから」
一方的に言うベアトリスの前で、ドワーフは目を見開いたまま立ち尽くしていた。
「……もちろん、報酬は払うわよ。心配しなくていいわ」
ベアトリスの言葉に、ドワーフは首を横へ振る。
「……カネはいらん。それより、その腕、見せてくれんか?」
「あんまり気持ちのいいものじゃ、ないわよ? 食欲無くなって、仕事の効率が落ちてもあたしは責任取らないから」
そう言いながら、ベアトリスは左腕の袖を捲って巻かれていた包帯を解いた。白く細い腕が、肘の先から無くなっている。ぎざぎざの切断面には、強引に千切り取られたような傷口があった。中心に、白いものがある。腕の骨だ。
「もう、いいかしら?」
間近に顔を寄せるドワーフに、ベアトリスは言った。
「そのまま、そうしておれ」
ドワーフは言って、部屋の隅へと歩いて何かを手に取り戻ってくる。細長い、木でできたそれは人の腕だった。
「それは……何?」
ドワーフは木製の腕を、ベアトリスの傷口へと合わせる。誂えたように、それはぴたりと合った。
「ここへ来て、わしは木を削っていた。何かの形にしよう、と思っていたわけではない。木が、自然と欲する形になるように、鑿を使っていた。そうして、出来上がったものじゃ」
ドワーフはベアトリスの腕を取り、無遠慮に傷口へ指を這わせる。痛みが、ベアトリスの脳天に駆け上がった。
「ぎ、あ、や、やめなさい!」
ドワーフを引き離そうとするが、人間の女であるベアトリスにはドワーフの強力に抗する術はない。ひとしきり傷に触れられ、ドワーフが満足する頃にはベアトリスの目尻に涙が浮かんでいた。
「どういうつもりよ!」
ようやく解放された左腕をかばい、ベアトリスはドワーフを睨み付ける。ドワーフはその視線を受け流し、木の腕を持って作業場へとしゃがみ込んだ。
「一時間、待て。お主のの腕にしてやる」
細い鑿で、ドワーフは腕の断面を突きながら言う。
「……義肢を、作るというの?」
ベアトリスの問いに、ドワーフは鑿を振るう手を止めずにうなずいた。
「我が師、グジンは義肢づくりの名人じゃった。師の作った義肢は、生身と変わらぬほどのものじゃったという。わしにはそこまでの技術は無いが……やれるだけ、やってみよう」
こん、こんと小気味よい音を立てて、鑿が木を削ってゆく。静かな、しかし激しい情熱を込めたドワーフの瞳は、木の腕のみに注がれていた。
「……あなた、名前は?」
「……ゴラン、だ。義肢は作るが、医術の腕は無い。必要な薬などは、お主が用意しておけ」
「わかったわ、ゴラン。やれるだけ、やってみなさい。失った腕が戻ってくるなら、儲けものよ」
そうして、ベアトリスはヴァイスを連れて小屋の外へ出る。薬の置いている、集落の店へと向かうためだ。
「ヴァイス、杖を使って、猿を集めてくれるかしら?
店へと入ったベアトリスは、金庫から金貨の入った袋を取り出し言った。ヴァイスはちょっと嫌そうな顔をしたものの、すぐに白の杖を咥えたまま咆哮を上げる。たちまち、傷だらけの猿の集団が店の外にやってきた。居並ぶ猿たちを前に、ベアトリスは口を開く。
「あのメイドにいくら貰ったのか、わからないけれど、倍を出すわ。だから、私の仕事を手伝いなさい」
金貨の袋の口を開け、ヴァイスに手伝わせてそれを猿たちの目の前に置く。黄金の輝きに、調教された猿たちは目を輝かせる。
「今から言う薬草を、集めてここへ持って来なさい。刻限は、太陽がてっぺんに昇るまで。報酬は、出来高払いよ。さあ、行きなさい!」
号令一下、猿たちが猛然と駆け出す。ヴァイスが、もの言いたげにベアトリスを見上げる。言いたいことは、ベアトリスには何となく解った。
「白の杖が無くても、彼らとはお金で繋がっているの。お金の力は、偉大なのよ」
勝ち誇った笑みで、ベアトリスはヴァイスを見下ろした。
夕日が最後のきらめきを、森の木々の向こうへと放って消える。月が昇り、夜の時間が訪れる。ヴァイスの身体が光に包まれ、その姿は青年のものに変わる。視界が高くなり、五感の全てが鈍くなる。代わりに得られるのは、道具を使うことの出来る前肢だ。
「準備、出来てるわよ」
隣で、ベアトリスが白衣を差し出してくる。袖を通し、ヴァイスはうなずいた。
「……感謝する。ベアトリス、それに、ゴラン」
ヴァイスが頭を下げるのは、ベアトリスとそしてその側に立つゴランに対してだった。
「プライドの塊みたいなあんたが、頭を下げるなんて……お金、払ったほうがいいかしら?」
目を丸くするベアトリスの左腕には、木目の浮いた義肢が着けられていた。
「わしは、わしの仕事をしただけじゃ。あとは、お主らの仕事よ」
どさり、と大量の薬の入ったカバンを床へと下ろし、ゴランは踵を返す。
「そうね。大した仕事だったわ、ゴラン。でも、これが終わったらもう少し、便利な腕を作って頂戴。お金なら、いくらでも出すから」
ギリギリ、と音立てる左腕を挙げて、ベアトリスが言った。ゴランの作った腕は、指の関節があまり動かず無理に動かすと木が擦れ、軋む。
「ああ。ちゃんと時間をかけて、最高のものを作ってやるわい。じゃから、ちゃんとわしの所へ来るんじゃぞ」
背を向けたまま、ゴランが腕を挙げて応える。そんな光景を、ヴァイスは目を細めて見つめる。
「人と、人との触れあいか……」
呟くヴァイスに、振り向いたベアトリスが微笑んだ。
「お金が生んだ、触れあいよ。こんな腕で、大金取るんですもの……まったく」
ベアトリスが左手で、白衣のポケットを探る。取り出したのは、肉片の入った瓶だ。ガラスの中でそれは蠢き、のたうっている。ベアトリスが右手で、薬剤の入った瓶を取ってその中へと流し込む。じゅう、と音立てて、白い煙を上げながら肉片は溶け、濁ったただの液体になる。
「うん、上々ね。これがあれば、病魔を浄化できるわ」
「……それは、アルの記憶にあった薬か」
ヴァイスの発するそれは、問いではなく確認だった。白の杖から流れ込んでくる、造人の記憶。材料を集めはしたが、調合をするのは別の人物だった。
「そうよ。癒し手の理の外にいて、今なお森の外で生きる男の作った薬。彼がいれば、あたしたちが失敗しても森の外の世界は守られるでしょうね。でも……」
ベアトリスの言葉に、ヴァイスはうなずく。
「彼女は、ヴィーは、俺の手で救う。そして、病魔との戦いに、決着をつける」
決然と、ヴァイスは黒い石柱を見つめて言った。傍らで、ベアトリスもうなずく。
「成功させましょう。そして、病魔を駆逐して……あたしは安心して商売に精を出すわ。森を使って、森を拡げて……邪魔は、しないわよね、ヴァイス?」
「……考慮しよう」
苦笑をもって、ヴァイスは答えとする。そして表情を引き締め、カバンの中から薬瓶を取り出し石柱と正対したそのとき、ベアトリスがあっと声を上げた。
「どうした?」
不測の事態か、準備の不備があったのか。不安がヴァイスの胸中にこみ上げる。
「じーさんのおむつ、替えるの忘れてたわ……」
ベアトリスの言葉に、ヴァイスは少しの間呆けた。
「……手早く、済ませるしかないか」
「そうね。ちゃっちゃと済ませて、小屋に帰るわよ。シーツが、大変なことにならないうちに」
ふっと、肩が軽くなるのをヴァイスは感じる。人と、人との繋がり。そこにあるものから、温かな活力が満ちてくる。ヴァイスは不敵な笑みを浮かべ、薬瓶の封を解いた。
「始めよう。終わらせるために」
薬瓶の中身を、黒い石柱へと振りかける。石柱が、ぶるりとまるで生物のように震え、どろどろとヘドロのように溶けてゆく。そして、中から一人の少女の身体が現れ、倒れた。
「ヴィー……ようやく、集まった。君を癒すための、力が……」
ヘドロの中から少女の身体を引きずり出して、仰向けに寝かせる。岩壁に彫られた天使たちに見守られながら、ヴァイスは小刀を手に少女を見下ろした。




