第十九話 病魔と森主
お待たせしました。新章開幕です。
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足元を確かめるように、ヴァイスはゆっくりと歩いた。つい先ほどまで巨大とはいえ白狼だった身に、人間の視界は高い。四足から二足の歩行には、戸惑いを感じずにはいられない。手にした白の杖を岩床に突けば、きん、と澄んだ音が鳴った。
「何をしているの、ヴァイス? 時間の重みは、金銭の重みと同等よ。ちゃっちゃと歩きなさい」
背中をバンと叩かれて、ヴァイスはよろめく。白の杖が無ければ、みっともなく転倒してしまっていたことだろう。
「ぐ……何をする、ベアトリス」
威嚇の唸り声とともに、恨みがましい声がヴァイスの口から漏れた。
「よちよち歩きなんかしていないで、さっさと白の杖から歩き方を教えて貰いなさいって言ってるの。わからない?」
ベアトリスの言葉に、ヴァイスは屈辱に表情を歪ませながらも白の杖を握りしめる。
「どこまで……知った?」
ヴァイスの頭の中に、白の杖にある癒し手たちの記憶が流れ込んでくる。そして長身の僧侶、ソテロの記憶を取り込むことにより視界の違和感は消えた。
「その質問に答えることで、あたしにどんな利益があるのかしら? と、言いたいけれど……まあ、いいわ。堅物のあなたに無駄な問答をしている時間も無いことだし。大まかなことは全部、と言っておこうかしら」
うんざりとした顔で、ヴァイスはベアトリスを見返した。ソテロの記憶の中にある、ベアトリスの言動に対する反発が、ヴァイスの不快感を強めてゆく。
「ヴィーのことについても、か?」
問いかけに、ベアトリスは曖昧な表情を浮かべる。
「……それって、あなたと一緒にいた、あの女の子のこと?」
問い返すベアトリスに、ヴァイスの反応は早かった。身を回し、左手を伸ばしてベアトリスの細い首を掴み、締め上げる。
「ぐ……な、何するの……」
「お前が、知って良いことではない!」
ぎりぎりと、ベアトリスの首に指を食い込ませてヴァイスは叫ぶ。白の杖が眩く光り、きん、と長く尾を引く音を立てたのはその時だ。
「くぁ、や、やめろ!」
ベアトリスの首を離し、ヴァイスはうずくまって頭を押さえる。解放されたベアトリスが、床に片手を突いて何度も咳をした。
「……す、少し、乱暴すぎるわよ、あなた」
非難めいた口調のベアトリスを、ヴァイスは頭を押さえつつ睨みつける。
「彼女のことを知る権限は、お前には無かったはずだ! 一体、どうやって知った!」
激情に任せて、ヴァイスは叫んだ。かつて、森で共に生きた少女の姿は、長い年月を経た今でもヴァイスの脳裏には鮮やかに浮かび上がってくる。
「継承のときに、ちらっと見えただけよ。あとは、あなたがさっき名前を出した。それが決定的だった。いわゆる自爆ってやつなんだから、あたしを責めるのはお門違いよ、ヴァイス」
呆れたように息を吐いて、ベアトリスが肩をすくめる。ヴァイスは、はっと息を呑んだ。
「そう、か……だが、お前は他にも知ってしまっているようだが」
黒い石柱を一瞥し、ヴァイスが言う。対峙するベアトリスが見せるのは、不敵な笑みだ。
「ええ。情報を隠すために色々と組み込んであったけれど……知っているかしら? 制限や約定というものには、どこかしら穴があるものなの。それを見つけてつつくのは、あたしの得意とするところよ。あたしは何一つ、禁を破ってはいないわ。嘘だと思うなら、白の杖に聞いてみたら?」
ベアトリスの言葉に、ヴァイスはさっと血の気が引くのを感じた。確かめるまでもなく、ベアトリスは知っている。癒し手の、存在理由と真の使命について。おおよそ歴代の癒し手と比べ、最もらしくない癒し手である彼女が、それを知った。その事実が、ヴァイスの顔色を青くしているのだ。
「……どう、するつもりだ」
ヴァイスの額から、汗が流れた。礼拝堂の壁と天井に彫られた、物言わぬ天使たちの眼が、まるで責めるように見つめてくる。そんな錯覚を、感じていた。
「その質問は、お金になるのかしら」
沈黙の後、ぽつりとベアトリスが言った。何を言っているのかわからず、ヴァイスは呆けた表情になる。
「あたしにとって大事なことは、それだけよ。それより、お喋りしている時間は無いんじゃないかしら? 早くしないと、手遅れになるわよ」
そう言って、ベアトリスが指を彼方へ向ける。そこにあるのは、倒れ伏したメイドの姿だった。耳を澄ませば、かすかに心臓の鼓動が聞こえてくる。どろどろと溢れる血は、黒い石柱に吸い込まれるように流れている。それは、危険な兆候だった。あの石柱に、禍々しいものが流れ込んでゆく。それだけは、避けなければならないことだ。たとえ、己の全てを擲ってでも。
「さあ、始めるわよ!」
ベアトリスの促す声にうなずき、ヴァイスはメイドに駆け寄り身体を抱き起こした。仰向けになったメイドの胸から、銀色の刃の柄が見える。
「魔王……様……」
メイドの口から、微かな声が漏れた。
「心臓を一突き、ね。生きているうちに、傷を癒すことは可能だけれど……」
ヴァイスの側で、ベアトリスはメイドを診ながらごそごそと白衣のポケットに手を入れる。
「お前の傷は、大丈夫なのか?」
メイドから顔を上げて、ヴァイスが見つめるのはベアトリスの左腕だ。白衣の袖先から手は見えず、肘のあたりでぶらぶらと袖が揺れている。
「止血はしてきたわ。じーさんの薬よ、問題無い筈。それから、こっちが傷薬」
言いながら、ベアトリスが苦労をしつつ取り出したのは水薬の入った瓶だった。
「ナイフの傷は、それで問題無さそうだな。だが……」
ヴァイスは再び、メイドの胸へと視線を落とす。白いエプロンが、真っ赤に染まっている。そして、所々が黒ずんでいた。
「間違いなく、感染しているわね。まったく……お喋りしすぎだわ、ヴァイス」
言いながら、ベアトリスが片手でメイドの服のボタンを器用に外してゆく。だが、片手だけでは脱がせることは困難を極める。小さく息を吐いて、ベアトリスはポケットから鋏を取り出しヴァイスへ手渡した。
「……俺が、やるのか」
「この腕で、できると思う?」
問答の間にも、ベアトリスはメイドの上衣の裾をめくって持ち上げている。ヴァイスは、鋏を動かし服を切り裂いた。血塗られた、白い肌が露わとなり、そして赤い斑点が胸を中心にして拡がるように浮き上がっていた。ナイフは、左胸の少し下から入り込み、今もなお血は流れ続けている。
「お前と、シェラ、どちらが上だ?」
「胸のサイズ? それとも手術の腕前?」
「……冗談を言っている時間は、無いんじゃなかったのか」
「そうね。シェラのほうが、経験豊富よ。人間相手っていうのを除けば、プロストやアルも視野に入れてもいいかも知れないわね」
うなずいて、ヴァイスは白の杖を持つ手に力を込めた。流れ込んでくるのは、孤高の女医の記憶。ヴァイスが側で、見てきた癒し手の一人だった。
「……胸のサイズは、シェラのほうが上だな」
「冗談が、言えるようになったの? 良いことね、ヴァイス」
「こうした、くだらない話がしたかったらしい。彼女は」
ふっと笑いながら、ヴァイスは慎重にナイフを引き抜いた。心臓の鼓動に合わせて、血が噴き出してくる。動じず、ベアトリスに手のひらを差し出す。その上に、研ぎ澄まされた小刀が乗せられた。白い皮膚の上を、刃が滑るように動く。
「あ、が!」
びくん、とメイドの身体が跳ねた。
「意識が、戻ったか!」
小刀をベアトリスに返し、ヴァイスはメイドの両肩に手を置いた。ごきり、と鈍い音とともに、メイドが身体をのけぞらせ、そして動かなくなる。
「何をしたの?」
「気絶させただけだ。念のために、肩の関節も外した」
「……鬼畜のような所業ね」
「まさに、鬼の業だがな」
白の杖からもたらされた、鬼のグレイの記憶だった。気脈と整体に通じた優しい鬼の記憶に、ヴァイスの表情は陰りを帯びた。
「自分が殺した相手の技術を、よく使えるわね」
「……彼は禁忌に触れた。そのことには、何ら後悔は無い」
「なら、そんな顔するのは何故かしら? 虚勢を張っても、一銭にもならないわよ?」
ベアトリスの言葉を聞き流し、肉を開いて心臓を診る。
「……あれか」
蠢く心臓に、貼りつくようにしてぴくぴくと動くのは小さな肉の塊だった。




