第十八話 悪性と継承
雨に打たれ、ずぶ濡れになった白衣を引きずるようにベアトリスは小屋の中へと入った。冷たい水が、肌着の奥まで染みてくる。ぼたぼたと水滴を垂らしながら入ってきた姿に、カウンターの奥からメイドがタオルを手にやってくる。
「これを、どうぞ。ベアトリス様」
恭しく差し出されるタオルを手に取って、ベアトリスは濡れた髪に当てる。柔らかな布地がわずかに肌を温める感覚に、思わず目を細めた。
「いきなり雨に降られるなんて、ついてないわ。こんなに降るなら、傘も作っておけば良かった」
水を吸って冷たくなったタオルを、メイドに返しつつぼやく。
「今、熱いお茶を淹れて参ります。少しお待ちを」
メイドはタオルを受け取るとそう言って、奥へと下がった。ベアトリスは白衣を脱ぎ、雑巾のように絞りながら周囲に目を向ける。薬の瓶が、真新しい木の棚に並べられている。そのうちのひとつを、何気なく手に取った。ラベルには、止血の水薬、と丸文字で書かれていた。
「……趣味なのかしら」
呟いて、棚の瓶へ視線を巡らせる。洗濯用洗剤や、滋養強壮の薬などがカテゴリ別に整然と並んでいる。
背後から、足音が聞こえた。
「そのままでは、御風邪を召してしまいます。湯を用意いたしましたので、お使いください」
メイドはベアトリスの足元にできた小さな水たまりを一瞥し、言った。
「そうね。このままだと、掃除に無駄な時間を割いてしまいそうだものね。着替えも、用意してもらえるのかしら? メイド服は遠慮したいのだけれど」
メイドに問いかけると、小さなうなずきが返ってくる。
「移住者のために用意しておいた服が、いくつかございます。そちらを、着替えにお使いください」
「手回しの良いことね。無駄が無いのは、嫌いではないわ。それで、どこでお湯を使えば?」
濡れて肌に張りつくシャツのボタンをはずしながら、メイドに問う。
「こちらへ。簡易ではありますが、浴室を増設しております」
落ち着いた様子で、メイドがカウンターの奥へ手を伸べて、先に立って歩き出す。メイドの後ろを、ベアトリスはついて歩いた。
薄い木の板で仕切られた部屋を抜けて、たどり着いたのは小屋の外だった。屋根と塀で仕切られた小さなスペースの中央に、ほかほかと湯気を立てる大きな木の樽が置かれている。おそらく、これが浴槽なのだろう。よほど大柄な人間でなければ、肩までしっかりと浸かれそうな大きさの樽だ。そして地面には、すのこが敷かれていた。
「……大したものね。無駄な出費と、言えなくもないけれど」
「先日入植したドワーフの方が、一日でやってくださいました。これから訪れるお客様をおもてなしするためには、必要なものかと存じます」
「そうね……それに」
メイドの顔を見つめ、ベアトリスは微笑する。
「売り子が清潔であることも、必要なことだものね。良い投資よ」
ベアトリスの言葉に、メイドはすっと一礼する。
「光栄です。ベアトリス様、お手伝いをすることは、ございますか?」
メイドの問いかけに、ベアトリスは首を横へ振る。
「服くらい自分で脱げるし、お風呂くらいは一人で入りたいわ。脱いだ服を、洗って乾かしておいてもらえるかしら? もちろん、お客様が来たらそちらが優先で構わないから」
言いながら、ベアトリスはベアトリスの前で脱衣する。ぽたぽたと滴の落ちる服を、メイドは表情も変えずに受け取り一礼する。
「それでは、そちらの杖も……」
すっと伸びたメイドの手から、ベアトリスは杖を遠ざける。
「この杖に、触れてはダメよ」
空中で、メイドの手が止まった。思ったより、強い語気が出てしまいベアトリスは少しの間、呆然とする。口をついて出たのは、本当に自分の声だったのか。考えを巡らせるベアトリスの顔を、メイドがじっと見つめる。
「……かしこまりました。失礼を、お許しください」
恭しく頭を下げ、メイドが服を手に退出した。毅然としたその背中を、なんとなく見送る。ぶるり、と足元から震えが走り、ベアトリスは浴槽の樽の側へ立った。
「……誰にも、触れさせない。それで、いいんでしょう?」
白の杖に問いかける。杖からは、何の反応も無い。鈴のような音色を立てることも無ければ、ぼんやりと光ることも無い。小さく息を吐き、ベアトリスは足先から浴槽へと浸かった。
ほのかな温かみが、冷えた身体に痺れのようなものを与えてくれる。湯加減は、丁度良い。ふぃぃ、と呻きを漏らし、ベアトリスは肩まで身を沈めた。ざばり、と溢れた湯が樽を伝い、すのこの床へと落ちてゆく。屋根を叩く雨の音は、途切れることなく続いていた。
「……下で、火を焚いているわけでは無いのね。となると、湯を持ってきてここへ入れているのかしら? もしくは、魔法を使って? どのみち手間のかかることね」
右手で湯をすくいあげ、温度を確かめるように頬に振りかける。
「温かいお湯なんて、何年ぶりかしら? 今度、猿たちにうちの近くにも作らせようか……ダメね。お湯を用意するのが、面倒だもの」
湯の中で肩を揉みながら、ベアトリスは呟く。独り言の癖は、まだ抜けそうには無かった。
「猿たちに湯を用意させれば……ううん、手間を考えれば、報酬が用意しきれなくなるかも知れない。それならいっそ、毎日ここへ来てお風呂を借りた方がいいわね。でも……」
浴槽の中で身体を伸ばしていたベアトリスの呟きが、ふと止まった。
「よく、お風呂の用意なんて出来たものね」
水をすくった手のひらを、目の前に持ってくる。澄んだ水には、汲み置きのような不快な匂いは無かった。口に含んでみると、井戸の水の味がする。口の中へ入ってしまった髪の毛を、ぺっと吐き出してベアトリスは表情を引き締めた。
「水は恐らく、今朝汲まれたものね。魔法か何かを使って、適温にしてある……そこは、問題無いわ。でも」
浴槽に浮いた、髪を見る。そこにあるのは、ベアトリスのものだけだった。
「いつもあたしが来るのは夕方前で……今日は、気まぐれでお昼過ぎにここへ来た。あのドワーフの所へ寄って、それから雨に降られて……あれ?」
適温の湯の中で、ベアトリスは首を傾げる。
「タイミングが、良すぎるわ……」
呆然と、ベアトリスが呟いた刹那、風呂の周囲に巡らされた板塀の一辺が、めりめりと音立てて裂けて倒れた。
「な、何!?」
泡を食って立ち上がったベアトリスの前に、ぎざぎざとした黒い鎌のようなものが現れる。べきりべきりと、木の枝を踏み鳴らす音も聞こえてくる。
「あ、あ……」
恐怖に身を硬直させるベアトリスの前へ、そいつは姿を現した。一対の鎌をもたげ、三角形の頭に細長い首を持ち、わさわさと四本の細い肢を動かし前進する。それは、巨大な黒いカマキリのような生物だった。
「い、あ……」
掠れた悲鳴が、ベアトリスの口から漏れる。左手に握りしめた白の杖へ、意識を向ける。森の中の生物ならば、たとえ魔物であってもベアトリスの意思に従う。それが、癒し手の職能だった。
「さ、下がりなさい!」
だが、ベアトリスの命にカマキリは応じない。頭部の両側にある小さな目を、ベアトリスの裸身に据えて鎌をすっと引く。浴槽の中で白の杖を構え、心臓を守ったのは反射的な行動だった。鎌の先端がふっとブレて、熱いものがベアトリスの左腕を走り抜ける。ぽちゃん、と何かが湯に落ちる音が、ベアトリスの耳に届く。同時に、ベアトリスの身体が前に向かって、つまりカマキリの方へと引き寄せられるように飛んだ。目を見開いたまま、ベアトリスはその光景を見る。白の杖を握りしめたままの形の、ベアトリスの左手が、肘から少し下の部分が、鋭利な何かで切り取られたようにそこにある。断面に見える白い骨が、肉付きのあまりよくない腕が、カマキリの口元にある。鎌で切り取られ、絡め取られたのだ。そして杖を握った右手ごと、引き寄せられたのだ。それは、一瞬の出来事だった。
「あああああ!」
白の杖を離し、ベアトリスはカマキリから身を引き離した。カマキリはそれを追わず、鎌で掴んだベアトリスの左手を口元へと運ぶ。くじゃり、と湿った音を立てて、行われるのは咀嚼だ。おぞましい光景だったが、目を離すことはできない。少しでも隙を見せれば、今度は自分の頭がそうなっているのかもしれないのだから。
左腕から、痛みがやってくる。綺麗な切断面をみせる傷口から、血が噴き出していた。このままでいれば、カマキリに何かされるまでもなく、血を失って死んでしまう。カマキリは今、肉片のついた骨をがりごりと齧っている。ならば、とベアトリスはカマキリに背を向け、浴場の出口を目指す。素足ですのこを蹴り、浴室の扉の前までたどり着いたそのとき、扉が開かれた。
「あ、た、助け、て……」
姿を現したメイドに、ベアトリスは呼びかける。メイドは扉の前に立ち、ベアトリスはそのために小屋の内部へ逃げ込むことができない。からん、と乾いた音に振り向けば、肉片を食べ終えたカマキリの口元から白の杖が落ちてすのこの上を転がっていた。
「まったく……浴室の中にまで持って入るから、こういうことをしなければならなかったんですよ?」
メイドが、歪んだ笑顔で言った。え、と声を上げかけたベアトリスの胸に、メイドの足が叩きつけられる。
「ぐぁ!」
どん、と蹴りとばされたベアトリスの後頭部が、固い板塀にぶつかった。ちかちかと、目の前を火花が散る。痛みに閉じた目を開けば、メイドがカマキリの足元に身を屈めて杖を拾い上げていた。
「これが……忌々しい封印の、白の杖……」
手にした白の杖を見下ろしたメイドが、カマキリの前へとそれを差し出した。
「折りなさい」
メイドの命に、カマキリは応じるように鎌を伸ばす。細く白い杖の両端に鎌が添えられ、凄まじい力が込められる。
「……折れないの? ちっ、本当に忌々しい」
毒々しい表情で、メイドは舌打ちしながら白の杖をカマキリから受け取った。
「な、何? あんた……どうして、何で、その、カマキリみたいなのは……」
腕の付け根を指で押さえ、止血をしながら震える声をベアトリスは上げる。メイドは冷ややかな瞳で、素裸のベアトリスを見やった。
「質問が多いですわ。欲深な猿のようですわね。でも、大丈夫。貴方の質問には、何一つ答える義務はありませんわ。そこで、みじめに死んでゆきなさい。では、御機嫌よう」
優雅な一礼を見せて、メイドがくるりと踵を返す。くらり、とベアトリスの視界が揺れた。
「ま、まちなさい……」
暗くなってゆく視界の中で、カマキリが反転してメイドを追ってゆく姿が見えた。
森の中は、騒然としたざわめきに包まれていた。熊も、狼も、猪も鴉も、ありとあらゆる動物たちが咆哮を上げ、一点を目指して駆けてゆく。動物たちの群れの先頭には、白狼のヴァイスの姿があった。
彼らが目指すのは、森を進む一匹の魔物とメイドの姿だった。癒し手を傷つけられ、彼らの瞳には一様に怒りのいろが浮かんでいる。
「……白の杖があれば、襲われないものだと思っていたけれど、どうやらそう上手くはいかないようね。食い止めなさい!」
メイドがカマキリに命じ、カマキリが応じるように動物たちの前に立ちふさがる。だが、森じゅうから集まってくる猛獣たちを相手にするには、数が違い過ぎた。濁流に呑まれるように、カマキリの姿は瞬く間に倒れて見えなくなる。白の杖を手にしたメイドは、その光景を振り返ることなく走り続けた。
メイドの背中へ、ほどなくヴァイスは追いつく。咆哮を上げ、力強く木の根を蹴りヴァイスが牙を立ててメイドへと襲い掛かる。だが、その攻撃は横合いから何者かに体当たりを受け、防がれてしまう。着地をしたヴァイスが、抗議をするように吠える。返ってくるのは、きいきいという嘲るような鳴き声だ。そうして、ヴァイスの周囲を無数の猿が取り囲む。
猿たちの手にしているのは、金貨の入った小袋だった。ちゃりちゃり、と音立てるそれらは、猿たちの鳴き声と相まって騒音となり果てていた。
ヴァイスは前肢で耳を押さえて、うずくまる。身を震わせて唸り声を上げるが、猿たちは音の攻撃をやめようとはしない。止まない騒音に業を煮やしたヴァイスは、伏せていた身を起こしあらん限りの声を振り絞って空へ吠えた。たちまちに、赤黒い血のような毛並みの狼が大量に現れ、猿たちへと襲い掛かってゆく。猿たちが樹上へ身を躱し、開いた道をヴァイスはさっと駆け出した。今度は単独ではなく、二匹の血色の狼を共に連れていた。
そうして、やってきたのは熊の巣穴だった。一代前の癒し手が、礼拝堂と呼んでいたあの場所だ。ヴァイスは地面に鼻を向けて、メイドの痕跡が中へ続いていることを確かめる。そうして、二匹の狼を入口へと残し、のそりと中へ身を滑らせた。
ごつごつとした床に、長く鋭い爪が擦れて小さな音を立てる。ヴァイスは鼻を動かし、奥へと進む。メイドの臭いは、間違いなくここへと続いていた。長い通路を歩きながら、ヴァイスは先ほどの猿の行動について思考を巡らせる。猿たちが持っていたのは、金貨だった。今代の癒し手が、猿たちに広めたもの。それを、あのメイドは利用したのだろうか。不快な思いがこみ上げてきて、ヴァイスは咽喉をぐるりと鳴らす。
白の杖が、選んだ者だ。その事実が無ければ、既に食い殺している。前代の癒し手が、身体を張って止めなければそうなっていた。そうしておけば、あんなに禍々しい存在を森の中へと招き入れることも無かったはずだ。もしもヴァイスが人間であれば、不快な表情に加えて舌打ちもしていたことだろう。
ヴァイスの鼻に、新たな臭いが加わった。鉄の錆びたような臭い。生臭い、血の臭いだ。ヴァイスは慎重に動かしていた足を速める。床を蹴り、壁を蹴ってヴァイスは最奥へと急いだ。
前代の癒し手が彫った、天使の群れが見えた。真っ暗な闇の中に、ぼうっと天使たちは浮かび上がっていた。メイドが持ち込んだのかもしれない、松明が地面に転がり、壁を照らし出している。じりり、と音立てる松明に、ヴァイスは視線を巡らせメイドを探す。天使の彫刻たちに見守られるように、黒い石の柱が立っている。そこへ身をもたせかけるようにして、ぐったりと寄りかかるメイドの姿が見えた。
ヴァイスは跳躍し、メイドの右手から白の杖をもぎ取るように咥えて引いた。白の杖は、あっさりとヴァイスの口に収まった。白の杖を奪われても、メイドは身じろぎひとつしない。白の杖を咥えたまま、ヴァイスは低く唸ってメイドへ再び肉薄する。どくん、どくんとメイドの心臓の音が、やけに大きく響いて聞こえた。そして、鼓動に合わせるように、血の臭いは強くなってゆく。メイドの左手に、松明の光を照り返す白銀の輝きがあった。それは、流れる血に汚れて表面を赤黒く染めている。ヴァイスは、ほとんど真後ろへ跳んで距離を取る。その口元で、白の杖がいきなり光を放ち、甲高い音を鳴らした。
ヴァイスは口を開き、白の杖を離そうとする。だが、己の意思に反したかのように、杖を咥える口は微動だにしない。ほどなくして、ヴァイスの頭の中へ思念が流れ込んできた。
いつまで、高みの見物をしているつもりかしら? これだけの犠牲を出して、一体あなたは何をしているの? 必要なことだった。癒し手を、必要としていた。この森は……そうして、犠牲のもとに成り立つ仮初の平穏を、いつまで保てると思っていたの。費用対効果を、考えたことはある? 馬鹿馬鹿しい。癒し手と森の力があれば、もっと多くの経済効果を得られたのよ……経済が、何だと言うのだ。森が森であり、生きるものに癒しを与える。それだけが、癒し手の……使命、と言うつもりかしら? 本当のことを隠したまま、あなたたちはそうやって……黙れ!
強いエゴを持つ思念が、杖を通じてもたらされる。攻撃的で、利己的で、自己中心的な思念だ。このように刺々しい癒し手の思念は、初めて感じるものだった。だから、記憶の一部を覗かれた。森の中で、白く美しい少女と二人で過ごしていた、最も大事な記憶の一部が。反対に流れ込んでくる光景は、ベアトリスという女の暗い過去だ。銭に、人生の全てを捧げた女。尽きることの無い欲望で、全てを思いのままに操ろうとして、やがて挫折をする。金銭によって得た関係が、同じ金銭によって崩れ去ってゆく。
次の、癒し手を探さねば。いいえ、もう遅いわ。白の杖は、これ以上の癒し手を望んではいない。望みは、ひとつよ。決着を、つけること……しかし、癒し手はいない……だから、いつまで見ているだけのつもりなの? それとも、あなたは滅びを望んでいるの? この森から始まり、やがて世界を包む滅びの炎を……違う! だが、癒し手がいなければ……まだ、わからないの、ヴァイス……次の、最後の癒し手は……
白の杖を咥えたまま、ヴァイスは身を伏せてのけぞった。天井に、彫られた太陽と天使に向けて、ヴァイスはくぐもった咆哮を上げる。白の杖から迸る光が、ヴァイスを包み込む。光の中で、ヴァイスはさらに吠えた。吠えなければ、抑えつけることのできない熱が、ヴァイスの体内に満ちていた。
長く、尾を引く咆哮が、やがて途切れる。ヴァイスの身が崩れ落ち、岩肌に触れた。冷たくざらついた感覚に、ヴァイスは目を見開く。目の前に映るのは、床についた人間の手だった。
「……っ!」
慌てて、ヴァイスは跳び下がろうとする。身体が、ひどく重たく感じられた。それに、ヴァイスの動きに合わせて人間の手も追従してくる。警戒の目で、ヴァイスは手を見つめ、硬直した。
「こ、れは……!」
自分の口から、人間の大人の声が聞こえた。ヴァイスが手の五指に力を入れる。目の前の手は、思い通りに動き、虚空を掴むように指が曲がる。
「人間の、身体……?」
呟いて、ヴァイスは二本の足で立ち上がる。身体の動かし方も、言葉の発し方も、全て左手に持った白の杖から頭の中に流れ込んでくる。高くなった視界と、ぼんやりと鈍くなった五感にヴァイスは狼狽する。
「そんな恰好じゃ、風邪ひくわよ。まったく……」
背後から聞こえてきた声に、振り向いたヴァイスの顔が柔らかい何かに覆われた。
「むぐ!」
闇雲に手を振り回し、ヴァイスはまとわりついたものを払いのけて見つめる。それは、白衣だった。
「さっさとそれ着なさい。時間が勿体ないわ」
声のほうへと顔を向けると、同じような白衣を着た女の姿があった。
「ベア、トリス……?」
ベアトリスの白衣は、左手の肘から下がだらりと下がっていた。血の気の引いた青い顔が、真っすぐに見つめるのはヴァイスの瞳だ。
「何をボケっとしているの? さっさと片付けるわよ、それ」
言ってベアトリスが右手で指し示すのは、倒れ伏したまま動かないメイドだった。わけもわからないまま、ヴァイスは白衣の袖に腕を通した。
「さあ、始めるわよ、ヴァイス!」
ベアトリスの声に、ヴァイスはうなずいてメイドと黒い石柱に向き直る。どくん、と石柱が、不気味に脈動をした。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
ここで、ベアトリスのお話は終わりとなり、次回からは最終章となります。
来週の投稿となりますので、どうぞ気長にお待ちください。




