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森の癒し手  作者: S.U.Y
ベアトリス
17/22

第十七話 転機と発展

 手にした白の杖は、静寂を保っていた。真新しい小屋の中で、ベアトリスはテーブルの対面に腰掛ける若い男女へと目を向ける。

 男は、マントの下に上品な仕立ての衣装を身に着け、行商人を名乗っていた。女はその連れで、こちらも高級な仕立ての皺ひとつない黒のメイド服に身を包んでいた。

「どうぞ」

 メイドが茶の入ったカップをテーブルに置いて、優雅に一礼して下がる。

「ありがとう」

 礼を言いながら、ベアトリスはカップを口にする。鼻孔に、ふんわりとした豊かな香りが訪れた。

「……良い茶葉ね。こんな所まで、運んで来るとは中々のやり手ね、あなた」

 男を見やり、ベアトリスは言う。

「いえいえ、こちらに、富の匂いがありますれば、このくらいの品を用意させていただくのは、当然のことでございます」

 柔らかな笑みで、男が言った。

「これは、王都に卸している品物かしら? 東国の産と思うけれど」

「はい。荷詰めの際に出た、余りものでございます」

 ベアトリスの問いに、男は何でもないような顔で答える。

「そう。物を大事にするのは、良い事だわ。あなたとなら、話も早く済みそうね」

 ベアトリスは言って、テーブルの上に小瓶を置く。かん、と音立てて、透明な瓶の中でゆらりと薬が揺れた。

「……これが、例の?」

 ちらりと瓶に視線を向けて、男が言う。

「ええ。濃縮してあるから、百倍ほどに薄めて使えるわ。今年の冬に間に合わせるなら、現状五十本までなら納品可能よ」

 ベアトリスの言葉に、男は瓶を手にして光に透かし、揺らして中身をじっと見つめる。やがて、瓶を置いた男はうなずいた。

「いいでしょう。全て、そちらの言い値で買わせていただきます。五十本分の、お代はこちらです」

 どん、と音立てて、男がテーブルに袋を置く。ちゃりん、と鳴った音にベアトリスは片眉をぴくりと上げた。

「……確かに、五十本分ね」

「中身を改めずとも、解るのですか?」

 男の問いに、ベアトリスはにこりと笑う。

「他ならぬ、金貨の音だもの。それに誤魔化したりしているなら、これから先の儲けは無い。あなたをやり手と見込んでの、これは信用よ」

 その答えに、男はうなずいて見せる。

「それは、ありがとうございます。こちらも信用に応えるために、もうひとつ贈り物をさせていただけませんか?」

 言いながら、男は下がっていたメイドに手招きをする。

「このメイドは、家事から畑仕事、護衛に暗殺、医療に調薬となんでもこなす程度には使える者です。彼女を、こちらへ置いてゆきましょう」

 しずしずと歩いてきたメイドを手で示し、男が言った。

「そうして、技術を盗もう、というわけね?」

 にやり、とメイドを見たベアトリスが男に笑いかける。

「とんでもありません……などと建前は申しますまい。何年かかろうと、そうするつもりです」

 男も満面の笑みを浮かべ、ベアトリスを見返した。

「技術はともかく、材料の調達は真似出来るとは思わないことね。これは、この森でしか作れないのだから」

 とん、とテーブルの小瓶の手前を指で叩き、ベアトリスが言った。

「簡単には盗ませない、ということですね。結構、そのほうが、こちらとしても熱が入ります」

 男は笑みを崩さず、瓶をカバンに仕舞うと立ち上がった。

「残りの納品は、秋口に来た時にでも。そのときは、また別のものも並べておくわ」

「楽しみに、させていただきますよ。それでは」

 それで、取引は終わりだった。荷を担いで、男が森の外へと去ってゆくのを見送ったメイドが、小屋の中へと戻ってくる。ベアトリスは、飲み終えた茶のカップを置いた。

「さて、後はあなたね」

 両手を身体の前に組んで下げるメイドへ、ベアトリスは歩み寄る。そのままメイドの顎に指で触れ、顔を上げさせた。

「あなたは、あの男からどんな命令を受けているの?」

 問いかけに、メイドの眼がベアトリスに向いた。

「あなたを、主として仕えるように命じられています」

 メイドは、能面のような無表情で言う。芸術品のように完成された、美しい顔だった。

「綺麗な顔ね。でも……愛想が足りないかしら」

 ベアトリスの言葉に、メイドはわずかに唇の端を吊り上げる。それだけで、顔の雰囲気ががらりと変わった。

「お望みとあらば、いくらでも」

 硬質だった声も、柔らかでしっとりとした声音になっている。ベアトリスは女の顔から指を離し、腕組みをして全身を眺めた。

「うん。合格ね」

 微動だにせず視線を受けるメイドへ、ベアトリスは大きくうなずいて見せ、テーブルの上から一枚の紙を拾い上げて渡す。びっしりと文字の書かれた紙の上を、メイドの視線がさっと動いた。

「商品のリストと、値段ですね。私の役目は、売り子ですか」

「呑み込みが早くて助かるわ。今日の取引で、一番の利益ね、あなたは」

 にやり、と笑ったベアトリスが、金貨の袋を持ち上げる。

「食料と商品は、猿に届けさせるわ。あなたの仕事は、ここの小屋の一軒を改装して、お店を開くこと。必要な道具があれば、一日一回は様子を見に来るから、その時に言いなさい。そのほか、変わったことがあれば報告をしなさい。何か、質問はあるかしら?」

「……猿が、物を運ぶのですか?」

 わずかに表情を怪訝に歪めながら、メイドが聞いてくる。ベアトリスは真面目な顔でうなずいた。

「ええ。あたしが手懐けたの。友好的に付き合えば、害は無いわ。他に質問は?」

 メイドが、首を横へ振る。

「そう。それなら、さっそく仕事に取り掛かって頂戴。時間は有限よ。あ、それからもうひとつ」

 人差し指を立てて、顔の横へ立てる。じゃらり、と金貨の袋が揺れた。

「森の奥には、決して立ち入らないこと。これは、守って頂戴。もし入れば、命の保証はしない。森の中には、猛獣や魔物が多く棲んでいるから。ここへ来るお客様にも、同じことを伝えておくように」

「かしこまりました。しかし……それでも入る、という方がいらっしゃった場合、どのようにすればよろしいでしょうか?」

「その場合は、身をもって知ってもらうことになるだけだけれど……いるのかしら、そんな人間」

 ベアトリスの言葉に、メイドは少し考える風に首を傾げて見せる。

「……勇者、とか呼ばれる人間ならば、あるいは」

 メイドの口から出た言葉に、ベアトリスはぷっと噴き出した。

「良い冗談ね。でも大丈夫よ。この森には、別に彼らの目を引く何かがあるわけではないわ。あるのは、めったに見られない秘境の景色くらいのものよ。もう少し環境が整えば、観光事業も始めようかしらね」

 言いながらベアトリスは片手に袋、もう片手に白の杖を持ってメイドに背を向ける。

「ともあれ、明日までには店を完成させなさい。残った小屋は、病人が訪ねて来たときの診療所に使いたいから、余力があればそっちもよろしく」

「……行ってらっしゃいませ」

 一礼するメイドの姿が、閉まるドアの向こうへ消える。木々の間へ足を踏み入れながら、ベアトリスは白の杖に念じて猿を呼んだ。待っていたかのように、すぐさま一匹の猿が姿を現す。包帯を巻いた、先日治療を施したあの猿だった。

「あの小屋の前へ、薬と果実を届けなさい。それと、中にいる人間が森の中へ入りそうなら、すぐに知らせるように」

 命じると、猿がぬっと手を伸ばす。その手の上に、袋から取り出した金貨を五枚、乗せてやった。ききっ、と猿は鳴いて、がさりと茂みを揺らして消える。ベアトリスもまた、森の奥の小屋へと向かった。

「ただいま、じーさん」

 小屋へと入り声を上げるが、返事は無い。老人はベッドで眠っているので、気にせずに布団をはぐって寝返りを打たせ、また布団を掛けなおす。ヴァイスは出かけているのか、姿は見えなかった。

「排泄物は……まだ無し、と。朝あんまり食べなかったからかしらね」

 呟くベアトリスの背後で、小屋の戸が叩かれた。

「入りなさい」

 ベアトリスの声に応じて、戸が開く。やってきたのは、一匹の子猿だった。先ほど指示を出した猿の半分ほどの大きさで、愛嬌のある顔をしていた。ひょこひょことベアトリスの前まで歩いてきた子猿が、すっと手を差し出す。

「チラシを取りに来たのね。でも、今日からはしばらくお休みよ」

 白の杖を手に、ベアトリスは子猿に言った。手を出したまま、子猿が首を傾げる。

「今日、行商人がやってきたの。あんたのおかげで、上手くいきそうよ。これは、追加報酬」

 言いながら金貨袋から一枚の金貨を取り出し、子猿の手に握らせる。金貨を手にした子猿は、そのまま口へと運んで端を軽く齧る。

「心配しなくても、それは本物よ。まったく……どこで覚えてきたのかしらね?」

 息を吐きながら、ベアトリスはテーブルの上の果実をひとつ、手に取った。

「あんたも食べる? もちろんお金は貰うけれど」

 問いかけに、子猿は首を横へ振って素早く立ち去った。

「倹約家ね。あの子は、大物になるかもしれないわね」

 ふっと微笑を浮かべ、果実を食べる。それから白衣の袖をまくり、ベアトリスは調薬鉢の前に座った。

「それじゃあ、ちゃちゃっと始めましょうか。お金のために」

 いくつかの材料を投じて、ベアトリスは鉢をかき混ぜ始める。機嫌のよい鼻歌が、小屋の中に漂っていった。


 メイドがやってきて、一週間が過ぎた。森の入口付近の小屋は、もう新たな住人で埋まっていた。

「大したものね、あの男……」

 内心で舌を巻きつつ、ベアトリスは小屋の広場を見回ってゆく。五軒の小屋のうち三軒では、薬の生産が行われていた。独り者の老人、若い夫婦、中年女と少年の親子と三つの小屋には人間が入っていたが、残りひとつはドワーフが住みついていた。背が低く、顔じゅう髭に覆われたような外見からは年齢を見極めることは難しい。三日前にふらりとやってきたドワーフは、謎の多い人物だった。

 他の小屋からはごりごりと調薬をする音がしていたが、このドワーフの小屋だけは別だった。こーん、こーんと木に鑿を入れる音が響いてくる。興味を惹かれ、ベアトリスはドワーフの小屋へと足を踏み入れる。

「何の用じゃ!」

 とたんに、怒声が飛んできた。

「大きな声を出すんじゃないわよ。壁が減るわ」

 眉をしかめつつ、ベアトリスはずかずかと部屋の中央までやってきた。床には木くずが散乱し、足の踏み場も無いくらいだった。床に座った一人のドワーフが、鑿を片手に削った木を持ってベアトリスに顔を向けていた。

「ふん、薬を、取りに来たのか? 机の上に置いてあるわい」

 そう言ってドワーフは手元に視線を戻し、再び木を削り始める。テーブルに目をやると、瓶に入った薬が五本、きっちりと並べられていた。

「仕事が早いのは、いいことだわ。でも、今日はまだ時間じゃないのだけれど。あなた、何をやっているのよ」

 問いかけに、ドワーフは手を止めるどころか視線を向けようとさえしない。

「空いた時間を何に使おうが、わしの自由じゃ。さっさと立ち去れ、カネの亡者め」

 取り付く島もない態度だった。ドワーフの足元には、表面を滑らかに削られた木がもう一本置かれていた。

「あなたが何を作っているのか、興味が湧いたのよ。そして、それがお金になるのかどうか……」

 ベアトリスの言葉を遮り、どん、と足元に鑿が突き立った。

「これ以上、わしの作業の邪魔をするな。帰れ」

「床に、傷がついたわ」

 怯むことなく、ベアトリスは言う。

「……そのうち、もっとましな床を張ってやる。こんないい加減な仕事をしおって、猿のほうがまだマシじゃわい」

「……猿が張ったのだけれどね、この床」

 ベアトリスの言葉に、ふん、とドワーフは鼻を鳴らして黙り込む。鑿を打つ音だけが、部屋に響いていた。これ以上、問答をする気は無い。そう悟ったベアトリスは、踵を返して部屋を出る。

「もうすぐ、雨が降る」

 背中に、ドワーフの呟くような声が届いてきた。後ろ手に戸を閉めたベアトリスは、空を見上げる。ぽつん、とその額に滴が当たった。歩き出したベアトリスの全身を、まもなく大粒の雨が打ち据えた。目的の場所へ、ベアトリスは小走りで向かう。その先にあるのは、五軒目の小屋だ。立てかけられた木彫りの看板には、森の薬屋、と書かれている。

 ベアトリスの手の中で、白の杖は静寂を保ち続けていた。激しさを増す雨の中で、ベアトリスは小屋の戸を押し開け中へと飛び込んだ。

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