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森の癒し手  作者: S.U.Y
ベアトリス
16/22

第十六話 介護と通貨

ブクマ、評価、感想ありがとうございます! 大変励みになります!

新章開幕です。どうぞお楽しみください。

 ベッドに横たわる老人の身体は大きく、寝返りを打たせるのにはひと苦労だった。だがそれも、二年と少しの間でコツは掴めていた。

 ころんと転がった身体から、異臭が漂った。腰のあった部分のシーツに、大きな染みができていた。

「はい、じーさん。身体を起こすわよ」

 ベアトリスは顔を顰めることもなく、老人の上体を起こして立たせ、椅子へと運ぶ。上背のある老人の脇に頭を入れて、ベッド側にある椅子へと腰掛けさせた。

 手早く、ベアトリスは老人のズボンを脱がせる。下着の代わりにおむつを穿いた下半身はやせ衰え、ふるふると震えていた。

「気持ち悪かったのね。今、拭いてあげるから」

 淡々と言って、ベアトリスはおむつを取った。糞尿の匂いが、つんと鼻をつく。ベアトリスは一切無感情に、湯で濡らした布で老人の股間を拭いてゆく。

「ああ……」

 老人の細い声が、上がった。てきぱきとベアトリスは手を動かし、拭き終えた下半身に新しいおむつとズボンを穿かせた。

「ベッドも、綺麗にしないといけないわね。少し、待ってて」

 汚れたおむつを袋へ入れて、ベアトリスはベッドのシーツへ手を伸ばす。湿ったシーツも、まとめて袋へ入れて新しいシーツを敷いた。

「はい、じーさん。準備、できたわよ」

 言いながら、老人の脇へ頭を入れて再びベッドへと横たえる。それで、処置は完了だった。目を細めた老人が、すうすうと寝息を立て始めるのを見やってベアトリスはベッドの脇へ支柱を立てた。老人が自ら動くことは無かったが、それは念のための転落防止の措置だった。

「それじゃ、洗濯してくるから」

 眠る老人を小屋に残し、ベアトリスは白衣を身に着けて近くの小川へと向かう。背中に差した白の杖が、りん、と澄んだ音を立てた。

 川べりで、水洗いをしたシーツとズボン、そして数着のおむつを広げる。それからベアトリスは、白衣のポケットから薬瓶を取り出し封を開ける。中身の液体を、黄ばんで汚れた布へと振りかけてゆく。漂っていた異臭が、薄らいだ。

「中々、良さげな出来ね。これなら売れるかも知れない」

 満足そうに呟き、ベアトリスは洗濯を続けた。細かな泡を含んだ水が、小川の下流へと流れていく。絞ったおむつを両手で広げ、くんと鼻を鳴らす。ひとつうなずき、しぼった洗濯物を袋へ仕舞いベアトリスは腰を上げた。

「食事どきまでには、まだ時間があるわね……調合でも、しようかしら」

 口にしながら、ベアトリスは眉を寄せた。

「……独り言、多くなったわね、あたしも」

 重い息を吐いて、早足で小屋へと戻る。小屋の前に設えられた物干し台へ、洗濯ものを広げて干してゆく。干し終えたものをざっと眺めて、ベアトリスは小屋の中へと入っていった。小屋の前には布が揺れ、そして傍らには墓石があった。表面に刻まれていた文字は、すっかり掠れて見えなくなっていた。

 小屋へ入ったベアトリスを迎えるのは、巨躯の白狼、ヴァイスだった。テーブルの下から這い出して、唸り声を上げている。ベアトリスは白の杖を持った手を突き出して、防御の構えを取る。

「どう、どう……いい加減、慣れなさい、ヴァイス。それにあたしを殺したら、誰がじーさん診るのよ」

 うんざりした声で、ベアトリスが言った。ヴァイスは逆立てていた毛をなだめ、もそもそとテーブルの下へと戻る。

「お腹空いてるんでしょう? ほら、エサよ」

 テーブルから果実をひとつ取って、ヴァイスの前へと落とす。じっとベアトリスを見上げていたヴァイスだが、やがて果実に齧りつく。その様子を眺めつつ、ベアトリスも果実を取って、かぶりついた。しゃくしゃくと、果実を咀嚼する音だけが小屋に流れる。老人は、出かける前の姿勢のまま静かに眠っていた。

 こんこん、と小屋の戸が叩かれたのは、そのときだった。

「入りなさい」

 ベアトリスが声を上げると、戸が開き一匹の猿が姿を見せた。きっ、きっ、と鳴きながら、猿は小屋の外を指差している。

「急患? ここへ通しなさい」

 かじりかけた果実をヴァイスの前に落とし、ベアトリスはテーブル横のスペースへと移動する。ヴァイスは少し嫌そうな顔をしたが、二つ目の果実を丸呑みした。

 入口から、二匹の猿に手足を抱えられた猿が連れて来られた。ベアトリスの前に、その猿はうつ伏せに寝かされる。背中に、ざっくりと爪で裂かれたような傷があった。じくじくと茶色の毛並みの中から、赤い血が流れて来る。猿の側に屈んで傷を診たベアトリスが、連れの二匹の猿へと顔を向けて手を差し出す。

「治療費、寄越しなさい」

 その言葉に、猿たちは鳴き声を上げながら横たわる猿を指差した。

「大丈夫よ。この怪我なら、あと半日くらいは保つわ。だから、お金」

 うなずきながら、手を引かないベアトリスに猿たちは顔を見合わせ、もそもそと握った手の中から銀貨を一枚ずつ手渡す。ちゃりん、と銀貨が打ち合わさり、音を立てた。

「……足りないわね。金貨は、どうしたの?」

 手の中で銀貨を弄びながら、ベアトリスは問う。猿たちは身振り手振りで何かを説明するが、細かなところまでは解らない。ベアトリスは首を横へ振り、銀貨を猿たちへと投げ返した。

「こいつの怪我は癒しておいてあげるから、金貨を持って来なさい、金・貨、解った?」

 その言葉に、猿たちはうなずく仕草を見せて猛然と小屋から駆け去ってゆく。見送ったベアトリスは、白の杖を片手に部屋の隅から調薬鉢を持ち出してきた。

「まったく……教育が、足りなかったかしら? まあ、いいわ」

 調薬鉢の中へ、薬草を次々に投じてゆく。すり潰し、水薬を入れてさらにかき混ぜる。出来上がったものを右手に掬い、ベアトリスは怪我猿の背中へと塗り付ける。猿の口から、悲鳴が迸った。

「痛いけれど、我慢しなさい。じゃないと、もっとお金がかかるわよ?」

 ベアトリスの言葉を理解したのか、猿は歯を食いしばり痛みを堪える。その間に、ベアトリスは薬を塗って布を当て、包帯を巻きつけてゆく。

「灰色熊と、喧嘩でもしたの? 馬鹿ね。縄張り争いなんて、一銭の価値も無いじゃない。あなた、ボスだったわよね? もう少し、建設的なことに身体を使いなさい。あ、そういえば、頼んでおいた仕事はどうなったの?」

 処置をしながら、矢継ぎ早に言葉を投げつけてゆく。猿は涙目になりながら、短い鳴き声を上げるばかりだった。息を吐いて、ベアトリスは巻き終えた包帯の上からぽんと背中を叩いた。

「はい、おしまい。あとは金貨……じゃなかった、あなたの部下の到着を待つばかりね。特別サービスよ、少し、横になっていきなさい」

 そう言うと、猿はさっと身を起こして顔の前で手を振った。ベアトリスはそんな猿に、両手の手のひらを上へ向けて肩をすくめて見せる。

「休憩ぶんのお金は、取らないわよ……戻りが遅かったら、考えるけれど」

 言いながら、ベアトリスは立ち上がりテーブルから果実を手に取って猿へと投げた。

「食事の途中だったの。あんたも、付き合いなさい。銅貨一枚」

 果実を受け取った猿が、どこから取り出したのか銅貨をベアトリスに投げた。

「毎度あり」

 受け取りながら、ベアトリスも果実を取って齧る。しゃくしゃくと、咀嚼の音が続いた。

 やがて戻って来た二匹の猿が、頭上に掲げるようにして金貨をベアトリスに差し出してくる。金貨をひったくりながら、ベアトリスは満面の笑みを浮かべた。

「ようやく、解ってきたみたいね。誰かにものを頼むときは、それなりの代償が必要なのよ。そして、お金は尊いものなの」

 ベアトリスの言葉を、猿たちは神妙な様子で聞いている。テーブルの下で、ヴァイスが胡乱な目つきで一同を眺めていた。

「さあ、歩けるならさっさと帰りなさい。それとも、まだ何か用があるの?」

 ぱんぱん、と手を鳴らしたベアトリスの前へ、猿たちが並んで手招きをする。

「付いて来い、ってことね。解ったわ」

 白衣の裾を翻し、ベアトリスは果実の芯をヴァイスの前に落として歩き出す。ヴァイスは小屋を出る猿たちを見送りながら、嫌そうな顔で芯を丸呑みにした。


 森の外側にほど近い場所に、広場ができていた。木が伐り倒され、切り株が掘り起こされて地ならしまでされた場所に、五つほどの小屋が建っている。その光景を前に、ベアトリスは歓声を上げた。

「すごい! やればできるじゃない!」

 包帯を巻いた猿に、興奮した声をかける。猿はにっと笑みを見せて、右手を差し出してくる。ベアトリスは、白衣の懐から十枚の金貨を取り出し、猿の手に乗せた。猿は、少し首を傾げる。

「……もう、五枚ね」

 ちゃりん、と追加の金貨が猿の手に乗った。喜ぶ猿を置いて、ベアトリスは小屋の中を調べる。テーブルと、ベッドが置かれた、簡素な部屋だ。五つとも、森の奥にある小屋とそっくり同じ間取りで作られていた。

「……完璧ね。ここから、始まるのよ」

 広場の中央に設えられた井戸へ腰掛け、ベアトリスはほくそ笑む。右手に握られた白の杖が、りん、と涼やかな音を立てる。目を閉じ、ベアトリスは杖に意識を集中した。

「森の外へ、何かを持ち出すわけじゃないもの。それに、癒し手として薬を与えるのは、使命に沿ったことよ。何一つ、あたしは決まりを破ってはいないわ」

 りん、と白の杖が鳴った。

「人の手が入って、森が壊れる? 違うわ。森を、広げるのよ」

 白の杖から流れ込んでくるのは、癒し手の禁忌とされる行い。そして、それを破った者の末路である。だが、ベアトリスの笑みは消えない。

「森を広げ、世界じゅうに知らしめ、そして、経済を回す! 高度な技術を持つ森と癒し手は、やがて世界の中心となるのよ!」

 感情の赴くままに、ベアトリスは笑った。ざわざわと木が揺れて、無数の猿たちが姿を現し唱和する。ひとしきり笑い終えたあと、ベアトリスの白衣の裾を包帯の猿が引いた。

「あ、そうね。ありがと」

 白衣の懐から数十枚の銅貨を取り出し、ベアトリスは猿に手渡す。こっくりとうなずき、猿たちは身を翻し姿を消した。

「さあて……まずは、住人を用意しないといけないわね」

 目をらんらんと輝かせ、ベアトリスは不敵に微笑む。その右手で、白の杖がりん、と小さく鳴っていた。

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