表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
森の癒し手  作者: S.U.Y
ソテロ
14/22

第十四話 信仰と金銭

 途上で何度も足を止めたヴァイスに、ソテロは全力で駆けてなんとか追いついた。すでに小屋は目の前にあり、女性を背に乗せたヴァイスに続いてソテロも小屋へと入る。肩で息を整えながら、ソテロは女性の身体をヴァイスの背からベッドへと移した。

 血まみれの女性のズボンの裾を、膝まで上げる。止血が功を奏したのか、血はほとんど流れてこない。だが、そのままにしておけば血の通わなくなった足は腐れ落ちることになる。ソテロは休む暇なく、小屋の外の納屋へと赴いた。棚から取り出したのは、二つの陶器の瓶だった。ソテロの大きな手にも余るほどの大きさで、両手に瓶を持ったソテロは小屋の戸を足で押し開ける。

 女性は苦しげに眉を寄せ、全身に汗を浮かべて身じろぎする。ソテロは持ってきた瓶の一つの封を開けると、女性の負傷した足の上で瓶を逆さにする。透明な、さらりとした液体が傷口へと降り注ぐ。

「く、うううう!」

 女性の口から、苦悶の声が漏れ聞こえた。

「怪我を、消毒しています。少し染みますが、我慢するのです」

 厳かに言って、ソテロは瓶の中身をすべて振りかけると傍らに置いた。それから女性の足の傷へ指を近づけ、赤黒く粘つく血液を掬い取る。ソテロはその指を、もう一つの封を切った瓶の中へと突き入れた。青緑の中身が、ソテロの指から滴る血と混ざりあい、徐々に色を変えてゆく。

「天に在りし偉大なる魂よ……大いなる奇跡の御業を、ここへ……」

 ソテロは聖言を唱えつつ、瓶に入れた指をかき混ぜるように動かした。血と、そして空気に触れることで、瓶の中身の色は薄い赤色へと、変化してゆく。ソテロは朗々と、聖言を唱え続ける。聖言のリズムに合わせるように、指を動かす。目の端で瓶を見やりつつ、ソテロはひたすら作業に没頭していった。

 やがて、瓶の中の液体が赤く染まり、紅色にまで染まったところでソテロは聖言の最後の一句を結ぶ。指を表面から上げて、滴り落ちる液体は粘りつくように滴り落ちる。

「痛みます。神のみ名を唱え、祈りなさい」

 目を閉じ、歯を食いしばる女性に言い聞かせてソテロは瓶の中身をゆっくりと患部へと浴びせる。

「あああ痛い痛い痛い!」

 びくんと跳ねた女性の上体を、ソテロは押さえつけた。

「暴れてはなりません。受肉が、不完全になります」

 ソテロは言ったが、女性が身体から力を抜くことは無い。ばたん、ばたんと手の中で暴れる力を、ソテロはなんとか押さえ込むので必死だった。

「お、お願い! お金ならいくらでも払うから! 足が、足が、ああああ!」

 必死の形相で、女性は叫ぶ。見開かれたその眼に、ソテロは慈愛の笑みを見せつつもう片方の手で暴れる足を押さえた。

「神に、祈るのです。穏やかな心で、痛みを受け入れるのです」

「神なんか、信じるわけ無いでしょう! お金、お金こそ全てなのよ!」

 女性の言葉に、ソテロは呆然とした顔になった。

「神は、全ての者に愛を注いでくださいます。異教の神でも構いません。さあ、身体から力を抜いて、暴れるのをやめるのです……!」

「あたしにとっては、お金が神様よ! 神様神様って言ってりゃ、お金になるの!?」

 猛然と、女性は大声を上げた。その言葉に、ソテロの頭を何かが掠める。

「……お金があれば、暴れないでいただけますか?」

「お金! お金くれるなら、痛いのくらいなんでもないわ! さあ、早くお金!」

 女性がぴたりと動きを止めて、ソテロの顔を見上げてくる。先ほどまで暴れていた体中の力が、すべて眼に行ってしまったかのように異様にぎらついた視線だった。ソテロは戸惑いながら、森の中で拾った金貨をポケットから出し、女性の目の前に恐る恐る差し出した。

「お金!」

 女性の両手が、凄まじい速度で動いた。ソテロの手から金貨を取り上げると、女性は金貨に口づけをして頬を擦りよせる。それから、呆気に取られて見つめるソテロに向かって口を開いた。

「契約通り、痛いのは我慢してあげるから、さっさと何とかしなさい!」

 女性の額には、大粒の汗が浮かんでいた。そして命じるような言葉を浴びせると、女性は再び金貨を愛でる作業へと戻る。

「……わかりました。そのまま、大人しくしていてください」

 ソテロは息を吐いて、右足の傷口へと向き直る。紅色のどろりとした液体が、傷口を覆っていた。暴れていたせいで、大量の液体がベッドに撒き散らされている。

「何をするの?」

 金貨を愛でつつ、女性が問う。ソテロは、女性の足首と膝に手を伸ばした。

「薬で作った肉を、あなたのものに馴染ませます。傷は、骨まで達していますので、神経の再生も行われます。痛みと、痒みが訪れますが、堪えてください」

 そう言って、ソテロが傷口に液体を擦り込むように手を動かしてゆく。

「くっ、ふふ……」

 女性の口から、声が漏れた。

「痛みますか? それとも、痒みが?」

 問いかけるソテロに、女性は目を向けようともしない。ひたすらに金貨を見つめ、薄笑いにも聞こえる音を発し続けている。

「お金に笑いかけてるだけよ。気にせず、続けなさい」

 ソテロは引きかけた身を留め、ただひたすらに傷口へ向き合った。薬が、肉と馴染み同化してゆく。薬を練り込み、マッサージするように揉み込んでゆく。そうすると、傷全体が薬で埋まっていった。ぎざぎざに裂けた皮膚の下に、柔らかい紅色の肉が定着する。それを見やり、ソテロは膝上を縛った止血の布を解いた。

「便利な薬ね。初めて見るわ」

 女性の声に、ソテロが顔を上げる。いつの間にか、女性の眼は金貨からソテロの手元へと向けられていた。

「大いなる神の慈愛と、森の癒し手たちの研鑽によるものです」

「前書きはいいわ。いくらになるかしら?」

「いくら……とは?」

 首を傾げるソテロに、女性は面倒そうに頭を振った。

「治療費よ。それから、動けるようになるにはどれくらいかかるかはわからないけれど、滞在費も含めて。ああ、ふっかけようとしても無駄よ? あたし、こう見えても医師だから」

 早口で言う女性の言葉に、ソテロは反応できずにいた。森へ来て以来、人間と話すことは絶えて無かったことだ。神の声を聞くことはあっても、それは会話ではない。ぽかん、と口を開けたままのソテロに、女性はさらに続ける。

「それとも、こちらで価値を見極めろ、ということかしら? 食えないじいさんね。まあ、いいわ。感じからして、神経も血管も、この薬ひとつでまかなわれている。凄いわ。どこの技術なのかしら。値をつけるとしたら……金貨、いえプラチナ貨を山積みにしても足りないかもしれない。けれど」

 女性の目が、ちらりと部屋のテーブルの下へと向けられる。じっと身を伏せたヴァイスが、女性を警戒するように眼を鋭く細めていた。

「あの白狼の飼い主があなただったとすれば、あたしは被害者。最先端医療は白狼の罪過と相殺するとして、あとはここの滞在費を割り出せばいいだけ。食事や介護の費用を考えれば、ひと月で金貨、三十枚程度かしら?」

 すらすらと吐き出される女性の言葉に、ソテロは目を白黒させる。その沈黙に、女性はさらに言葉を続けてゆく。

「もちろん、あたしの身体が欲しいなら、その分は差し引いて払うわ。でも、こんな辺境の奥の奥にあるような森に一人で暮らしているんでしょう? そっちは、考えないでもいいわね。何より、お金のやり取りだけのほうが、スッキリするし」

 にこり、と女性が口元だけで笑う。黙っていたソテロは、額に浮いた汗を拭った。

「お金は、いりません。これも神の御導き、そして癒し手の使命ですから」

 ソテロの言葉に、今度は女性が呆然とした。

「お金が、いらない? じゃあ、身体?」

 女性の言葉に、ソテロは首を横へ振る。

「受肉した足が元の感覚を取り戻すまで、好きなだけここへいてください。あなたが元気になるのが、私への報酬と考えていただければ」

「冗談じゃないわ!」

 穏やかに言ったソテロの言葉を、激昂した女性の声が遮った。女性の身体から、得体のしれない気配が立ち上り、それはソテロの大きな身体をぶるりと震わせる。

「いい? 価値あるものには、代価が支払われるべきなの。物品であれ技術であれ、何かをすればそこにコストが発生するの。そして利益を享受する者は、一方的であってはいけないの。それが、経済の基本なのよ!」

 上体を起こし、さらに立ち上がろうとした女性がよろめいて倒れた。

「まだ、無理をしてはいけません。神経が、再生されている途中なのです」

 倒れかかってきた女性の身体を押し止め、ソテロが言った。そのとき、ソテロの腰に差した白の杖が、りんと小さく鳴った。力を失いだらりと下がった女性の手の先が、ほんの少し杖を掠める。

「ぐ、ぅぅ……」

「だ、大丈夫ですか?」

 呻く女性をベッドへと押し戻し、ソテロが問いかける。

「な、何か、頭の中に……でも、そんなことはどうでもいいわ。頭痛くらい、よくあることだもの」

 身を横たえた女性が、ソテロへ顔だけ向けて言う。

「あ、あたしが動けるようになるまでの滞在費……諸経費込々で、いくらいなるか、ちゃんと計算しておくのよ、じーさん……えっと、なまえ、は?」

「私は、ソテロといいます」

「そう、ソテロさん。あたしは、ベアトリス。元……王都の、大病院の、医師……よ」

 辛そうな様子の女性の瞼を、ソテロは手を添えて閉じさせた。

「とにかく、今は眠りなさい、ベアトリスさん。お金のお話は、また目の覚めたときにでも」

「お金!」

 カッ、と目を見開いた女性だったが、すぐに力尽きたように目を閉じ、寝息を立て始めた。

「神よ……」

 深い眠りについた女性の前で、嘆息しつつソテロは立ち上がる。女性が暴れたおかげで、ベッドと周囲の壁や床は紅色の薬液でべっとりと汚れ、まるで凄惨な殺人現場のようになってしまっている。

「……これも、試練というものなのでしょうか」

 諦観を讃えた瞳で、ソテロが呟く。ヴァイスがそんなソテロを見やり、顔を伏せて眼を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ