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森の癒し手  作者: S.U.Y
ソテロ
13/22

第十三話 聖人と白狼

お待たせしました。新章開幕です。

 森の中を歩く足が、最近重くなりつつあった。頭髪も髭も、白くなっていた。老化による、体力の減少が原因だ。ソテロは自己診断を下しつつ、日課となっている聖堂への参拝へと向かう。

 森の中へ、教会を作ったわけではない。ソテロが向かうのは、熊たちが住処としている穴の中だった。白の杖を片手に、木の根をかきわけてソテロはその穴へと入ってゆく。迎え入れるのは、大柄なソテロに比べても巨大な一匹の灰色熊だ。のそり、と入ってくるソテロへ、跪くように身を低くして足をたたんでいる。

 熊の穴の最奥に、丸みのある石柱が一本立っていた。黒い石の表面は、磨き上げられたように滑らかだった。そして、その周囲の半円状の壁に、天使が舞っていた。

 本物の天使ではなく、それは岩壁に彫られた彫刻だった。美しい羽根を持ち、甲冑や布衣、あるいは全裸の姿もあった。天使たちは一様に、黒い石柱を見つめていた。それが、何を意味するのか。ソテロには解らない。ただ、岩壁に鑿を当てて、削り出すうちに天使たちが忽然と姿を現したのだ。

 黒い石柱の前で、ソテロは両手を合わせて膝を立て、目を閉じて神に祈りを捧げる。癒し手となってこの場所を見つけたときから、ソテロは一日も欠かさずに祈りを捧げてきた。

 瞑目し、ソテロは神に問う。癒し手とは、何であるのか。闇の中から、答えが返ることは無い。腰へ差した白の杖が、ぼんやりと光っていた。

 迷いを持つことなく、ただ救うべし。傷を癒すことが、汝の使命なり。静寂の中で、訪れた神の声にソテロは祈りを続ける。

 四足の獣が、石の床を叩く音が聞こえた。目を開けたソテロは、立ち上がり石柱に背を向ける。やってくるのは、白狼のヴァイスだった。ソテロを一瞥し、ヴァイスはくるりと身を翻す。りん、と杖の鳴る音が、聖堂に響き渡った。

「導きの、ままに」

 白の杖を手に、ソテロは歩き出す。穴を出て、ヴァイスが導く先は小屋のある方角だった。幾度もの往来で、穴と小屋の間は草が踏み固められ、道ができていた。その道を、ヴァイスはゆったりと歩いてゆく。木々の間を抜けると、やがて小さな広場へたどり着く。

 古びた一軒の小屋の隣に、墓石が据えられている。墓石の周りの黒い土の上に、白い花が整然と並んでいた。それはソテロが、植えて殖やしたものだ。

 小屋の側には、石の竈と小さな納屋があった。それを横目に、ヴァイスは小屋の扉を押して中へと入ってゆく。ソテロも、続いて小屋へと入った。

 簡素なベッドとテーブルの置かれた部屋の中央に、獣が横たわっていた。四足で、大きな牙を持ったそれは猪だった。茶色の毛並みは、わき腹のあたりが赤黒く染まり、濡れている。腹のあたりが小さく上下に動いているので、まだ息はあるのだろう。ソテロは膝をついて、猪の傷を診た。分厚い脂肪は裂かれているものの、内臓にまでは達していない。うなずいて、ソテロは小屋を出る。向かう先は、隣にある小さな小屋だ。

 納屋に扉は無く、壁に開けられた穴から入る。内部には木を組み合わせた棚が並んでいて、棚には大小様々の陶器の壺が置かれていた。ソテロは手のひらほどの大きさの壺を持って、小屋へと引き返す。

 床に横たわった猪が、薄く眼を開けた。見上げてくる小さな瞳に、ソテロは力強くうなずいた。

「大丈夫です。神の御手は、いかなる者にも差し出されるのですから」

 ソテロが壺の封を開けて、中の液体を手に零す。とろりとした、うすく緑のいろをした液体を、ソテロは猪の傷口へゆっくりと塗り付けてゆく。そうすると、猪の裂けた傷口が次第に塞がってゆく。それで、処置は終わりだった。

 身を起こした猪が、身を屈めたソテロの膝へ身体を摺り寄せてくる。壺の封を戻してから、ソテロは猪の背を軽く撫でた。

「あなたの行く先に、神のご加護があらんことを」

 とことこと歩き出した猪の背を、ソテロは聖印を組んで送り出す。猪の姿が森の中へ消えると、ソテロは部屋の中に座るヴァイスに向き直る。

「お導きを、ありがとうございました、ヴァイス様」

 深々とお辞儀をするソテロをよそに、ヴァイスは立ち上がって器用に椅子へ登った。大柄なヴァイスの重量に、椅子がぎしりと軋む。

「朝食に、致しましょうか」

 にこり、とソテロはヴァイスへ微笑み、テーブルの上から果実を取って差し出した。ヴァイスは口で受け取った果実を、上を向いて咀嚼する。ヴァイスの眼が、次を促してくる。果実を齧りながら、ソテロはまた新しいものを手に取った。

 食事を終えると、ソテロはヴァイスと共に小川へ行く。ヴァイスは狼であり、手を使って食事をすることができないのでどうしても食後は毛並みが汁で汚れてしまうのだ。それを洗い清めるのは、ソテロの役目だった。

「ヴァイス様、どうぞこちらへ。まだ、食べかすがついております」

 にっこりと笑うソテロの前で、ヴァイスは全身をぶるぶると震わせて水気を飛ばす。びしょ濡れになりながらも、ソテロの体勢は崩れない。心なしか嫌そうな足取りで身を寄せるヴァイスの全身を、ソテロは乾いた布で丁寧に拭き上げてゆく。

「人間以外のけものには、魂は宿ることはない、そう教えられてきましたが……思えば、それは神の御心を真に理解することの無い、浅はかな考えだったのですね」

 ヴァイスの口元の毛に絡みついた果実の破片を取り除きながら、ソテロはしみじみと呟いた。森へやってきて、癒し手として暮らしてゆくうちに、ソテロの前には様々な獣がやってきた。いずれも傷を負い、苦しげにしていたがソテロが治療を施すと皆、喜んでいた。そんな姿を見守るうちに、ソテロの中の神は姿を変えた。患獣を見つけ、時には連れて来るヴァイスは、ソテロの中で天の御使いとなっていた。

 ぶるり、とソテロの手の中で、ヴァイスが身を震わせる。一瞬の後、ヴァイスの大きな身体がソテロの腕の中からするりと抜けだした。

「ヴァイス様?」

 ソテロの上げた声には応じず、ヴァイスは猛然と森の中へと駆けてゆく。ソテロも白の杖をついて立ち上がり、ヴァイスの背中を追った。すでにヴァイスの姿は見えなくなっていたが、ソテロの足取りに迷いは無い。白の杖が、ぼんやりと光っている。先端から、鈴の音のような音が鳴る。それらは、ソテロに行く先を示すものだ。

 白の杖で地面を突くと、茂みがふたつに割れた。行く手を遮る木々でさえ、道を開けてゆく。老いた足で、ソテロは一直線にヴァイスの後を追った。

 しばらく、緑の道をソテロは歩き続けた。いかに道が均されているとはいえ、老体には酷な距離だった。ソテロは息を切らし、杖にすがりついてそれでも歩みを止めなかった。やがてソテロは、森の領域の外近くまで、歩いてきた。木々の間を抜けて、足を踏み出したソテロは目を見開く。

「ヴァイス様!」

 叫ぶなり、ソテロは懸命に駆けだした。ソテロの視界に入ったのは、足から血を流して倒れ伏す女性の姿と、そして今にも飛びかかろうとするヴァイスの姿だった。

「いけません、ヴァイス様!」

 倒れ込むように両者の間へ身を割り込ませ、ソテロはヴァイスに向けて両腕を拡げる。

「な、なにゆえ、このような、振る舞いを、なさるのですか!」

 顔面にいっぱいの汗を浮かべて、ソテロはヴァイスに対峙する。ヴァイスは牙を剥きだし、ソテロに威嚇の唸り声を浴びせた。

「なりません、ヴァイス様!」

 頭上を跳び越えようとするヴァイスの身体へ手を伸ばし、ソテロは抱きすくめる。ヴァイスの重量がのしかかり、ソテロは圧し潰されるように転倒した。だがそれでも、ヴァイスに回した腕は離さない。ヴァイスの爪が、ソテロの手足に傷をつけた。

「ぐう!」

 ソテロが、苦痛に呻く。ヴァイスの顔が、ソテロに向けられた。

「わ、我々は……い、癒し手なのです……ヴァイス、様……」

 息も絶え絶えに、ソテロは言う。その言葉に、ヴァイスの全身から力が抜けた。するりとソテロの腕からヴァイスが抜け出し、ソテロの腕の傷を舐める。

「お聞き入れくださり、ありがとう、ございます、ヴァイス様」

 のろのろと身を起こし、ソテロがヴァイスに一礼した。ヴァイスはソテロの足元で、倒れている女性に向かい低く唸る。だが、もう危険な感じは無くなっていた。

「今は、この女性を診なくては……」

 重い足を引きずって、ソテロは女性に近づいてゆく。白衣を身につけた、若い女性だった。白衣の下のシャツとズボンは上質な仕立てのもので、金糸が編み込まれているらしくきらきらと光を反射している。左足の、ズボンの一部が何かに咬みちぎられたように破けており、ふくらはぎのあたりは骨まで見えるくらいに肉も削がれていた。

「……ヴァイス様」

 傷を診たソテロが、ヴァイスの口元を見やる。そこには、血がべったりと着いていた。息を吐いて、ソテロは再び女性に視線を戻した。足の肉を咬みちぎられ、転倒した際に頭を打ったのだろう。女性は、気を失っていた。

 ソテロは僧衣の一部を裂いて、女性の左足を縛って止血をした。小柄な女性の身体を抱きかかえ、ソテロはヴァイスの背に乗せた。

「小屋へ、連れてゆきます。水薬での、治療が必要です、ヴァイス様」

 ソテロが言うと、ヴァイスは女性を乗せてゆっくりと歩き出す。重いのではなく、気が乗らないのだろう。熊や猪といった、女性よりも重量のある獣を軽々と運んでいた光景を、ソテロは幾度も見たことがあった。

「急がなければ、命に関わります、ヴァイス様」

 声をかけると、ヴァイスは唸り声を上げて駆け出した。

「……私も急がなければ、叱られてしまいそうだ」

 ソテロは呟き、身を翻す。その足元に、固い何かが当たった。

「ん? これは……金貨、か」

 拾い上げた一枚の金貨をポケットに仕舞い、ソテロはヴァイスの後を追う。手足に負った傷が熱を持ち始めていたが、ソテロは神へ祈ることによって痛みを無視し、先を急いだ。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

なお、ソテロの信仰する宗教は架空のものであり、実在する一切の宗教とはかかわりがありません。宜しくご理解のうえ、お楽しみください。

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