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森の癒し手  作者: S.U.Y
アル
12/22

第十二話 禁忌と継承

 男は沸騰した湯で小刀を洗い、僧侶の患部へと向き直る。

「……ここで、切るの?」

 少年の問いに、男はうなずく。

「時間が無いからね。ここで処置しなくちゃ、いけない」

 薬を塗布した指先を患部へと滑らせて、男はすっと刃を肌に入れる。新たな血の臭いが、森の中へと漂ってゆく。僧侶は深い眠りにあり、苦痛で身じろぎをすることも無かった。

「わかった。それじゃあ、俺は動物たちへ警告を出しておくね」

 手先に集中する男はうなずきもしなかったが、少年が杖を片手に駆け去ってゆく気配があった。血の臭いで、新たに動物たちが集まるのを避けるのは、必要な処置だ。男は心中で少年の機転に感謝をしつつ、焦る気持ちを押し殺して傷口を開いた。

「あった、これだ……」

 黄色い臓物の上に、紫色の肉の塊がへばりついて蠢いている。男は小刀の刃先に薬を塗りつけて、肉の塊を裂いた。びくん、と動いた肉の塊が、萎れるように動きを止めた。男は片手にピンセットを持って、その塊を慎重に取り除く。持ち上げると、塊の端から細い管のようなものが黄色い臓器に伸びていた。

 男は小刀の先端で、その管を切った。それで、処置は完了だった。肉の塊を小皿に載せて、男は針と糸に持ち換えて傷口を縫い合わせる。あとは、薬を塗れば終わりだった。

「竜にいさん、どうだった?」

 血まみれの手で、額の汗を拭おうとする男の手を止めて、歩み寄ってきた少年が布で汗を拭き取った。

「終わったよ、アル。君の薬のお陰で、後処理もスムーズに済ませられた。ありがとう」

 男の言葉に、少年は首を横へ振る。

「俺の、じゃなくて、プロストのだよ。エルフの秘薬ってやつ。あと、薬の材料は俺が集めたけれど、作ったのは竜にいさんじゃないか」

「僕じゃあ、作り方はわからない。それに、この森で材料を集められるのは、君だけだ。だから、君のお陰なんだよ、アル」

 小刀の煮沸消毒をしながら、男は言った。

「それじゃあやっぱり、竜にいさんには俺がいなくっちゃね」

 にっこりと、少年が微笑んだ。それから、白の杖の先端を、男の手へと近づける。

「何をするつもりだい?」

 男は声を上げ、少年を制止する。しかし、少年が動きを止めたのはわずかな間だった。

「癒し手の継承。森を離れるから、俺には癒し手を続けることはできないからね」

 少年がそう言って、ほのかに輝きをみせる白の杖を僧侶へと近づけてゆく。りん、と甲高い音が、ひとつ鳴った。男は小刀を湯から上げて、布で拭いつつヴァイスを見た。白狼は、静かな瞳で少年と僧侶を見つめて立っていた。

「……アル、待つんだ」

 カバンに小刀を仕舞い、男が再び制止の声を上げた。

「大丈夫だよ、竜にいさん。あとは、森がこの人を助けてくれるから」

 軽く言って、少年が杖の先端を僧侶の手の中へと握り込ませるように押し付ける。杖の放つ音が、大きくなった。

「アル……っ!」

 伸ばした男の手が、弾かれるように跳ね上がる。同時に、少年の身体が僧侶の上で崩れ落ちるように倒れた。


 黒い、空間の中に立っている。何もかもが闇に閉ざされ、辺り一面に広がっている。立っているのか、それとも浮いているのか、わからない。神に、祈りを捧げる姿が見えた。時に神は恵みを、また試練を与え給う。大地と共に生き、神殿の中で祈りを捧げる。穏やかで、それは満ち足りた日々の光景だった。なんで、この森に? 自分の意識の中から、幼い声が届いてくる。神ではない。神の声は、明確な意思を持たない。病魔に侵され、倒れ行く村人たちの姿が立ち現れる。恐怖に怯え、馬車で逃げ出した。血反吐を吐きながら、村人たちの怨嗟の顔が、ゆらりと歪んだ。貧しい、農村が見えた。それは、見たことのない風景だった。黒い雨が降り、作物が枯れてゆく。両手を合わせ、神に祈る。祈ったって、ダメなんだ。神様は、何もしてくれない。その通りだ。神は、手を差し伸べはしない。じゃあ、何で祈るの? 立ち上がる人々の、寄る辺となるために。じゃあ、立ち上がる力も、無い人は……安らぎと、新たな輪廻を与えてくださるのだ。そんなのって、救いでも何でも、無いよ。神は、求めるものを救うものにあらず。じゃあ、どうして……

 自分の中で、二つの意識が平行線をたどりながら混じり合ってゆく。そして聞こえてくる、声。白の森は、何人も来る者を拒まず。癒し手は、これを癒し森へ仕える者。白の森は、森の恵みを森のためのみに使う。何人も、これを持ち出すことは適わず。

 りん、と鳴る鈴の音を、聞いた気がした。何人もの顔が、胸の中へと入り込んでくる。女、鬼、エルフ、そして、最後に入り込んでくるのは、少年の顔だった。

 脳裏にもたらされるのは、数々の叡智だ。人を救い、動物を救い、魔物を救う。この世の生ある者全てを、救うもの。流れ込んでくるそれらは精密であり、膨大だった。これは、神の試練だ。膝をついて、闇の中で祈る。

 そっか。俺は……消えるんだ。そっと、呟くような声が胸のうちに響いた。何人も、森の中のものを持ち出すこと、森から何かを奪うことは許されない。たとえそれが、癒し手であっても。ごめんね、竜にいさん。悲しみとも寂しさともとれる感情の泡沫が、胸の中で弾けて消えた。


「……こ、こは」

 目を開けると、ソテロの視界には木々に包まれた空が見えた。手には、白い杖がある。

「目が、覚めたみたいだね。起きられるかい?」

 横合いから、男の声が聞こえた。知らない声だったが、それはソテロの中のどこかに懐かしく届いた。

「……は、い」

 白の杖を頼りに、身を起こす。同時に、周囲の木々から無数の鴉が飛び立ち、頭上を旋回し始める。

「あまり、激しい動きは控えたほうがいいかな。なにしろ、君のお腹はまだ縫ったばかりだから」

 声の聞こえるほうへ首を向けると、白衣を着た男が立っていた。右手に黒いカバンを持ち、背中にはぐったりとした子供の身体を背負っている。

「あぅ! なた、は……」

 腹部に走った痛みに顔をしかめつつ、ソテロが男に問いかける。

「僕は……旅の医師だよ。これから、旅を始めるところだけれど」

 子供を背負いながら、男は歩み去ろうとする。

「ま、待ってください! その、子供は……」

 男が、ソテロへ振り向いた。男の背中越しに見える子供の顔には、見覚えがあった。

「君は、この森で癒し手になることになった。引き寄せられて、この森へ来たのか、それとも偶然なのか……わからないけれど。僕は、残念だけれどもう行かなくちゃいけない。この子と一緒に、森の外へ」

 男の言葉は、耳に入り込んでは滑り落ちていく。

「俺を……置いて、行くの? 竜にいさん……」

 ソテロの口から、小さく掠れた声が漏れた。無意識に上げたその声を、ソテロは他人の言葉のように聞いた。

「……必ず、戻る。そう約束できれば、いいんだけれどね。何しろ、僕には前科がある。軽々しく、約束はできない」

 男はそう言って、困ったような笑顔を浮かべた。ソテロの胸に、不意に痛みが到来する。胸に手を当て聖印を指で描き、男に首を垂れた。

「あなたの旅路に、神のご加護のあらんことを」

 目を閉じ、祈りを捧げる。自分の中で、何かがゆっくりと鎮まってゆくのを感じた。

「行こうか、アル……」

 男が子供の抜け殻にそう言って、踵を返して歩き出す。ソテロは足音を聞きながら、ずっと祈りの姿勢でいた。やがて、頭上から羽音が消えて鴉たちが姿を消した。ゆっくりと目を開けたソテロは、周囲で円を描き膝を折って身を伏せる獣の群れを見やる。猪や、熊の背中が並んでいた。

「これも、神の試練ですか……信仰を、同胞を捨てようとした、罰なのですか……」

 呟くソテロの前に、美しい白狼が音もなく現れる。

「あなたが……神、ですか?」

 ゆったりと立つ白狼へ、ソテロは頭を下げた。

「死んで当然のこの身に、新たな試練をお授けくださったことを、感謝いたします」

 顔を上げると、金色の双眸がソテロの瞳を覗き込んでいた。

「ヴァイス様。どうか、この身朽ち果てるまで、森に仕えることをお許しください」

 ソテロの手の中で、白の杖が輝き、りんと音を鳴らした。満足げに首をうなずかせたヴァイスがその場で身を翻し、ゆっくりと歩き始める。木漏れ日の光に目を細めつつ、ソテロは立ち上がりヴァイスの後を追うのだった。

ここまでお読みくださり、ありがとうございます。これにて、アルの話は終わりとなります。

続きはまた、来週となります。楽しみにお待ちいただければ、幸いです。

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