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森の癒し手  作者: S.U.Y
アル
10/22

第十話 造人と異変

お待たせいたしました。新章開幕です。

 森の緑の中に、白く美しい狼の姿があった。狼にしては大柄で、威風と気品を持った佇まいをしている。森を優雅に歩く姿は、見ている人間がいれば感嘆の息を吐くほどの静謐さがあった。

 白狼は時折地に鼻をつけて、臭いを確かめながら歩いていた。昼時を過ぎたばかりの森にはリスやウサギといった小動物の姿が見受けられるが、白狼はそれらを狩りたてることはしない。それが解っているのか、小動物たちは暢気に白狼を見送っていた。

 白狼が、足を止める。目の前にあるものの臭いを嗅いで、顔を上げた。白狼の咽喉奥から、高く細い声が森に響いてゆく。突然の遠吠えに、小動物たちは木陰や巣穴へ身を隠した。

 白狼の足元には、傷つき地に伏した鴉がいた。羽根をたたんで、ぴく、ぴくと足を痙攣させている。嘴の根元から、赤黒い泡を吹いていた。地上に落ちて暴れたのであろうか、艶を失った黒い羽毛があちこちに散乱していた。

 ばさばさと音立てて、周囲の木々に鴉がやってくる。木々を埋め尽くすほどの鴉は、森じゅうから集まってきたのだろう。白狼と瀕死の仲間を囲んで、姦しく鳴き声を交わす。木々の上で輪を作る鴉の中で、白狼はじっと座って待っていた。

 やがて茂みを揺らし、一人の人間の少年が姿を見せた。しなやかな手足と、利発そうな瞳をした、造り物めいた美しさを持つ少年だった。

「ヴァイス。今日は一体何を見つけたの」

 言いながら駆け寄ってくる少年の手には、白い杖が握られている。りん、と音立てるそれは、白狼にとっては相棒ともいえる、白の杖だ。

 少年を見やり、それから白狼は足元の鴉に視線を向ける。

「こいつ……怪我、してるの?」

 鴉に目を向けた少年の顔が、厳しいものになる。森の癒し手として、少年はいまだ未熟だった。癒し手は、性質に合わせた動物たちに好かれることとなる。少年の場合は、鴉だった。多くの鴉たちを癒してきたのはしかし、少年ではない。少年と、共にいる名を捨てた男だった。

「竜にいさんに、診てもらわないと」

 少年は提げたカバンから手拭いを取り出し、鴉をそっと包む。それを確認してから、白狼は身を翻し、さっと走り出す。流れる景色の中で、少年の立てる足音が遠ざかっていった。

 深い森の中にある、たった一つの人工の建築物である小屋の前まで、白狼はひと駆けでやって来る。小屋の側に立てられた二つの石の墓標に、軽く視線を向ける。

『シェラ グレイ』

『プロスト』

 二つの石に刻まれた文字は、掠れて読みにくくなっていた。墓の前で少しの間、白狼は佇む。墓石の下に生えたタンポポの花が、風に揺れた。

 わずかな時間、瞑目していた白狼は小屋に向かって歩き出し、入り口の戸を鼻先で開く。ぎしり、と戸が軋み、小屋の中にさっと風が流れ込んだ。

 内部にはベッドがひとつと、テーブルと本棚がある。本棚の前の床には草を編んだ敷物があり、その上に白衣を身に着けた男が本を読んでいた。

 本に顔を埋めるようにして、男は読書を続けていた。白狼の入ってくる音は聞こえていたのだろうが、男に反応は無い。ぼろぼろの、背表紙の無い本をひたすらに読んでいるのだ。

 白狼は男に近づき、白衣の裾を咥えて引いた。

「……やあ、ヴァイスくん。どうしたんだい?」

 穏やかな声とともに、男が白狼へ顔を向ける。風采の上がらない中年男の丸メガネが、白狼の瞳を映した。白狼は黙って、小屋の隅にある男のカバンを首で示す。

「急患かな? 今度は熊かい? それとも、狼?」

 言いながら、男は本棚に本を戻して立ち上がる。男が伸びをひとつすると、ばきりと腰で音が鳴った。長い間、男は座ったままでいたのだろう。草の敷物は、男の尻の形に窪んでいた。

「竜にいさん、ちょっと診てほしいのがいるんだけど」

 小屋の入口が軋み、少年が姿を見せた。

「やあ、アル。おはよう」

 男はカバンを開けながら、少年のほうを見やる。少年の持つ布に包まれて震えているのは、一匹の鴉だ。口から吹いている泡は、青紫に色を変えていた。

「竜にいさん、こいつ、かなり弱ってる」

「わかった。すぐに診るよ」

 会話を聞きながら、白狼はテーブルの下へと潜り込む。狭い空間で器用に身を回し、視界に男と少年を収めた。

 少年と男は、二人で一つの癒し手だった。白の杖を持つ少年が森で薬草を集め、男が調薬する。そして少年が患獣を連れてきて、男が癒す。そうして、癒し手の使命をこなしているのだ。

「……これは」

 鴉の胸に指で触れた男の顔から、表情が消えた。

「どう、竜にいさん?」

 問いかける少年に、男は首を横へ振る。

「残念だけれど、もう助からない。救けてあげることが、できない……」

 肩を落とし、男はカバンから小刀と小皿を取り出す。

「竜にいさん……」

 心配そうに、少年が男の顔を覗き込む。

「アル。この子の周りに、他の鴉はいなかったかい?」

 鴉の嘴の根元に小刀を当てて、泡を掬い取りながら男が聞いた。

「いたよ。杖持って行ったから。みんな集まってた……竜にいさん?」

 少年の言葉に、男は苦悶の表情を浮かべた。

「今から言う薬草を、集めてきてもらえるかい? できるだけ、急ぎでね」

 掬い取った泡を、男は小皿に移した。じゅくじゅくした、黄色い膿のようなものが小皿に載せられた。

「……うん、わかった」

 少年はうなずいて、いくつか名前を聞いた薬草を求めて小屋を飛び出していく。少年を見送ることもせず、男は皿の上のものに鋭い視線を向けていた。

「これは、間違いない……どうして、こんなものがここに」

 震える声で、男が呟く。そして男は小皿を傍らに置いて、末期の痙攣をする鴉に正対した。

「すまない……君の命を、救ってあげることができなくて……」

 ぎり、と男の握った拳が鳴った。鴉は、か細い声で一声鳴いて、動きを止めた。赤黒い血の混じった糞を出しながら、鴉は目を閉じる。男は、じっとそれを見つめていた。

 しばらくして、男は別の小皿を取り出して、鴉の糞をそこへ載せた。続いてカバンから取り出すのは、青い薬瓶だ。ちゃぷん、と瓶の中の液体が揺れる。

「これは、僕の罪だ……」

 瓶の封を解き、男は黄色い膿の載った小皿へ液体を垂らす。じゅっと音を上げて、黄色い膿が白い煙を出して縮んでゆく。

「僕がいなくなれば、そう思ったけれど……何も変わらない」

 男はさらに、糞の載った皿にも同じように液体を垂らした。黄色い膿ほどではないが、こちらも白い煙を出した。

「僕が、変えなくちゃいけないんだね……シェラさん」

 男は、小皿を置いて本棚に向き直る。

「あのとき、くだらないと一笑に付した貴方の本は、僕に命の大切さを教えてくれた……無明の闇に、差し込む光のように」

 男はカバンから、調薬鉢を取り出す。その細い瞳には、決意があった。男は湯を沸かし、小刀を湯の中で洗う。研ぎ澄まされた銀の刃が、小屋に差し込む光を反射して煌いた。

「僕は……使うよ。僕に与えられた、全ての力を……」

 男は小刀を右手で握り、左手の指の腹に刃を当てた。男の指の肉に、銀色が食い込む。ぷつり、と男の指から、血が滴り調薬鉢へと落ちた。

 テーブルの下で、白狼は全身の毛を逆立たせた。ぐるぐる、と咽喉の奥から自然に唸りが生まれる。男の手元の鉢に、強い異物がある。それを感じて、白狼は恐怖と警戒に牙を剥きだした。

「大丈夫だよ、ヴァイスくん。そんなに警戒しなくても、これは君たちに害をもたらすものじゃないから」

 背中を向けたまま、男は言った。かちゃかちゃと、鉢をかき混ぜながら男はいくつかの薬品を投じてゆく。

「あとは……アルの到着を、待つだけだ」

 調薬を終えたらしい男が、鴉の遺骸を持ち上げた。

「ヴァイスくん、僕はこの子を送ってあげないといけない。薬の番は、任せていいかな?」

 声をかけてくる男に、白狼は静かにテーブルの下から這い出て鉢の前に座った。男は微笑み、そのまま外へと出て行った。しばらくすると、ぱちぱちと薪の爆ぜる音が外から聞こえてきた。男が火を熾し、何かを燃やしているのだろう。白狼は入口を見やり、目を閉じて細く吠えた。

 少しして、少年が戻ってくる気配があった。薬草を抱えた少年と手ぶらの男が入ってくるのを、白狼はテーブルの下へ戻りながら見つめるのであった。

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