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ゆきうさぎと冬の女王の葬列

作者: 山本アヒコ

 雪が降っている。静かにはらはらと、ひどく冷たい空気に比べるとささやかに。

 景色は全て雪で埋められていた。葉を落とした木々は厚く雪をまとい、地面は雪に覆われていない場所はない。

 長い冬は雪を積もらせ、人が歩こうとすれば大人の膝まで埋まるほどだ。ここまで積もることは珍しいどころか、この国の長い歴史でもこれまで無かった。

 なぜこれほど雪が積もり、長い長い冬が訪れたのか。それは冬の女王のせいだった。


 白く小さな雪が降り続ける寒空のなか、ずっと立ち尽くしている人影が多数あった。彼らは鎧を身に着け、腰に剣と手に槍を持ったこの国の騎士たちだ。

 騎士たちを空高くから見ると、大きな円を描いている。その中心には、地面から空へ一直線にのびる、高い塔があった。大きな四角い岩でつくられた塔は見るからに頑丈そうだ。出入り口である大きな扉は分厚い鉄製。表面には美しい文様が装飾されていて、この塔がとても大切なものだということが見て取れる。

 周囲を囲む騎士たちは、塔から離れた場所に立っていた。もともと塔は騎士たちのような身分の人間が、おいそれと近づける場所ではないのだが、それだけではない。騎士たちが作る円の内側に、もうひとつ円が存在していた。

 白く、小さいものが作る円は塔の周囲をぐるりと囲んでいる。まるで塔を守るように。

 塔を守る小さな騎士とも言えるその姿は、うさぎであった。

 長い耳と赤い目、全身真っ白のうさぎが、何百匹も集まり、塔を囲んでいる。

 それは騎士たちと同じだが、向いている方向が違う。騎士は塔へ顔を向けているが、うさぎたちはその逆、塔へ背中を向けて騎士たちを見ている。

 この奇妙なにらみ合いは、始まってすでに数か月も経過していた。

「うう、寒い」

 塔を囲む騎士の一人はそう言って、自らの身体を抱きしめながら白い息をはく。隣に立っていた騎士も、同じように重い溜息をはいた。

「はやく春の女王様が来てくれないもんかなぁ」

「でも春の女王様は、冬の女王様が出てくるまで城から出ないって言ってるんだろ」

「そうらしいな。このまま冬が続いたら、凍え死んでしまう。それに食料ももう少ない」

 最近では食料節約のため、朝と夜の二食だけになった。さらに量も少ない。

 空腹を思い出した二人は、薄くなった腹を押さえる。しかしそれで空腹がまぎれるわけではない。

「やっぱり無理にでも塔の扉を開けるしかないんじゃないか」

「やめておけ。うさぎたちに押しつぶされるだけだぞ」

 すでに何度か塔の扉を開けようとしたのだが、毎回うさぎたちが大量に飛びかかってきて、そのまま押しつぶされてしまったのだ。しかもうさぎたちは、ただのうさぎではない。冬の女王に従う冬の精霊、ゆきうさぎなので、体は雪でできていて冷たい。ゆきうさぎたちに押しつぶされるということは、雪に埋もれるということと同じだ。そうなると寒さで凍えてしまい、体調を崩してしまう。

 騎士は高い塔を見上げた。そこには雪の女王がいる部屋がある。

「雪の女王様はいったい何を考えているのだろう」

 荘厳な塔は、壁も窓も扉もすべてが氷に包まれてしまっている。それはこの塔から出ようとしない、冬の女王の心を表しているかのようだった。


   *****


 この国の季節は、それぞれの季節の女王によって巡っている。

 春には春の女王が、夏には夏の女王が決められた期間を塔で住むことで、その季節が訪れる。これは何百年も前からの決まりだった。

 これまでその決まりがやぶられた事は無く、この国は長い平穏の年月を繰り返していた。なので、冬の女王が塔から出てこないという知らせを聞いた王は、何かの冗談だと思い笑った。しかし目の前でその報告をした老人、国の宰相が真剣な顔で黙っているので、それが本当なのだとやっと理解する。

「もう一度聞くが、それは本当なのか」

「はい。この目でしかと見ましたので。王は今年の冬が長いと思われませんでしたか」

 確かに今年の冬は、例年よりすでに一ヶ月ほど長く続いている。しかし十日程度ならば毎年それぞれの女王の機嫌で変化するので、少々の違いは誰も気にしてはいない。だが一ヶ月となるとさすがに長い。

「ふうむ。冬の女王に呼びかけはしたのか」

「はい。ですが返事はありませんでした。またそれだけではなく、塔にもこれまでには無かった変化があるのです」

「なんだそれは」

「塔が氷漬けにされているのです。壁も窓も扉もすべてがです」

 王はひじ掛けに腕を乗せ、豊かにたくわえたヒゲを指で触りながら言った。

「それだけか。ならば扉を温めるなり叩くなどして、扉を開けてしまえばよいではないか」

「それはすでにやってみました。しかし、できなかったのです」

 王は眉間にしわをつくり、細めた目で宰相を見た。

「何があった」

「ゆきうさぎたちに妨害されたのです。扉を開けようとした騎士たちに次々と飛びかかり、その体で押しつぶしてしまったのです。知っておいででしょうが、ゆきうさぎは全身が雪でできた冬の精霊です。ゆきうさぎに押しつぶされた騎士たちは、誰もが体調を崩して寝込んでいます」

 王は腕を組むと目を閉じ、低い唸り声を漏らす。

 百年以上この国では、女王の交替によって季節が巡っている。これまでにこんな問題が起こったことはなかったため、王はどうすればいいかわからなかった。

「そうだ。他の女王に何か知らないか聞いてみたらどうだ」

「では使者を向かわせましょう」

 王は春夏秋の女王に手紙を書き、送った。

『冷たく吹く風の中、冬を楽しく暮らしているだろうか。実は聞きたいことがある。冬の女王が塔に入ったまま出てこない。呼びかけても返事は無く、塔は氷に閉ざされてしまった。扉を開けようとするとゆきうさぎに阻まれる。なぜこんなことを冬の女王がしているのか、それを知ってはいないだろうか』

 数日後、女王たちから返事が届く。しかし、誰もなぜ冬の女王が塔に閉じこもっているのか知らなかった。

 王は頭を抱えながら、もう一度女王たちからの手紙を読む。


 春の女王の手紙には『季節の訪れを知らせる使者は送りましたが、特におかしなことはありませんでした』

 夏の女王の手紙には『私と違い、冬の女王は常に冷静で、心を乱すようなことはありえない。何かの間違いだろう』

 秋の女王の手紙には『あまり話したことがないからそんなことは知らないわ。しばらくしたら飽きて出てくるんじゃないかしら』


「誰も知らないということか」

 王は力なく手紙をしまう。椅子にもたれかけると頭上を見上げた。そこには城の天井が見えるだけど、よい考えが書いてあるわけではない。

 考え込んでいる王を見て、宰相は言う。

「しばらく待っていてはどうでしょうか。そのうち冬の女王様が出てくるか、出てこなくとも何か言ってくるかもしれません」

「そうだな。そうするしかない、か」

 しかし、一ヶ月二ヶ月、半年経過しても冬の女王は塔から出てこない。雪は降り積もり、国の道も畑も、山も森も雪で覆われてしまうのだった。


   *****


『春の女王へ。季節の訪れを知らせる使者から手紙を受け取りました。ではこの日に交替いたしましょう。そちらの領地の果物、今年もおいしくいただきました。新しくいらした使者はずいぶん若いのですね。しかし丁寧で優しく、お話もとても面白かったです』

『冬の女王へ。新しい使者がずいぶんお気に召したようですね。そのことを使者に伝えると、とても喜んでいましたよ。そしてあなたのことを、ずいぶん褒めていました。なんでも、美しくきれいで息ができないほどだったと。さらに、みんなは冬の女王様は雪と同じ冷たい心しているなんてとんでもない、緊張して転んでしまった自分を優しく手当してくれた。そんなに緊張しなくて大丈夫だと、優しく頭をなでて笑ってくれた、と。あまり笑わないあなたが笑顔を見せるなんて。来年も同じ使者を送ります』

『春の女王へ。あの使者はそんな恥ずかしいことを言っていたのですか。それはちゃんと叱っておかなければいけません。来年を楽しみにしています』


   *****


 冬の女王は半年が経過しようというのに、塔から出てくることもなければ何か言ってくることも無かった。

 雪が積もったままでは畑を耕すこともできず、作物も育たない。食料も薪もすでに残り少ない。このままでは人々が暮らしていけない。

 王は春の女王に、なんとか塔へ入ってもらえないかと頼んだが「冬の女王が出てくるまで塔に行くつもりはない」と断られた。

 夏の女王にも頼んだが「冬の次は春なのだから私が行くと季節が狂ってしまうのではないか」と言われてしまった。たしかに前例が無いことなので危険性を考えて中止された。

 秋の女王にも頼んでみたが「そのうち何とかなるって」と軽く言われてしまい、王は思わず怒鳴りかけたが、かろうじて自制することができた。

 王は心労で、すっかり痩せてしまった。肩を落として執務室の机で仕事をしていると、同じく痩せてしまった宰相が入ってきた。王より年上で髪もヒゲも真っ白な彼は、今にも折れそうな枯れ木に見間違えてしまいそうだ。

 王がその姿を悲しげに見ているが、宰相はそれをまったく気にしていない様子で、王の前へ書類を置く。王は机からそれを取りあげ、何枚か目を通す。

「食料と薪の貯蓄量か」

「はい。このままではあと数ヶ月しかもちません」

「どうすればいいのだ」

 王は机に頭を抱えたまま倒れこんだ。そのはずみで何枚か書類が床に落ちたが、王も宰相も気にしない。そんな事を気にしているほど余裕は無いのだ。

 季節の女王たちに対処を断られた王は困り果て、お触れを出した。


『冬の女王を春の女王と交替させた者には好きな褒美を取らせよう。ただし、冬の女王が次に廻って来られなくなる方法は認めない。季節を廻らせることを妨げてはならない』


 だが人々にとって季節の女王は偉大で高貴な神様に近い存在で、それをどうにかできるなど、誰も考えることができなかった。できることといえば、静かに家で祈ることぐらいだった。

「なぜ冬の女王は塔から出てこないのだ。なぜだ。どうすれば」

 苦悩する王に何も助言することもできず、宰相はただ静かに立っていることしかできなかった。その事に歯噛みしていると、執務室の外の廊下を走ってくる音が聞こえた。

「失礼します、王様」

 勢いよく扉を開けたのは宰相の部下の男だった。全力で走ってきたらしく、息はあがり額に汗も浮かんでいる。

「何があった、そんなに息を切らして」

「じょ、女王様、が」

「なに。まさか冬の女王が出てきたのか」

 王が思わず大きな声を出すが、男は小さく首を左右に振る。

「違います。その、春と夏の女王さまが、城に来たんです」

「なんだと、本当か」

「は、い。急に城へ来たようで、知らせを受けて走って、お知らせに、来ました。の、で、もう城内には入っておられるか、と」

「そうか。宰相、行くぞ」

「はい」

 王は先ほどまでの苦悩を消し去り、威厳ある表情と態度で廊下を歩く。その後ろを宰相とその部下が付き従う。向かったのは、城のなかで最上級の客をもてなすための部屋だ。中にはすでに春の女王と夏の女王がソファーに腰かけていて、紅茶を飲んでいた。

「ようこそ、春の女王と夏の女王」

 春の女王はカップを置くと小さく頭を下げる。いつも朗らかで優しい雰囲気のはずの春の女王だが、今の表情はやけに暗い。

 王はそれに気づいたが、夏の女王が立ち上がったのでそちらへ顔を向けた。

「まどろっこしいのは私の趣味ではない。なぜ私たちがこちらへ来たのか、まず説明させてもらう」

「聞こう」

 王も立ったまま夏の女王の話を聞く。春の女王はソファーに座ったまま、顔をうつむけている。組んだ両手は小さく震えていた。

「私たちは、冬の女王を塔から引きずり出しに来たのだ」

 あまり穏やかではない言葉に、一瞬王は眉をしかめた。

「それは、なかなかに乱暴なやり方だな。それで問題が起こったらどうする」

「すでに問題なら起こっているだろう」

 夏の女王は憤りを込めた言葉を放った。もともとどの女王より凛々しい顔をしている夏の女王だったが、今の表情は敵を前にした歴戦の将軍と見違えるほどだ。それほどまでに、夏の女王は怒っていた。

「冬が終わらず、私の領地の民は、誰もが寒さに震え飢えに苦しんでいる。すでに備蓄も底が見えてきた。このままではいつか死人がでる」

 そう語る夏の女王の目には殺気が宿り、王の後ろに立つ宰相の部下が思わず悲鳴を漏らすほどだった。王はその目を向けられながらも、表情を変えない。

「なるほど。確かにそうだが、無理矢理に女王の交替を行って季節を廻したことはない。これまでは自主的に女王が塔を出ていた。もし季節が狂ってしまえば、さらに重大な問題が起きてしまうかもしれん」

「だからといって、黙って見ているつもりは、私にはない。なので他の女王に協力を頼んだのだが、秋の女王には断られた。春の女王はというと」

 夏の女王は、春の女王へと顔を向けた。王もそちらを見ると、春の女王はいまだ顔をうつむけたままだった。こちらへ顔を向けようともしない。

「こうなのだ。以前の交替の際に何かおかしな部分はなかったのか質問したが、特に問題は無いとしか言わない。そこで今回塔へ季節の訪れを知らせに向かった使者から情報を得ようとしたのだが、その使者はいないと言う。どこへ行ったと聞けば、わからないと」

 鋭い目つきで夏の女王が睨むが、春の女王は動かない。ただじっと両手を組んで座っている。

 王も春の女王を見ながら、指でヒゲを触る。考え事をするときの癖だ。

「つまり、春の女王は冬の女王が塔から出てこないことについて、何か知っている。しかし、それを話そうとしないということなのだな」

「そうだ。私が無理矢理にでも冬の女王を塔から出すと言っても、反対しなかった。ここに来るまでもいろいろ質問したが、何も喋らなかったのだ。冬の女王とお前のあいだで何があった」

 最後の言葉は春の女王に向けられた。しかし、その強い言葉にも彼女は反応しない。

 腕を組み、大きなため息をもらす夏の女王。王はしばらく思案した後こう言った。

「わかった。冬の女王を塔から出そう」


   *****


 氷漬けになった塔の前に、王と夏の女王が立つ。その後ろに春の女王が暗い表情で立っていた。その周囲を騎士たちが囲んでいる。これから何が起こるのか誰もが興味津々で三人を見ていた。

 夏の女王が数歩前へ踏み出す。視線の先には氷漬けになった石造りの塔と、その周囲を囲むゆきうさぎたち。

「融かされたくなかったら、横へ逃げろ」

 夏の女王は塔の大きな扉へ向けて、ゆっくり手をかざす。すると冬の冷たい空気だというのに、もうもうと白い煙をあげながら氷がとけていく。扉だけでなく塔を包んでいた氷もとけ出し、さらには地面に積もった雪も消えて夏の女王の足元から、塔の扉へと続く道がつくられた。

 その様子を見ていた騎士たちに、驚きのどよめきが広がる。

「さあ、行こう」

 夏の女王は返事も待たず塔へ向かって歩き始めた。王もそれに続こうと一歩踏み出し、後ろを振り返る。見えたのは、うつむき気味で立ち尽くす春の女王だ。しかし何も言わず、王は顔を戻すと塔へ向かい歩き始めた。

 しばらく黙って立っていた春の女王は、ゆっくりと塔を見上げる。塔の最上階、季節の女王が暮らすための部屋、冬の女王がいるはずの場所を。

 そして春の女王は、重い足取りで塔へ向かいはじめた。表情は硬く、唇をきつく噛み締めている。この先に悲しい出来事が待ち構えていることを知っていて、それをどうにかして耐えようとしている、そんな顔だった。


 塔の中に入った王は、周囲を興味深く見まわしていた。これまで塔に入ったことはなかったからだ。

 この塔は季節の女王のためのもので、それ以外の誰かが入ることはほとんどない。基本的にこの塔では、季節の女王が一人で暮らす。掃除や料理などは専門の女性が世話をするのだが、朝に塔へ来て夜には帰る。

 塔が氷漬けになってからは、誰も塔の中へは入っていない。つまり半年以上掃除など行われていないはずだが、それほど埃がたまっている様子は無かった。それどころか、つい最近まで誰かが掃除をしていたような気配さえある。

「この塔には冬の女王しかいないはずなのだから、彼女がやったということか」

 前を歩いていた夏の女王が振り向き、王へ声をかけた。

「物珍しいのはわかるが、遅いぞ。ならば私はお前を置いて先に行く」

 いつの間にか王と夏の女王の距離は、かなり離れてしまっていた。夏の女王はすでに塔を上がるための螺旋階段を、けっこうな高さまで上がっている。

 王は若いころとは違い重い体を必死で動かし、急な階段をなるべく急いで上がった。その後ろを春の女王が静かに歩いている。

 王が最上階にたどり着いたときには、すでに部屋の扉は開かれていた。部屋の中に夏の女王はいるのだろう。王は階段を上り続けて疲れていたため、しばらく呼吸を整えて部屋へ足を踏み入れた。

 部屋の中は季節の女王が住む部屋にしては、とても質素な様子だった。部屋はそれなりに大きいが、家具が少ない。小ぶりのクローゼットに小さなテーブルと本棚程度。窓も小さくランプにも火が無いため、若干薄暗い。

 ただしひとつだけ、ふさわしい大きさのものがあった。それは部屋の中央にある、天蓋付きのベッドだ。金と銀の装飾で飾り付けられ、複数の色の薄絹で囲まれたベッドは、女王が使うのにふさわしいものに見えた。

 夏の女王は入り口に立つ王に背中を向けるかたちで、そのベッドの傍らに立っていた。どうやらベッドの上を見ているようだ。王は夏の女王の横へ立ち、ベッドを見る。そして、言葉を失った。

 雪のように真っ白なシーツの上に、冬の女王が寝ている。シーツよりも白いのではないかと思える肌と、そこから浮かび上がる鮮やかな色の唇に伏せられた目の長いまつ毛。それは世界で一番の腕を持つ彫刻家でさえ作り出せない、極上の美しさだった。

 しかし、何度もその姿を見たことがある王は、冬の女王の美しさに言葉を失ったわけではない。ベッドに寝ていたのは冬の女王だけではなかったからだ。

「これは誰だ」

 冬の女王の横にもう一人、誰かが寝ていた。年齢はおそらく二十代。若いが、特徴はそれだけでしかなかった。どこにでもいるような、平凡な顔立ちの男。服装も平民が着るような粗末なものではないが、貴族が着るほど上等な代物ではない。

 彼だけなら特に違和感がないだろうが、あまりにも美しい冬の女王の隣では途方もなく異質な存在にしか見えなかった。

「王よ、この男が何者か知っているか」

「いや、まったく知らない。私に聞くということは、夏の女王も知らないということか」

「ああ」

 二人は言葉もなく立ち尽くす。そもそもこの塔には、冬の女王だけが暮らしているはずだった。それなのに、誰だか知らない男がいて、しかも二人で同じベッドに寝ている。どういう原因があってこんな事態が起こっているのか、混乱するばかりで何かを考えることもできなかった。なので春の女王がいつの間にかやって来たことも、知ることができなかった。

 ベッドの傍らに立った春の女王は、ベッドの上の冬の女王を見ると手で口を押さえ、涙を目に浮かべながらその頬へ手をのばした。

「ああ、まさか、こんなことになるなんて」

 そのまま春の女王は床へ膝をつき、冬の女王を抱きしめながら声を押し殺して泣き始めた。

 夏の女王は何か言おうとしたが、王はその肩に手を置いてやめさせる。春の女王が泣き止むまで、しばらくの時間が必用だった。


   *****


『今から十年以上前のことです。冬の女王と交替してしばらくすると、彼女から手紙が届きました。そう、驚きですよね。あの冬の女王から手紙が来たのですから。

 知っての通り、冬の女王は口数が少なく、感情もあまり変化しなくて、いつも静かで好きなものや趣味もない。他人に無関心で、誰かと手紙のやり取りなどありえない。それがこれまでの印象ですよね。

 ええ、そう。私も夏の女王も、きっと秋の女王も冬の女王から手紙なんて、それまで一度ももらったことは無かったわね。冬の女王以外とはたまに手紙のやり取りをしていますが。

 最初にもらった手紙には、交替する日の承諾、贈り物の果物のお礼、そして季節を告げる使者について。

 冬の女王はその使者を、ずいぶん気に入った様子でした。その事を使者に教えると、彼は驚くべきことを言ったのです。

 それは『冬の女王様の笑顔はとても美しかったです』と。

 二人とも驚いていますね。私もそれを聞いたとき驚きました。あの冬の女王が笑顔を見せるだなんて。

 私は何度も聞きました。使者は嘘ではないと、何度もその笑顔の素晴らしさを教えてくれました。そこでやっと信じることができたのです。冬の女王が笑ったのだと。

 私は二人の相性がとても良いのだと思い、翌年も同じ使者を送りました。

 季節を告げる使者は、城の使用人見習いや新人を使います。その年だけ、あるいは数年でその役目は終えます。しかし、冬の女王からその次の季節の変わり目になると、同じ使者を送ってくれるようお願いする手紙が届きました。また、使者ももう一度やりたいと言うのです。それが繰り返されて、今に至ります。

 なぜそうしたのかというと、もちろん二人の仲が良かったからです。ですが、それだけではなく、私の願いでもあったからです。

 最初は冬の女王から手紙をもらったのが嬉しかったからです。だって、あの冬の女王からですもの。手紙どころか会話もほんとどしないのですから。もう何度、季節を交替するときに話しかけたことか。私がどれだけ話しかけても、一言ぐらいしか喋らなかったのに、この使者を送るようにしてから立ち話どころか、しばらくお茶をしながらおしゃべりまでするようになったのですから。

 ええ、夏の女王が疑うのもわかります。ですがこれは事実なのです。喜怒哀楽を見せなかった彼女が笑い、お茶をしながら乙女のように恋愛について語り合う。私は、それが本当に楽しかったのです。

 そうです。冬の女王は恋をしていたのです、季節を告げる使者に。

 最初に使者を送ったころは、まだ幼い子供でした。その頃はまだ冬の女王は恋をしていたわけではないでしょう。

 それが何年かすれば、子供は少年となり、青年となる。

 そう、永遠に年をとらない私たちとは違い。

 そうですね、夏の女王ならそう言うと思っていました。私も恋をしたことはありません。ですが物語を読み、それに憧れることはありました。

 それを何度か冬の女王に話したことはありましたが、何も言わず無視するだけでしたね。

 でもそんな冬の女王が恋をするなんて。頬を赤く染めながら使者とどんな話をしたのか、そう、のろけ話をしている彼女の姿をあなたが見たら、きっと驚いて卒倒してしまったでしょうね。

 はい、わかっていましたよ。季節の女王の恋物語が、悲劇に終わることは。

 季節の女王は年をとらない。季節を廻らすためにはそうしなければなりませんから。

 冬の女王も、最初ははじめての恋に舞い上がっていましたが、やがて苦悩するようになりました。

 使者はどう思っていたかですか。彼も、もちろん冬の女王に恋をしていましたよ。苦悩は、していませんでした。やがて老いて冬の女王を残して死んでしまうことについて悲しんでいましたが、それだけです。

 去年から、冬の女王から頻繁に手紙が届くようになりました。

『使者がいなくなるのが苦しい。彼がいなくなったあと残されることが恐ろしい』

 手紙には苦悩と悲しみがあふれていました。それほどに、冬の女王は使者を愛してしたのです。

 そして前回の交替のときです。ひどく思いつめた表情の冬の女王と、覚悟を決めた顔の使者が並んでいました。

 ええ、そうですね。使者は交替の日付を伝えたあと、すぐに帰るものですが、私たちの場合は交替する日まで冬の女王と使者は、一緒に塔で暮らしていたのです。ええ。食事や掃除などの世話をしてくれる使用人には、秘密にしてもらいました。ですから彼女に罰をあたえたりなどしないでくださいね。

 いつも以上に厳しい表情をしている冬の女王は、それなのにとても美しく見えました。

 なぜそんな顔をしているのか聞くと、彼女は迷いも見せずに言いました。


『私は、使者とともに永遠の眠りにつく』


 私は思いとどまるよう説得しました。しかし二人の決意は固く、やめさせるのは無理そうでした。

 そこで私は、しばらくこの塔で暮らしながらもう一度考えてくれるように頼んだのです。時間がたてば思いが変わるのではないかと思って。

 ですが、それは無理だったようです』


   *****


 十日後、王都から出ていく長い行列があった。

 その行列をつくるのは、数千ものゆきうさぎ。その行列のなかほどに、ひとつの大きな氷があった。

 それはただの氷ではなく、棺だった。

 普通の棺より大きいのは、二人用だからだ。

 氷の棺の中には、冬の女王と使者の体がおさめられていた。

 棺は雪の女王の城へと運ばれる。そして一年が経過し、また冬になる際に、塔のもとへゆきうさぎによって運ばれた。

 毎年冬には棺が塔へ運ばれ、春には城へと戻る。

 常に冬の女王は愛する男と一緒だった。棺の中で、お互いの手は離れない。


 冬の女王が永遠の眠りについてから、城にはゆきうさぎが増えた。どこもかしこもゆきうさぎで溢れかえり、城の中を歩くにはゆきうさぎをかき分けなければならないほど。

 いつしか人々は、ゆきうさぎの城と呼ぶようになる。

 毎年、冬と春に見られるゆきうさぎの行列は、この国の名物となり世界に知られるようになった。冬の女王の恋物語とともに。

ゆきうさぎは死者を送り出す存在でもあるのです。

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