Episode 1
教室棟の南側を奥に進むと寄宿舎がある。中高一貫でマンモス校だった名残で、高校の校舎は敷地こそ隣に移ったけれど、そこを利用している生徒が今もちらほらといる。この寄宿舎と教室棟・体育館との間にある遊歩道は薄いオレンジ色で学校の真横を走っている歩道へと抜けている。学校と隔てるかのように細い木が何本も植えられ、ちょっとした垣根となっている。
水門中学校 2年A組の教室は、寒さも気にせぬほどにぎやかだ。
「岡田君って、勉強はちょっとアレだけど、スポーツはできる方だよね?」
「ダメだね、私は。あいつ、運動ができるのを鼻にかけてるとこあるじゃん?
もうちょっと顔をカッコ良くしてから言えっつーのよ」
「そうかな」
「鈍いよ、咲季子。気を付けた方が良いよ。スキの甘いところ見せると、何しでかすか分かんないよ?」
「ふ~ん、そういう事」 咲季子はニコッと首をかしげて見せる。
岡田君、名を聖夜という。フランス語でクリスマスという意味だそうだ。両親とも日本人だけれど外資系の会社が港の方にいくつかある。どこかの車メーカーだ。元々はここの港の建物に務めていたそうだけれど、その手腕を買われてヨーロッパ戦略を担当する事になり、フランスへ出向する事になった。
「その時、僕はまだ1歳くらいだったらしいんだ」
1歳の時からフランス語に触れているそうだからもちろんペラペラだろう。でも家の中では両親が日本語だという。最近日本でできた言葉は知らないようだったけど、日本語もとても上手い。
「日本語もフランス語も話せてすごいね。ねっ、玲人」
僕は冴木玲人という。画数が少なくて頼りない気がして僕は自分の名前が好きじゃない。福地咲季子も岡田君も、岡田君を悪く言っている斉藤奈央も僕のクラスメイトで、標的の彼を除けば、結構親しい。
「まさか、私が岡田の事好きだなんて考えてないよね? 違うからねっ?」
ふ~ん、そういう事と咲季子に言われた奈央は強く否定した。人はこういう時、普段ツンの性格が出なくても、ツンの要素に思われてしまう。僕も咲季子も知ってて今気付いたふりをしている。
「ま~なぁ。こっちの学校に来て初めてのバレンタインだからな。向こうにバレンタインがあるのかは知らねぇけど」
3人でひとつみたいに、僕らはよく一緒に行動する。帰りも5年近く一緒だ。
「あるでしょ? バレンタイン 世界共通認識だよ」
「別に、フランスのバレンタインがどんなのでもさ。奈央が岡田君にアタックするのはいいんじゃないかな」 だから誰がアタックするって言ったのよ、と左の咲季子を見ながら、右にいる僕の胸に鞄をヒットさせる。
「痛って!! 何するんだよ、お前?」
「もとはといえば、あんたがフランスのバレンタインがどうこう言うからよ」
「オレのせいかよ?」
「お前にはやらねぇよ、チョコなんか」
「へっ、いらねぇよ」。 憎まれ口を叩きながら、奈央はそっと照れたように可愛い笑顔を見せてくれる。僕と咲季子はやっぱりな、というふうに顔を見合わせると、ふっと吹き出しそうになった。
岡田君が引っ越してきたのは、今年度のはじめ、去年の4月だ。ほとんど人の入れ替わりのないクラス替えだけれど、 ある時、岡田君を取り巻いて話したことがある。
「あっちじゃ女の人って情熱的なんだろ? なんていうかこう」
自分で自分を抱きしめてキスの形に口をとがらせる立河の興奮はすでにそういう経験があるんだろ?と言いたげだ。
「やめなよ。立河。岡田君困ってるよ」
「何だよ、斉藤。やーい、やーい」
「ガキかお前は」
「フランスの女性の事だけど、さっきの彼が言ったように情熱的らしいね。でも僕も両親も日本人だから。父さんも母さんもそういう点ではフランスでも日本風な教え方をしてくれてるよ」
自分の席に着いたまま、手振りを交えて雄弁に語る岡田君。
「つまりどういう事?」
「うん。つまり、そういう事をすぐに求めてくるのは男の人でも女の人でも本当の愛を知らないって事さ」
少し分からない。でもこの頃反応しがちな僕自身の体が示すように、僕たちはお互いに惹かれあうようにできているんだと思う。きっとこの瞬間だったんだ。奈央が岡田君に恋をしたのは。奈央の横にいた咲季子の顔は、頭の上に?がいくつも浮かんでいるようで、少し可笑しかった。
用事があると先に帰った奈央がいないから、今日は2人で帰る。冷え込みが厳しくなる午後3時過ぎだけど、この寒さも許せる気がした。
咲季子は肩甲骨に届くか届かないかくらいの位置に髪を流している。それが揺れるたびに寒くないかと聞くけど「大丈夫だよ」としか言わない。と言いつつ、僕が半歩咲季子の側に寄る。
「そういえば、岡田君ってあれだけ女の子が近くにいても、誰かと付き合ってるっていう話入って来ないな?」
「そうだね。フランスの女の子見てたら、日本の女の子は子供に見えてるのかな」
フランスの女性がどういうものなのか僕は知らない。
「そういう点では奈央が1番大人かな」 どういう事だ。
「昔から奈央は私たちよりませてたと言うか大人だった気がする」
「あぁ、そういう意味か。ガキの頃から、誰が好きと言えるのはあいつだけだったからな」
「玲人はいないの? 誰か」
いるさ、今まさに僕の隣であどけない顔を見せる女の子だよ。
「家に来て。用事がある(>人<)」
何?と返せば、「良いから来なさい」と奈央からメールがあったのは1月末だった。
僕は近くのコンビニで咲季子とおちあい、奈央の家へ向かう。それぞれで行けなくもないが、何回も誰かに出迎えさせるのは失礼だろうという事になったからだ。
咲季子の言葉そのままを借りれば、今日のコーディネートは「ファーティペットとドット柄フリルで冬ガーリー、レイヤードデザインが可愛くてお気に入りのニットワンピース」だそうだ。それに濃い茶色のブーツを合せている。僕は、汚れそうだけど白のパーカーに赤青のチェックポロに、ジーンズと去年の誕生日に買ってもらったアメリカ製のスニーカーだ。
僕は咲季子の難しいカタカナが聞き取れずに、「ファーティ?何」と何回か聞き直してしまった。あげくには「玲人は分かんなくていいよ」と言われる始末。思いを寄せる身としてどうすればよかったのだろう。
「手ぶらっていうのもナニか、何か買ってく?」
「食べ物はダメだよ。今から作るんだから。でも何作るか分かんないからジュースっていうのも変かな、紅茶も合う合わないあるし」
結局、変に気を遣うよりは全面的に任せた方が無難だという意見におさまった。休日なのか、おじさんライダー軍団を横目に、コンビニを後にする。
晴れていて、太陽は時折眩しい光を僕らに投じてくる。
「何だってんだよなぁ? 咲季子」 歩きながら言う。答えは明快だった。
「 チョコレートだと思うよ?」
「チョコレート? だったら咲季子が行くのは変じゃね?」
分かってないなぁ、女の子だってぶっつけ本番じゃ作らないよ、と咲季子は言った。「そうか、岡田君か」というと、小さく頷く。キティちゃんの小さなバッグが咲季子の左手で揺れた。
「友チョコってあるでしょ? でも奈央は男の子にあげたいらしいの。この間は玲人にあんな事言ったけど、きっとくれるよ? 奈央から」
今でもいい。そのキティちゃんから僕へのプレゼントが出て来ないかと願った。