二章
結子が都へ旅立つ日はふわふわと牡丹雪が降る日だった。
もう一か月くらいで白亜村の冬も終わるころ。
着物を母から譲り受けて身支度を整えていた。
毎朝の禊のあと念入りに湯あみをし、綺麗に髪を梳かれ、母が初めて都に行ったときに着たという菫重ねの着物に袖を通した。柄もなにもない質素な着物。結子はそっと胸元に深から貰った栞を忍ばせて都へ向けて歩き出した。
今回は異例ということで、とても急いで都に向かい出した。雪がない土地まで来ると、母と結子には駕籠が用意されていた。
産まれてから村を出たことがない結子は、何もかもが新鮮で、駕籠の隙間から外の景色を見て少し興奮していた。
(この道を兄様はいつも通っているのかしら)
もう少しで深に会えると思うと浮足立つ。
しかし母の様子からすると今までと違うのだろう。明らかにぴりぴりとした雰囲気を醸し出している。そしていろいろなことに興味を示している結子に対しても苛立ちを隠さず何度も叱られた。だが今までほとんど外のことを知らずに育てられてきたのだ。見るもの全てに興味をそそられるのが人というものだ。何故教えずに育ったのかさえ分からない。
「こんなことなら初めからいろいろと教え込んでおくのだった」と母の独り言を耳にして複雑になった。母はどう育てられてきたのだろう。祖母の艶子はもういない。長く生きない家系なのは聞かされてきた。長く生きられないならたくさんのことを知りながら生きた方が良いのではないのか?
外の景色を見るのも忘れ、物思いに耽っていると、突然駕籠が揺れた。
揺れたと思ってすぐ、駕籠が乱暴に落ち、結子も駕籠の扉に身体をぶつけた。
何が起こったのか確認しようと扉に手をかけた瞬間女性の悲鳴が聞こえた。
「母様?」
急いで駕籠から出た結子は呆然とした。
母の肩から大量の血が流れていた。そして更に母に刀が振り下ろされようとしている。
「やめて」
思わず叫んだが、覆面をした男が結子に標的を変えたのか迫ってきた。逃げるしかないと考えた矢先、騒ぎを聞きつけた町人が何人か何事だという感じで集まってきたのを見て、覆面の男は風のように消えていった。もう都の近くまで来ていたのが幸いしたのだろうと結子は胸をなで下ろした。
「母様」
結子は母に駆け寄り傷を見た。血はかなり出でいるがそんなに深くはないようでほっとした。しかし、護衛と駕籠の持ち手の人達はみんな足だけを切られ身動きがとれない状態だった。
殺す気はなかった?
そうとしか思えない。母の傷口に布を当て、圧迫しながら結子は頭の中でぐるぐると先ほどの男のことを考えていた。
これからどうしよう。
皆の手当てもここではろくにできない。
途方にくれていると、馬に乗った青年が二人近づいてきた。よく見ると一人は深だった。
血相を変えて馬から降りる。
「依子様」
深が結子には気づかずに依子に駆け寄った。
「深。来てくれたのね」
依子が顔を歪めながら深に縋った。
「どんなやつでした?」
「覆面をしていたからどんなと言われてもねえ」
「そうですか」
依子と深が話している横で結子は、おいてけぼりをくらった子供のように二人を見つめた。
「大丈夫かい?」
話しかけられてはっとして声のした方に振り向いた。都の位の高い人なのだろうか?
深兄様と違い、とても良い素材の服を着ていた。蘇芳の染が綺麗だ。
背はそんなに高くないが鍛えられた体だと結子にもわかる青年だった。
へたり込んでいた結子をゆっくり立たせてくれる。
「私は大丈夫です。こんなことは初めてでびっくりしてしまって」
「怪我がなくて良かったよ」
「どうして駆けつけて下さったのですか?」
「深のやつが嫌な予感がするってきかなくてな」まあ実際危なかったから来てみてよかったよと青年は言った。
ざっと、音がして結子の隣に深が立っていた。
「結子・・・か?」
深が目を見開き結子を見ていた。
そんなに風貌が変わってないはずだがと、結子は慌てた。
「はい。結子です。兄様」
「その身体、いつからだ?」
こんなに怖い深は見たことがない。口調も聞いたことのない黒さを感じで結子は少し怯んだ。そういえば深のことを何も知らないのだなと実感した。
「兄様が村から都へ向かって少し経ってからです」
深は思案顔になってしばらく無言だった。