三章の一
結子はふっと目を覚ました。
濡れた服は着替えさせられたらしく、さっぱりとした白い襦袢を着ていた。
「目が覚めたか?」
結子ははっとして声のした方を見た。
側に深兄様がいる。
「いつからいてくださって?」
「結子が着替えてからずっといたよ」
幼いころみていたやわらかい笑顔の深がいた。結子の胸がぎゅっとなる。あの男に何もされなくて本当によかった。
「どこか痛むところはないか?」
「腕が少しだけ」
見せてみろと深が言うので手をそっと出す。
「あいつに掴まれたあとだな」
深は苦虫を噛んだような顔になった。治りますように念じるように掴まれたあとを優しく撫でてくれた。深の手のぬくもりが心地よい。
しばらく沈黙がながれた。
兄様は何故そばにいてくれているの。
兄様に想いを伝えてしまいたい。でも、もし他に好いたお人がいたら。
「結子、お前に伝えておきたいことがある」
「は、はい」
深の重みのある声音にどきっとする。
「結子がわたしをどう想っているかは関係ない。わたしは結子を好いているよ」
結子を見つめる深の瞳に胸が早鐘を打つ。
「ほ、本当に?」
「今まで結子に嘘をついたことはなかったと思うが」
「ないです」
「舞の本番前にこんなこと言い出してすまないが、あんなところを見たあとでは私の心も冷静ではいられなかった」
先ほどのことを言っているのだろう。確かにあのときの恐怖はまだある。
「明日の朝までゆっくり休め」
深は立ち上がり部屋を出で行こうとする。
このままでいいの?
自分の気持ちを伝えるのは今ではないの。
「兄様待ってください」
そっと夜具から起き上がる。振り向いた深は結子の背に手をかけてくれた。
「わ、わたしも兄様を好いています」
深の目が大きく見開かれた。
「先ほどのことでわかったの。兄様以外の人から触れられるのはもう絶対嫌です」
「結子」
「わたし、兄様のお嫁さんになりたい」
深が結子に抱きついた。「俺も結子を嫁にもらいたいよ」耳元で囁かれたものだから結子の顔は朱に染まる。
「い、今お嫁さんにしてもらうことはできない?」
「結子しかしそれは」
「はしたないと思うかもしれないけれど」
結子は深にきちんと向き合って目をみた。
「また何かあってからでは嫌なの。明日の舞で、もしかしたら命を落とすかもしれない。そうならないように願っているけれど。これは舞ってみないとわからないことだもの」
そうなのだ。舞ってみないとわからないと榊さまも仰っていた。
俺自身も結子を俺のものにしたいとずっと思っていた。
「いいのか。明日の舞に影響しないものなのか?」
「もやもやとした気持ちのまま舞をするよりはいいと思うの」
そういうものなのか?最初のときは次の日も痛いと聞いていたのだが。痛みよりも気持ちの問題なのか、舞というのは。
「依子様になんと言われるかな」
深はがしがしと頭かく。
「母様に?」
「昔、結子を見ていると依子様が鋭い目つきで俺を睨んでいたことがあってな」
「まあ」結子はくすくすと笑った。
「笑い事じゃないぞ。とても怖かったぞ」
結子はますます笑った。この笑顔を守っていきたい。
深は結子の頬に手を添えた。
「いまから俺のお嫁さんになってくれ」




