祓い屋レイコと『帰れない村』
『帰れない村』
危険度★★☆☆☆
立ち入れば二度と出ることができない、呪われた村。
元は住人が極端に少ない村だったが、ある時期から村人が徐々に増え始める。
そして村の外では、行方不明者が相次いでいた。
自家用車から降り、早速煙草を口に咥えるこの女。名を、橋渡黎子という。
そして黎子を追って降りてくる影が、もう一つ。
「レイコ〜! 車から降りる時はちゃんと換気してって言ってるじゃん!」
人間の膝丈ほどしかない猫のような兎のような生き物。名は、チビ。黎子に拾われたマスコットだ。
背中に生えた羽でふよふよと浮いている。
「いーじゃん別に。臭いわけじゃあるめぇし」
「臭いよ! レイコの鼻が変なんだよ!」
「誰の鼻が変だって? このチビ助」
「あいたたたたッ! 抓らないでっ! ほっぺ取れちゃう!」
パッと手を離した黎子は興味を失ったように、煙草を咥えたまま村の入り口を見やる。
チビも抓られていた頬を擦りながら、黎子と同じ方を向いた。
「あそこが例の『帰れない村』?」
「うん。あの敷居から奥がそうだよ」
『帰れない村』とは、その名の通り、村に立ち入った人間が一人残らず帰って来られないことからつけられた名前である。
本来の名前は別にあるが、廃村同然であったここには既に名前なんて必要ないだろう。
それに、今では『帰れない村』という素敵な名前がある。
黎子は吹かしていた煙草を足で踏み躙って消火すると、ブリーフケースを片手に村に踏み入った。
「さて、まずはマジで出れねぇのか確認するか」
背後にある敷居を振り返り、その先へ足を伸ばす――が、気が付けば先程まで立っていた場所に戻されていた。
「うん。マジで出れねぇな」
「怪異案件?」
「どっちかってと土地神だな、こりゃ。怪異はここまで広範囲に影響を与えることに特化してねぇよ」
お前ならわかるだろ、とチビの額にデコピンをした黎子。
チビは痛がりながら「確認しただけなのに〜」と喚いている。
それを無視して、黎子は村の奥へと足を進めた。
村の奥はいくつかの家が建てられており、何十人もの村人が生活していた。
家は建てられたばかりなのか全て新築だ。
「はぁーん? こりゃあれだな、村から出られねぇ外からの来訪者のために土地神が家を建てて、住む場所を作ってやったってヤツか」
ぽつりと呟いた黎子は懐から煙草を取り出すと、それを口に咥える。ちなみに、前回吸ったときから二十分も経っていない。
そのまま、黎子はチビに言う。
「おら、チビ。猫になってろ」
「わかってるよぅ」
チビは返事をすると、その場でくるりと縦に回転した。かと思うと、そこにはチビの面影を残した白猫がいた。
羽が生えて飛んでいる変な生き物とか、捕まって売られかねん。と黎子が言ったことからの妥協案だった。
それを確認した黎子は、近くにいた村人に声をかけた。
「なあアンタ、ちょいと話聞いてもいいか」
壮年の男性は、どこか憔悴した顔をしながら黎子の方を振り向く。
そして黎子を見ると、はは、と乾いた笑いを零した。
「ああ、あんたもこの村に来ちまったのかい」
「あー、まぁ」
「可哀想にな。ちなみに今外じゃ西暦何年だい?」
「2026だよ」
「うわー……俺が来てから三年も経ってら」
三年の間この村にいるという男性は、諦めた様子でカラカラ笑う。
黎子はそれを慰めることもせず、湧き出た疑問を口にした。
「アンタ、村から出たいと思わねぇの?」
「ああ? もう思わんね。そりゃここに来たときゃ何度も何度も思ったし、何度も何度も出ようとしたさ。でもよぉ、帰ってきちまうんだわ。ここに」
「へぇ、そうかい。じゃあよ、ここにアタシ以外で一番最近来たヤツぁどこにいんだ?」
「それならあっちの家に居候してるガキだな。まだ二十前半の若えガキだよ」
「そ。ならアンタにもう用はねぇわ」
「おうよ。ゆっくりしてけ、隣人さんよ」
男性の言葉通り、指定された家に向かう黎子。
チビがその肩に飛び乗り、黎子に問うた。
「レイコ、あの人間に色々聞かなくていいの?」
「ありゃダメだ。もうこの村に“順応”しちまって、村から出る気がねぇ」
「ふーん。レイコがいいならいいけどさぁ」
そうやり取りをしながら辿り着いたのは、男性の家から五分ほどの距離にある、これまた新築同然の家。
黎子が扉をノックすれば、優しげな顔をした女性が顔を出した。
「あら、いらっしゃい。あなたは新しい隣人?」
「あーまぁそーゆーとこ。で、ここに村から帰りたがってる尻の青いガキがいるって聞いたんだけど」
「亮くんのことね。亮くーん、お客さんよー」
女性が奥に声をかければ、亮と呼ばれた少年が顔を出した。
少年と言っても、男性の話によれば二十歳は超えているらしいのだが。
「俺に用って、なんだよ」
「まあまあガキ、外来いよ。この村についての話をしようや」
無礼にも土足で踏み入った黎子は少年の肩に腕を回すと、そのまま外に連れ出した。
“村”という単語を聞いた少年は慌てて靴を履くと、黎子の手を払って、自分の意思でそのあとをついてきた。
着いた先は村人の姿が見えない、村の外れ。
「あんた、最近この村に来たやつか?」
「ついさっきな」
そう言いながら、黎子は煙草に火をつける。
少年は嫌そうに顔を顰めた。どうやら非喫煙者、もしくは嫌煙家らしい。
気にすることなく煙を吐き出す黎子を見て、少年は口を開いた。
「俺は一週間前にここに来た。姉を探すために」
「姉?」
「具体的には義姉だけどな。兄貴の嫁さんなんだよ」
少年は語った。
義姉が両親から突然連絡を受けたと。そして今は無いはずの、『帰れない村』にいると。
結婚の挨拶のために義姉は一足先にこの村に来たが、いつまで経っても帰ってこないのだと。
「で、兄貴は仕事があるから、大学生で夏休みの俺がここに来たってことだ」
「はぁー。兄貴想いの良い弟くんだこった」
「茶化すな。で? お前はどうしてここに?」
その言葉に黎子は懐から名刺を取り出すと、少年に渡す。
「……祓い屋、橋渡黎子?」
「そ。アタシぁ祓い屋でね。この村の土地神を祓いに来たんだよ」
「ってことは、帰れんのか⁉︎」
「そりゃアンタの協力次第だね」
そう言って、黎子は指で丸を作る。親指を上にしたそのジェスチャー。つまり、金だ。
「……いくらだ」
「この村の歴史は?」
「は? ……元の村に関する歴史は知らねぇけど、少なくともここが『帰れない村』って呼ばれてから七年は経ってる」
「んじゃ、手数料・実働込みで420万だな」
「は⁉︎」
大声で目を見開く少年を前に、黎子は煙草を咥えながらにんまりと笑う。
「どうする? ガキ。ここから一生出られないか、金払って姉貴になる女と一緒に出るか」
その言葉に少年は苦虫を噛み潰したような顔をしてから、ぽつりと呟いた。
「……ここの土地神ってやつを祓わないと、あんたも帰れないんじゃねぇの」
「…………ああ、確かに」
ぽん、と手を重ねて目を丸くする黎子を見ながら、少年は呆れたような顔をした。
「チッ、なら無償か。タダって言葉が一番嫌いなんだよアタシぁ」
「俺もぼったくりって言葉が一番嫌いだよ」
「ばぁーか。土地神祓うのがどんだけ大変かも知らねぇガキが金にとやかく言うな」
「ガキじゃない、俺は亮だ!」
「はいはい亮ね、亮」
黎子は少年、亮の頭にぽんと手を乗せる。が、すぐに払われてしまった。
どうやらよく思われていないらしい。
黎子は肩を竦めると、「とりあえず」と口を開いた。
「この村について、お前の持ってる情報を全部吐け」
「……今度は取り立て屋かよ」
亮はぽつりと呟くと、村に関して自分が知っていることを語った。
ところ変わって、神社境内。
一人の女性と、顔立ちの似た青年が向かい合っていた。
「お願いよ、政義。村のみんなを解放して!」
「解放? 何言ってるんだよ姉さん。ここにいるみんなは望んでこの村に来たんだぞ?」
「でも出られないのは本望じゃないはずでしょう!」
「そんなことないさ。村のみんなを見ただろ? 帰りたいって言ってる人はいた?」
「それはっ……」
「いなかっただろ?」
女性はぐっと下唇を噛み締め、叫ぶように言った。
「それは、あなたが村から出られないようにしたからでしょう⁉︎ みんな諦めてしまったのよ!」
途端、境内の空気が変わった。
姉弟の歓談から、別の重たいものが空間を支配する。
突然伸し掛かる重たいナニカに、女性は地に膝をつく。
青年はそれを嘲笑うように見下ろし、片手を振るった。
「この力が分かるかい、姉さん。この村の神さ」
「か、み……?」
息をするのも苦しいのか、絶え絶えに言葉を紡ぐ女性。
「神は僕の願いに応えた。だからここでは、僕が正しいんだ」
「な……にを、ばかな、ことを……言って、る、の……」
「馬鹿なんかじゃないさ。現にこの村の人は、僕を新しい神主として認めてるだろ?」
最早呼吸をするので精一杯の姉を前に、弟は言葉を紡ぎ続ける。
「神が僕を認めた。村の人々が僕を認めた。この村は再興するんだ!」
女性の目が閉じられていく。あまりの威圧感に息ができなくなり、酸欠なのだ。
それに伴うように意識も、闇へと落ちていく。
「父さんも母さんも帰ってきた。あとは姉さんがこの村に“順応”するだけで完成なんだよ」
その声を最後に、女性は意識を失った。
「はぁー? なるほどな。七年前にこの村に最初に足を踏み入れた人間が帰ってこなくなり、その親族が探しに来る。したら今度はソイツらが芋ずる式に行方不明になって、今じゃ裏のそういう掲示板に載るほどだと。ま、知ってたけど」
「じゃあなんで説明させたんだよッ!」
バシンっと持っていた黎子の名刺をメンコの要領で叩きつけた亮は、肩で息をしながら抑えきれない怒りの決壊を理性で保っていた。
「アタシが聞きたいのはそういうことじゃねぇっーの。おら、まだ吐けることあんだろ?」
「だからどうしてそういう聞き方すんだよ……怖ぇよ……まだ話してないこと……あ」
「ほら、あんじゃねぇか」
「村のやつらが話してたのを聞いただけだけど、村の奥にある神社に、七年前から若い男が神主としているらしい」
「神主だぁ? 明らかに怪しいじゃねぇの。なんで忘れてんだよお前」
「痛い痛い痛いッ! 頭押すなッ!」
「縮んでマジのガキになれ」
「誰がなるかッ! くそっ……」
黎子は煙草を咥えながら考える。
一度は廃れた村。廃村を治める七年前からいる神主。
明らかにそれが黒幕だろう。
黎子は吸殻を踏み躙った。
「おいチビ」
「なぁーん?」
「お前、神社行ってこい」
「にゃん⁉︎」
「……あんた、猫と会話してんのか」
「おうコイツぁ賢い猫なんだよ。なぁ、チビ」
「にゃ、なぁ〜ん」
「ほら」
「すげぇ……」
感嘆する亮を無視して、黎子はチビを見送った。
チビは猫の姿で神社までやってきていた。
境内の木に登り、普通の猫のように太い枝の上でぐうたらとしている……ように見せて、しっかり調査をしていた。
主に神主の行動パターン。そして、土地神の“本体”がある場所。
土地神はその場に居着く神だが、それの元となる本体は別に存在している。
形は様々だ。かつて武将が使っていた鎧や兜だったり、名匠が打った刀だったり、外国から持ち込まれた人形だったりと。
今回の場合は、仏像だ。
あの本体は見る人が見たら、なんて罰当たりな! などと言いそうなものと化している。
要は、呪物だ。
そしてその仏像は、本殿の最奥に鎮座している。
大抵の本体は勿論大切にされる場所に置かれるものだが、今回は大きさも相まって相当骨が折れるぞー……と、チビは冷や汗を垂らした。
とにかく早く黎子に伝えなければ、とチビは木から飛び降りた。
――のだが、境内の隅に置かれた蔵の中から人の声が聞こえたのを、チビの鋭い耳は拾った。
「(こんなところに、人間が?)」
蔵に近付いたチビは耳をぺたりと入り口にくっ付け、中からの音を拾うことに集中する。
「……開けて……政義、開け……一緒に……暮らしましょ……」
女の声だ。
ここに閉じ込められているのだろうか。
そうして中から聞こえてくる声に集中していると、チビの背後から草履が砂利を擦る音がした。
反射的に飛び上がれば、その人物はチビの体を持ち上げる。
「おや、猫が入り込んだのか。珍しい」
黒い髪と目をした男だ。白衣を着て、浅葱色の袴を履いている。
――間違いない。こいつが、神主だ。
神主はチビを抱き上げたまま神社の鳥居まで連れていくと、その手前でチビを下ろす。
「ここは大切な場所だから、これからは来てはいけないぞ」
その言葉を背後に、チビは駆け出した。
――レイコ、レイコ。間違いない。あの神主、土地神と契約してる!
チビを待っている間、亮が世話になっているという家に上がり込んでは、堂々と出された飯を食べていた黎子。
その食べっぷりは料理をした女性を喜ばせ、亮をドン引きさせていた。仮にも他人の家でどれだけ食べるんだ、と。
「お姉さん、料理めっちゃ上手いな。どっかで習ってたのか?」
「ええ、お料理教室に通っていたの」
「へぇそりゃ道理で。つーかこんなに食ってるけど、食糧は大丈夫なんか? ここほら、山ん中だし、魚とか貴重だろ」
そう言いながら黎子が摘むのは鯖の煮付け。
女性はほろほろと笑いながら答えた。
「いいのよ。食糧は毎朝新鮮なものが届くから」
「届く? どこから?」
「この村を守ってくださる神様からよ。朝になると家の入り口に、新鮮なお魚やお野菜、お肉もいっぱい入った箱が置かれているの」
「ふぅーん。んじゃ、衣食住には困んねぇってことか」
「そうねぇ。お洋服もほしいなぁ、と思ったものが翌日には同じように届いてるから」
「はは、そりゃすげぇ神様だ。アタシも永住しよっかな」
「は⁉︎ お前っ」
「あら、何を言ってるのよ。もうこの村から出る必要もないのだから、永住したようなものでしょう?」
「ジョークだよ、ジョーク。お姉さん冗談とかわかんねぇタイプだろ?」
「あらっそうだったの? 私いつも揶揄われるのよね……」
「おっどんなヤツに?」
「同い年くらいの近くに住む男性にね」
「そりゃアンタに気があるんだよ。ほら、よく言うだろ? 男は好きな女にちょっかいかけるってよ」
「まあっ、そうなの⁉︎」
「ウブだねぇ、お姉さんよ」
完全に置いてけぼりにされた亮はそっと食器を片付けると、その足で外に向かった。
女二人の空気から逃げたかったのだ。
玄関の扉を開いて、息を吸う。
「すぅー……」
――とその顔面に、チビが激突してきた。
「ふごッ⁉︎」
「なぁーん!」
顔面にしがみついているチビを引き剥がし、亮は家の奥に向かって声を張り上げる。
「おい黎子ー! お前の猫帰ってきたぞー! お前に似て暴力的な猫、ぉッ!」
ゴンッ、と音を立てて亮の顔に当たったのは黎子の靴。ヒールの側でなかったのがせめてもの幸運だろうか。
亮は顔からずり落ちた靴をそのままに、今度は小さく「暴力女……」と呟いた。
その言葉に苦笑いを浮かべていたチビには気が付かずに。
黎子は亮を先に神社に向かわせ、自分はゆっくりと向かっていた。チビから神社の情報と、起こった出来事の一部始終を聞きながら。
「なるほどね。土地神の本体は神社で祀られてる仏像で、その契約者は神社の神主、と。ま、予想通りっちゃ予想通りだね」
「あと蔵にいた女も助け出さないと!」
「お前はホントに女好きだな」
「ち、違わい! ただ閉じ込められてたのが偶然女だってだけで!」
「じゃあ別に女は嫌いだって?」
「女はやわこくてかわいいから好きだよ」
「ほら」
「ゆ、誘導尋問ーッ!」
「どこがだよ。おらさっさと行くぞクソマスコット。そろそろ亮と神主がバチってるだろうし、野次馬しに行くぜぃ」
「性格悪ぅ……」
ぽつりと呟いたのは、運良く黎子の耳に届かなかったようだ。
境内にて、向かい合う男が二人。
方や、村から出ることを目的とする少年、亮。
方や、村の存続を願い到達した神主、政義。
本人たちのしらないところで血縁関係が生まれようとしていることは、蔵に閉じ込められた女性しか知らない。
火蓋を切ったのは、亮だった。
「お前が神主か」
「そうだ。きみは新しい村人かな? ようこそ、僕の村へ!」
「けっ、誰がよろしくするか。俺は帰るんだ!」
「どうやって? まさかきみは、一度も村を出ようとしないで僕のところに来たのか?」
「んなわけないだろ! 何度も、何度も挑戦したさ!だが気が付くと村の入り口にいる」
「それはこの村が神に祝福されているからだ!」
神主は両手を広げる。
その顔は、狂気に呑まれていた。
「きみは何故帰ろうとする? ここにいれば衣食住も安心。働かなくとも、毎日を楽しく暮らせるじゃないか!」
「毎日を楽しく? それ、村のやつらを見て同じこと言えんのかよ」
「言えるとも! 彼らは僕によくしてくれる。何故なら、僕が彼らに全てを与えているからだ! 幸せじゃないわけないだろ!」
ははは! と笑う神主。
気狂いを前にした亮は、苦々しい顔をした。
そして、ある言葉を口にする。
「咲子、という女性を知ってるか」
その言葉に、ぴたり、と神主の動きが止まった。
笑い声が止み、ぐるりと瞳だけを動かして亮を見る。
「何故その名を知っている」
途端、亮に襲いかかった大量の“質量”。その場に倒れ伏し、呼吸すらもままならない。
それでも神主は言葉の続きを催促する。
「答えろ。何故お前が、姉さんの名前を知っている」
姉さん。その言葉に、亮は目を見開いた。
「はーい。そこまでだクソガキ共」
そこに、気の抜けたような女の声が響いた。
女、黎子は伸し掛かる“質量”を何ともないような表情で受け止め、その細い二本足で立っている。
コツ、コツ、とヒールの音を響かせながら、亮の隣に立った。
「アンタが神主?」
「……お前は?」
「質問に質問で返すなんて教育がなってねぇな、クソガキ」
黎子は前髪を払って言った。
「アタシは『祓い屋』。ここの堕ちたクソ土地神を祓いに来た、除霊師だよ」
神主は顔を歪める。
それは『祓い屋』という存在に対してか、それとも自らが敬う神を『堕ちたクソ土地神』と呼ばれたことに対してか。
どちらにせよ。今のこの瞬間、神主は黎子を“敵”だと判断した。
また空気が変わる。
ぐんっと重くなった空気に、黎子も足をすくませる。しかしそれも一瞬で、胸の間から取り出した御札を自分の前の空間に貼り付けた。
すると、亮は突然息苦しさがなくなったことに気が付く。
「? ゲホッ……息が、できる……」
「ここはアタシの作った結界の中。薄緑の膜が見えるでしょ? これより外に出なきゃ土地神の影響は受けねぇから」
そう言うなり、黎子は結界の外へと足を踏み出した。
「おい! ここから出たら危険なんじゃないのかよ!」
「アタシはだいじょーぶ。アンタみたいにヤワな鍛え方してねぇから」
後ろ手にひらひらと手を振る黎子を見ながら、亮は自分の無力さにギュッと手を握り締めた。
神主と対峙した黎子は、数枚の御札を片手に、前から押し寄せている圧力を凪いでいた。
「なぜ、何故僕の力が効かない⁉︎」
「アンタの力じゃなくて、土地神の力な」
黎子は静かに訂正する。
「『帰れない村』。最初は迷った旅人を元の場所へ戻す、友好的な土地神が宿る村だった。が、その村は徐々に人口が減り、最後に残ったのがアンタだった――それで、契約したんだろ。力を失いかけてた土地神と」
「ッ……だったら、なんだって言うんだ!」
「何も言わねぇさ。ただまぁ、馬鹿な選択したなってくらいか?」
そう言って黎子は勢いよく走り出し、目を見開く神主の顔面に御札を貼り付けた。
途端、神主は力が抜けたようにその場に倒れ込んだ。
「とりあえず、“媒体”は潰した。チビ、本体の元まで案内しな」
「わかった。こっちだよ!」
猫の姿のまま、チビは境内を駆けた。
ゆっくりとそのあとを追っていく黎子。ただ歩いているだけではない。他にも“媒体”たり得るものがないか確認しているのだ。
媒体とは、力を失いかけた土地神が人間や他の何かを介して、力を使うもののことを指す。
どうやら、今回はあの神主だけだったらしい。
辿り着いたのは本殿の最奥。そして目の前にあるのは、巨大な仏像。
「こりゃデケェ呪物だな」
そう言いながら、黎子はブリーフケースから一本の刀を取り出す。
除霊師専用の武器を作る職人が作った、最高級の刀だ。
ブリーフケースの中にどう納まっていたのか、という疑問は置いといて。
黎子は右手で刀を持つ。本当にただ持つだけだ。
そして、ある場所を目掛けて、一閃。
そこは、仏像の首だった。
ごとり、と仏像の首が落ちる。
途端に神社一帯を支配していた瘴気が薄れていく。
それを感じた黎子は、刃こぼれした刀を再びブリーフケースに仕舞った。
ちなみに、チビはその様子を見ていなかった。
呪物に成ってしまったとしても、仏像は仏像。
あまりにも罰当たりすぎるので。
こうして『帰れない村』は怪異ではなくなった。
神のいない土地であるが、村の建物は新築。村から出られることを知った村人の中には当然帰ることを選択する者もいたが、半数は残ることを選んだ。
神に与えられていた環境が気に入っていたわけではない。ただ自分の意思で、自然が好きだから、都会から離れたいから、と様々な理由で残ることを選んでいた。
村人同士、咎め合う者は誰一人としていなかった。
そしてあのあと、亮は黎子から「蔵にお前の義姉さんがいる」と聞き、慌てて助けに行った。
蔵を開ければ、義姉――咲子は、非常に丁寧な待遇で取り扱われていた。
咲子は亮との再会を喜び、その後すぐに神主――政義は悪くないのだと彼を庇った。
しかし、それを黎子は一蹴する。
「姉弟愛ってのは素晴らしいモンだがなぁ、それに巻き込まれた人間が何人もいんだよ。それでもアンタの弟が全面的に悪くねぇって言えんのか?」
その言葉に、咲子は黙り込んでしまった。
だが、それに噛み付いたのは亮だった。
「でも、全員無事だったからいいじゃないか。もう、みんな自由なんだ」
黎子は溜め息を吐くと、名刺を咲子に渡す。
「アタシは『祓い屋』黎子。怪異・土地神専門の、除霊師だ。何かあれば連絡しな」
ま、依頼料は高ぇけど。
そう言って黎子は煙草を咥えて、その場をあとにした。
あのあと、あの三人がどうなったかは知ったこっちゃない。それは黎子の仕事に含まれていない。
けれど心のどこかでは、大団円で終わればいいな、と、黎子らしからず思っていた。
「はー、仕事終わりの煙草うめぇ~」
鼻を摘んで嫌そうな顔をするチビを尻目に、黎子は濁りのない青い空を見上げた。
拝啓
『祓い屋』レイコ様へ
日々益々のご活躍、拝見しております。
そんなレイコ様のお噂を聞き、こうしてお手紙差し上げた次第です。
『名前を盗む狐』をご存知でしょうか?
最近私、その狐に名前を盗まれてしまい、誰からも、自分でも己の名前がわからないのです。
どうかこの怪異の除霊を、お願いいたします。
敬具




