小説について
最近私は、まだ小説書けますが、だんだん時間も経って、いつ死んでもおかしくないのかもしれない、そう思うようになりました。
そこで私の小説の技術や、書き方を残したくなりここに記します。
私と小説との出会いは、小学生の頃まで遡ります。
まだ美と言う事がわからない少年は、ミステリーと出会う中で、だんだん小説の面白さに気づいていきました。
最初の頃読んでいたのが、シャーロックの冒険や、四つの署名です。
その頃は、展開に巻き込まれて一日で速く読み飛ばしていました。
その後に私は村上春樹に出会うことになります。ねじ巻き鳥クロニクルは、私の心に深く刺さりました。
その少年時代の終わって青年時代になると私は、太宰治の小説や、三島由紀夫、芥川龍之介に出会いました。
それらの影響の中創作が始まります。
まず、私が書きたいのは主に美ということと言っても過言ではないと思います。
三島や芥川の書く美に私は救われたと言ってもいいのですが、外国の文学に注目するようになると、ドストエフスキーや、トーマスマンに影響されるようになりました。
まず私の書き方は、短編ではプロットを作りません。
即興の、一行目につらつらと文章が浮かんできて、深層心理が、働き思っているようなことが書けたり、短さにも満足するようになりました。
小説を書くことで一番重要なのは、文章力です。
いい文章で書かれた小説が一番面白いのです。だから私は最近のミステリーを読まないのですが、文章力が無いので面白く書けていないのです。
だったらどうやって文章の力を磨いていけばいいのかと言うと·····
私の詩とも被るのですが、審美眼を磨くことなのです。
磨かれた審美眼や認識の下に書いた文章は、いい文章になります。
たとえば、
「月が照っていたので、僕は見ていた。まるであの日の月と同じようだった。」
と
「月が照っていた。思わず僕はあの日の月を思い出した。
虫の鳴く声がしている。静かだ。
もう行かなくては。」
との違いは文章の添削の違いです。
私の場合は、文章が第一なので、内容がついてこれるのなら、ついていかせます。
文章には魔力が整っていることも大事です。これはもっと調べたいのですが、文章の魔力は使うことで磨かれるはずなのです。文章を磨く努力も、効果的です。
他にも内容についてなのですが、私は、びっくりするような謎をだしたいとよく思っていて、作品の構想のなかにありましたが、結局採用できずじまいでした。
ただ内容より文章が優先なのは、当然ですが、時に社長のような決断力が求められらことがあります。
『ここはもう切り上げよう』とか『このあとはこうしよう』とかなどです。
他にも私には足りていないところがありました。それは女性の描写です。
女性はわがままだったり意地悪で嘘つきなので、そう言う風に書かないとリアルさがでないのです。
他にも私には技術があって、書き出しは、すんなり入れて、うまい文章でないと、みんなが立ち読みして、(読者はすぐにつまらないと切るので)面白い文章にしないといけません。
終わりも上手い終わり方が望ましいです。
そもそも長編はどんなものでも、読破率が、5%以下なので、切るものなのです。
文体についても、少し考察があります。元々、文体は文章の単語の工夫や声の調整により、男の声も女の声も出せますし、文体の声を聞けと、心の底から言いたいのです。
『私は一人だ。一人きり。一人だから孤独だ。だから美しくもなる。
貴方は?と問いかけたい』
「私には大切なものが何も無かった。けれどもこんな根無し草でも、努力して人を助けていれば、平穏な生活が待っていた」
上のやつは女の文体で書きました。下は男の文体です。
文章の声の違いは一目りょう然です。




