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第5章 : 灰のあとで


最初に動いたのは、風だった。


怪物が倒れた焦げ跡をなぞるように、風が吹き抜ける。

そこには死体も、血も、残骸もない。

ただ、溶けた硝子のように地面へ焼きついた、黒い痕だけが残っていた。


ソラは数歩離れた場所に立ち、自分の右手を見つめていた。


炎は、もうない。


だが、熱は――消えていなかった。


それは皮膚の下に残っている。

胸の奥に埋もれた熾火のように、静かに、確かに。


「俺は……」


開けた空の下で、声はやけに頼りなく響いた。


「考えてなかった」


カエレンは、すぐには答えなかった。


ソラの横を通り過ぎ、焦げた地面のそばにしゃがみ込む。

指先を硝子化した表面の上にかざすが、触れはしない。


焼けたのではない。

爆ぜたのでもない。


――消された。


ゆっくりと立ち上がる。


「手、上げる」


ソラは瞬いた。「え?」


「手」


ソラは右手を持ち上げた。


何も起きない。


火も、光も。


ただの掌。

拍子抜けするほど、普通の。


カエレンが一歩近づく。

その眼差しは、もう遠くを見ていない。鋭い。


「……何、感じる?」


ソラはためらう。


「……熱」


「どこ」


再び、沈黙。


そして、胸の中央へそっと指を当てた。


「ここ」


カエレンの視線が動く。


「腕……じゃない?」


「違う」ソラは首を振った。「ここから始まった。で、動いた」


「動いた……どう」


記憶を探る。


「なんていうか……」


眉をひそめる。


「外じゃなくて。中で、何かが目を覚ましたみたいだった」


砂漠の風が、かすかに枯れ草を揺らす。


カエレンは何も言わない。


「……もう一度、できる?」


低い声。


「やってみる」


ソラは息を飲み、目を閉じた。


意識を内側へ向ける。


マナではない。

空気でもない。


――自分自身へ。


最初は鼓動だけ。


それから――


かすかな振動。


遠くの低い唸りのような、微かな響き。


呼吸がゆっくりになる。


胸の奥の熱が応える。

激しくはない。

爆ぜもしない。


脈打つ。


一度。


二度。


指先が震える。


細い熱の糸が腕を伝い――


そして、消えた。


目を開く。


「……止まった」


カエレンは一瞬も視線を逸らしていなかった。


「お前……マナ、引いてない」


「引くつもりじゃなかった」


「それ……問題」


ソラは眉を寄せる。「どういうことだ?」


カエレンは空を見上げる。

何か見えないものの声を聞くように。


「この世界……マナ、外にある」


空気へ手を伸ばす。


「皆、取る。形にする。放つ」


手を下ろす。


「お前……取らない」


胸の奥の熱が、静かに存在を主張する。


「応えた気がした」ソラは言った。


カエレンの顎がわずかに強張る。


「マナ……応えない」


ソラはためらう。


「……でも、応えた」


沈黙。


周囲の大地の気配が変わった。

脅威でも、安らぎでもない。


ただ――気づいている。


見えない何かが、こちらを認識したような。


カエレンが近づき、ソラの背中――肩甲骨の間へ掌を当てる。


「集中」


ソラは従う。


あの響きが戻る。


今度は、より明瞭に。


強くはない。

荒れ狂いもしない。


だが、生きている。


燃え盛る炎ではなく。


混沌でもない。


呼吸と同じリズムで、ただ在る。


カエレンの手が、わずかに強張る。


ゆっくりと離した。


「……疲れ、ある?」


ソラは自分の状態を確かめる。


呼吸は乱れていない。

脚も震えていない。

視界もはっきりしている。


「ない」


その答えは、妙に重く空気に残った。


通常の魔術師なら――

あれほどの力を放てば、立っていられない。


枯渇し。

崩れ落ちる。


だがソラは――


冴えていた。


むしろ、さっきよりも。


胸の奥の熱は、マナとは違う。


森で感じたマナは、至る所にあった。

木々の間を流れ、空気を漂うもの。


これは違う。


これは――自分のものだ。


「カエレン」


静かに問う。


「俺は、何をしてる?」


カエレンは焦げ跡を見つめる。


それから、ソラを。


「……わからない」


正直な答え。


それが、今までで一番怖かった。


風向きが変わる。


遠くに、木製の壁の輪郭が浮かび上がる。


文明。


カエレンはそちらへ向き直る。


「今は……無理するな」


「何を?」


「中の、何か」


ソラは胸を見下ろす。


響きは薄れている。

だが消えてはいない。


待っているようだった。


危険でも、優しくもない。


ただ――忍耐強く。


二人は再び歩き出す。


数歩進んだあと、ソラは小さく尋ねた。


「前にもあったのか?」


カエレンは足を止めない。


「……一度」


喉が締まる。


「その人は?」


数秒の沈黙。


村の壁が、次第に大きくなる。


「理解、されなかった」


ソラは再び自分の手を見下ろす。


皮膚は普通。


だが、その奥で――


何かが、聞いている。


[第5章終了]

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