第4章:世界が応えた
二日が過ぎた。
ソラには、森がいつ終わり、荒野がいつ始まったのか分からなかった。
ただ、そびえ立っていた木々が次第に数を減らし、やがて完全に消え去り、代わりに地平線まで続く淡い砂と開けた大地が広がっていた。
二日間、彼は歩き続けた。
それしか、できなかった。
カエレンの後ろを、黙って一歩ずつ進む。
目的地の感覚は何もない。ただ、前を歩く男の一定の歩調だけが頼りだった。
道はない。標識もない。
あるのは、空虚な大地と、地面の向こうで揺らめく陽炎だけ。
ソラの頭の中は、いまだ混乱していた。
この世界のこと。
マナのこと。
そして、カエレンという男自身のこと。
質問は尽きなかったが、はっきりと答えてくれる唯一の人物が、必要以上のことは話さないと示していた。
だから、ソラは歩いた。
彼らは砂漠のような地帯を越えていった。
不毛で、静かで、命の気配が薄い場所。
だが、灼熱というほどではない。太陽も容赦なく照りつけているわけではなかった。
乾いた、ほんのり暖かい空気が肌を撫でるだけだ。
不快ではない。ただ――空っぽだった。
もしカエレンが食料と水を持っていなければ、一日も生き延びられなかっただろう。
その事実だけで、ソラは自分の無力さを思い知らされる。
しばらく歩いた後、ついにカエレンが沈黙を破った。
「……お前……質問……ある?」
ソラは瞬きをし、疲れたように小さく笑った。
「うん。山ほど。でも、どうせあまり答えてくれないんだろ?」
カエレンがちらりと彼を見る。
「……そうだな」
少し間を置いてから、
「……だが……少し……なら」
ソラは足を止めた。
「……本当?」
カエレンは一度だけ、うなずいた。
ソラは息を整える。
「じゃあ、聞くよ」
彼はカエレンに向き直った。
「あなたは……本当は何者なんだ? それと、俺たちはどこへ向かってる?」
カエレンは迷いなく答えた。
「俺……人間。お前……同じ」
ソラは眉をひそめる。
「それだけ?」
カエレンは気にする様子もなく続けた。
「……向かう……村」
「……どんな村?」
「……近く」
ソラは額を押さえ、ため息をついた。
やっぱり。
「じゃあ、年齢は?」
「それ、いつも避けるよな」
カエレンは、ほんの一瞬だけ間を置いた。
「……二十二」
ソラは目を見開いた。
「え? 俺より五歳しか上じゃないのか?」
カエレンはうなずいた。
それが、かえって不自然だった。
ソラは数歩進んでから、ずっと引っかかっていた質問を口にした。
「日本語」
慎重に言う。
「それ、第二言語だよな?」
カエレンの歩みが遅くなる。
「……ああ」
「誰かに教わったって言ってたよな」
「それ、誰なんだ?」
カエレンの視線が逸れた。
「……それは……話さない」
ソラは静かに息を吐いた。
……だよな。
二人は再び歩き出す。
カエレンはソラを守っている。
食べさせ、水を与え、文明のある場所へ導いてくれている。
それなのに――
そこには、見えない壁があった。
答えのない問い。
半分しか明かされない真実。
ソラは前方に広がる空虚な大地を見つめながら、感謝と不安が入り混じった奇妙な感覚を抱いていた。
カエレンは助けてくれている。
だが、彼が抱える物語は――
まだ、語られる時ではないのだろう。
しばらく歩いていると、ソラはそれに気づいた。
空気の違和感。
微かな圧迫感――だが、確実に異常だった。
ソラは顔を上げ、白っぽい空を細めて見上げる。
「……カエレン」
歩調を緩めながら言う。
「あれ、鳥か?」
彼は上空を指差した。
高い空を、小さな影が横切っていた。
細く、どこか頼りない翼。
最初は鳥のようにも見えた。
明るい空を背景に、ゆったりと円を描いて滑空している。
カエレンが立ち止まった。
空を見上げ――
その目が、見開かれる。
「……鳥……違う」
鋭く言った。
「魔物。走れ」
ソラの心臓が跳ねる。
「魔物? なんで急に――」
カエレンが腕を掴んだ。
「……答え……欲しいか」
引きずるように前へ引っ張りながら、
「……命……欲しいか?」
ソラは迷わなかった。
「命!」
カエレンは一度うなずく。
「……なら……走れ」
二人は走り出した。
だが――遅かった。
息を切らしながら、ソラは振り返る。
「他に方法はないのか!?」
カエレンは速度を落とさない。
「……武器……あるか?」
「ない!」
「……マナ……制御……できるか?」
「それも――」
否定しようとして、ソラは言葉を止めた。
胸の奥で、何かが動いた。
恐怖じゃない。
思考でもない。
もっと深い場所。
胸に鋭い圧迫感が走り、乾いた木に火花が散るように、何かが弾けた。
心臓の鼓動が耳を打ち、右腕へと熱が流れ込む。
カエレンが低く悪態をついた。
「ソラ――走れ!」
カエレンは前へと飛び出す。
だが、ソラは――動けなかった。
まず、音が来た。
空気を裂く、甲高い叫び声。
影が地面に膨れ上がる。
急降下してくるそれが、はっきりと見えた。
関節の多すぎる翼。
歪んだ胴体。
鈍く赤く光る眼。
近い。
近すぎる。
ソラは、考える前に手を上げた。
――世界が、応えた。
掌から、熱が爆発する。
形を持たない、荒々しい炎の奔流が、閃光と共に放たれた。
空気が悲鳴を上げ、火炎が飛翔する魔物を包み込む。
魔物は一度だけ叫び――
次の瞬間、灼熱の光の中で消え去った。
地面に落ちることすらなく、灰となって散った。
静寂が、周囲を支配する。
ソラは自分の手を見つめた。
右の掌に、炎が残っている。
揺らめきながら、まるで最初からそこにあったかのように。
「……俺……」
声が震える。
「今の……俺じゃ……」
カエレンが足を止めた。
ゆっくりと振り返り――
その視線が、ソラの燃える手に釘付けになる。
しばらく、言葉はなかった。
そして、ほとんど独り言のように、呟く。
「……ファイアボール……?」
首を振る。
「……違う。これは……」
声に、戸惑いが混じる。
「……強すぎる」
炎は消え、掌には温もりだけが残った。
鼓動が、まだ激しく胸を打つ。
ソラは顔を上げた。
ようやく、恐怖が追いついてくる。
「……俺、今……何をしたんだ?」
カエレンは、彼を見つめ返した。
その目には――
これまでなかったものが宿っていた。
警戒でも、心配でもない。
――理解。
[第4章終了]




