怒りの矛先8
苛立ちを押さえきれないアイザックは、烈火のごとく叫んだ。
「ふざけやがって! こんなことしたやつは、一体誰だ!」
名指しはしないものの怒りの矛先は、アレスの横で膝をついているサラへと向かっている。
サラは、アイザックの暴言に無言を突き通し、目を向けることはなかった。
ブレイの眼もとへ手をやって、開ききった目を閉じてやっていた。悼むように青い目を細めている。
アイザックは、発散しきれない苛立ちを足元に転がっていたバケツにぶつけていた。思い切り蹴り上げる。派手な音を立てて、壁にぶつかり、床に転がっていた。
ブレイの首に刺さっている短剣は、血に濡れながらも鈍い光りを放ち続けている。
アレスは、心臓が冷えていくのを感じながら、それをじっと見つめていた。
「明日は、ロジャー死刑執行日だぞ! 内通者がいては、動きたくても動けぬではないか!」
アイザックは、小屋の壁を思い切り殴りつけた。壁にみしっと亀裂が入っていた。
その裂け目から、ロジャーへの思いがあふれた。
アイザックにとって、ロジャーは息子のようだった。
本来の顔がわからないほど腫れあがった顔で、街をさまよっていたロジャーを拾ってきたのもアイザックだった。
どうしてそんな酷い傷を負ったのかと聞けば、親から受けた傷だという。
宮殿からの締め上げのせいで、日々の生活が苦しくて、食うにも困る環境の責任が自分に向かっていたのだと、ロジャーは言葉少なに語った。
我が子に対して、どうしてこんなに酷いことができるのか。あの日抱いた怒りは、今でもよく思い出される。
その頃のロジャーは、心と体に深い傷を負ったせいで口数が少なかったが、眼は怒りでぎらついていた。小さな体に憎しみが満たされている。そう感じ取ったアイザックは、ロジャーへ一つの道を示した。
「過酷な道にはなるとは思うが、抱えている憎しみを宮殿へ向けてみないか?」
提案すると、ずっと俯き続けていたロジャーの切れ長の瞳に初めて光が灯っていた。そして、自ら志願した。
「暗殺者として、鍛えてほしい」
まさかその選択をすると思っていなかったから、大いに驚いたが、強い望みがあるのならばと、引き受けた。それから、間もなくしてアレスも加わり二人は切磋琢磨し合う仲とになった。
ロジャーの剣術は光るものがあったが、アレスを上回るのことは難しかった。それに対しては、いつもイライラしていたようだったが、アレスとは違って、人の心を掴むことには長けていた。
ロジャーの自分を飾らない自然体な態度は、みんなから慕われていくこととなった。
特に、ブランカはロジャーに対して、特別な感情を見せている。
そんな様子をずっと見てきたアイザックは、その姿を微笑ましく思っていた。
くすぐったいような、誇らしいような、そんな気持ちは、ロジャーの親のような気持ちなっていたのかもしれない。
だからこそ、ロジャーが捕まったと聞いたときは、地獄に落とされたような気分だった。どす黒い霧がどこからともなく表れて、そこに含まれている毒が、じわじわと体内に入ってきて傷めつけてくる。その毒は、どんどん濃度を増して続けている。
もしも、ロジャーが本当に死刑に処されてしまったら、その毒は致死量に達するだろう。
だったら。どうせ死ぬのなら。
アイザックの目に、炎がともった。
「俺は、動く。誰に何と言われようが」
アイザックは、呻くように言った。決意を固めるように、拳を握る。
アレスは、耳の端でその言葉を聞く。自分もアイザックと同じ気持ちだった。
アレスは、突き刺さっているナイフを睨みつける。今の自分はひどく動揺している自覚があった。
「……俺も同じことを考えていました。……もう仲間が死んでいくのをただ見て見ぬふりをするのは、御免だと」
アレスの声が震えている。微かに息も上がっている。
アレスは、いつだって冷静で感情を表に出すことはない。アイザックは太く濃い眉を寄せた。
アレスは、見せた動揺を自分の中に埋め込むように目を閉じた。
再び、ゆっくり目開けると、ブレイの首に刺さっていた短剣を引き抜いていた。突然のことで、サラは息をのんでいる。
視線の先に赤い道筋ができあがり、あっという間に深紅の水たまりを作り上げていた。
「アイザック、教えてほしいことがあります」
その赤を見つめながら、持っている短剣を握り込んだ。
アレスは続けて質問をする。あぶり出された真実が夢であってほしいと願いながら。
アイザックは、アレスの質問の核が見えず、淡々とそれに対して答えていたが、次第に真意がぼんやりと見え始めていったようだった。みるみるうちに、アイザックの目が大きく見開かれ揺れていく。
赤い水たまりは、さらに大きさを増していた。
アレスは、その中に感情を沈ませていく。
そして、結局それが現実なのだと思い知る。
どんなに切望してもブレイの死体は目の前にあって、手の中にある短剣から血がしたたり落ちている。
アレスは、大きく息を吐いた。
そして、頭の中でめぐっていた思考をそのまま声にした。
サラの青い目は大きく見開かれ、あまりの衝撃にアイザックはその場に座り込む。
握り込んでいた手は、開かれて大きく震えていた。




