素顔3
アレスは手のナイフを握り直しながら、神経を研ぎ澄ませる。近づいてくる気配は、よたよたと安定しない足どりでありながら、迷いなくこの場所へ向かっているようだ。
アレスは、ナイフを腰にしまいこむ。そして、外へ勢いよく飛び出した。
気配のある方向へ視線を伸ばすと、視界の中心に、月明かりを背にした小さく黒い人影があった。その風下にいるアレスへ届いてきた匂いは、血の匂いだ。
「アレス兄ちゃん!」
「ナリー!」
ナリーが全速力で走って来て、アレスに飛びついてきていた。アレスの腰に手を回して、ぎゅぎゅうと締め付けてくる。小さな背中がしゃっくりするように上下していた。アレスの心臓が一気に冷える。小さな背中は雨に打たれた後のように、ベットリと血が染み込んでいた。アレスの手は泣きじゃくる背中へ手を伸ばそうとして、止まっていた。
「お前……この血……」
「僕のじゃない……ブランカ姉ちゃんだ……」
ナリーは涙の隙間から、なんとか声を絞り出して、指を差した。
アレスはその方向へ目を凝らす。地面にブランカが倒れていた。アルスの冷えていた心臓が今度は、嫌な音を立てて早まる。
「ブランカ姉ちゃんが、刺された……なんとか、ここまで運んできたけど……血が全然とまんなくて」
アレスがブランカの方へ駆けよろうとするよりも先に、サラが洞窟から飛び出していた。そのあとをアレスも追う。
仰向けに倒れているブランカ顔には血の気がない。右肩にぐるぐると布が巻き付けられているが、意味をなさないくらい真っ赤に染まっている。そのうえ、今にも止まってしまいそうな浅い呼吸だ。助かる見込みはない。通常ならば、そう判断を下しているところだ。だが、今は。
サラがその横に膝をついて、ブランカへ青い真剣な眼差しと手を伸ばし、光が集まっている。
アレスはその光に、願いを託した。
サラが青い瞳を見開いた。
手から一気に光が放たれる。アレスを癒した時よりもずっと強い光がどんどんブランカの体へ吸い込まれていく。サラは歯を食いしばり、最大限に力を引き出していく。だが、それでもまだ足りないとばかりに、サラの体力を根こそぎ奪っていく。体温が奪われていくようだった。心臓の熱までも奪うように、痛みが走る。
その時、ペンダントがサラを助けるように輝いた。痛みが一気に引いていく。ペンダントの変化に、サラは驚きながらも目の前に集中し続けた。
ブランカの内部にまで魔法が浸透したことを告げるように、全身光に包まれていく。そして、再び青い粒がさっと舞い上がり、光が消えた。サラがほうっと息をつきながら、上がった息を整える。
「傷は、塞がっているはずです。ただ、失った血は戻っていないので、しばらく安静にしさせてください」
「アレス兄ちゃん、洞窟の奥にベッドある。そこで寝かせてあげよう」
ずっと目を丸くしていたナリーの瞳は、ハッと我を取り戻し洞窟を指さしながら、先導していく。
アレスは、ブランカを抱き上げてナリーの指示通り、洞窟の奥へ向かう。布をとりあえず集めて敷き詰めたベッドらしきものがあった。体を休める場所として十分使えそうだ。ブランカを横にする。
先ほどまで魂が抜けたように蒼白だった顔が、ほんの少し赤みが戻っているように見えた。浅い呼吸は、通常の速さに戻っている。
ずっと変な位置にあったアレスの心臓が、元の位置に戻っていく気がした。
ナリーがどこから持ってきたのか、タオルケットを持ってきていた。ナリーがブランカにかけてやりながら、「突然、本拠地に火が放たれたんだ」と、ぽつぽつと零し始めていた。
「驚いてみんな外に飛び出したんだ。そしたら、もう兵士たちに囲まれている状態だった。それを見た、アイザックおじさんが怒り狂って大暴れ。あまりの形相に、兵士たちみんなドン引きしてた。その隙に、何とかみんな散り散りに逃げられたんだ」
ナリーがその時の状況を思い出したのか、うっすら笑みが零れる。
アレスの頭にも容易にアイザックの顔が、想像できて苦笑してしまう。アイザックが本気で怒り出すと、手に負えない。体は大きいし、力も強い。大人が数人がかりで抑え込もうとしても、あっさり振り落とされてしまう。ならば、道具を使って動きを止めようとするが、動きも機敏で全部よけられてしまう。ブチ切れたアイザックは、最強だ。
無敵状態のアイザックがいたのなら、ナリーが言う通り、きっとみんな無事に逃げられただろう。
「僕もバラけて逃げたんだけど、途中で兵と鉢合わせしたんだ。いきなり剣を振り上げてきた……近くにいたブランカ姉ちゃんが、僕を庇ったんだ」
ナリーの表情が一気に曇る。
「でも、ブランカ姉ちゃん強いからさ……。刺されながら、何とか兵士を反撃して動けなくした。それで、途中まで一緒に走って逃げてきたんだけど、出血が酷くて、倒れちゃって……それで」
「お前が何とか、ここまで運んできたというわけか」
ナリーは、こくりと頷く。その目に涙が浮かんでいた。
「一人で、よくがんばったな」
アレスは、頭をクシャっと撫でる。
緊張感で涙を止めていた堤防が決壊して、ぽろぽろと涙が零れていた。
子供一人の力でブランカを運ぶのは、相当な労力だ。大変だったことは簡単に想像がつく。しかも、ブランカが自分のせいで死ぬかもしれないという恐怖。一人で、よく諦めずここまで運んだなと思う。
ナリーは、ごしごしと涙を拭う。
「ブランカ姉ちゃん、大丈夫かな?」
ナリーは、ブランカを見やり、拭いきれない不安を吐露する。
アレスは、ナリーの頭から、ブランカの真っ赤に染め上げられている肩の布へ手を移し、取り払った。服には刺されたような穴が開いていたが、ほかに異常はなさそうだった。
「傷は消えている。大丈夫だ」
ナリーの顔に安堵が浮かんだところで、遅れてサラが洞窟へ戻ってくる気配がした。
ナリーが振り返り、パッと笑顔の花が咲かせていた。
「お姉さん。ブランカ姉ちゃんを助けてくれて、ありがとう!」
サラは、一瞬目を見開いてたじろぐ。
「いえ……私は」
サラは言いかけて、視線を落として唇を引き結んでいた。複雑な表情が浮かんでいる。
ナリーは子供とはいえ、レジスタンスのメンバーだ。心に絡み合う複雑な感情が、言葉にふたをしていく。
しかし、ナリーの明るい声は響き続けていた。
「さっきの魔法でしょ? 魔法なんて、本の中の話だとばっかり思ってたよ! なんで、使えるようになったの?」
「どうやって使えるようになったのかは、覚えていないんです」
「じゃあ、生まれつきってこと?」
「そういうことかもしれません」
「すっげーな!どうやるの?」
ナリーの無邪気さを前に、サラの眉は、自然と下げ、洞窟の壁側へと腰を下ろしていく。ナリーの次から次へ飛び出してくる質問に、律儀に答えていく。
その後もナリーが、質問攻めにしようといく。アレスは、そこに割って入るようにサラの方へつま先を向けた。
「……大丈夫か?」
アレスは、眉間にしわを寄せる。
サラの額には、玉のような汗が浮かんでいた。そこから、幾筋の水の跡が残っている。先ほどの、ブランカの顔色がサラへ乗り移ったように、白い。そして、薄暗さの中でもサラの白い手が、小刻みに震えているのが見えた。




