第7話 ヴィトルムの力(デクラウス視点)
「――頃合いになる、か」
中庭に立つ老紳士デクラウスが呟く。
懐中時計は、じきに稽古時間を指し示す。
(⋯⋯どうにも落ち着かぬ)
先日の出来事が、鮮明過ぎるほどにデクラウスの頭にこびりついている。
よもや、来ないであろうと思っていたあのヴィトルムが現れ、増してや剣を交え、その上でエルディナの名を言ったのだ。
どれか一つでも、あまりに奇跡と言う他ないのに、この三つはすべて一日のうちに起こった出来事である。
凪のようなこの数年からは考えられないほどの激動すぎた一日。
正直に言えば、あの日は何か夢か幻を見ていたのだ、と言われても至極納得できてしまう。
(⋯⋯あれが夢だとすれば、いよいよ何も務まらんな)
いっそ愉快ですらある、とデクラウスは笑う。
そんな事を考えていたときのこと。
「――すまない、遅れたか?」
再び、ヴィトルムは中庭に現れた。
「いえ、ちょうどでございま――む?」
なぜか、濡れ鼠の姿となって。
「……何かメイドが粗相を?」
「ん? ……あぁ、まぁ気にするな。いずれ乾くだろう」
「……はぁ、さようで」
不可解。
しかし、このところは不可解なことばかり。
(――今更、一つ二つおかしなことが増えたとて変わらぬか)
デクラウスは小さく笑ったかと思うと、机に置いてあった剣を手に取る。
今回は――たしかに、稽古用の剣の重さだ。
それを確認し、ヴィトルムのもとへ向かう。
「――今日の剣は、少し軽いな?」
ヴィトルムが剣を握るなり口にする。
「……以前の剣はまぁ、事情がありまして。今日はそちらにしていただきたい」
「ふむ、そうなのか」
一言納得したきり、ヴィトルムはそれ以上に触れることはなかった。
不思議なものだ、これだけ素直なのにむしろかえってやりづらさを覚えるというのも。
(……いい加減、昔の感覚ばかりを引きずってはいられんな。私は私の責務を果たさねば)
デクラウスは面持ちを整え、腰の鞘からゆっくりと剣を引き抜く。
「――さぁ、始めましょう。ヴィトルム様」
それからしばらく。
剣の持ち方、立ち方――その一つ一つをヴィトルムにデクラウスは授けていく。
「――よろしい。あとは、その感覚を体に染み付かせることです」
「あぁ、わかった」
ヴィトルムがデクラウスの教えにうなづく。
(――今まで多くの騎士を育ててきたつもりだが、ヴィトルム様はその誰とも違う)
デクラウスはヴィトルムに違和感を覚えていた。
(……想像以上に、習得が早い)
剣の構え、そして立ち姿――今日の内容はいずれも姿勢やフォームに関するもの。
いわゆる体で覚えるものばかり。
最初は、型をただ正確になぞるだけでも難しいものだ。
ヴィトルムは最初こそ、細かい部分で違う部分があった。しかし、デクラウスが一つ二つと助言を添えるだけで瞬く間にそれは正されていき、即座に実際の騎士と変わらぬほど正確な型へと様変わりする。
(……教える、というより整える、というほうが近いか)
型を覚える際も、デクラウスが1から構え方を構築するというより、デクラウスの発言を聞きヴィトルムが自ずと正しい位置に収める、そういう形に近い。
まるで――すでに型の完成形をある程度「知っている」かのように。
――だが、そんなはずはないのだ。
(剣術はこうしてやっと学び始めたもの。……それにこの館に私以外に騎士はいない)
ヴィトルムが剣の構えを見る機会など、なかったはずだ。
(……それに、以前の戦い。あれは間違いなく、素人のものだった)
ただ気概で押し切るような拙い戦闘――。
経験者であれば、あのような戦い方は絶対にしない。もっと、戦術や技術で届かせようとしていただろう。
それと……気になることはもう一つ。
「デクラウス、もう一度剣を振っている姿を見せてくれないか?」
「……ふむ。承知しました」
デクラウスが剣を振ってみせると、ヴィトルムがその様子を食い入るように眺める。
「――なるほどな。うん」
顎に手を置き、ヴィトルムが呟く。
(……ただ、漠然と眺めているだけではない)
ヴィトルムは握り手、姿勢、足、そして腕の引きに至るまで事細かに目を走らせる。
全体の動きを流れで把握している、というよりも。
一つ一つの動きの理屈を確かめ、その内容を反芻するような、学びの目。
これまで、長らくヴィトルムを見てきたつもりではあったが……こんな目をしているヴィトルムを見るのは、これが初めてだった。
(――いや、同じ屋根の下にいたというだけで、ヴィトルム様の隣にいたわけではない。ならば、何も知らないのも当然のことか)
あるいは、何かが違えばもっと早くこうできていたのかもしれない。
そう思うと。
(……改めて、私は呆れるほど固すぎる)
ヴィトルムには見えない角度で小さくデクラウスが自嘲の笑みを浮かべる。
「……デクラウス。尋ねたいことがあるんだが」
と、そこにヴィトルムの声が飛び、デクラウスは面持ちを整えた。
「む、なんですかな?」
「以前の――俺と戦った時のことなんだが。あの時、俺の剣はデクラウスには届かなかった。……あの剣を流す動き。あれは高位の『パリィ』技術か?」
何気ない調子でのヴィトルムの質問に、デクラウスは言葉を失う。
「……なんと。まさか、『パリィ』をご存知で?」
「ん? あ、あぁ」
(驚いたな――)
『パリィ』は、たしかに非常に有用な技術だが、基本的には防御のためのもの。
剣を習う――となる時、まずは直接的な攻撃技を教えてくれ、というのが大半。実際の有用性に反して知名度は限りなく薄く、実戦経験のある人間以外からはまず『パリィ』の名前すら出てこないのが普通だった。
(……あの観察眼が、『パリィ』へとたどり着かせたというのか?)
改めて、ヴィトルムについて自分がどれほど知らないか、デクラウスは痛感させられる。
「えぇ、いかにも。あれは『パリィ』です」
「やはりそうだったか。――聞きたいことがある。あれは今の俺でも習得可能か?」
「……なんと」
思わずデクラウスの口から、驚きの声が漏れる。
あの最初の一瞬の戦闘で、パリィを見抜き、あまつさえその価値を知り学ぼうとするとは。
「時期尚早というなら、構わない」
「いえ――」
ふと、デクラウスの中にかつての――不遜な弟子の姿が想起される。
今や遥か遠くに立つ、剣聖と呼ばれているデクラウスの弟子。
不遜にも、かつて剣一つで門を叩き。
あれやこれやと剣を教えろとせがんだ者。
(……性格は、アレと似ても似つかないが。しかし)
その果てが伺いしれぬ、という点では二人は似通っていた。
「ふふ、よろしい。ヴィトルム様であれば、そう時間はかかりますまい」
「……! そうか、礼を言う」
それは、デクラウスの芯にある忠義か。
それとも輝かしき日々の懐古か。あるいは一人の騎士としての――興味か。
(――これが、私の人生における最後の挑戦となろう。いつか、きっと……ヴィトルム様は偉大な存在となられる)
デクラウスはこの日、そう確信したのだった。




