第6話 スキル実験
――朝、か。
寝ぼけた目をこすると、深い闇色のビロードの天蓋が視界に飛び込んでくる。
無地の白い天井に電球が――なんて光景は、この『アイリス』の世界には存在しない。
(天蓋付きベッドで寝るような日が来るなんてな……)
かつての暮らしぶりからは、とても想像のつかなかった話だ。
正直、まだ慣れないところもある。
まぁ、きっと……いつかは慣れるのだろう。おそらく。
「さて、そしたら今日は――」
【シェイプ】の研究。
そして、デクラウスと剣術の稽古――といったところだろうか。
服を着替え、机まで俺は向かう。
――昨日、実験していた鉢の土が机の上に散乱していた。
……だいぶ、あれだな。汚く見えるかも。
【シェイプ】の実験のためとはいえ、いい感じの机でやることではなかった、かもしれない。
(とりあえず、見てくれだけでも良くしておくか)
散らばった土に手をかざし。
「――【シェイプ】!」
俺の魔力を受け、散らばっていた土がより集まり四角錐――ピラミッド状に固まる。
これでとりあえず、見てくれはマシになったな。
「さて」
デクラウスの稽古が始まるまでは少しまだ時間がある。
【シェイプ】の実験ができそうなものを、色々と探してみるとしよう。
*
「――こんなものか」
水の入ったコップ。一匙分の小麦粉。その辺の砂。
木の枝。半分くらいまで入った白砂糖の袋。金属製のスプーン。
キレイな鳥の羽――。
適当に館内を歩き回って拝借させていただいたり、拾ったものたち。
それを机の上に一つ一つそれぞれ並べていく。
正直、こんな物を集めているのはかなり不審なのだが、朝で皆忙しかったらしく、幸い収集している様子を目撃されることはなかった。
(……こうみると、だいぶ怪しい儀式だな)
とはいえ錬金術の実験だし、当たらずとも遠からず、ではあるのかもしれない。
「……さて、それぞれどんな感じになるか」
メモと万年筆を手に持つ。
【シェイプ】はあくまで第一の術ではあるが、それでも性質を理解しておくに越したことはない。
ヴィトルムとして生きていくに当たり、何が必要になるかわからないのだから。
確かめておきたいのは――そうだな。
「――対象条件、精度、強度、距離、効果時間、生成速度、使用限度」
メモ帳を広げ、一つ一つ項目を書き加えていく。
この実験の如何では、戦闘に転用できるかどうかも変わってくる。とはいえ、あくまでわかるものは「現段階での」という但し書きはつくが。
【シェイプ】にも一応、成長段階があるので将来的には使い勝手が変わる可能性もある。
(なんか、こうしていると、『アイリス』をやりはじめたときのことを思い出すな)
俺が『アイリス』のプレイを始めたのは、発売初日からだった。
攻略wikiもなければ、攻略本もない。何も手がかりがない中で、ゲーム内の情報を必死にかき集め、様々な仕様や数値の検証に日々明け暮れていた。
地味ながら、あの一つ一つ、ゲームを知る感覚。あの日々の記憶が蘇るようで――。
(……少し楽しい)
さて、そしたらまずは。
「対象条件から、だな」
前回の【シェイプ】だと成功したのは植木鉢の土のみ。
万年筆や枯れ葉には、明確な効果が見られなかった。成功パターンから推測すれば、おそらく、その辺の砂がおそらく最も成功確率が高い。
なので、今回はまず、砂とキレイな鳥の羽からまず実験してみよう。
俺はメモ帳の最後のページを切り取り机に置く。
そして、砂と鳥の羽をその上に載せて。
「――【シェイプ】!」
2つの物体に働きかける。
すると。
「砂は――動いた。対して、鳥の羽は何もなし、と」
砂は、俺の働きかけに答えるように波打って見せたのに対し、鳥の羽は完全に無風、といった感じだ。
一応、近づき確認してみるが、鳥の羽はメモ帳の罫線からはみ出すことなく収まったまま。
(――なるほど、この感じからすると恐らく)
今度は、白砂糖と木の枝を用意し、机に置く。
そして続けざまに。
「――【シェイプ】!」
白砂糖は円を描くように形を変え――木の枝は変わらず。
現状、粒子状の物体の成功率はかなり高い。対して、鳥の羽や枯れ葉、枝のようなものは効果が及ばない。
……となれば、次に成功率が高いのは小麦粉、だが。
これは、金属製のスプーンと合わせて実験してみよう。
(小麦粉は成功してもおかしくない。……だが、もし失敗するのであれば。一つわかることがある)
ページの上に小麦粉と、スプーンを置く。
そして手をかざし。
「――【シェイプ】!」
――発動して、しばらく。
双方、反応なし。
なるほど――これは。
「――おそらく、生物関係のものは効果がない。あるいは効果が極めて薄い」
これまでの経緯を考えれば、粉末状、粒子状のものは成功率が高かった。
にも関わらず、小麦粉だけがダメというのは妙だ。
そこから考えてみれば。
小麦粉、鳥の羽、枯れ葉、木の枝。どれも決して、特別硬いというわけではない。俺が直接手で握るなりなんなりすれば、いとも簡単に変形してしまうようなものばかり。
そこから考えると、それらの共通点として一つ浮かび上がってくるのは――いずれも生物関係である、ということ。
(一応、砂糖は原料自体は生物由来だろうけど……)
白砂糖そのものは砂糖成分だけを抽出し、結晶化させたものだ。
そう考えれば、無生物的なものとして考えることはできる。
では、成功しなかった無生物――万年筆と、スプーン。
【シェイプ】が形を成すスキル、と書かれていることから、現段階ではおそらく【シェイプ】の本質はあくまで『整形』であって、『変形』ではないのだろう。
砂粒のような小さな物体を移動させ、形を整えることはできても――金属の万年筆に直接力をかけ、形を捻じ曲げるのは難しい、と考えられる。
原作でわずかばかりに防御力が上がる効果は――プレイヤーの服の材質でも整形していたとかなのかもしれない。
(……やれやれ。改めてなんとも奥ゆかしいね)
正直、華やかな結果ではないが、【シェイプ】の本質に踏み込めたと思うのでこれは大きい。
砂や土が対象となるなら、現状屋外なら広く使えると考えられるだろう。
俺は、現時点での考察を万年筆でメモ帳にまとめていく。
―――
【シェイプ】
概要:無生物を「整形」するスキル。
粒子などを整形することに向き、金属などの硬質なものを変形させることはできない。
屋外適正が高い。
対象条件:無生物かつ、硬質でないもの
―――
と、一通りの考えをまとめたところで。
少し喉が乾いたので、机の上にあったコップを手に取る。
色々考えると、のどが渇いてくる――。
「……っと、危ない。飲むところだった」
この水も立派な実験材料だ。
色々考えている内にすっかり、忘れてしまっていた。
(……水、か)
無生物。その上で、硬質ではないもの、だ。
条件的にピッタリと当てはまる。原作で水を特別操作するシーンはないが、あるいは。
コップを机に置き、手をかざす。
「――【シェイプ】!」
コップの中の水は、やわらかな魔力の光をまとったかと思うと。
それは、重力に抗い――ゆるやかにコップの底を離れていく。そして、そのまま――コップの上へと浮き上がった。
俺の手の先で、ふよふよと水のかたまりがただよっている。
み、水が、宙に浮いている……!
「――これ、どうなっているんだ?」
恐る恐る、水のかたまりに人差し指を近づけると……。
冷たい水の感触が人差し指を包み込んだ。
そのまま引き抜くと、水滴が人差し指に取り残される。
(……なるほど。触った感じは、そのまま水って感じだ)
見た目だけを見れば透明なゼリーが浮いているような感じなのだが。
しかし、こちらの指を跳ね返すような弾力はなく、触れてみればあくまで浮いているだけのただの水。
一応、原作で水の魔法は散々見てきたのだが……。こう、実際に目の当たりにして――触ってみるとなんとも不思議な感覚だ。
(――ただ)
今ので、【シェイプ】について非常に重要な情報を得ることができた。
先入観から、てっきり地面についた状態でしか操作できない、と思っていたが。そもそも、【シェイプ】自体にある程度物質を浮かせる効果があるのなら、かなりできることは増えてくる。
原作での影の薄さや第一の術ということから、それほど期待はしていなかったが、これは想像以上かもしれない――!
「よし、もっと更に――!」
そう考えていた、その時。
「あ、あの……。ヴィトルム様、デクラウス様が……」
ドアの向こうから、メイドの呼ぶ声がする。
そうか、もうそんな時間になっていたんだな。【シェイプ】についてはまだ色々と調べてみたいことは残っているが――まぁそれはおいおいとしよう。
【シェイプ】は一人でも学びようがあるが、剣術はデクラウスがいないと学べないことも多いだろうし。
「わかった、今――のわっ!?」
俺がドアの方向に顔を向けた瞬間、ビチャッ! という水音が響いたかと思うと服に水が思い切りかかった。
何事かと思い、視線を戻してみると。先ほどまでふよふよと浮いていた水のかたまりがなくなっており、代わりに机の上がひどい水浸しになっていた。
(【シェイプ】の効果が切れた――。俺が顔を向こうに向けたからか?)
「あっ、あの! 今何か!?」
「い、いや! 気にするな。すぐ行く!」
洗顔用のタオルを急いで持ち出して、机を拭く。
これが小麦粉や砂糖じゃなくてよかった……。服は――まぁ、いいだろう。大した濡れ方じゃない、どうせ稽古をやっている内に乾く。
俺は、雑多に机を掃除し、先ほどまでの実験材料を机の中心に置き、デクラウスの待つ中庭へと急いだ。