第30話 決戦
「……これ、が、『主』?」
ルミナが声を震わせながら、言う。
湖から現れたのは――。
水に包まれた上半身だけのスケルトン。
頭頂部からはヴェールのようなもの幕が美しくたなびき。
その腕には、刀剣を思わせるような長く鋭い指が五本。
そして、最も特徴的なのは――その大きさ。
「なんて――大きさ」
ルミナが、ゆっくりと後退りする。
おそらく、俺とルミナが両手を広げても、『それ』はきっと足りない。
「――ァ、ア」
暗黒の眼窩に、一瞬敵意の籠もった黄金の色の光が宿る。
その瞬間。
「ウワアァアアァアアアァアァアァアァアアァァアアァアアァアアアアァァアアアアアアアアアァァアァァァアアアアアァァアァアァアアアアアアアアアアアアアァァァァ――ッ!」
脳を揺さぶるような、甲高い絶叫が一帯に響き渡る。
その耳に響く凄まじい音圧よりも――まず、背筋を伝う本能的恐怖の冷たさ。
これこそが、『トラスのスタンピード』の主。
――水姫ルサルカ。
*
――そのおぞましき絶叫は、戦場にも響き渡る。
「……ッ!?」
突然の異常な絶叫に、思わずデクラウスの足が止まった。
明らかに、人のものではない――狂気と殺意の籠もった魂の絶叫。いったい、その声がどこからもたらされたか。
頭ではわかっていたものの、それでも確かめずにはいられなかった。森の奥――おそらく、その最奥。
(……今のが、モンスターのものだというのか?)
「おおっと……これはまた面倒になったのぅ」
バルムの低い声にデクラウスが周囲を見回すと。
「ァ、アアァ……」
「カ゛ ァ゛ ァ゛ ……」
倒したはずのアンデッドたちが、糸に引かれるようにしてふたたび立ち上がる。
「どうやら死に損ないどもに、もう一度知らしめてやらなければならんようじゃ」
「……まさしく死兵、というわけか」
二人が互いに背を合わせる。
「まだやれるか?」
「ここで膝をつくのは騎士ではあるまいよ。元、であってもな」
「結構。……ならばやることは変わらぬ!」
再び、二人は敵に飛び込んでいく。
*
――そして、その絶叫は街にも響く。
「……なんだ!? 今の――今のは」
時計台にいたハーマンがバルコニーから身を乗り出し、辺りを見回す。
おそらく、街の中のものではない。しかし――街にいたアンデッドたちがその声に呼応するように、一層暴走を始める。
正体不明の絶叫に、いい知れぬ恐怖がハーマンを包む。
「ハーマン殿! ここはもうダメです、避難いたしましょう!」
階段を駆け上がってきた団長が、ハーマンに進言する。
「避難? 避難だと!? どこへ! ハルティバを離れろとでも言うのか!?」
「はっ! 北東からモンスターの群れが接近しております。今街にいるアンデッドだけならともかく、あれが来てはひとたまりもありません。せめて、ハーマン殿だけでも――」
「私にハルティバを捨てろと!? くっ、何が騎士団だ、使えん連中め!」
ハーマンの怒号が団長に降りかかる。
と、その時。
「よこせ! 貴様らが戦わんというなら、私がやる!」
ハーマンは団長の腰にあった剣を奪い取り、バルコニーを降りていく。
「なっ!? お待ち下さい! あなたにいなくなられては――!」
「黙れ! ハルティバは――ハルティバはやらせん!」
*
「……今の絶叫」
ルミナがポツリと呟く。
なんとなく――俺もわかる。この叫びによって周囲の邪気がより強まったことが。
『主』はスタンピードの扇動者でもある。今の声が――アンデッドたちを刺激した可能性は非常に高い。
これは――まずいな。
「ァ、ア……」
ルサルカが、何かうめき声のようなものを上げる。
「命――ガ、ホシイ」
巨大なルサルカの頭が俺達をしっかりと見据えて。
「足リナイ。命ガホシイ。モット、ホシイ……モット、モット、モット、モットォオオ――!」
突如、こちらに勢いよく迫ってきた。
(強化聖水! いや――)
腰に差した聖水に触れるが、こちらが投げるより向こうが接近するほうが早い。
俺は身体を横に投げ出し、ルサルカの進行方向からなんとか身を逃がす。
――バギィッ!
先ほどまで俺が立っていた場所から、凄まじい破砕音がする。
見てみると――俺の胴よりも圧倒的に太いであろう大木が力なくなぎ倒されていた。
(あんなの直接くらおうものなら、人間スライスだぞ……)
おそらく、【シェイプ】の泥壁でもあれは防げない。
「――仕留める!」
隣から、電光のごとき速度で飛び出したルミナが瞬時にルサルカの頭上を取る。
しかし。
「ホシイ! ……強イ命!」
ルサルカはその刀剣を思わせるような爪を振るう。
とっさに攻勢から、守勢へと切り替えるルミナだったが――。
――ガギィィイインッ!
その爪は、金属を思わせるような甲高い音を響かせる。
ルミナはルサルカの攻撃をなんとか防ぎきりはしたものの。
「ぐっ……!?」
その勢いまでは殺しきれず、木に身を打ち付けられる。
「ルミナッ!」
「だ、大丈夫……ベッドから落ちたときより、マシ」
よろよろと立ち上がるルミナ。
スタンピードの主というだけあって弱いはずがないとは思っていたが――。
さすがに、今まで戦ったアンデッドは圧倒的に格が違う。
(力勝負で勝つ――それはまず不可能)
そう考えていたときのことだった。
「命――ヨコセ!」
(なっ……!?)
巨大な爪が頭上にあった。
距離は、完全にルサルカの射程内。今からの脱出は間に合わない。
俺は剣をとっさに構え――。
――どうする?
おそらく、防御してもルサルカの攻撃は殺しきれない。
特に今俺は完全に真上を取られた――つまり、衝撃を逃がす事ができない。防御しても、それではかなりのダメージを受ける。
それなら。
(実戦でやるのは初めてだが――!)
俺は剣を上に振るい、ルサルカの巨大な爪にぶつける。
――それは力の集まる先端部分ではなく、力の方向を決める根元部分。
「――【パリィ】!」
剣を爪にぶつけた衝撃が届いたとすぐに、ズドン! と土をえぐる音が響く。
……しかし、俺の身体にはその大爪は達していない。
よし、うまく行った――!
「す、すごい……攻撃をしのいだ……!」
「ァ、ァアア?」
何が起こったかわからないのか、小首をかしげるルサルカ。
あぁ、わかるとも。俺も最初は何が起こったのか分からなかったからな……。
「命ヲ、命ヲ! ワタセェ――ッ!」
攻撃をいなされたルサルカが怒りのまま、その大爪を振るう。
(こ、これ、捌ききれるか――!?)
大爪が、何度も何度も俺の身体を引き裂かんと振るわれる。
なんとかその大腕を読み、一つ一つ剣を当て攻撃の軌道をそらし続ける。
――ガギィン!
――ギィイン!
何度となく、眼前で丁々発止の鋼と骨のなる音が響きわたる。
なんとか、攻撃自体は受けずに澄んでいるが。
しかし、これでは――。
(攻撃には、回せない……!)
【パリィ】の本質は、流れそのものを乗っ取ること。
しかし、攻撃をそらし続けることはできているといっても、俺は守勢を崩せない。攻撃に繋げられなければ、当然相手にダメージを入らない。
ダメージを与えられなければ、倒すことも――。
「――もらった!」
ルサルカの背後には、飛び上がったルミナの姿が。
その槍の切っ先は、ルサルカの頭蓋骨にまっすぐ向けられている。
そして、その槍は即座に放たれ――。
「ガアアアアアアッ――!?」
ルサルカの頭蓋骨に、その一撃が決まる。
完全に俺に集中していたルサルカは、ルミナの攻撃をモロに受け、ふっ飛ばされる。
「二人いれば、百人力、だね」
ぶい、と二本指を立てるルミナ。
なんだか、ちょっと気が抜けそうになる。
「……だが、あれでは主は倒せない」
「わかってる。どうすればいい?」
「――アンデッド特攻の強化聖水をいかにして決めるかになる」
その時のことだった。
「ウワアアアアアアアアアアアッ――!」
ルサルカが絶叫を上げると、湖がうなりを上げ高い波となる。
『タイダル・ウェイブ』――!
(とんでもないことしてきやがって――!)
水系魔法でも極めて高威力の魔法。
範囲も広く、まともに喰らえば大ダメージは必須。これを食らうだけでパーティが全滅しかねない凶悪な大技だ。
正直、現時点では反則も甚だしい。
(ウォーター・スカルとはさすがにスケールが違う――)
俺は地面に手を置き。
ありったけの魔力を送り込む。
「俺の後ろに――!」
「わかった!」
その意図を察したのか、即座に俺の後ろにつくルミナ。
「――――【シェイプ】!」
泥の壁が地面から現れ、迫りくる水の暴力に備える。
かなり分厚く作ったつもりだが――なにせこの短時間だ。果たしてどれくらい持つか。
すぐにタイダル・ウェイブの大水は泥の壁に達し、凄まじい衝撃に悲鳴を上げている。
「ぐっ……う、うぅ……ッ!」
【シェイプ】を切らさず、水の衝撃で破壊されそうになる泥の壁を俺は『その場で』整形し続ける。
それでも――明らかに俺が壁の構築するスピードよりも、水の侵攻するスピードが早い。
元より、多少結びつきを強化できるとはいっても、完全に強度を高めることは向いていない術だ。こうなるのもやむを得ないかもしれないが――。
(――今はお前が、頼りだ。シェイプ!)
凄まじい勢いで、身体から魔力が抜けていくのを感じる。
魔力が尽きるのが先か、水が壁を突破するのが先か。あるいは――。
そう考えていたときのこと。
――ズズッ!
「なっ……!? シロゴ!?」
どこからともなく現れたシロゴが、泥の壁に飛び込む。
そして、泥の壁と一体化すると。
――ズズズッ!
俺のシェイプに呼応し、泥の壁を一層強化する。
そうか、ゴーレムには錬金術の効果を増幅する機能もある――!
自らコアを泥の中に沈めることで、【シェイプ】の機能を大きく上げてくれているようだ。
(――しかし、そんな命令、俺は)
「ヴィトルム! しのぎきった!」
「あ、あぁ!」
潮が引いていくように、大量の水は周囲から姿を消していく。
「命! 命ガホシイ! 私ハ! ――人ニナリタイ!」
激昂し、こちらに急接近するルサルカ。
俺は剣を構え、ルサルカの大爪に備える――。
「……ルミナ、背後を」
「今?」
「今が良い」
「わかった」
ルミナと短いやり取りをする。
そうして、ルサルカは大腕を振りかざし、ギロチンを思わせるような大爪をこちらに振り下ろす――。
「――後ろはもらった!」
ルミナが瞬時に背後を取り槍を構える。
が、しかし。
「ソノ手ハ、食ワナイ!」
即座に翻り、大爪の方向をルミナへと向ける。
(――この瞬間を待っていた!)
「アァ――!?」
俺は、腰に差した強化聖水を抜きルサルカに投げつける。
ルミナ迎撃のため、体勢を変えていたルサルカはそれに反応できない。
「ア、アアアアアアアアアアアアアアアアアアッ――!?」
強化聖水がルサルカの身体に広がり、ルサルカが純白の炎に包まれる。
「なまじ、頭が良すぎたな。受けた技の対策に頭がいっぱいだったんだろう」
ゲームではここまで、水姫ルサルカの知能は高くなかった。
【タイダル・ウェイブ】を雑に連打するようなところもあったが――。おそらく、このルサルカは魔力の消費や相手の克服も考慮して使い所を考えていたと考えられる。
……正直ゲーム通りのランダムルーティンだったら負けていた可能性はあった。
「ァ、アアア……命……。イノ……チ……」
炎に包まれたルサルカが地面に落ち、こちらに手を伸ばす。
しかし、全身に回った聖水の白炎がその体を灰に変えていく。
「ワタシ……ヒトニ、モドリ……タカッ……」
「――どれだけ人の命を奪っても、お前はもう人には戻ることはない」
ルサルカは、ウォーター・スカルの系譜にあるモンスター。進化すれば進化するほど頭蓋骨以外の部分も出来てくるが――。それでもその体は決して生身とはなりえない。
やがて、最後は頭蓋骨が残ったかと思うと、その頭蓋骨も砂となり森の風となって消えていく。
あぁ、これで――。
「――『主』討伐」
ルミナが小さく微笑んで言う。
気がつけば、周囲の魔霧はもうなくなっていた。




