第3話 執事デクラウス
「――そろそろ時間になる、が」
懐中時計を取り出し、老齢の男――デクラウスは独りごちる。
中庭に、自分以外の人影はない。
(……つくづく私というのは堅すぎる男よな)
おそらく、デクラウスが待ち望む相手が来ることは今日もない。
こうして誰も来ない中庭に一人立つのも昨日今日の話ではない。もう何年も続いてきたことだった。
結果はわかりきっている。期待もしていない。
しかし、それでも――デクラウスは中庭に一人立つ。
(――かつては、この手で多くの騎士を育てたものだが。今や、一人として来るものもなし。これも、『老い』か)
自嘲気味に、デクラウスが笑う。
かつては王城にて勇名を馳せ、数多の騎士を育て上げた。様々な栄誉を授かり、多くの部下に恵まれた。
前線を退いた後も、参謀として、教官として、彼は王国に忠義を尽くし続けてきたが――。
老年になって、彼は自ら王国を離れた。
――今の私では王国にお仕えすることは出来ませぬ。
人々は、デクラウスを引き止めた。
年老いたとしても、彼の存在はあまりに大きかった。彼が王国に在る――それだけでどれだけの騎士の士気が高まることか。
どうか、王国に残ってほしい。人々はデクラウスを説得しようとした。
しかし、彼は引き止める人々にこう返した。
――私がこうして騎士となれたのも、私を拾ってくださったアルトラス家のおかげ。晩年は、せめて拾ってもらった恩義を返す時間としたいのです。
デクラウスの言葉に、人々は何も言えなくなった。
忠義の騎士であったデクラウスが、最後に果たそうとしている忠義の道を、妨げてはならない。
そうして、デクラウスはアルトラス家の執事となった。
しかし――。
アルトラス家の執事となってからは、その忠義は宙を描くこととなる。
――老いぼれのホコリまみれの剣など、必要ない。
幼いヴィトルムの剣術指南を任されたデクラウスであったが、その言葉があったきり二度と剣術指南にヴィトルムが現れることはなかった。
(……これが忠義の果て、か)
静かにデクラウスが目を閉じる。
瞼の裏には、かつて育てた騎士たちの姿が過る。
(――今も、皆に剣を教えていれば、どうなっていたか)
と、その時のことだった。
「デクラウス……なのか……!」
――決して来るはずがなかったヴィトルムが、そこに立っていた。
「デクラウス……なのか……!」
中庭で静かに立つ、執事服姿の老人。
ゲーム中で、その姿を直接見ることはなかったけれど。不思議とはっきりとわかる。この老人こそ、間違いなくあの老騎士デクラウス――その人であると。
(――たしか、もうかなりの年齢のはずだけど。風格がすごいな)
鷹を思わせるような鋭く輝きを持つ眼。
剣のようにまっすぐと伸びた背筋。
そして、重ねた年輪を思わせる立派な髭。
まさに、「デクラウスが実際にいたならきっとこうだろう」という姿で今俺の目の前に存在している。
その圧倒的存在感に、思わず息をするのも忘れそうになる。
「……なんと」
デクラウスが何やら呆気にとられた表情で、小さく呟いた。
先ほどのメイドの口ぶりからして、ヴィトルムは長い間デクラウスの剣術指南には応じなかったのは想像できる。
おそらく、俺がこうしてデクラウスの前に立つことが不自然な状況ではあるだろう。
……そうだな。
「――どうした、俺に剣を教えてくれるのではないのか?」
ここはあえて、何事もなかったかのように振る舞うことにした。
正直、ここに来た理由もデクラウスに会いたかった、というだけ。それなら、余計なストーリーは必要ない。
「……いかような気まぐれで?」
「気まぐれにいかなるも何もあるまい。それとも――俺に教えるような剣はない、と?」
「いえ、まさか。私は旦那様よりヴィトルム様の剣術指南の命を授かっております。それに背くことは決してありませぬ」
「では、俺の気まぐれなど些細なことだ。そうだろう?」
「……たしかにそうなのかもしれませんな」
釈然としないような、それともどこか安心したような。
デクラウスは一瞬目を閉じたかと思うと。
「――では、剣術指南の時間としましょう。ヴィトルム様」
その目をキッと開き、瞳に強い光が満ちる。
俺の握った手の内からじっとりと汗が滲み出てくるのが感じられた。
ヴィトルムらしく、不遜な物言いをしてみたものの。
正直、あのデクラウスと、剣術指南という形でこそあれ剣を交えるというのはワクワクする。
――全力で挑もう。