第21話 先手
――霧が出ている。
深夜、自室の窓から俺はじっと外を眺めていた。
少し遠くで灰色のくすんだモヤが地面を舐めるように、じわじわと広がっていくのが見える。
「……予想通りではあったが、ついに来たか」
『アイリス』において、霧は二つのものがある。
一つは、ただの気象現象。冷やされた水蒸気が、空気の中で水滴となり煙のようにたちこめるもの。
そして、もう一つは魔力現象。活性化した魔力が、空気の中で溶け出し煙のようにたち広がるもの。
後者の霧は、『魔霧』としてゲーム中では知られる。
この魔霧は、ただ視界が悪くなるだけではなく、モンスターや魔法を強化する非常に危険なものだ。
そして今、窓の向こうに広がっているものは――間違いなく、魔霧だ。
(……ここ最近のゴースト頻出は、明らかに妙だったからな)
『アイリス』において、ゴースト系は本来慎ましやな存在だ。限られた場所、状況でしか現れないし、原則的に積極性をもって人間を襲いに来ることはほとんどない。
トラスの街での昼間――それも、最初から敵意を持って攻撃してくるのは、本来ほぼ起こり得ないこと。
そして、先日のオーブンの煙突に入っていたエクトプラズムの存在。
あの時は、混乱を避けるためあえて考えていたことを口にはしなかったが。
「――あれは、明らかにあの煙突を通って侵入しようとした形跡だった」
少々間抜けなことに、そのままオーブンにあった火の魔石で焼かれてしまったようだが、問題なのはここの館に侵入しようとした――つまりこれほど人が多いのに外から侵入しようとした点。
ゴーストは生きた人間がたくさんいるような場所に、自ら向かうことはほぼない。
これが意味することは。
「――やはり、『スタンピード』が近づいてきている」
うっすらと、懸念はしていたがこうして広がる魔霧を見て、確信出来た。
魔霧は本来、限られた場所でのみ出るものでこうして広がってくることもない。しかし、スタンピードが起こる場合にのみこうして広がってくるのである。
(――『トラスのスタンピード』って、たしかにゲーム中で聞いたことがあったが。……まさかよりによって5年前とは)
ゲーム中でも、スタンピードの大災害のうちの一つとして、『トラスのスタンピード』が語られている。
このまま行けば、『トラスのスタンピード』はおそらく、起こるべくして起こる。
「……改めて、対策を固めていくとするか」
スタンピードは、たしかに自然災害に近しいものではあるが、同時にある程度攻略可能なものでもある。
知識さえあれば、スタンピードは最低限に抑えられる。
――生きるために、俺は俺のできることをやっていこう。
*
「――よし」
錬金釜の中には、泥でできた核――ゴーレムコアがちょこんと収まっていた。
このゴーレムコアは、以前作ったゴーレムとは別のもの。厨房で発見したエクトプラズムを使って今まさに作ったものだ。
今回は、エンチャントは乗らなかったが、また一体ゴーレムを作ったことで工房レベルも上がったはず。
「――【シェイプ】!」
砂の塊はうごめきながら、人の形をなしていく。
――ジ、ジ。
そして、第二のゴーレムを作ってみて、俺の第一声は。
「……思ったより、黒いな?」
最初に作ったゴーレムが、クリーム色というか、黄色のようなわかりやすい砂の色のゴーレムだったのが、今回のゴーレムは全体的に黒っぽい。
先ほど、そこらで適当にバケツですくって来た砂だったのだが、外も暗かったのでここまで黒いとは気づかなかった。
「触った感じも、ひんやりとしてるな……」
もしかすると砂鉄が多かったのかも知れない。
そういえばたしか、黄色い砂は石英なんかが多いとかどうとか、聞いたことがあるかもしれない。
まぁ、さておき。
「それじゃ、ゴーレム。お前に頼みたいことがあるんだが」
と、俺が話しかけたところ。
――ズ、ズズ。
――ジ、ジジ。
バケツの中の黄色い砂のゴーレムが反応し、こっちにやってきてしまった。
「……そっか、どっちもゴーレムだったな」
一体だけなら、ただゴーレムで良かったし、命令も単純で良かったんだが……。
二体になった以上、識別するためにも個体名が必要になってきた。
……さて、どうしたものか。
黒いゴーレム、黄色いゴーレムで別に呼び分けられはするが、呼びづらいし今後同じ色のゴーレムが増えないとも限らない。
何かここは、センスの良い名前が必要だな。
――よし。
「……シロゴ、クロゴ!」
二体のゴーレムに指を指し、宣言する。
――ズ、ズズ。
――ジジ、ジ。
多分、きっとゴーレムも喜んでいる。
そんな気がする。では、改めて。
「では、クロゴ。お前に頼みたいことがある」
――ジ、ジジ。
砂鉄のゴーレムが、声に反応し頭部をピクリと反応させる。
隣の黄色い砂のゴーレム――シロゴは、じっと黙ったまま動かない。問題なく、それぞれ個体名は識別できているようだ。
「お前にはこれから、『調査』を頼みたいと思う。――『調査』するのは、あの『魔霧』の中だ」
見えているのかどうかは定かではないが、クロゴにとりあえず窓の向こうに広がる魔霧を指差す。
調査させるのは、正直クロゴでもシロゴでも良かったのだが、恐らくこの暗さなら体色の黒いクロゴのほうが向いているだろう。
クロゴは、俺の声を聞き取ることに集中しているのか、じっとこちらを見ている。
「といっても、話せないお前だと報告はできないだろう。だから――」
机の上に置いたガラクタの山を、適当にひっくり返す。
――あった。これが今回は良さそうだ。
壊れた懐中時計に、先ほどゴーレムコア作りで余ったエクトプラズムの欠片。そして、火打ち石。
それらを錬金釜に入れ。
「――合成!」
小さく錬金釜が震えたかと思うと、即座に「キィィン」と完成を告げる音が聞こえる。そのまま、釜の中から中にあったものを取り出した。
「これを持っていくんだ」
クロゴに手渡したのは銀色の懐中時計のようなもの。
針は二本で、秒針はない。
「これは、モンスターカウンター。モンスターに会うとこの時計の針が動く」
あくまで見た目が時計を流用しているだけで、時間を図る機能はこれにはない。
今回は、エクトプラズムを素材としているので、同じエクトプラズムを持ったモンスターが近づくと中の機構が反応して二つの針が動く。
文字盤はそのまま時計のものなので、単純計算で60×12――720体までモンスターをカウントできる。
「これからお前には、毎晩これを持って魔霧の中を探索してもらう。そして、日が昇ったら、この屋敷に戻ってくるんだ」
魔霧は、朝になると消失する。
本格的にスタンピードが進行すれば朝でも発生するが、今はまだその段階ではない。
「俺は、お前が持ってきたモンスターカウンターの内容を記録する」
スタンピードの中心地となる場所はモンスターが多い。
つまり、モンスターが多い方角をメモしておけば、いざスタンピードが起こっても中心地を特定して解決に向かいやすくなる。
「一応、お前は無生物だから襲われにくいとは思うが……それでも、スタンピードが近い以上ゴーストも暴れてるかも知れない。襲われそうになったらすぐに逃げるように」
クロゴに様々説明してみるが――特に反応はない。
まぁ、ゴーレムに知性はほとんどない。あくまで、一部の言葉に反応するように作られているだけだ。
一応、自分の思考を整理するために口に出しては見たが、クロゴに対する命令や説明としてはあまり意味はなかったかも知れない。
「クロゴ、これを持て。そして、『魔霧』の向こうへ行くんだ。そして朝になったら戻ってこい。いいな?」
――ジジ。
クロゴが反応する。
ちょっと安心した。
「クロゴ。今日は、館から北の方角だ。――では、早速むかえ!」
――ジジッ!
クロゴが俺の声に反応し、真っ黒な流体を起用に動かして、窓から飛び出し『魔霧』の中へと消えていく。
調査については恐らく、すぐに結果は出ないだろう。しかし、まだスタンピードも本格化はしてない。
ならば、タイミングとしては十分適正と言えるだろう。
こうした行動が、必ず来る時の選択肢を増やすものとなる。
――任せたぞ、クロゴ。
魔霧の中に消えていったクロゴに、俺は心の中で応援を送った。




