第19話 改修
(……お、これは昨日洗濯されたやつだな)
翌朝。
メイドから朝の着替えを渡されると、シャツからはほのかにラベンダーの匂いが香ってくる。
よく乾いた、柔らかい、いい匂いのするシャツ。何気ないものだが、こうして改めて意識すると、ちょっとした幸福を感じなくもない。
「――良い働きをしたな、ゴーレム」
バケツで待機状態にあるゴーレムに声をかけてみる。
――ズ。
バケツの中のゴーレムが俺の声に反応し、動いた――気がする。
命令ではない内容なので、ゴーレムがその内容を理解できているかはどうかは怪しいところではあるのだが。
「顔も洗ったし、このまま朝食でも食べるとするか――」
そして、俺は空腹のまま大広間へ。
流れるように、席について見るが――。
「……ん?」
机の上には、何もない。
いや、来たばかりなので料理がないことはわかるのだが。
皿もなければフォーク、スプーン――果てはカトラリーやマット、ナプキンに至るまで一切置かれていない。
(――やばい、寝すぎたか?)
たしかに、結構昨日は遅くまでクラスブックを読んでいたが。
慌てて、壁にかかった時計を見てみるが、時刻は午前八時。
……ばっちり、朝。間違いなく、朝だ。
(どういうことだ……?)
と、一人困惑していた時のことだった。
「……ヴィトルム様。もうすでに起床なさっておりましたか」
通路から大広間に入ってきたデクラウスが苦虫を潰したような表情をしている。
「申し訳ありません。朝食なのですが、今しばらくお待ちいただけると。……使いの者をただいま早急に走らせております」
「使いの者? ……どういうことだ、何があった?」
状況が見えてこない。
なんだ? 朝食を待つことと、使いの者と何の関係が……?
「厨房が現在、少々使えなくなっておりまして。……保存食もあるにはあるのですが、その、ヴィトルム様のお口には合わぬやもしれませぬ」
厨房が使えなくなっている……?
別に、このまま俺は待つのも、保存食を食べるのも特に困りはしない。
ただ、厨房が使えない、というのは少々気にかかる。
何度か忍び込んで色々と拝借したときには、特に問題はなさそうだったのだが。
「……わかった、厨房に向かう」
「厨房に? いえ、しかし――」
「まぁ、俺も厨房には世話になっているのでな」
「……ふむ?」
デクラウスが首を傾げる。
まぁ、間違ってもデクラウスには言えないことなのだが。
「……どう?」
「い、いや……これは……完全に」
厨房に近づくと、メイドたちの何やら尋常でなさそうな声が聞こえてくる。
いったい、何事か、と思い厨房に入ってみると。
――厨房のオーブンからなにやらもくもくと黒煙が上がっていた。
明らかに、やばいやつだ。
……幸い窓は空いており、換気はされているようだが。
「こ、これじゃヴィトルム様にご食事が用意できない……ない」
厨房のメイドが何気なく後ろを振り返る。
当然、目が合う。
「ヴィッ! ヴィイイッ!? ヴィトルム様……!? お、おおおおお食事、のほうはま、まままだ時間がががが……」
俺を見るなり、メイドが慌てふためく。
……まぁ、そういう反応にもなるか。
と、もう一人の方が俺に気づき。
「あっ、ヴィトルム様……! 昨日ぶりでございますね」
うやうやしく頭を下げる。
もしかして。
「昨日、洗濯場であった――」
「はい! おかげさまで、希望通りの役職に――なった、と思ったらこれでございまして」
そういって、煙をもくもくとあげるオーブンを指し示す。
まったくもって、煙が止まる気配はない。
よくよく見ると何か衝撃を受けたのか、オーブンにはヒビが入っているのも見える。
「なるほど。ずいぶんなことになっているようだな」
「――あっ!? もしや、ここに来てくださったのは……!」
「あぁ、もしかしたら直せるかもしれない、と思ってな」
正直、まだ状況がわからないので何とも言えないところはあるのだが。
「……ひとまず、見てみる」
「あっ、あなた……そんなに肝すわってたっけ?」
「昨日、色々と助けてもらったのよ。……多分そう言われても信じられないだろうけど」
少し遠くでメイドたちの話し声が聞こえてきた。
煙を吸い込まない程度にオーブンに少し近づき、様子を見る。
(……見たところ、煙は上がっているが燃えている、といった感じではないな)
近づいて見ても、何か燃えているような匂いはしない。
「み、水をかけてもかけても、煙が止まらなくて……それで……」
オーブンの前に水がかけられた跡が残っているが乾いている様子はない。
煙が出ているがだからといって火の手が強まるところもなし。……というよりも、火元がわからない。
となると。
(火は止まっている可能性が高い……?)
燃えている、とは別の理由で煙がで続けている可能性が高いかもしれない。
煙の大本を確かめる必要がありそうだ。それなら。
(――さっそく出番だな)
厨房の入り口付近に置いたバケツに顔を向け。
「出てこい、ゴーレム!」
――ズ。
砂の人形が、バケツから這い出てくる
「モッ、モモモ! モンスター!?」
「あっ、ゴーレムだわ……!」
対照的な二人の反応をよそに、ゴーレムがこちらに近づいてくる。
「……あのオーブンの中、お前なら調べられるんじゃないか?」
人間が中に入るのは、かなり難しい上に危険な可能性が高い。しかし、あるはゴーレムなら。
――ズズ。
ゴーレムは、こちらの声に頷くことこそなかったものの、そのままオーブンの中へと入っていく。
ガサゴソガサゴソと物音を立てた後、ゴーレムは何かを小脇に抱えて出てきた。
「ご苦労、それで中に何か――」
ゴーレムが持っていたのは赤い石と、青黒い石。
片方は、火の魔石。オーブンに着火するための生活用の魔道具だか……。
(もう一つは――エクトプラズム?)
ウォータースピリットから出てきたものとは異なり、かなり黒ずんでいるが見た目としては非常に近い。
「それ……なんです……?」
「……そうだな、平たく言えばモンスターの核、のようなものだ」
「モ、モンスターの核!?」
このオーブンは、いわゆる俺達がよく知るようなオーブンとは異なり、煙を逃がす煙突がついている。なので、その煙突を通ってモンスターが来る、というのは『アイリス』の世界なら十分に有り得る話ではあるだろう。
ただ。
(――ゴーストモンスター、というのは気がかりだな)
元々、ゴーストモンスターは人の多いところには積極的に現れるようなことはない。
厨房は、まぁ時間帯によっては空いているとはいえ、基本的にはだいたい人がいるようなところだ。
そんなところに、モンスターが来るというのは少々不可解ではある。
となると、やはり――。
「それで、ヴィトルム様。オーブンの方は……?」
「ん? あ、あぁ。おそらく、このモンスターの核とオーブンの魔石が反応して、煙が出ていた。……だから、今オーブンの煙は止まっているだろう?」
「あっ、本当だ……!」
見たところ、オーブンに入ったひび割れはおそらく、最初にエクトプラズムと炎の魔石が反発して衝撃波か何かが飛んだのではないろうか。
違う魔石同士をぶつけると、衝撃波が出る、というのは原作ゲームでもあった設定だ。その上で、火の魔石、エクトプラズム、二つの魔石が共鳴したことで煙という形で魔力が溢れ出ていた――というのがおそらくなところだ。
「このまま、火の魔石をオーブンに戻せば、料理はできるようになるはず」
「そっ、それなら……良かった……!」
「さすがはヴィトルム様……!」
メイドたちの顔が一気に安堵の色に変わる。
これで、厨房も使えるようになる――。
と思ったが……魔石の反応でボロボロのオーブン。エクトプラズムに当てられ、魔力がかなり抜けてしまっている火の魔石。
一応、煙こそでなく放ったとはいえこの調子なら、いずれ違う問題でまたオーブンが壊れそうだ。
それなら――。
「悪いが、ふたりとも。厨房を使うのはもう少し待ってももらえないか?」
「「……えっ?」」
今の錬金術なら、このオーブン周りもかなりいい感じにできる気がする。
*
「……よし、こんなものか。入ってきてくれ」
一通りの作業が終わり、二人のメイドを招き入れる。
「「わぁ――っ!」」
メイド二人が歓声の声を上げる。
「オーブン自体も古かったからな。色々と新調してみた」
錬金釜でオーブンに使われていたレンガを一部新調し、【シェイプ】で全体の形を整えつつ、ところどころ空いていた穴なんかも補修した。
おそらく、アルトラス家が歴史ある家系というのもあるのだろうが――かなりオーブンそのものが年季の入ったもので、限界が近い、という感じもあった。
「すっ、すごい……! あれだけボロボロだったオーブンがこんなに綺麗に……! 新品みたい……!」
「扉も煤やサビが取れてピカピカ……!」
ゲーム中では錬金するとどんなものでもサビが取れてピカピカになっていたりするのだが、ここもその通りなのは実はちょっと俺も驚いた点だ。
まぁ、ただ――もちろん、外観を直しただけじゃない。
「それと――火の魔石なんだが、これも作り直した」
「つ、作り直した?」
「あぁ。以前の火の魔石は、温度を保つのが難しかったはずだ。ただ、今回の――暖火の魔石はオーブン全体の温度を調整してくれる」
ウォーム・カクテルと火の魔石を合わせ錬金することで、火の魔石は暖火の魔石という空間全体の温度を調整するものに変わる。
ゲーム的には、極寒地でも部屋全体を温め凍結を防ぐアイテムだったが、説明的にはかなり火力も上げられる――という雰囲気だったので、思いっきって更新してみた。
なお、さすがに今回はエンチャントはつかなかったが。
「料理は火加減が大事だというからな。……これで、だいぶ変わるんじゃないか?」
「はっ、はい! それはもうとっても……! 今日からこんなオーブンが使えるなんて……!」
「――あ、あの。もしかしてヴィトルム様は魔法使い、なのですか?」
メイドに尋ねられる。
「いや、俺は――錬金術師だ」
「え……? 錬金術師って、あの錬金術師……?」
「ちょっと、何言って――!」
「あ、い、いや! ち、違くて! そ、そういうことではなくてヴィ、ヴィトルム様ならもっと、こう……」
うっかりそう口走ったメイドを、以前洗濯メイドだったメイドが戒める。
まるで、信じられない――俺がそんな職業なわけがない。そんなニュアンス。
「でも……すごい、錬金術ってこんなことができるんですね」
「ヴィトルム様のゴーレムも……ですか?」
「あぁ、そうだ」
『アイリス』のプレイヤーなら、錬金術師の凄まじさは慣れたプレイヤーなら誰もが知るところだ。しかしながら、『アイリス』の中の人物たちは、錬金術師について知らない――いやそればかりか、かなりの弱小職業、と考えている節がある。
(……まぁ、どうしても『錬金術』は序盤は戦闘向き、とは言いづらいしな)
『アイリス』では、直接的に戦闘をする職業が評価される傾向にある。
なので、特にこういう評価になること自体は特に何も思わないのだが……。
「ともかく、オーブンは直ったわけだ。……朝食の方、楽しみにしているぞ」
「あ、あっ! はい! 腕によりをかけて作りますので! 本当にありがとうございました!」
「何から何まで、本当にありがとうございます、ヴィトルム様!」
ともかく、これで朝食が食えるな。
厨房を直すことになるのは起きたばかりの時からすれば考えられないことだが――まず生きるにも食べ物がしっかりとしていなければどうにもならない。
そういう意味で、しっかりと厨房をアップグレードできたのは、結果的にヴィトルムが生きる上でも大きく活きてくるだろう。
(……そういえば、デクラウスの使いが朝食買ってきてくれてるんだっけか)
ふと、思い出してしまった。 ……まぁ、それは昼飯でいいか。
さて、朝食が終われば、デクラウスとの稽古だ。
その分、食事でたっぷりと精をつけるとしよう。




