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仮面公爵と赤髪の魔女  作者: 森林 浴


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EP.90


いつもの赤髪の魔女の山小屋。

その日は何か予感めいたものを感じ、私は朝からソワソワと落ち着かなかった。

何も手につかず、ただ時間が過ぎるのを待つ。

思えばこの世界に生まれ変わり、こんなに何もせず無為な時間を過ごしたのは初めてかもしれない。

それ程に私にとって重要な何かが起きる予感がして仕方がなかった。


もう何杯目かも分からぬお茶を飲みながら、外の気配に神経を研ぎ澄ましていると、私が森に張った結界を何者かが通り抜ける気配がして、私は思わずガタンッと音を鳴らし椅子から立ち上がると、玄関の前に立ちはだかった。


私が森に張った結界を通り抜けられるという事は、邪な思いを抱いてこの場所を訪れた人間では無いという事。

やはり朝からの予感は、良い方のだったという事じゃったようだ。


息を呑み待ち構えていると、コンコンッと扉が外から叩かれ、まだ幼い子供の声が聞こえてきた。


「こちらは赤髪の魔女殿のお宅で間違いないでしょうか?」


その声に私は思わず弾かれたように答えた。


「うむ、間違いないぞ、さっ、どうぞ中に入られよ」


私がそう声をかけるとゆっくりと扉が開かれ、そこにまだ幼い男の子が立っていた。


透けるようなな淡い金髪に、濃いロイヤルブルーの瞳。

愛らしい女の子にも見えるような整った顔立ち………。


「やぁ、ツクヨミ、また会えたね」


その子がそう言って微笑んだ瞬間、私は男の子に走りよりその小さな身体を胸に抱きしめた。


「タロちゃんっ、やっぱりタロちゃんだわっ」


無意識に赤髪の魔女の変身を解き、本来の姿であるエブァリーナに戻ると、私は涙を流してその小さな身体に縋り付いていた。


「あれ?そっちが今のツクヨミの姿なんだね。

赤髪の魔女は君が作り出していたのか。

その顔はエブァリーナ・ヴィー・アルムヘイムだね。

大公国の公王様じゃないか。

ふふっ、ツクヨミったら今世ではやりたい放題やってるみたいで良かった。

もう制約もないものね」


縋り付く私の顔を覗き込み、タロちゃんは人懐っこい笑顔を浮かべた。


「ふふっ、バレてしまいましたね。

アインデル王国の王太子殿下、エリオット・フォン・アインデル様。

貴方がお生まれになったばかりの頃、赤髪の魔女の姿で一度お会いしているのですよ」


クスクスと笑うと、タロちゃんであった存在、エリオットはふふっと小首を傾げた。


「もちろん、知っているよ、ちゃんと覚えてる。

ねぇ、ツクヨミ、君が今世に生まれ変わってからのお話を聞かせてよ。

君の事がずっと気掛かりだったんだ。

僕達ずっと一緒にいたから、こんなに離れていた事なんてないでしょ?

なんだかずっと落ち着かなかったよ、僕」


幼子らしく少し拗ねた表情のエリオットにクスリと笑い、私は立ち上がるとその手を引いて、ダイニングにエリオットを連れて行った。


「そうね、長い話になるわ。

お茶をしながらゆっくりお話しましょう」


そう言ってエリオットを椅子に座らせると、エリオットは嬉しそうに笑って私を見上げた。


「うん、楽しみだな、ツクヨミがどんな風にこれまで生きてきたか」


その屈託のない笑顔に私も微笑んで、エリオットの側に自分も腰掛けた。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





「へぇ、それはまたとんでもないね、ツクヨミったら」


楽しそうにクスクス笑うエリオットに、私はふふっと笑った。


「エリオット、私の事はもうツクヨミと呼んではいけませんよ。

エブァリーナ、もしくは愛称のイブと呼んでちょうだい」


私からのちょっとした注意にエリオットはハッとしたようにその口を手で押さえた。


「そうだったね、ごめんね、イブ」


幼く愛らしいその仕草に私はますます笑みを溢す。


「前までは人の名前の概念がよく分からなかったんだ。

だから君が何度生まれ変わっても、最初に呼んでいた名前で呼び続けていたけれど、魂は同じものでも生まれ変わり名が変われば、もう全く違う人生を生きる人間なのだと、今ならなんとなく分かる気がするよ。

でも、ツクヨ……イブも、君が生まれ変わる度姿を変えて側にいた僕を、何故か変わらずタロちゃんって呼んでいたね。

あれはなんでなんだろう?

僕の姿から連想して名付けるなら、シロ、の方が合っていたと思うんだけど。

ずっとそれを聞いてみたかったんだ」


不思議そうに首を捻るタロちゃ………エリオットに、私も同じように首を捻った。


「……それもそうよね、今世と違って、前までは前世の記憶なんて無かったのに……。

でも、何度生まれ変わっても、貴方を見た瞬間懐かしさに襲われて、同時に大きな安心感を感じていたわ。

そして自然にその名前が浮かぶの」


私は懐かしさに目を細めながら、遠い遠い記憶を掘り返してみてハッとしてから、ああ、そうだ……と笑った。


「そうよ、貴方が、最初に名前を付けた時にすごく喜んでくれたからだわ。

ふふっ、名前を付けたら最初はキョトンとして、それからパタパタ飛びながら喜んでくれたのよ」


私の言葉にエリオットもハッとして、懐かしそうに笑った。


「……ああ、そうだったね、うん。

あの時、名前ってものを理解していなかったけれど、なんだか自分という個を認められたような感覚がして、こそばゆいような幸せを感じた事を覚えているよ。

残念ながらあの頃の僕には、個も幸せも、その概念は分かっていなかったけど。

でもこうして人間に生まれた今なら分かるよ。

あの頃、イブの側にずっといるうちに、僕には人に似た感情が生まれていたんだ。

だからきっと、あの子に会えた瞬間にあの子が好きだと感じられたんだね。

僕に感情を与えてくれたのは、間違いなく君だよ、イブ」


その瞳が幸せそうに細められ、私は前世何度もそうしたようにその頭を優しく撫でながら気になった事を口にした。


「そういえば、あのお嬢さんにはもう会えたの?」


私の問いにエリオットは嬉しそうに大きく頷いた。


「うん、やっと会えたよ。

あの子は先月生まれたばかりなんだ。

すごくすごく可愛くて、僕はもうすっかりあの子に夢中なんだ」


その蕩けるような微笑みに私の目尻に涙が滲んだ。

ああ、良かった。

あのお嬢さんが再びタロちゃん、エリオットに出会ってくれて。

あの子を失った後のタロちゃんは見ていて辛くなるくらいに落ち込んでいたから。

それが人の感情に似た何かだと、あの頃のタロちゃんには理解出来ていないようだったけど。


「本当に可愛いんだ、シシリアは。

もう見ているだけで溶けちゃうくらいに」


うふふっと笑うエリオットに私も嬉しくなって声を弾ませた。


「まぁ、王太子である貴方が気軽に会いに行けるような存在なの?」


私の疑問にエリオットははしゃぎながら答えた。


「うん、シシリアは公爵令嬢だからね。

シシリア・フォン・アロンテン。

王国のアロンテン公爵家に生まれてきたんだよ」


楽しげなエリオットに私はまぁ、とパンッと手を叩いた。


「それでは、前王弟殿下であるダリウス様の孫にあたる方なのね。

つまり王太子である貴方のまた従兄弟。

そんな近い存在に生まれ変わってくれるなんて、良かったわね、エリオット」


弾んだ私の声にエリオットは何度も嬉しそうに頷く。


「ふふっ、僕のシシリアは僕のお嫁さんになる為に生まれてきたんだよ。

シシリアは僕だけのものなんだぁ」


その無邪気な笑顔の瞳の奥が一瞬仄暗く光り、私はゾクリと背筋を震わせ慌ててエリオットの小さな肩に手を置いた。


「エ、エリオット、いいですか?

人は誰かのものなんかじゃないのよ?

彼女には彼女の人生が、考えや生き方があるの。

その全てが貴方のものになる事は無いのよ?」


少し焦ったような私の口調にエリオットはキョトンと首を傾げた。


「そうなの?僕はあの子にまた出会えたら、もう2度と離さないようにギュッと捕まえておくつもりだったんだけどなぁ。

分かった、イブがそう言うなら、僕、あの子の考えに全て身を委ねるよ。

色々いっぱい考えて、あの子が自然に僕のものになるように仕向けるね」


アハハッと無邪気に笑うエリオットに、私はとりあえず今はエリオットが無理に彼女を手に入れようとしないなら……と無理やり自分を納得させた。

ま、まだ時間はあるもの。

エリオットは初めて人に生まれてきたばかり。

1人の人間の尊厳を尊重するという事は、これからゆっくり教えていけば良いわ……うん。


少しひくついた私の笑いにエリオットは不思議そうに小首を傾げている。


「あっ、でも今はあの子は弟のクラウスの婚約者候補なんだよ。

クラウスは僕の二つ下で、年頃的に僕より適任だからね」


うふふっと平気そうに笑うエリオットに今度は私が首を傾げた。


「あら?何故かしら?

公爵家の令嬢なら、第二王子殿下より貴方の方の婚約者に適任でしょう?」


私の問いにエリオットは、ん〜っ?と目だけで上を見た。


「適任すぎてあの子が危険に晒されないかなって思ってね。

僕の方はあの子が生まれてすぐに婚約者を選んじゃったんだ。

もちろんお互い、周りを欺く仮初の婚約者だと了承済みだよ。

僕はあの子を守りたい、相手の令嬢も僕を利用して煩わしい婚姻問題を退けたい。

彼女はすごく賢くて頼もしい相棒ってとこだね。

そのうちイブに会いたがると思うから、その時はさ、弟子にしてあげてよ」


意外に冷静なエリオットの判断に、私はホッとして胸を撫で下ろした。

一国の王太子の婚約者問題は非常に重要で、そして様々な陰謀を呼び込む。

それをこの年で既に解決してしまっているなんて、大したものだわ。


感心しながらエリオットを見つめていると、エリオットは楽しげに口角を上げた。


「それに、シシリアより少し早く生まれたある貴族の令嬢がいてね。

あのローズ侯爵家に女の子が生まれたんだ。

それで僕が思うには、彼女は間違いなくクラウスの『番のような存在』だから、クラウスは絶対に彼女以外は選ばない。

つまり、シシリアは候補以上にはならないって事だよ。

いずれ僕の方の婚約者は病気で身罷るって設定にするつもりだから、その時は僕がシシリアと婚約するんだぁ。

シシリアも自分の身は自分で守れるくらい成長してるだろうし。

それなら王太子の婚約者になっても安全だよね」


………冷静というか………綿密?狡猾?


………タロちゃんったら………人間に生まれたばかりなのにすっかり人間らしく育っちゃって………。


元は神の分身、神獣だったというのに………。


思わずうっと嗚咽を漏らしながら口元を押さえ、涙をルーっと流す私をエリオットが不思議そうにつぶらな瞳で見つめていた………。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






後日エリオットの3歳年上の婚約者、クラーラ・ルシェット伯爵令嬢を紹介された。

彼女は騎士になるのが夢だと言って、私の所で魔法を学びたいと、その真っ直ぐな瞳で弟子入りを希望してきた。


「………なるほどの、嬢ちゃんは……いや、そう呼ぶのも今は難しいの……。

クラーラは自分の性に疑問を持っているね?」


その魂の光を除きつつポソっと口にすると、クラーラは目を見開き驚いた様子だった。


「はい、私は自分の性が本当に適合しているのかどうか、分からないのです。

伯爵令嬢に生まれた以上、いずれどこかの殿方の所に嫁がねばなりません。

………ですが私には、それが自分に出来るのか自信が無い………。

エリオットは私を性別関係無く扱ってくれますし、エリオットの婚約者である以上、他に縁談の話は絶対に来ない。

エリオットが作ってくれた時間を有効活用して、私は自分の性と向き合うつもりです。

いずれその答えが出た時には、答え次第ではエリオットの婚約者を辞すつもりですが、それまでは利用させてもらいます」


堂々と王太子という存在を利用すると宣言したクラーラにも、エリオットはニコニコ笑っているだけだった。


「利用しているのは僕も同じだよ。

僕の方の婚約者問題の方がずっと煩わしくて面倒だからね。

クラーラのお陰でそれが解決したんだから、クラーラも僕をいくらでも利用してね」


和かに笑うエリオットだが、もしクラーラが今の自分の性を受け入れれば、そのままこの2人はいずれ婚姻する事になるのだが………。


いやしかし、この魂の色は………。


エリオットにも、それは分かっている事なのだろう。

いずれ必ずクラーラは本来の自分の性に気付く。

そして男であるエリオットの婚約者にはなれないと口にする日が来るだろう。


だからエリオットはこの前、自分の婚約者はいずれ病気で身罷る設定である、と言ったのか。

ただ婚約破棄するだけなら、その存在を世間から消し去る必要は無い。

だがいずれ、クラーラにはクラーラ・ルシェット伯爵令嬢では無い身分が必要になる。

世間的には彼女は身罷った事にしなければならない時が来る。


その時の為の設定まで、今のエリオットには全て計算のうちのようじゃな。


はてさて、私の可愛い神獣はすっかり人間に、しかも計略無くては生き延びられない王家の人間へと染まりきっているらしい。


人の思惑や策略などを理解出来ず、人間って変な事を考えるね、とよく言っていたあのタロちゃんは今やすっかり消えてしまったようじゃ。その事を寂しく感じながらも、私はタロちゃんが人間に生まれてきた事を嬉しくも思っておった。


ただ私の人生を見護るだけの存在だったタロちゃんに、生が与えられ愛する人が現れ、欲が生まれ、計略を巡らせる。


まぁまだたったの五、六歳にしてはちいと早熟な気はするが、無機質だったその存在にハッキリと血の巡りを感じて、それだけで私は嬉しかった。


ずっと私の側で私を見護ってくれていたタロちゃんには、自分の人生を楽しんで欲しい。

そしていずれ輪廻の輪に乗り、何度も人間の人生を味わって欲しい。


今度こそ、個を、我を、生を、死を、味わい尽くして欲しい。


きっとタロちゃんにそれを与えたのはあのお嬢ちゃんなのだろう。

彼女に出会った事でタロちゃんの無限の時間が動き出したのだ。


今度は有限の時の中で、人という短いその人生の中で、人を愛する事を存分に味わって欲しい。



私に費やしたその長い長い時の分まで…………。




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