EP.87
「しかし、当時の事をよくあそこまで調べ上げたものじゃ」
感心したような私の声に反応して、木々を見上げていたアレク坊やは悠然と私に顔を向けた。
「……師匠、私はね、不思議だったんです。
母上は私が成人する前に亡くなってしまいましたが、私は母上の事を良く覚えています。
けして世渡りの上手い方ではありませんでしたが、この国を少しでも良くしようと日々一生懸命に生きてらっしゃった。
いつまでも少女のように無邪気で、目をキラキラとさせていましたよ。
確かにお心を病んでからは伏せる日も多かったですが、父上や私を残して死んでしまうような方ではありませんでした」
そう言って空を見上げるアレク坊やを私は黙って見守った。
「ですから、少し気になったんです。
母上の死の真相が、他にもあるような気がして。
調べていく内に、魔力硬化症を患っていた事に辿り着いた。
母上は公式には病死となっていますから、皮肉にもあながち間違いでは無かったという事です。
母上がこの事を父上に話さなかった1番の理由は、既に病がかなり進行していたからでしょう。
治療をしたところで助かる見込みは無い。
多少の延命の為に例え治療とはいえ父上以外の人間と交わるくらいなら、魔力を暴発させて周りを巻き込む前に自ら死を選んだのでしょうね」
哀しげにまつ毛を揺らすアレク坊やの横顔を見上げながら、私はなるほどと顎に手をやった。
「………確かに、魔力硬化症はあまりに症例が少な過ぎる。
ゆえにほぼ何も解明していない状態じゃ。
症状もまた様々で、確かに過去には魔力暴発を起こし多数の死傷者を出した例もあるが、中には身体の力を失い起き上がれなくなり、そのまま静かに亡くなった者もいる。
魔力循環とて根本的な治療とは言えぬ。
例えば、魔力硬化症疾患者を遥かに上回る魔力を持つ者が治療にあたれば、もしや、といったところじゃな。
ユリア妃なりに自分の病気についてよく調べ、自分以外の犠牲者を出さない確実な方法を選んだのじゃろうが………やるせない話じゃ」
そう言った私を横目で見つめ、アレク坊やはクスリと笑った。
「そう、魔力硬化症についてはまだ何も解明されていません。
ですから、母上が聖女になっていれば発症していなかったかも知れない、なんて話は何の根拠も無い、唯の私からの父上への恨み言なんです」
「まっ、それくらいはのう……」
アレク坊やの言葉に私は首を振りながらすぐに応えた。
結局、何が最善であったかは分からぬが、最後まで籠の鳥として静かに自分の生を終わらせたユリア妃を思うと、その息子であるアレク坊やが根源である父親に恨み言の一つや二つ言ったところで何が悪い事があろうか。
「でもそれは、母親を失った息子の言い分ですよ。
母上は間違いなく、父上のあの異常な独占欲までをも愛していました。
国を治める者として、自分の感情のほぼ全てを封じた父上の、唯一の残された感情が母上への執着である事を、母上が1番良く理解していた。
だからこそ、母上はその全てを黙って受け入れていたのです。
あの2人にはあの2人なりの、たとえ周りからは歪に見えようと、真実、愛がそこにあった、という事でしょうか………」
遠くを見つめながらハァッと溜息をつくアレク坊やは、ほんの少しだけ儚げな様子を見せた。
私はそのアレク坊やの背中をバンバンッと叩き、わざと明るく笑ってみせる。
「カッカッカッ、なに、お前さんはその父親とは違い、番のような存在であるエレーヌを籠の鳥になどしておらんではないか。
愛だなんだと言っても、独占欲も執着心も相手を思いやりさえすればいくらでもやりようがある。
お前さんには、そのお前さんのように出来なんだ国王に、恨み言くらい言う権利はあるではないか」
私に叩かれたところをさすりながら、アレク坊やはいやいやと首を振った。
「違います、俺の場合はエレーヌが大人しく籠の鳥でいられるような女性では無かった、ってだけで………。
だってアレですよ?俺から散々逃げ回って、すごく嫌そうに、お前は執着心が強そうで嫌だ、独占欲など幼子にしか許されん、って……真正面から……あの曇り無きまなこで………。
出来ます?これ、出来ます?
父上みたいに独占欲丸出しで独り占めに出来ますっ?
出来ませんよっ!そんな事したらあの蔑み切った目で再起不能にされちゃうっ!」
エレーヌの名前が出ただけで、王太子という仮面をあっさり脱ぎ捨て、一人称まで〝俺〟に戻ってしまったアレク坊やに私はヤレヤレと溜息をついた。
これはこれでまた、別の意味で情けない……。
父親とは違い少しは自制が効くのだと思えば、ただ単に相手の問題だとは。
とはいえ、アレク坊やとて本音は父の轍を踏むような事はしたくないのだろう。
エレーヌに自由を与えているのは何も、嫌われたくないから、などという理由だけでは無い、と思いたい。
………しかしアレじゃな、この国の王家の男は………。
女次第でどうとでもなるんじゃないかと思ってしまうな、これでは。
「まったく、息子も生まれたというのにもちっとシャキッとせんか。
今回の内乱を裏で操ったのも、王位継承権保有者を整理するだけが目的では無かったのじゃろう?
であれば、まだやる事があるのではないか?」
ハラハラと涙を流しながらエレーヌ、エレーヌと呟くアレク坊やを腕を組み呆れたように横目で見ると、アレク坊やはハッとして、シャキッと背筋を伸ばした。
「そうそう、そうなんですよ、実は。
まっ、今回の騒動をキッカケに、父上にはそろそろ引退を考えて頂こうかな、と思っていましてね」
ケロッとそう言うアレク坊やに、私は片眉を上げた。
「先程の密会場所でのお主の言動がどうも気になっておったが、やはりそうであったか。
しかし何故じゃ?ロイアスはまだ身体も健康じゃし、年も50手前。
一国の王としてまだまだ務め上げる力はあるじゃろう」
私の疑問にアレク坊やは残念そうに首を横に振った。
「そうですね、確かに父上はまだ王としてやれる力もありますし、こんなに早く引退頂くには惜しい人物ではあります。
しかし、問題はその心ですよ。
父上の心はとっくに死んでいるも同然。
母上を亡くしたあの日から、ずっとです。
王として立派に責務をこなしてはいますが、そこに果たしてどれほどの心が残っているのか……。
俺はね、師匠、例え父上ほど優秀な人物で無くとも、そこに人としての心があれば、父上よりよっぽど王たる資質がある、と思うんですよね。
ダリウス叔父上達とは少し考えが違うかも知れませんが、それが俺の思う王たる人間なんです。
そう考えると、父上はもうとっくに限界を超えています。
自分の心を無視してこれ以上国を治めるのは無理でしょう。
今回の事で父上がその事に気付いてくれたら、と思ったんですよ」
そのアレク坊やの話を私はうんうんと頷きながら聞いていた。
「………なるほどのぅ………。
王たるもの、一切の私情は無用と自分の心を殺してきたロイアス。
王だからこそ、その心の在り方を重要視するアレク坊や。
どちらも国を治める者として、必要な決意に思えるが」
うむと顎を掴み考え込む私に、アレク坊やはハハハッと笑った。
「そんな難しい話でも無いんです。
要はバランスですよ、バランス。
王たる者、時には非情になって事を決断する時もあるでしょうが、だからこそ無感情でいてはならないのです。
王が治めるべき国とは、人、国民です。
王族であれ貴族であれ平民であれ、皆等しく守るべき国の柱。
その全てを両肩に背負う王という存在は、無感情でも感情的でも立ち行かない。
それでも大事なものは心だと、俺は思う………」
そこまで言って言葉を切ると、アレク坊やはまた空を遠く見上げた。
「………俺はね、師匠。
将来、エリオットに、王たるもの私情の全てを捨て、無感情であれ、なんて言いたく無いんです。
王とて人です、ゆえに国を治められる。
感情の無い王に国民の気持ちは届かない。
いつかエリオットが王となる時には、人の情に溢れた良い王になって貰いたい、とそう思うんですよ……」
遠い未来を思い描くように、アレク坊やはフフッと楽しげに笑った。
「ふむ、人の心、か………。
しかしエリオットは人間に初めて生まれたばかりじゃて、ずっと見てきた経験から人の真似事くらいは出来ようが、さて本物の感情を得るには何かキッカケが必要になるやも知れぬな………」
顎を掴んだままボソリと呟くと、アレク坊やが不思議そうに首を捻りながら私を振り返った。
「うちのエリオットを随分知っている口ぶりですが、あの子はまだ生まれたばかりですよ?」
私の頭がおかしくなったのでは無いかと心配そうなアレク坊やに、私は誤魔化すようにゴホンと咳払いをした。
「まっ、何にしても、王たる者の資質は人それぞれ。
ロイアスの時代にはあのような王が求められていたのだろう。
事実、ダリウス達はあのロイアスを盲目的に支持しておる。
じゃが、アレク坊やの時代はアレク坊やの、エリオット坊の時代はエリオット坊の、それぞれの王の形があろうて。
最愛の妻を亡くし、心が壊れたままでこれ以上王たる責務をロイアスに背負わすのも酷というもの。
アレク坊やにその気があるのなら、もう解放してやるのも一つの道ではあるな」
ゴホンゴホンと咳払いを交えつつの私の言葉に、アレク坊やは頷きまた空を見上げる。
「はい、父上には、ただの人となり、母上の死を悼む時間を持ってもらいたい………。
それが俺の最後の親孝行ですかね………」
そう言って静かに空を遠く見つめるアレク坊やの隣で、私も同じようにその空を見上げた。
王宮の庭園に吹き抜ける風は優しく、新しい時代の到来を示していた。
苛烈な時代を生きたロイアスという王から、次はどのような時代に変わるのか。
未だ多くの問題を抱えたままの王宮という場所で、しかし確実に王家の力は更に強くなったと私には感じられた。
アレク坊やにはエレーヌがついているし、信頼出来る側近もいる。
………更に、息子があの………。
何かキッカケさえあれば、もしかすると、最強の王太子が誕生する事になるかもしれんな。
私はアレク坊やに見つからぬよう、密かにニヤリと笑った。
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あれから、ロイアス王は自身の退位を発表した。
次期国王に王太子であるアレク坊やを指名し、今はその即位の為に王宮は大騒ぎの最中。
今回の内乱を鎮圧した功績により、とはいえ、これは表向きの理由には出来ぬが、ダリウスは公爵位を賜った。
元々国民からの支持も高い王弟殿下の授爵に否を言える者など1人もいない。
ダリウスは新しくアロンテンという性を名乗る事になり、王国に新しくアロンテン公爵家が誕生した。
ダリウスは早々に息子であるジェラルドに譲る気満々で、毎日息子を説得しているらしい。
ジェラルドの方も、アレク坊やが即位した際に父に代わって宰相となれるなら、という条件をつけたりなど、なかなかに負けてはいないが。
王国に新しい風が吹く。
若く新しい世代が国を担う事となる。
それが吉となるか凶となるのかはまだ分からない。
だが、頼もしい私の弟子達なら、必ずやってのけてくれると私は信じておる。
未だ蛇の末裔の蔓延る王国の暗部にも、あの者達であればいつか手が届くであろう。
かつて建国王と大聖女が夢見た国。
人が人として生涯を終え、また戻りたいと願うような、そんな国。
それこそがアインデル王国のあるべき姿。
歴代の王達が願い、叶える為にその生涯を捧げた、その王国の未来へ。
これから吹く新しい風は、きっとその場所へ国を民を運んで行くのだろう。
「……のぅ?エリオット坊……そなたもその風の一つ。
人として生まれたからには、その生を楽しんでおくれ。
今度こそ、その生涯は間違いなく、お前さんだけのものなんだよ?」
揺りかごの中のその頬に指先で触れると、エリオット坊がその指を小さな手でギュッと握ってきた。
『うん、ボクすごく楽しみだよ、人間として生きること』
その時、頭の中に直接エリオット坊から話しかけられ、私は目を見開いた。
「………おやおや、まだ力を消失出来ておらんようじゃ。
それも仕方ない事じゃろう。
なんせ人間に初めて生まれたのだから。
スキルだなんだと誤魔化してはみたものの、アレはそのまま神のお力の残片。
お主は元々、神の一部から創られた御使いなのだから」
ふふっと笑うとエリオット坊もつられたように新生児微笑を浮かべた。
『ねぇ、ツクヨミ?今世も楽しい?幸せ?』
また頭の中に直接話しかけてくるエリオット坊に、私は優しく微笑んだ。
「もちろん、楽しんでおるさ。
それに今世でも彼をしっかり捕まえたからね。
私は幸せだよ、タロちゃん」
私が穏やかにそう答えると、エリオット坊はキャッキャッと声を上げて笑った。
『そっか、良かった、ツクヨミが幸せで。
ボク、必ずツクヨミに会いに行くからね。
その時はきっと彼女も一緒だよ』
楽しげなエリオット坊の表情に私は破顔してその額に自分の額を合わせた。
「ああ、待っているよ。
その時は皆で楽しいお茶会を開こう」
開け放たれた窓から優しい風が吹き込み、レースのカーテンを揺らした。
私とエリオット坊の秘密の約束が叶う、ほんの少し先の未来を夢見て、私達は共に笑い合った………。




