EP.79
「兄上っ!何故ですかっ⁉︎
師匠……いえ、魔女様の申し出は実に良い話だと私は思います。
ユリア嬢の力が認められれば、もう誰も彼女について否定的な事は口に出来なくなる。
それどころか、国中がお二人の婚姻を祝福するでしょう。
確かに帝国では聖女は神殿に入り、一生をそこで過ごす決まりですが、我が国がその決まりに準ずる必要は無い。
我が国は建国王と大聖女が興した国、大聖女は王妃になられたのですから、ユリア嬢が建国以来の聖女となれば、建国王と大聖女の再来と皆が喜ぶ事でしょう。
もうユリア嬢は市井育ちの男爵令嬢と陰口を叩かれる必要も無くなるというのにっ!」
ダリウスの言葉にロイアスは煩わしそうに眉間に皺を寄せた。
「それが余計だと言うのだ。
誰がなんと言おうと、ユリアは私が選んだ女性。
それ以外の理由など必要無い。
市井育ちだなんだとくだらない。
なぜ身分などでユリアを測られねばならない。
そのようなものの見方をしている者などに諂う必要など無い」
ロイアスの返答にダリウスはそういった話では無いと言いたげにグッと言葉を呑み込んだ。
ふむ、何だかんだと言ってはおるが、要はユリア嬢を自分の領域から出したく無いというのが本音か。
何を言っても〝必要無い〟しか返ってこんの。
やれやれ、誰にとって何が必要か否かは本人が選び取るものじゃが、こやつはそんな事さえ見えなくなっておるのか。
呆れてチラリとダリウスを見ると、悔しさと私への申し訳無さ、それに歯痒さの混ざったなんとも言えない顔をされてしまった。
うむ、これはこの先、ダリウス達の危惧した通りの展開になりそうじゃ。
ユリア嬢の才能をもっと伸ばし、聖魔法にまで昇華出来れば、少々特殊ではあるが聖者、または聖女として認定出来るやも知れぬというのに。
そうなればもう誰も、ユリア嬢もこの先ユリア嬢が産むであろう子供に対しても、王族たる資格無しだなどとは言えなくなり、そこを突いての王位簒奪など出来なくなる。
それが分からぬロイアスでは無いであろうに、何故ここまでユリア嬢の自由を奪おうとするのか。
彼女の全てを我が物にせねば気が済まないらしいが、それは彼女を一個人として見られていると本当に言えるのか。
言いたい事は山ほどあるが、まだロイアスという人間が掴めぬ以上、これ以上は押し付けというもの。
人には理解出来ずとも、2人には2人のやり方がある。
それを何も知らない人間が訳知り顔で否定するのもおかしい話じゃ。
「うむ、王太子の言う事にユリア嬢が納得しておるなら、私からはもうこれ以上何も言うまい。
じゃが、ユリア嬢が望むなら私はいつでも迎え入れる準備はある。
今日のところはそれだけ覚えて帰ってくれれば良い」
私の言葉に小さな希望を瞳に宿すユリア嬢と、今にも舌打ちしそうな顔で忌々しげに私を睨むロイアス………。
対照的な2人の反応に、私はなんだか胸騒ぎを覚えた。
環境は人を変える。
いつかこのユリア嬢の心が挫けてしまわねば良いが………。
伴侶からの愛だけでは人は生きられぬと、隣の男がいつか理解してくれれば良いがな。
………全てが手遅れになる前に。
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「随分、苛烈な愛だね」
その日の夜、私から全ての話を聞いたカインは、少し呆れつつそう言った。
「確かに、獣人の番への本能と似ているかもしれない。
番を得た獣人は嫉妬深く、番が自分以外の何かに興味や関心を向ける事を酷く嫌うものだけど………。
不満は口にしても、実際にそれを取り上げたりまではしないな。
同じ人として、相手の尊厳まで奪うような事はしない。
番を独り占めしたいという欲望と同じくらい、人としても大事にしたいと思うものだ」
カインの話に私は頷きながら、頬に手を当てた。
「あの王太子殿下には困ったものですわね。
ユリア嬢を何がなんでも自分だけのものにしておかねば気が済まないのでしょう。
確かに聖女となれば個人が独占出来る存在では無くなります。
ですがそれは、大なり小なりどんな相手でもそうでしょう。
相手にだって自分以外に家族もいれば、友人もいる、やりたい事や夢だってある筈です。
なのに相手の全てを自分だけのものにしようだなどと、それがどれほど自分勝手で残酷な事か、本当に王太子殿下には分からないのでしょうか?」
私の疑問に対してカインは顎を掴み、何か考えるように目線を上げた。
「確かに、俺はその王太子についてはよく知らないが、ダリウス達の事なら知っている。
皆心根が真っ直ぐな良い青年達だ。
賢く、正しい信念も持ち合わせている。
そのダリウス達が仕えるべき相手として選んだのであれば、その王太子には国を背負うに足る器があるのだろう。
だが、どんな人間であれ完璧では無い。
何かしら欠けた部分がある筈だ。
王太子にとってそれがユリア嬢への執着であれば、ユリア嬢は王太子の負の部分を背負う事になる。
むしろそれは彼女にしか出来ない事なのだろうけど、それに彼女が押し潰されやしないか心配ではあるな」
カインの言葉に私はゾッと鳥肌を立てた。
もしそんな事になれば、一体王太子は、あの国はどうなってしまうのかしら。
人を愛する事は尊い事ですが、行き過ぎた愛ゆえに国が傾くなんて事も起こりうる事でしょうか?
もしそんな事になったら、建国王と大聖女の王国への想いもそこで潰えてしまうという事です。
そうなったあの国からは大聖女の加護は消え去ってしまうでしょう。
それは、作物一つも育たない荒れた大地に戻ってしまうという事。
あの王太子がまさか、そこまで馬鹿であろう筈も無い、と信じたいところですが。
幸いにもあの王太子にはダリウス様達がついていますから。
それにもしもの際はダリウス様が国を背負い立つ筈です。
最悪のケースを避ける方法はあります。
………ですが、やはり気にかかるのはユリア嬢の事。
例え2人が愛し合っているとはいえ、あのように自由を奪われていてはいつか彼女の精神に支障をきたしてしまうでしょう。
出来れば彼女がそうなる前になんとかしてあげたいものですが………。
関わりの無い私が2人の事情に顔を突っ込む訳にもいかないでしょう。
いずれ夫婦になればそれなりに落ち着いてくれれるでしょう。
それこそ子供が産まれれば、あの王太子も流石に落ち着くでしょうし。
この時の私はそう思う事で胸の内にある不安を払うしか方法がありませんでした………。
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やがてあの2人は婚姻し、元気な男の子にも恵まれ、王国には平和な時間が流れているらしい。
あの一件以来、赤髪の魔女の方の私は王太子から拒絶されたままなので、ユリア嬢に会う事は叶わなくなってしまった。
今はアルムヘイム公爵としての身分でユリア妃に接触出来ないか画策しているところですが、あまり人の家庭に踏み込みすぎる事も出来ませんから、難しいところです。
ユリア妃は王宮から孤児院や平民の子供達の学習所などへの支援をすると共に、貴族達の平民への意識改革に奮闘しているそうです。
王太子と共に市井への視察にも出かけ、若い王太子夫婦は市民達から大変人気があるようですが、反面、貴族達からは未だ理解を得られず、いつまでも高位貴族の振る舞いや王宮の暮らしに慣れないユリア妃を陰で馬鹿にしたり蔑む貴族も少なくないのだとか………。
王太子夫婦が王位を継ぐ事を支持する平民達と、それを危惧する貴族達に挟まれ、現国王は大変難しい決断を迫られているようですね。
ダリウス様の話では、国王の気持ちは王太子殿下で決まってはいるものの、そうなれば貴族達からの反発は必須。
今は慎重に頃合いを図っている、というところなのでしょう。
いずれ時が来ればロイアス殿下が国王となり、アインデル王国を治める事は間違いないようですからそれは心配要りませんが、やはりユリア妃の事は気になりますね。
王妃となった彼女を、今彼らに反発している貴族達がどんな目で見るか………。
彼女がこれ以上、辛い仕打ちに合わねば良いのですが………。
「おーーい、イブ?聞いてるかい」
アインデル王国の未来を想って物思いに耽っている私の顔の前で、ジルヴィスが手をヒラヒラとさせている。
「………ええ、聞いているわ。
レイがあの領地を欲しがって駄々を捏ねている、って話でしょ?」
「その本人も目の前にいるけどね?」
深い溜息をつきながらそう言う私にすかさず言葉を被せながら、レイが目を細めて私を見ている。
「良いでしょう?イブ姉様。
あの領地はイブ姉様の領地の範囲からかなり離れているんだから」
良い年をして口を尖らせるレイを侮蔑のこもった目で見つめ返し、私はまた溜息をついた。
「駄目よ、あそこには新しくコーヒー豆を栽培し始めたところなの。
まだまだ実用化は先だけど、長い目で見てもあそこは国に返還出来ないわ」
少し厳しい私の口調にレイはますます口を尖らせた。
30歳も過ぎた殿方のそんな顔、私は見たくないのだとどうやったらこの子に伝わるのかしら?
「まっ、今やカカオは我が国の特産品だからね、レイが国で管理したい気持ちも分かるけど、流石にそれは欲張り過ぎかな?」
静かに睨み合う私達をまぁまぁと手で制して、ジルヴィスは和かに笑った。
その顔に毒気を抜かれたようにレイが小さな溜息をつきながらソファーに背を預けた。
「分かってるよ、僕だって、流石にそれは通らないって。
でもね〜、あの産業を抱えたままイブ姉様を開放してしまったら、いよいよやりたい放題に拍車がかかるような気がするんだよなぁ。
何だっけ?〝ド・ライヤー〟と〝ソ・ジィキ〟だっけ?
あんなの一体何に使うつもり?
どっちも生活魔法レベルの初級魔法で事足りるのに」
ブツブツ言っているレイに、私はキラリと目を光らせた。
「まぁまぁ、若い内に他国に赴く機会が無かった弊害ね。
皇帝となった今では他国から貴方に会いに来るのだから、実感し辛いのでしょうけど。
我が国が何故、他国から魔法大国と呼ばれているのか分かりませんか?
それは他国には魔法というものが無いからですよ。
つまり、帝国では売れずとも、魔法のような便利な道具は他国では飛ぶように売れるの。
貴方があんな物、というそれらがまた私とアルムヘイム家を潤してくれるのを指を咥えて見ていればよくてよ」
クックッと黒く笑う私とは目も合わせず、レイは冷や汗を一筋流し、言いにくそうに口を開いた。
「………王家からも出資させて下さい……」
クッと悔しそうに声を絞り出すレイに、私はニヤリと笑った。
「ええ、もちろん、良いですよ。
貴方があのカカオの採れる領地を諦めるなら、ね」
ふふっと優雅に笑うと、レイはぐっと悔しげに喉を鳴らし、渋々と言った感じでまた口を開く。
「………分かったよ………。
あ〜あ、あわよくば貰えるかもとか欲を出すんじゃ無かった………」
ボフっと後ろ頭をソファーの背もたれの上に放り出し、レイは天井を見ながら、しかし楽しげに笑い出した。
「ふっ……ふふっ……それにしても、本当にイブ姉様はやっちゃうんだもんなぁ。
若い頃からとにかく有言実行だったよね。
イブ姉様が言い出した事で叶わなかった事は無いんじゃない?」
レイの言葉に私はそうだったかしら?と首を捻った。
「まぁ、イブだからね、もう仕方ないよ、レイ」
何の説明にもなっていないジルヴィスの言葉に何故か激しく頷くレイに、私はますます首を捻る。
「とにかく、我が領はどこも赤字は出していないのだから、これだけ王家に返還すればもう十分に貴方達を潤せてあげられるでしょう。
これをもって、アルムヘイム家の奉仕は終わりにさせてもらいます。
これからは………」
チラッとレイを見ると、レイはニッと口角を上げた。
「これからは僕達は対等の立場だ、ねっ?イブ姉様?」
年をとってもなお衰えないレイの美貌は、幼い日のレイの面影を思い出させる。
帝国の皇帝という重荷をあの若さで背負い、凛と立ち向かってきた彼には敬意しかない。
だからこそ、彼と対等の立場になり、アルムヘイム家は今後一切何者にも揺るがされない確固たる立場を確立し、今までとは違う角度からレイの背負う帝国という国を守っていかなければいけないのです。
国内に力のある家が王家以外に存在する現状がいつ国の混乱に繋がるとも限りません。
そう考えると、今までが異常だったとも言えます。
今こそ、アルムヘイム家は正しい姿となってこの帝国を支える時なのです。
「これからの事を考えると本当に楽しいね。
子供の頃にイブ姉様に表舞台に引っ張り出されて、最初こそは乗り気じゃ無かったけど、今は本当にこうなって良かったと思っているよ。
だってあれからずっと、僕は楽しい日々を送っているから。
皇帝なんて面倒事を押し付けられたと思っていたけど、案外僕には合ってたね。
イブ姉様がそこまで見抜いていたなら、もう笑うしかないけど」
ハハハッと笑うレイに、私とジルヴィスは顔を見合わせてニヤリと笑った。
その私達を見て少し青くなるレイ。
「あの頃、レイに皇帝が務まらないと思っていたのは本人だけだよ」
穏やかなジルヴィスの言葉にレイはギクリと身体を揺らす。
「ええ、貴方を知る人間なら、もしアーサー様にあの頃能力以外何の問題も無かったとしても、貴方を担ぎ出そうとしていた筈だわ」
優雅にお茶を飲む私を見て、レイがいよいよ震え上がる。
「…………兄様がまんまとイブ姉様の計略に嵌ってくれていて良かったよ……。
じゃなければ、一体どんな泥沼になっていたか分かったもんじゃない……」
カタカタ震えるレイに私はニッコリ笑いかけた。
「計略ならアレ一つという訳じゃ無かったから大丈夫よ。
まぁ考えていた中で1番平和的な解決になって本当に良かったわ」
その私にレイはついにガタガタとソファーを鳴らし出した。
「………僕、カカオの領地については今後一切何も言わないから……今日の事はお願いだから忘れて下さい………」
そのレイに私は良く出来ました、とばかりにニッコリと微笑んだ。




