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仮面公爵と赤髪の魔女  作者: 森林 浴


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EP.74


「エブァリーナ、無理しないで、ちょっと休んで」


ソワソワと私の腰を支えるカインに、私はふふっと笑い返した。


「心配ないわ、カイン」


クスクス笑う私に、カインはまだ心配そうに眉根を寄せ、私の大きなお腹を撫でた。


「俺に出来る事があるなら言って欲しい」


私の執務室で大量の書類の山を睨みながら、カインはそう言ってくれるけど、すでに手伝えるだけ手伝ってもらっている。

カインには騎士としての仕事も、剣聖としてやらなければいけない事も山ほどあるのに、これ以上どうこき使えば良いのか分からないくらいだわ。


私は今、カインとの子供をお腹に宿しています。

今は丁度8ヶ月に入ったところ。

その間に私の年齢は22歳になりました。


アルムヘイム家の人間である私が22歳で第一子を授かる事に、あの法案以来まだ疑心暗鬼で過ごしていた一部の令嬢方が、急にイキイキし出したと社交界の噂で聞きました。

私としては、もう少し先延ばしにするつもりだったのですが、こればかりは自然の摂理。

どうこうなど出来ない領域ですので、子を授かった事をありがたく受け止めています。


前世では3人の子を産んだ私ですから、申し訳ありませんが妊婦だとて執務から逃れる気はサラサラありません。

どうしても悪阻に左右されてしまいますので、出来るうちにやる、は鉄則です。

とはいえ8ヶ月にもなると悪阻は大分治りましたけど。

これは私の場合は、なので一般論ではありませんけどね。


日に日に大きくなるお腹に危機感を覚えて、最近では流石に甘いものは控えています……。

あっ、もちろん、塩っぱいものも………。


……せっかく、チョコレートも大福もお煎餅もこの世界に再現したんですけどね……。

まぁ、妊娠が分かるまでは毎日それらを思う存分楽しんでいましたが。


色々と制約のある妊婦生活ですが、それも仕方ない事ですよね。

なんたってお腹の中で命を育んでいるのですから。

まず第一に考えねばならないのはお腹の子供の事です。


それにしても、妊婦になって改めて思いましたが、この国の妊婦に対しての間違った常識は一体最初に誰が言い出したんでしょう?

とにかく動いてはいけない、とか、お腹の子の分まで2人分食べなければいけない、とか。

まぁそんな優雅な事を言っているのは貴族社会だけの話ですけど。

ですが平民も平民で、妊娠は病気では無いのだから甘えは許されない、とか……。

もう、散々な状態ですわ。

これで良く元気な子を産めと言いますわよ。


スケットル婦人は妊婦の運動不足解消の為に、安定期を過ぎたら適度な散歩をと推奨してきたそうですが、貴族達には受け入れられる訳が無く、まんまと難産に陥る妊婦ばかりだったのだとか。


今は法案可決にも参加した権威ある助産師として、オーランド医師と共に大活躍してらっしゃるから、スケットル婦人の話を聞かない者などいないようですが。


そんな訳で、公爵家の私が積極的に体を動かしている事もスケットル婦人の助けになっているのではないかしら?

まぁ私の場合は、執務に追われているだけなのですけど……。

まったく、公爵になる下準備も大変だわ。

今までジルヴィスの執務を手伝ったりはしてきましたが、改めて自分の仕事として引き受けてみると膨大な量ね……。

カインとジルヴィスも手伝ってくれているけれど、なかなかに厳しい洗礼だわ。



「………イブ………」


その時執務室の扉の向こうからお父様の声が聞こえ、扉が少しだけ開くとそこからお父様が顔を半分だけ覗かせる。


「………リチャードが暇で暇で仕方ないから田舎に帰ると言ってきかないんだ……。

お前から何とか言ってくれないか?」


ボソリとそう言われて私は首を傾げた。

何故お父様の筆頭執事であるリチャードが暇で暇で仕方ないのかしら?

そんな事、あり得ない話だわ。


意味が分からず困り顔でお父様を見つめる私の後ろから、カインが飛び付くように扉に走りより、ガバッと勢い良く扉を開くと、そこに居住まいを正して立っているリチャードが現れた。


「ああっ、リチャードッ!暇で仕方ないなんて辛かっただろうっ!

良かったらここでイブの執務の手伝いをしていかないか?」


キラキラした顔のカインに、リチャードは好々爺らしくフォッフォッフォッと笑った。


「いやいや、それは大変助かります、カイン様。

どうか私めをこちらで使ってやって下さいませ」


言いながら既に執務室に入ってくるリチャードに、私は軽い溜息をついた。


「それはこちらこそ大助かりだけど、リチャードは本当に良いの?

お父様の方の仕事もあるでしょ?」


その私の問いに、リチャードはフォッフォッと笑って私を見た。


「イブお嬢様、心配は要りませんよ。

実は私の孫が領地管理担当の勉強の一環として、邸勤めの経験の為こちらに来ております。

まだ30代の若造ではありますが、経験の為にスペンサー様付きの執事として働かせて頂く事になりました。

孫の邪魔をする訳にもいかず、私はすっかり暇になってしまいましてな。

イブお嬢様がこちらで私に用事を言い付けて下されば、私としては大変助かるのですが……」


あら、そういえばリチャードの息子は領地管理部の管理主任だったわね。

そこで働いていた孫がこの度、こちらの邸勤めに変わったのね。

それでリチャードが暇になった、と。

あらあら、随分私に都合の良い話だこと。


チラッとまだ扉に身を隠すお父様を見ると、何かを誤魔化すようにツツツと私から顔を背けた。


あらあら、当主も大変ね。

後継ぎである私に課した仕事を減らす事は出来ないし、とはいえ身重の私が心配で仕方ないし、といったところかしら?

そうよね、初孫の誕生を誰よりも楽しみにしているのは実はお父様ですものね。


仕方ないお祖父様ね、と心の中で呟きながら、私はそっと自分のお腹を撫でた。


「分かったわ、リチャード。

私の仕事の補佐をお願いするわ」


ニッコリ笑ってそう言うと、リチャードは胸に手を当て深く頭を下げた。


「この老骨、誠心誠意イブお嬢様にお仕えさせて頂きます」


リチャードの言葉と共に、扉の影でお父様がほっと胸を撫で下ろしている姿がちらっと目に映り、私はクスクスと笑ってカインと顔を見合わせた。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





「イブッ!イブッ!大丈夫かっ⁈」


ドンドンと忙しなく扉を叩きながら叫ぶカインに、室内からスケットル婦人が冷静な、だけど大きな声で厳しく叱責する。


「お黙りなさいっ!妊婦の気が散りますっ!」


その一喝でシンと静まり返った扉をチラッと見て、私は荒い息と共にスケットル婦人に話しかけた。


「ご、めんなさい……私の旦那さまが落ち着かなくて………」


その私を開いた足の間からチラッと見返して、スケットル婦人は何でもない事のように返してきた。


「ようございます、自分の事のように慌てふためく旦那様なら良い父親にお成りあそばすでしょう。

さぁ、エブァリーナ様、また痛みがきますからね、それに合わせていきんで下さい」


スケットル婦人の言葉に私は大量の汗をかきながら頷いた。

もうずっと痛みの感覚が短い。

きっともうすぐ会えるのね、私の可愛い赤ちゃん。


「さっ、いきんで、そうそうお上手ですわよ、息を長く吐いて、ゆっくり吸って、ハイッ!今っ!いきんでっ!お上手です。

もう少しですからね、頑張って下さい」


スケットル婦人の熟練の技による的確な指示に必死についていく。

痛みと闘いながら、私は天井からぶら下がった綱を必死に握った。


「そうそう、もう頭が見えましたからね、本当にもうすぐです。

いきんで、そうっ、お上手です、もう出てきますよ、力を抜かないように、いきんでっ、ハイッ、もう一回、はい、もう良いですよ。

力を抜いて大丈夫です、もう大丈夫ですからね、よく頑張りましたね、美しいお姫様ですよ、エブァリーナ様」


ハッハッと短い息で力を逃している私の目の前に、スケットル婦人が布に包まれた赤ん坊を差し出してきた。


「ふぇっ、ふぇっ、ふゃぁぁぁぁぁぁぁっ!」


大きな声で泣くその子をスケットル婦人から受け取り、私は大事に抱きしめるとその真っ赤な顔を覗き込んだ。


今まさにこの世に誕生したばかりの元気な産声に、無事に生まれてきてくれた事への感謝で涙が止まらない………。


「……ああ、私の可愛い赤ちゃん……お母様のところに産まれてきてくれてありがとう………」


涙と共に感謝の言葉が流れ出る。


本当に、なんて可愛いのかしら。

会いたかったわ、私の大事な大事な赤ちゃん。

どんな事からもお母様が貴女を必ず守ってみせますからね。

これからたくさんお話ししましょう。

いっぱい、色んな所に行きましょうね。

私の可愛い娘。

大切な大切な宝物。


「名前を……決めなくちゃね……。

お父様と一緒に、貴女に似合う素敵な名前を考えるわ」


真っ赤な顔で泣き続ける赤ちゃんのおデコにキスをして、私は涙を浮かべながら微笑んだ………。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「おーよしよし、エスティリア、本当になんて可愛いんでしょう。

私が貴女のお祖母様ですよ、ふふっ、可愛いエスティちゃん」


お母様は嬉しそうに私達の赤ちゃんを抱っこしながらユラユラとあやしてくれている。


「……このように可愛くては、直ぐに各貴族家門から求婚が来てしまうのではないか?

心配だな、やはりシルヴィのように田舎の領地で育てる方が良いのではないか?」


お母様の抱くエスティの顔を横から覗き込み、お父様は心配そうに眉間に皺を寄せ、至極真面目な顔でそう言った。


「ハハハハッ!父上、それは考え過ぎと言うものですよ。

シルヴィの時は当時の皇家からの縁談を避ける為にやむなくそうした事でしょう?

皇家もレイの代に変わり、いずれシルヴィと婚姻して子供が出来れば、その子とエスティは母方のいとこ同士。

皇家からの縁談はあり得ませんし、そうなると公爵家の令嬢であるエスティにおいそれと縁談を申し込める貴族家はそうそうありませんよ」


ジルヴィスがそこまで説明しても、まだお父様は納得がいかないようで心配そうにしている。


「しかし、これほど可愛ければ家格などお構いなしに求婚してくるかもしれないじゃないか。

私はそんな男を丁度1人知っているが?」


そう言ってニヤリとカインを見る人の悪いお父様に、私はベッドの上からそれ以上悪い顔を返した。


「あら?お父様ご存知ないのね?

求婚したのは私の方ですのよ?

私ったら誰に似たのかしら?これと思った相手は何が何でも逃したくない衝動に駆られてしまって………。

うふ、本当に誰に似たのかしら?」


ニヤニヤと笑いながら私に見つめられ、お父様はバツが悪そうに目を泳がせている。

たまたまお母様と家格が合っただけの話で、お父様ならどちらが上だろうと下だろうとお構いなしにお母様を手に入れた筈です。

ご自分の事を棚に上げてお話になるのは良くありませんよね?


「ねぇねぇ、イブお姉様。

お姉様の次はエスティを後継ぎにするの?」


エスティの頬っぺたをツンツン突きながら聞いてきたシルヴィに、私はふふっと今度は普通の顔で笑い返した。


「そうね、エスティがそれを望めばそうするかもしれないわ。

エスティの人生ですからね、自分で選べばいいのよ」


その時、シルヴィの隣で黙って私の言葉を聞いていたレイが、意を決したように口を開いた。


「イブ姉様、皇家もそのように出来ませんか?

公爵家を継ぐ意志のある姉様が公爵になるように、皇家の後継ぎも器に見合った意志のある者が継ぐように」


レイの言葉に部屋にいる誰もが一瞬口を閉じた。


………難しい話ですわね。

皇家は長子を後継ぎと定めるという法を制定されていますから、まずはその法を改正するところから始めなければいけません。

法を改正出来たとしても、そもそもの、その法が制定された歴史をまた繰り返さないとは言い切れないのですから。


所謂、後継ぎの座を巡る兄弟間の争い、というやつです。


その争いでどれほどの血を分けた兄弟達が傷つけ合ったか。

それほどに権力とは人を狂わせるものです。


「………そうね、望む者、そしてその為に研鑽を積める者にこの国を治めてもらえるのが1番良い事でしょうけど、そうそう上手くいくとは限らないわ」


私の返答にレイが表情を曇らせる。

それを見て、私は再び口を開いた。


「だけど、やってみる価値は大いにあるわね。

皇帝とは何かという事を幼いうちから教えておく事は重要な事よ。

そして子供達の教育に格差をつけない事。

若いうちから国内外の色々なものを見せる事。

後継ぎを決める前に、そこに他国への留学を条件に入れるのも良いわね。

男女問わず同条件で育てれば、いずれ個性によって道は別れるわ。

それを踏まえて本人に確認してみるのが良いかもね。

法改正は必要になってから進めても良いんじゃないかしら?」


そこで私は一旦言葉を区切り、真っ直ぐにレイを見つめた。


「でも、皇家の跡継ぎに関する法がある意味、それを忘れてはいけないわ。

凄惨な過去の歴史を隠蔽するのでは無く、語り繋げる事も大事な事よ。

そこから何を学び考えるか、その権利がこれからを生きる子供達にはあるのだから」


レイは私を見つめ返し、強い瞳で頷いた。


「そうだね、今一度、皇家の教育について見直してみるよ。

法の改定は今すぐにじゃ無くても良い。

歴史を重んじる事も大事な事だから」


そう言うレイに私は微笑んで、お母様の抱くエスティの方を見た。


「この子の生きる時代は今より良い風が吹いている事を願うわ。

その為に今私達が出来る事をやらなくちゃね」


私の言葉にレイとシルヴィが顔を見合わせた、そして固い意志の篭った表情で同時に頷いた。





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