EP.72
「やぁ、おはよう、俺の奥さま」
眠りから覚め目を開くと、カインが優しく微笑み私の前髪をかきあげおでこにキスをした。
私はクスッと笑いながらそのカインに裸のまま抱きつき、お返しに頬にキスする。
「おはよう、私の可愛い旦那さま」
耳元で囁くとカインは私の腰をグッと引き寄せそのまま上にのしかかってくる。
「もぅ、重いわ、カイン」
私の非難めいた声を唇で塞ぎ、深い口づけをしながらカインはゴソゴソと私の体に手を這わせてきた。
「ダメよ、あんなにしたのにまだ足りないの?」
そのカインの肩を軽く押して、私から離れたカインの唇を人差し指で押さえると、カインは獣耳をぺシャンと伏せて甘えるような瞳で見つめてきた。
「うん、まだ全然足りない……イブ……もっと……」
クゥンっと喉を鳴らしながらまた私の唇を塞ぐカインに胸が押し潰されそうなくらいにキュンっと高鳴るけれど、いつまでもベッドの上で過ごす訳にもいかない………。
そもそも、領地視察を兼ねた新婚旅行に出発して今日で3日………。
その間ずっとこうしてベッドの上で過ごしてしまっているのに、もういい加減、視察を進めないと。
………だけど、はぁ………。
お分かりいただけるかしら?
獣の耳に尻尾が生えた旦那さまの可愛さ。
こんな姿で甘えられて、どうやって拒否すれば良いの?
カインったら本当に可愛すぎるわ。
可愛すぎて胸が押し潰されそう。
「もぅ………仕方ないわね………。
お昼には視察に出かけましょう?分かった?」
自分でも甘過ぎると思いながらもそう言うと、カインは破顔して尻尾をブンブン振り、また私にのしかかってきた。
そして私の唇を塞ぐと腰に手を這わせギュッと抱きしめた。
「……ああ、もぅ……仕方ない人」
小さく溜息をつきながら、私はカインの頭を腕で抱きしめ、そこに頬擦りをした………。
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「予定がこんなにズレ込むなんて、絶対にあなたのせいね」
プンプンと怒りながらもカインを甘く睨むと、カインは耳をぺシャンと垂れて肩を落としている。
「本当にごめん……イブと2人きりでこんなに長く過ごせるなんて夢みたいで、つい………」
窺うようにこちらを上目遣いで見つめてくるカインにそれ以上は何も言えなくて、私は腰に手を当てたまま深い溜息をついた。
「そうね、仕方ないわね。
あなたには番への本能をだいぶん我慢させているもの。
新婚旅行中くらいは番の義に付き合わなくちゃね」
本来なら獣人は、番を見つけるとマーキング行為と言われる番の義を行う。
それは短くても三日、種族によっては1週間も続く。
つまり、本能のままに番との子作りに没頭してしまう、という事。
それを、番の儀式、または蜜月期、などと呼ぶ。
私の開発した番への本能を抑える薬『ショ・エネ』のお陰でこの儀式もかなり軽減されている、という結果報告は出ている。
本来なら昼も夜も問わず、休む暇も無く相手を貪り尽くすのが番の義なのだけど、獣人の国のように番の儀休暇なるものは他国には無いので、この期間に入ってしまうと全てを投げ出し行方をくらました無責任な人間と判断され、番の儀を終えて職場に帰ると既にクビになっていた、なんて不幸な話も過去にはあった。
そもそも番を見つけられる獣人が稀なので、まぁ問題に上がるほどの数では無いけれど、それでも本人達からすれば死活問題。
当時は獣人に与えられる仕事も少なく、やっと見つけた仕事をそんな理由で失う恐怖から、番に出会いたくないと考える獣人も少なくなかった。
今はこの帝国では獣人への認知度はかなり上がり、番の儀休暇も認められていますから、昔のように職を失う事はありませんが、それでも3日から長くて一週間。
ただただ子作りのみに没頭するのは外聞が悪いと思う獣人も多く、薬で抑えられるのはありがたいと思ってもらえているようです。
ちなみにカインは黒豹の獣人ですから、本来なら番の儀は一週間ほど続くらしいです。
寝食を忘れて一週間も貪られては流石の私も干からびてしまいますわ。
申し訳ないけど、やる事も山積みですし。
薬のおかげで多少は抑えられているとはいえ、ここ最近は夜から昼までずっとベッドの上で過ごしていました。
流石に視察の日程が大きくズレ込み、今回私が1番気にしていた領地に着くのに5日ほど遅れてしまったのよね。
それでも本来なら私と初めて番ったあの日にカインはその衝動を必死に抑えてくれていたし、それからもカインなりに自分を抑えて私を優先してきてくれていました。
薬を飲んでいるとはいえ、実はアレはあまりカインに効いていませんから、ただただ強い意志で自分の衝動を抑えてくれていたのです。
晴れてまた夫婦になった今、新婚旅行中くらいは我慢させたくなかったんですよね。
まぁ私もカインと抱き合うのは大好きですから、欲望を抑えられなかったのはお互い様かしらね。
「それにしても、暑いわね」
ハンカチで汗を拭いながらカインを見上げると、カインは私の為に持っている日傘を少し傾け、私が日差しに少しでも当たらないように調節している。
「うん、蒸し帰るような暑さだ。
随分高温多湿な土地だね、アルムヘイム家の所有する領地にこんな所があったんだな。
人々の生活様式も随分違う。
着ている物も他の場所より随分簡易的だ」
カインの言葉に私は周りを見渡し、帝都では考えられないほどの軽装である人々を眺めた。
浅黒い肌に涼しげな髪型、服は簡易的で肌の露出が多い。
「ここは帝国に属してからも長く捨て置かれていた場所らしいの。
属国してからの歴史も他より浅いから、まだ独特の文化が根強いようね。
国として扱いに困り、我が家に押し付けられたのよ。
インフラを整備し、他領での税収でここの生活を賄ってきたのだけど、私、この領独自の経済活動が何かないかと思っていて。
実際にこの目でどうしても見ておきたかったんだけど………。
そうね……これじゃあ観光業は無理そうね」
ハァと溜息をつき、カインと街を歩いた。
「気候や環境は西アフリカの一部地域に似ているかもな。
う〜ん、どこだったかな……この感じ……確か……」
カインが首を捻り前世の記憶を思い出そうとしている時、大きな果実のようなものを抱えた少年が私の目の前を通った。
「珍しい果物ね?あれは何かしら?」
私が指差す方をチラッと見て、カインはまだ考え事を続けながらも答えてくれた。
「ああ、本当だ、珍しいな。アレに似ている……待てよ?あっ、そうだ、ここはコートジボワールに似ているんだっ!」
ハッとして手を打ちながらポンと手を打つカインに、私は首を捻った。
「ねぇ、アレってなに?」
私も先程からあの果実に見覚えがあるような気がしてきて、どうしても気になってきた。
「アレって、ほら、アレだよ。
イブの大好きだった…………」
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「早速見つけたわね、この領ならではの生産品になりそうな物を」
ふふふっと笑う私の隣でカインがその私を嬉しそうに見つめている。
「良かったな、イブ、またアレが食べられるようになりそうで」
カインは特に好きでも嫌いでもない様子だけれど、私はといえばもうこれが無ければ生きられない、というくらい、前世では当たり前に食べていた物がこの世界でも口に出来るようになるかもしれない期待に胸がはち切れそうだった。
「なぁ、あんなのがそんなに大変な果実なのか?
そこら辺にいくらでもあるし、別に大して上手くないぜ?
沢山あるしアレくらいしか食べるもん無いから皆んな食ってるけど」
先程例の果実を持っていた少年を捕まえて、それはどこにあるのかと問いかけ、こんなもんアッチにいくらでもあるぜ、案内してやるよ、とちゃっかり報酬と引き換えに連れてきてもらったのがこの森の中。
少年に約束していた報酬を渡し、キラキラした目で周りを眺める私に、少年は不思議そうに首を傾げている。
「ええ、ここはまさにこの領にとって宝の山になる事でしょう。
貴方達に恵みを与える場所だわ。
ああ、忙しくなるわね。
領の管轄担当を呼んで改めて視察に来なくちゃ。
労働力を集めてここに大きな畑を作りましょう。
ねぇ、カイン、この場所には他にも珍しい物がありそうだわ。
明日は朝から本格的に視察するわよ」
今日もカインと明るくなってもベッドで過ごしてしまい、結局街に降りたのは昼過ぎだった。
それについて遠回しに釘を刺すと、カインは両手を上げて降参のポーズをとった。
「明日の邪魔にならないように今夜は自重します、いつもよりかは」
本当かしら?と疑いの目で見つめると、カインは冷や汗を流しながらツツツと私から目を逸らした。
これは、私がしっかりしなきゃ駄目ね。
この件については頼りにならないカインをそうそうに諦め、明日は忙しくなるわ、と自分に言い聞かせた。
いくら可愛い旦那さまでも、今夜は思う存分甘やかしてあげられないわ。
だって、やるべき事が目の前に広がっているのだもの。
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「へぇ、これが君達が新婚旅行ついでに発見した、ショコラ?って新しい飲み物か」
ジルヴィスは興味津々にカップに注がれたショコラを覗き、恐る恐る口にした。
「んっ、これは美味しいね。
甘いのに後味に苦味も感じる。
香りも豊かで、女性に好まれそうだ」
まさに私の狙いまで言い当てるジルヴィスに流石だわと思いつつ、私は口を開いた。
「同じ材料で固形にしたものをチョコレートと名付けて売り出すわ。
中にナッツやドライフルーツを入れたり、ケーキの材料に加えたり、用途は無限大よ。
原料になっているカカオには滋養強壮の効果もあるから、甘くて健康にも良いと謳えば皆がこぞって買うでしょうね」
ふふんっと胸を逸らす私だけど、残念ながら全ての知識はカインから聞いたもの。
前世では博学で探究心旺盛、何でも自分でやってきたカインは、若い頃に世界一周なんかも経験していて、その時にコートジボワールにも訪れていたそう。
その時にカカオの木や実を見ていたから、あの少年の持っていた果実がカカオだと気付いたのです。
私は恥ずかしながら、その国名さえもうろ覚えでしたけど。
カカオといえばガーナしか思い浮かびませんでした。
あの後、カインの前世の知識と地元の人間の知恵を借りて、ショコラを完成させ、今はチョコレートも試作段階に入っています。
カカオが育つ条件はとても限定的で、たまたまあの領がその条件を満たしていた為、あんなにカカオの木が自生していたのでしょう。
私はすぐにあの領の条件の合う場所に大規模農園をいくつも立て、カカオの栽培に乗り出しました。
その為の労働力として領民を集め、今や大規模農園での仕事が彼らの日々の糧になっています。
今はまだアルムヘイム家の私財を投資している段階ですが、すぐに投資した額など回収出来る筈です。
これからはカカオがあの領の領民達を潤してくれるでしょう。
同時に我がアルムヘイム家も更に潤うというものです。
「チョコレートか、楽しみだね。
完成したら僕にも分けて欲しいな」
ジルヴィスの頼みに私は片眉を上げた。
「エーリカ殿下にプレゼントしたいのね?」
私の問いにジルヴィスはハハッと笑った。
「ショコラのように甘いのなら、小さな女の子には喜ばれるだろう?」
私の問いを上手くかわした気でいるジルヴィスに、私はハァッと溜息をついた。
「水くさいわ、ジルヴィスったら。
エーリカ殿下が我が家に居を移した事、まだ私達に黙っているつもり?」
私の言葉にジルヴィスはギクリと体を揺らした。
「何故貴方の続き部屋では無く、客室に住まわせているのかしら?」
チラッと横目で見ると、ジルヴィスは腰に手を当て床に向かって深い溜息をついた。
「今、シルヴィの部屋だった場所をエーリカ殿下の為に改装中なんだ。
いつまでも客室に住まわせる気はないよ」
弱りきったジルヴィスの声に、堪えきれずにカインが肩を揺らした。
「おい、そこ、笑うな」
ビシッとジルヴィスに指さされ、カインは笑いを抑えながらジルヴィスに向かって片手を上げた。
「……悪い……でもおしかけ婚約者だなんて、お前も罪深いな」
結局クックッと笑いながら体を震わせるカインに、ジルヴィスは片手で目を覆いながら天井を仰いだ。
「まさか、その手を使われるとは思わなかったよ。
18歳まで婚姻が延びたから、それまではお互いあまり接触したくなかったんだけど。
エーリカ殿下が我が家に居を移すとは……。
花嫁修行の名目で婚約者の家に早めに入れられる令嬢はいても、自分からやって来るお姫様は初めてだ」
情けない声を出すジルヴィスに、カインは少し同情するように声をかけた。
「しかも皇帝の許可付きだからな。
お前が拒否できなかった事は皆が理解してくれるさ」
そう言ったカインにジルヴィスは飛び付くようにその両肩を掴み、ユサユサと揺さぶった。
「本当か?僕がティーンエイジャーしか愛せない変態で、まんまと若い婚約者をもらい、我慢出来ずに邸に住まわせるような、そんな卑猥な男だと思われてないかなっ⁉︎」
心から心配そうなジルヴィスに、ユサユサ揺さぶられながらカインがその肩をポンポンと叩いた。
「大丈夫だよ、皆、事情は知っている。
前皇后からの理不尽な扱いから救う為、求婚まで申し込んだ事は皆が見ていたじゃないか。
その後の事は、皇帝が更なるアルムヘイム家との繋がり欲しさにジルの善意につけ込んだ、と皆が勘違いしている、いや、レイがわざとそう見せたんだよ、皆に。
ジルヴィスの名誉を守る為にな」
カインの言葉にジルヴィスはガクリと肩を落としたまま動かなくなり、ボソリと呟いた。
「それは知っている、レイが妹殿下の為を思ってそうした事も……。
ただ、我が家にやってきたエーリカ殿下を見て……改めて、これはまずい……と思っちゃったもんで……。
あんな少女を婚約者にするなんて、僕にはやっぱり耐えられない……」
うっうっと泣くような仕草をするジルヴィスの肩をカインがポンポン優しく叩くのを横目で見ながら、私は口を開いた。
「エーリカ殿下だってすぐにご成長なさるわ。
少女が大人になるのなんて一瞬よ」
私の言葉にジルヴィスは泣き真似をピタリと止め、私の方を向いて目を細めた。
「……そうだね、それはよく知っている……。
僕には今だに、よく2人で一緒に図書室で時を過ごしたイブのままなのに、君はもう婚姻した立派な女性なんだよな……。
本当に女の子の成長なんて、一瞬だ………」
その瞳がどこか寂しげに揺れて、私はそのジルヴィスを静かに見つめ返した。
………………ジルヴィス、貴方………。
まさか自分を私の父親だと勘違いしていないかしら?
それは嫁に行った娘を見る目よ?
貴方は私の兄。
どこで間違えちゃったのかしら?
もぅ、仕方ないわね、っと腰に手をやる私を、カインが多分違うと思う………と言いたげな目で見つめている事にはまったく気付かなかった。




