EP.64
あれからアルムヘイム私兵団総力を上げてニシャ・アルガナ捜索を続けたけれど、彼を見つける事は今だ出来ずにいた。
まるで霧のように消えたアルガナ先生の捜索は規模を縮小して継続する事になり、今は目の前に迫るレイの立太子式に注力する事になった。
「立太子式にシルヴィとの婚約式、直ぐに戴冠式………普通に考えれば不可能な筈なのに、全ての準備が既に終わってるこの状況………。
僕はイブ姉様が改めて怖い………」
来月で15歳になるレイに合わせてシルヴィとの婚約式もちゃっかりねじ込んでおいた私を虚ろな目で見つめてくるレイに、私はニッコリ微笑み返した。
「婚姻はシルヴィが社交界デビューする一年後まで待ってちょうだいね」
ふふっと笑うとレイはもう今更何も驚かないといった風にハハハッと空笑いして口を開いた。
「……それももう、準備万端なんでしょうね……。
一体いつからこれら全ての準備を?」
レイの問いに私は顎を掴み、そうねぇ……と首を傾げた。
「4年前からかしら?」
私の答えにレイはアハハッとまた空笑いして、窓の外を眺めている。
「囲われていた感が半端ない………」
全てを悟り切った表情で穏やかに笑うレイに窓から初夏の爽やかな木漏れ日が差し込み、それを見ていたジルヴィスが口を片手で押さえて嗚咽を漏らしていた。
「まぁ、優秀な姉にそんなに感涙してくれるなんて、貴方の為に頑張った甲斐があったわ、レイ」
木漏れ日を背にして穏やかに微笑む私を、レイが涙の滲んだ目で虚ろに見つめ、コクコクと機械仕掛けのように頷いた。
「いいじゃない、面倒くさい事はぜぇ〜んぶイブお姉様にやってもらっといて、グチグチ言うの良くないと思うよ、レイ」
クッキーを頬張りながらムグムグそう言うシルヴィに、レイはそこじゃない、と言いたげな残念そうな顔でシルヴィを見つめた。
「あのさぁ、レイってばいつもイブお姉様達におんぶに抱っこのくせに、文句は一丁前なんだから。
もぅ〜〜本当にダメダメね」
プンプンとレイに向かって頬を膨らませるシルヴィに、やっぱりレイは違うそうじゃない、という虚ろな目で見つめていたが、やがてカクカクと機械のように口を動かした。
「ウン、ソウダネ、ボクガマチガッテイタヨ。
ナニカラナニマデアリガトウ、イブネエサマ」
操り人形のように棒読みで感謝を述べるレイに私はニッコリ笑って答えた。
「ハイ、どういたしまして」
そんな私とレイをシルヴィが満足そうにうんうんと頷きながら見つめている。
「まぁ……シルヴィの言う事も一理あるかな……?
どの式の準備も大変なものだから。
それをイブとお母様とお祖母様で完璧に用意してしまったんだからね。
いや全く、我が家の女性は敏腕で屈強で勝てる気がしないよね」
アハハッと笑うジルヴィスをレイが羨望の目で見つめる。
「ジル兄様のその潔さを僕も早く身に付けないとね」
レイの言葉にジルヴィスは優しく穏やかな目でレイを見つめた。
「早めが良いよ、レイもシルヴィと夫婦になれば、要らない拘りは持っていられないからね」
目を細めて見つめ合う2人に見えない強い絆を感じて、私はそれを微笑ましく見つめていた……。
「……うん、なんかもう、カオスだな」
その全てを黙って見ていたカインがコソッと呟き、私に密かに睨まれて口を片手で覆いサッと横を向いて冷や汗を流す。
「と、ところで、イブ、お祖母様からの頼まれごとを実にスムーズに進めているようだね。
さすが優秀な我が妹だよ」
そのカインを庇うように立ち、大袈裟に両手を広げる気苦労の絶えないジルヴィス。
「ええ、お祖母様のお話は私も後のレイの治世にいつかは必要になると思っていましたから。
前々から頭の隅で考えていた事を整理して現実的な形に落とし込んだだけですわ。
それにまだまだこんなのは序の口、入り口に立ったに過ぎません。
女性の底力向上は国力の強化に必ず繋がります。
焦らずじっくりと確実に進めるつもりですわ」
ふふっと笑う私に殿方3人は冷や汗を流しながらコクコクと頷く。
「………あのリネット夫人と頭の中が同じだったなんて………。
僕は改めてイブ姉様が怖い………」
ボソリと呟くレイの口にシルヴィがクッキーを押し込むファインプレーを見せたところで、またジルヴィスが冷や汗を流しながら口を開く。
「今まで男女で別れていた授業も選択制にして、好きに受けられるようにしたようだね。
女生徒には剣術や馬術、男子生徒には刺繍や音楽の授業の門が開かれたようだけど、どうだい?皆の反応は?」
その問いに私は頬に手をやり困ったように溜息をついた。
「いまいちですわね。どちらもなかなか、生徒達から受け入れられていませんわ。
馬術のほうにはチラホラ女生徒の参加者がいるようですが、剣術は全くですね。
逆に刺繍や音楽の授業に来る男子生徒は皆無。
まぁこれも一朝一夕にはなんとも」
私の困った様子にジルヴィスが笑いながら口を開いた。
「僕が在学中なら、どちらの授業にも顔を出したのに、本当に残念だよ。
刺繍にしろ音楽にしろ、どちらも素晴らしい芸術だ。
僕は大いに興味があるなぁ」
本当にどちらにも興味がある様子で、ジルヴィスはその瞳をキラキラと輝かせている。
芸術家というのは好奇心の塊のようなものね。
新しい分野を取り入れたいという貪欲さこそが、ジルヴィスの芸術をより輝かせる糧の一つ。
いつかジルヴィスが何にも囚われず、あらゆる芸術に触れられるような、そんな世界にしてあげたいわ。
そんな思いでジルヴィスを見つめていると、そのジルヴィスはポンと手を叩いてレイを見た。
「そうだ、レイが率先してその授業に出れば良い。
皇帝自らモデルケースになれば、興味があっても動けずにいる生徒の助けになるよ」
ジルヴィスの言葉にレイは目を見開き、直ぐに深い溜息をついた。
「その事なんだけど、どうしても来年学院に通わなきゃダメ?
今更学院レベルの勉学なんて僕には必要ないんだし、皇帝が学生だなんて可笑しいでしょっ?」
レイがそう言うのを丸っと無視して隣に座るシルヴィが元気に手を挙げた。
「ハイハーイッ!私は絶対、剣術も馬術もやりたいっ!
だってどっちも大好きだも〜〜ん」
無邪気なシルヴィの声に、レイがガクッと体を落とす。
「あのさぁ?その前におかしいと思わないのって話なんだってば。
来年学院に通う頃には僕、皇帝だよ?
シルヴィだって直ぐに僕と婚姻するのに。
皇帝と皇后が共に学生とか、それどんな状況?」
レイがはぁーやれやれと肩を上げると、シルヴィは不思議そうに首を傾げた。
「えっ?だから、皇帝と皇后だけど学院の生徒って事でしょ?」
それについて何の疑問も抱いていない様子のシルヴィに、レイはガックリと肩を落とした。
「いや、君に聞いた僕が馬鹿だった………」
諦めたように下を向くレイの肩をポンポンと叩き、ジルヴィスが明るく笑った。
「仕方ないさ、レイもシルヴィもその年で国を背負う立場になるなんて異例中の異例。
本当なら皆と同じように学院に通ってから、自分の人脈を広げていって欲しかったんだけどね。
でもレイ、悪い事ばかりでもないよ?
今イブが試験的に導入している新しい授業の内容を聞けば、レイも必ず学院に通いたくなるさ」
そう言ってニヤニヤ笑うジルヴィスを胡散臭げに眺めてから、レイは私に向かって問いかけるような目を向けた。
それに応える為に私は口を開く。
「実は、生徒達に市井でのボランティア活動授業をさせているの。
今は学期に一度のスケジュールだけど、そのうち月に一度程度の頻度に移行するつもりよ。
授業内容は主に、教会や病院、孤児院での奉仕作業。
もちろん、授業中ですから、くだらない貴族風を吹かせて市民に偉そうな態度を取った生徒にはキツいペナルティが発生するわ。
逆に真面目に授業に取り組み、その日の授業のレポートも優秀な生徒は通常より多く加点されるの。
成績順でクラス分けされている生徒達にとっての実質的な救済措置ね。
そこでより多く加点を得られれば、実力以上のクラスに進級する事も夢ではないの。
家の誇りの為にも少しでも上のクラスに上がろうと、意外と皆んな必死に取り組んでいるわよ?」
私の話を聞いていたレイは徐々にその顔を輝かせ始め、キラキラとした瞳で私を見つめた。
「つまり、面倒な視察の準備や手続きも無く、毎月民の暮らしぶりをこの目で確かめられるって事だよね?
だって僕も学院の生徒だから、その授業を受ける権利はあるんでしょ?」
ワクワクした様子のレイに、私はニッコリ笑って頷いた。
「それなら、民と政府に起こるズレ、その問題点にも早急に対応出来る。
僕、市井に降りた事無いから、その辺が少し不安だったんだ。
それに皇帝の視察団なんて仰々しいやり方じゃ、本当の民の暮らしぶりなんて目に出来ないと思ってた。
でもその方法なら、僕は学院の一生徒として城下を見て回れるし、ボランティアなら市民と触れ合い生の声を聞く事だって出来る。
凄いアイデアだよっ!イブ姉様っ!」
思いの外喜んでくれたレイに、やはり次代の皇帝としてレイを選んだ事は間違いでは無かった、と私とカインとジルヴィスは密かに目を合わせ笑い合った。
「ハイハーイッ!シルヴィもっ!市民街には行ったことなーーいっ!
行きたい行きたーいっ!楽しみ〜〜。
ねぇねぇ、イブお姉様?屋台でお食事して良いの?」
こちらからもキラキラした瞳で見つめら、私はニコニコと笑った。
「ボランティア先がエブァ街の日は良いわよ。
休憩時間中なら、好きに街を見て回ればいいわ。
平民の文化や食べ物に触れる事はとても良い事よ。
皇后である貴女自らそうして民と触れ合えば、きっと他の貴族生徒にも良い影響を与えるでしょう」
私の返答にシルヴィはもう楽しい空想を繰り広げているのか、気分は城下に飛んでいってしまっている。
「そっか……食べ物……そういった事も勉強の一つなんだね。
後はやっぱり、どうやって生計を立てているのか、それでどのレベルの生活を送れるのか……。
識字率が低いとは聞くけど、実際どの程度なのかも知りたいな。
後は子供が働き手としてどれくらい望まれているか、学校を建てたとして、どれくらいの子供がそこに通えるのか……。
ああ、他にも、公共事業の進捗具合、その利益がどれほどの民に行き渡っているか……。
知りたい事は山程あるな………」
ぶつぶつの自身の思考の中に沈んでいくレイを、私達年上組3人は肩を上げながら穏やかに見つめた。
レイの改革はきっと国民の声から始まる。
そんなレイだからこそ、私達は次代の皇帝にと望んだのだ。
レイは人情深い性質では無い。
むしろ、人間を平民や貴族で分けない。
多分見ているのは比率。
単純な数での平民の強さを理解している。
だからこそ、そこから改革を進めるつもりでいるのでしょう。
より多くの人が幸せと感じる国が最も国として効率が良い。
レイならそんな風に考える筈です。
一部の貴族だけが幸福を占めるような非効率的な仕組みなど、レイなら打ち壊してしまうでしょう。
その手助けを私達は全力でします。
ですからレイは自分の思うように国を治めてくれれば良いのです。
多少の荒事など、私達がいれば瑣末な事ですからね。
頭の中で市井視察を思い浮かべ、やるべき事が整理出来たのか、レイは顔を上げると何かを思い出したかのように高い声を出した。
「あっ、そうだ、皇帝になったら1番にやらなきゃいけない事があったんだった」
そう言うとレイは私とカインを交互に見つめ、ニッコリ笑った。
「2人への婚姻の許可、僕が出して良いんだよね?」
私とカインはレイの言葉に顔を見合わせ、クスクスと笑い合うと同時にレイへと振り向いた。
「ええ、ぜひ、お願いいたしますわ、陛下」
「レイが認めてくれるなら、これほど嬉しい事はない」
私とカインがそう答えると、レイは嬉しそうに大きく頷いた。
「実は陛下が2人の婚姻を許可しようと申し出た時、僕に許可されたいって答えてくれて嬉しかったんだ。
僕の皇帝としての初仕事が2人の婚姻を許可する事だなんて、きっと幸先良いスタートになるよっ!」
無邪気に笑うレイに私達はまた顔を見合わせ、笑い合った。
新しい時代を切り開く新皇帝となるレイ。
そのレイの皇帝としての初の仕事が私達の婚姻を許可する事になるだなんて。
それでこそ、ここまで待った甲斐があったというものです。
そして私の婚姻は令嬢方を縛る既存の考え方を打ち壊す、その最初の大きな一歩となるでしょう。




