EP.46
「ところで、陛下にはご挨拶なさったのかしら?」
私の質問にレイは肩を上げながら答えた。
「ええ、離宮を離れる時に呼ばれて、少しだけ」
面白くもなさそうなその様子に、久々の親子の対面はうまくいかなかったのだと、私は眉を下げた。
「陛下はどのようなご様子でしたか?」
続けて問いかけると、レイは呆れたような口調で口を開いた。
「僕とは目も合わせられない様子でした。
仰る事もしどろもどろで的を得ず、ですね。
ずっと隣に座る皇后様を気にしてらっしゃったかな?
よく分かりませんでしたが、要約すると、親を大切に想いなさい、とか、皇后の慈悲を忘れずに、とか、そんな感じでしたね」
レイが呆れた理由が瞬時に理解でき、私も深い溜息をついた。
その私の反応を見て、レイは年に似つかわしくない悟り切ったような目で遠くを見つめた。
「あの様子だと、皇后様が僕の母にした事を、陛下も知ってらっしゃったようですね。
お二人とも随分僕に怯えていました。
アルムヘイム家の後ろ盾で、そのうち僕は皇帝になりますから、その後の事でも考えて今から戦々恐々とでもしているんでしょう」
その妙に大人びた横顔に、胸がツキンと痛んだ。
まだ子供であるレイが、こんな表情をするようになる事を、あの2人は仕出かしたのだ。
「それで?皇帝になった暁には、あの2人をいかが致しますか、殿下。
私達アルムヘイムは、殿下のご意向に従いますわよ、その件については」
優雅にお茶を飲みながら、なんて事ないといった風に問いかけると、レイは小さく首を傾げた。
「別に、どうもしないよ?
僕の治世の邪魔だけはして欲しくないから、隠居して皇都からは離れてもらうけど、それだけ。
復讐だ暗殺だなんて、小心者のする事だからね。
まぁ、理由によるけど。
それが必要な場合もあるんだろうけど。
僕の場合はそれには当てはまらないから。
きっと僕のお母様は、そんな事を望むような方では無かったんじゃないかな。
僕がお母様と同じ立場だったとしても、自分の子供にそんな事は望まない。
それが答えなんじゃないかな、って思うんだ」
大人びた表情で静かにそう答えるレイに、私は優しく微笑んだ。
レイは今言った事で正解だったのだと安心したように、再び口を開いた。
「小心者が罪を犯し、その罪に報復をして、またそれで報復されて……。
皇家の中でそんな事を繰り返していれば、必ずこの国はいつか病んで腐り落ちるよ。
それこそ、あの蛇王の時代に逆戻りだ。
僕はそんな愚かな事はしないよ、イブ姉様」
真っ直ぐなレイの瞳に、私は心の底から安堵して、私達が選んだ次代の皇帝に間違いは無かったと改めて確信した。
「随分と歴史を学ばれたのですね」
面白がるように片眉を上げると、レイはパッと顔を輝かせた。
「僕は全ての学問を愛しているけど、特に歴史は大好きなんだ。
先人達が身をもって体験し、その結果を残してくれているお陰で、その歴史から様々な事を学べ教訓に出来るからね。
特に第3代皇帝であったジークフリート・ヴィー・フロメシアの、前皇帝から帝位を簒奪する為の戦い、あの辺りを学ぶのは大好きだよ」
やっと年相応の男の子らしい表情になったレイに、私はニコリと笑い返した。
「アインデル独立戦争の事ね」
私が返すと、レイは嬉しそうに頷く。
「そう、もう1000年近く前の話だけど、僕はその時代を学ぶ事が1番楽しいんだよ。
ジークフリート皇帝は最も帝位から遠い順位だったのに、冷酷無慈悲で残虐な父王を討ち、この帝国に平和をもたらした英雄。
だけど僕が1番好きなのは、彼と一緒に悪王を打ち倒した、アインデル王国の初代国王、クラウド・フォン・アインデルだな。
彼は悪王の実弟だったけど、その天性の為政者としての才能、カリスマ性に嫉妬した悪王によって、帝国と北の大国の狭間にある辺境に送られてしまうんだ。
植物も育たないようなその不毛の大地で、彼は仲間達と力を蓄え、大聖女さえも味方につけ、甥であるジークフリートと共についに悪王を討つ。
そしてジークフリートが皇帝に即位する為に助力して、自分はその不毛の地に国を興し、初代アインデル王国の国王となった。
大聖女がその地に祝福と加護をもたらし、今ではアインデル王国は年中花の咲き乱れる肥沃の大地に生まれ変わり、小国ながら自国のみで国を維持できる程に栄えている。
僕はクラウド初代国王がどんな人間だったのか、そして後に彼の妃となる大聖女の事も一緒に調べている時が1番楽しいよ」
夢中で話すレイはいつもの彼のスイッチが入った状態で、自分の好きな事を相手の事などお構いなしにずっと喋り続ける癖を発揮していた。
それこそ彼の高IQの影響なのだけど、これを特性と捉えるか、悪癖と捉えるかでレイへの印象はガラリと変わってしまう。
私達はそんなレイが大好きだけど、このままあの帝宮には返せない。
どんな小さな事ででも足を掬おうとしてくる魑魅魍魎の溢れるあの場所では、このレイの特性をもって、やはり陛下と皇后様の仰る事は真実だった、殿下には脳の疾患がある、だなどと言い出す輩が必ず現れるでしょう。
私が我が家で成人までレイを預かると押し通したのは、なにもレイの母親を害した張本人である皇后様と、その事実を黙殺しもみ消した陛下がいるから、という理由だけでは無く、レイにその特性をコントロールする方法を掴んで欲しかったからです。
本来なら素晴らしいはずの才能も、場所によっては毒となる。
帝宮こそがまさにそれにあたります。
簡単な事ではありませんが、レイは既に自分の特性を理解していますから、歴史の話に夢中になりながらも私としっかり目が合うとハッとしてバツが悪そうに口を閉ざした。
「……あの、僕またやっちゃったね………ごめん」
悲しげに長い睫毛を揺らすレイに、私はふふっと微笑んだ。
「いえ、謝るような事ではないわ、レイ。
私は貴方の話がとても好きよ。
ただ、皆が皆、貴方の賢い頭の中を理解出来るわけではないの。
そういった人間から見たら、貴方の知識は耳には届かず、ただ自分の分からない、興味の無い話を延々と話す、困った人間、に見えてしまう危険性があるのよ。
皇帝として周囲に少しの隙も見せる事は出来ない立場になるからこそ、その特性をきちんとコントロール出来るようになりましょうね」
私の話を真剣に聞いていたレイは、少し顔を上げてうんうんと頷いた。
「さぁ、そんな歴史から多くを学んできたレイなら、今の帝宮をどうみるかしら?」
明るい口調の私にレイはホッとしたように、すぐにいつもの自分の調子を取り戻した。
「そうだね、ハッキリ言ってかなり傷んできてるね。
陛下は国を治める力は無いから、有力貴族や高官達の顔色を伺い彼らの言いなり。
それをいい事に、そいつらは権力を振りかざしやりたい放題。
少し前までの教会の有り様なんか、まさに今の帝宮の縮図みたいなものだよ。
その教会と仲良しこよしで特権階級を振りかざしいい気になっていた人間が何人いたか。
有力な役職はコネと賄賂の温床で、優秀でもそのどちらも無い人間は閑職に追いやられ、いつまでも下級役人のまま。
まったくもって愚の骨頂だね。
かつてジークフリート第3代皇帝が父親から奪い目指した帝国の姿からはかけ離れ過ぎていて、いっそ彼に化けて出てきて欲しいくらいだよ」
呆れたように肩を上げるレイはとてもでは無いけれど10歳には見えなかった。
「ふふっ、本当に殿下は離宮にいながらでも、なんでも良くご存じで」
揶揄うような私の口調に、レイは大人ぶって片眉を上げて見せた。
「リネット夫人が僕のところに潜り込ませた使用人の中に、何故か潜入や隠密行動に長けた人材がいてね。
僕はまず彼のその力を正しく見抜け、とリネット夫人から課題を出されていた気分になったもんだよ。
彼が探ってきた情報を元に、僕なりに予測や予想を立てていたんだけど、残念ながら当たっていたみたいだね」
全て知っていたくせに戯けてみせるレイに、私は笑顔で核心をついた。
「それでレイは、その帝宮を今後どうするつもりかしら?」
私の問いに、レイはやれやれと肩を上げ、溜息をついた。
「即位早々に中央政治内部の粛正になりそうだね。
実力も能力も無いのに高い位置に座っている人間は、自分の能力に合った場所までご退場いただくよ。
それに、特権階級を振りかざすだけの貴族達も同様に、領地にでも引っ込んでもらおうかな。
それに軍部の予算を上げて強化もしなきゃね。
流石に今のアルムヘイム家に頼り切りの状況じゃ、ちょっとね。
有事の際にアルムヘイム家から見放されたら、帝宮は一瞬で機能を失うよ。
よく今までそんな危険な状態で維持出来てたよね」
そう、だからこそ、アルムヘイム家は国を影で操る影の支配者だなどと言われていたのです。
この国の守りを一家門に放り投げた状態で、彼らは一体今まで何をしてきたのやら。
私がジッと見つめると、レイは仕方無さそうに再び口を開いた。
「この国の中央を司る人間が、揃いも揃って平和ボケしているなんて、ちょっと信じられない状況だよね。
魔獣や魔物をアルムヘイム家が押さえ込んでくれているからといって、イコールそれが自分達の平和だなんて、薄氷の上で呑気にダンスを踊っているようなものだよ。
この広大な帝国という国には、まだまだ課題が山積みだというのに。
何をもって平和だと思い込んでいるんだか。
アインデル王国のように大聖女の祝福や加護があるわけでも無し。
国を見渡せば日照りが多く作物の育たない貧しい土地や、まだインフラも整っていない場所もある。
それらの課題に真面目に取り組むべき筈の皇家が、貴族や高官のご機嫌取りばかりで、まったく何もしないんだから。
皇帝なんて名ばかりの傀儡じゃないか、あれじゃ。
何代か前までは国の様々な状況改善に真面目に取り組んできた筈なのに、いつからこんな平和ボケした皇家に成り下がったんだろうね。
正しく強くある筈の皇家は失われたのかな?
僕の代で全てを修正するのは無理だけど、とにかく僕のやるべき事は山積みだ。
これって僕が貧乏くじを引いたって事?」
面倒くさそうに溜息をつくレイをクスクス笑いながら見つめ、私は安心させるように優しい口調で話しかけた。
「大丈夫ですよ、貴方の事はアルムヘイム家で全面的に支えていきますから。
何もかも自分1人で背負いこむ事はありません。
少しづつ確実に、再びこの国を頑健な正しい姿に戻していきましょう」
私の言葉にレイは安堵したように息をつき、やっとニッコリと笑った。
「まぁ、イブ姉様とジル兄様、それにカインが居てくれれば僕の治世は安泰だよね。
やる事は山積みでも、何とかなるって気がするよ。
これからよろしくね、イブ姉様」
不安を押し殺すように健気に笑ってみせるレイに、私は優しく微笑み返した。
「ええ、よろしく、レイ」
庭園に春の風が吹き、明るい日差しが私達に降り注ぐ。
まるでレイの担う新しい治世を暖かく包み込むように。
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「き、君………それ、何を持ってるの……っ?」
ブルブルと震える指で自分の手のひらの上に乗っている生物を指さされ、シルヴィアは不思議げに首を傾げた。
「ヒキガエルだよ?」
何てことない風に答えられてしまい、レイは喉の奥で声にならない悲鳴を上げて、白目を剥いて後ろに倒れていく。
そのレイの体を咄嗟にカインが支え、困ったようにオロオロとしていた。
「イブお姉様〜〜、この子にキスしたら王子様になると思う?」
つぶらな瞳で見つめられて、私は困ったように眉を下げた。
可愛い妹の夢を壊したくはないけれど、ヒキガエルにキスはして欲しくありませんわね。
「シルヴィア、残念だけど、そのヒキガエルは王子様にはならないわ。
代わりにお姉様が本物の皇子様を用意しておいたから、それで我慢してちょうだい」
そう言ってカインの腕からレイを代わりに引き取り、ズイッとシルヴィアの目の前に差し出した。
ヒキガエルに卒倒しかけていたレイの目の前に、またそのヒキガエルが瞳いっぱいに写り、レイは今度はブクブクと泡を吹いて魂を手放そうとしている。
「ふ〜ん、あなた王子様なの?
確かに絵本に出てくる王子様みたいにキラキラの髪に青い目だけど、なんだかシルヴィの思ってたのと違うなぁ」
ヒキガエル片手に顎に手をやりしげしげとレイを眺めるシルヴィア。
「シルヴィ、もうすぐ11歳になる子が自分の事を名前でなど呼んではいけません。
ちゃんと私、とおっしゃい。
さぁ、わ・た・く・し、言ってみて」
「はぁい、わ・た・く・し」
素直に私の真似をするシルヴィをいい子いい子していると、やっと魂を取り戻したレイがハッとして、ワナワナと震えながら私達姉妹を指差した。
「問題はそこじゃなぁぁぁぁぁぁいっ!」
レイの大絶叫に驚いたヒキガエルが、シルヴィの手のひらからピョーンと飛び跳ね、不幸な事にレイの顔面にベタっと張り付いた。
「○!※□◇#△!」
言葉にならない悲鳴を上げて、レイはまた卒倒してしまった。
その体をまた咄嗟に支え、カインがレイの顔面からヒキガエルをペリッと剥がし、シルヴィのお付きのメイドが持っていた籠の中に戻してあげている。
「シルヴィ、こんな弱い王子様、いやだぁ」
ヒキガエルに卒倒したレイを、シルヴィが嫌そうに眺めながら、フィッと横を向いてしまった。
あらあらレイったら。
せっかく貴方の望み通りに我が家の秘宝、アルムヘイムの秘された姫をお連れしたのに、随分と情けない事。
シルヴィを婚約者に望むなら、ヒキガエルくらいとは仲良く出来ないとね?




