EP.40
「色々と苦労をかけましたね、エブァリーナ嬢。
本当に、ごめんなさいね………」
言葉とは裏腹に、その表情はどう見ても〝迷惑をかけられた側〟な皇后様の見事な被害者ヅラに、私は否定も肯定もしない、読めない微笑みで返した。
その私の微笑みに、皇后様はウッと小さく唸り、所在ない様子でティーカップに手を伸ばした。
この私に、その手は一切通用いたしませんわよ。
ごめん遊ばせ。
さて、あの謁見の間での出来事から何日か経ち、やはり予想していた通りに皇后様からお茶に誘われた私は、積もる話があるのはこちらの方だと喜び勇んで帝城に乗り込んだ。
皇后宮の庭園で向かい合わせに座り、静かにお茶を飲んでいると、そういえばこの方とこんなふうに2人きりでお話しするのは初めてだという事に気付いた。
皇后様は大人しい方で、政務には一切関わらない。
なので敬称は皇后殿下。
この場合の〝殿下〟は政務に関する権限を与えられていない皇后を指す。
これは珍しい事では無く、むしろ一般的な呼び名で、逆に皇帝や王と変わらぬ権限を与えられている皇后や王妃は〝陛下〟と呼ばれるのだけど、こちらの方がよほど珍しい。
皇帝や王が不在、または何らかの理由で国事に関わる事を決定出来ない状況の時など、その決定の全権を与えられている皇后や王妃は数えられるほどしか居ない。
同じように、皇子や王子もそうなのだけれど、同じ〝殿下〟でも皇太子だけは違う。
次代の王として、ある程度の権限が与えられているのが皇太子や王太子になるのだけど、結局それも本人の能力次第、という事になる。
事実、あのボンクラ前皇太子には大した権限が与えられていなかった。
議会で通らなかったのでしょうね、単純に。
それこそ目に入れても痛くないといった様子だった陛下は、あらゆる権限をあのボンクラに与えようとしていたけれど、それはどれも議会に通らなかったのです。
陛下がそんな世迷言を言い出す度に、全て跳ね除けてきたうちのお父様の苦労が窺い知れますわね。
っと、話が外れてしまいましたが、つまり目の前の皇后様は、ごく一般的な皇后である、という事です。
侯爵家出身で、令嬢であった頃から一般的な高位貴族令嬢然としており、控えめで無知、国の内情も理解しておらず、ただ皇家であるだけで、理想的で何不自由ない生涯を送れると信じて疑わないような方。
もちろん、自分の産んだ皇子が皇太子となり、次代の皇帝になる。
そんな事、疑うべくもない。
そんな風に生きてきたのでしょう。
だからこそ、自分の侍女が陛下の子を身籠り、産まれた子が男児であった事に、あんなにも動揺したのでしょうね。
真実に怖いのは、意外に普通の人間の方、と言いますもの。
普通であるからこそ、その普通が崩れそうになると、日頃では考えられないような狂気に囚われるのでしょう。
要は、想像力が乏しく臨機応変な対応が出来ないだけなのですが。
安寧な日々にどっぷり浸かっていると、イレギュラーな出来事に咄嗟に対応出来ないものです。
想像力の欠如というのも、その自分の生活が一体どうやって、誰に支えられているのか。
それさえ想像出来ない、という事。
果たして自分の安寧とはこのまま本当に不変なのか。
何もせず、何も考えず、何も動かす、ただその安寧が未来までずっと続き、それが〝普通〟だなどと勘違いをしているから、第二皇子の誕生にあのように取り乱し、愚行を犯したのでしょう。
あまりに幼すぎて、いっそ情けなさに涙が出そうになります。
帝国の皇帝に皇子が1人しか居ないのはあまりに心許無いのは当たり前の事。
努力をしても自分では望めないなら、養子を取るなり、他の女性に頼むなり、本来なら皇后自らが動くべき事だったのです。
それをあろう事か、尊き皇子の誕生をヒステリックに暴れ回り、認めたくないと駄々を捏ね……。
挙げ句、皇子に先天的な疾患があるだなどと言って、離宮に追いやり、人々から離してしまうなんて。
誕生と同時に生みの母を失った赤子に、よくもそんな事が出来たものですわ。
とはいえ、これが私の前世の世界の話なら、皆が彼女に同情したでしょう。
一方的に悪いのは、不貞を働きよそで子まで作った夫の方ですから。
所謂、サレ妻として、その後の離婚、慰謝料、養育費ゲットまで、スカッと話として武勇伝になっていたかもしれません。
前世のお友達であれば、私だって信頼できる弁護士を紹介して、ヤッチマイナと背中くらい押すでしょう。
しかし残念ながら、そういった話では無いのです。
帝国を治める皇帝の伴侶としては、彼女はあまりに覚悟が足りない………。
そして、考えがあまりに幼い。
公爵家の令嬢として、招かれた皇后様のお茶会には必ず参加してきましたが、彼女の周りには似たような幼い女性ばかりが集まり、話す内容もいつまでもお花畑なものばかり。
それを高貴な優雅さというのかも知れませんが、少しでも自分の考えを持ち、世間の情勢に目を向けられるような淑女は皆、そのような皇后様のお茶会に呆れて退屈そうにされていましたわね。
それと、皇后様を見て不安そうにもしていました。
いつまでも侯爵令嬢だった頃のように、少女のような振る舞いの皇后では、国の行く末に不安を抱いても仕方のない事です。
いつまで経っても威厳というものを身につけられない皇后様に、この国はこの先どうなるのかと思っていたのは私1人だけではありませんでした。
まぁ、陛下の選んだ方にそのような思いを抱く事自体、不敬と言われても仕方ありませんから、皆口を閉ざし、残念ながら皇后様に知恵や知識をわざわざ与えるような人間はいませんでしたけれど。
……そう、あの、レックス殿下のご母堂であらせられる伯爵令嬢以外は。
彼女がその賢い頭で導き出し、自分で出来る範囲で国を憂いた行動、それが皇后様へ知識を与える事だったのでしょうね。
陛下を支える皇后様こそが、知らなければいけない事が山ほどあった筈です。
それを皇后様の気にいる形で耳に入れる事が出来たのは、あの伯爵令嬢だけでした。
その彼女の国を想った行動が、まさかあんな事になるだなんて、彼女自身も予想していなかったでしょうけれど。
それでも、レックス殿下を産んだ事は彼女にとって不幸な事では決してありませんでした。
彼女にとっての不幸は、レックス殿下を産んだその後に訪れたのです。
「殿下………余計な時間を私は好みません。
どうか要件を仰って下さい」
取り付く島の無い私の態度に、皇后様は膝の上で服を握り、顔を俯かせた。
自分の思う通りに物事が進まない時の皇后様の癖のようですが、帝国の皇后たる者がそのような情けない仕草をするだなんて、今まで誰も注意してこなかったのかしら?
ややして皇后様は、恨みがましそうに下から私を見上げてきた。
「………貴女が、許せば良いのではないかしら?」
皇后様の言葉に、私はつい虚をつかれてキョトンと首を傾げてしまった。
その私に皇后様は少し苛ついたように言葉を続ける。
「だから、アーサーの事を貴女が許せば、アーサーはまた皇太子に戻れるんじゃないかしら?」
皇后様の仰った事に、私は一瞬、ええほんの一瞬だけ、口をポカンとあけて呆けた顔で皇后様を見つめてしまいました。
ああ、なんたる失態。
恥ずかしいですわ。
もちろん直ぐにその顔は奥に引っ込め、動揺も悟られないように、何を考えているのか一切悟らせない微笑を浮かべ、黙って皇后様をジッと見つめた。
この方、ここまでだっただなんて……。
なんて事かしら……。
いつまでも何のリアクションも起こさない私に、皇后様は焦れたように更に言葉を続ける。
「確かに、アーサーにも悪いところはあったわっ!
それは認めます」
〝も〟?〝も〟とは何かしら?
流石に我慢が難しくなってきた私は、静かにティーカップに口をつけた。
「ですけど、アーサーはあの聖女に騙されていただけなのよ?
ものを見る目に聡いアーサーなら、きっとあの男爵令嬢が聖女であると気付いていた筈です。
だから秘密裏に彼女を皇太子である自分が保護しようとしたのよ、ええ、きっとそう。
そのアーサーの高貴な気遣いを、あの聖女が逆手にとって、自分の好きに操ろうとしたんだわ。
ああ、可哀想なアーサー………。
聖夫だなんて、あの聖女に連れ去られ、今頃きっと、私に助けを求めているはずよ。
だから私が何とかしてあげなければと、貴女を今日ここに呼んだの。
ねぇ、エブァリーナ嬢。
貴女、少し思い違いをなさっているわ。
貴女のような傷ものの令嬢でも、心優しいアーサーは1人のレディとして扱っていたでしょう?
その恩を仇で返すような事をしてはいけないわ。
お願いだから、アーサーを許したと皆に言ってちょうだい。
そして、再びアーサーが皇太子に戻れるよう、アルムヘイム家を貴女が説得してちょうだいな」
ハンカチで目頭を押さえ、ぐずぐずと鼻を鳴らしながら涙を流す皇后様。
私は口に含んだお茶を噴き出してしまわないように、必死で喉の奥に押し込んだ。
………ああ、もう、本当に……。
この人ったら、本当に………。
………いえ、むしろこれで良いのよ、エブァリーナ。
ここまでアレだからこそ、こちらも本気を出せるというものです。
心の片隅にでも、将来、表向きのハリボテの皇太后では無く、少しでもレックス殿下と母子の情を交わしてくれれば、なんて淡い期待があった事は否定出来ません。
ですが、その情けから綻びが生まれては、レックス殿下の後の治世にどう影響するか分かりませんから……。
ここでハッキリと、皇后様とは決別させて頂きましょう。
完膚なきまでに。
その役目を負えるのはおそらく私だけでしょうから。
私はお茶を飲み込むと、静かにカップをソーサーに戻し、抑揚の無い淡々とした口調で皇后様に向けて話し始めた。
「まず、此度の事は、もう私が許す許さないでどうにかなる事ではありませんわ。
アーサー様は聖女様と聖なる契りを結んだ尊き聖夫様とおなり遊ばされたのです。
とうに俗世とは縁を切り、その名も身分もお捨てになったのです。
そこまでの経緯は私には預かり知らぬ事柄ですし、そもそも婚約者候補でしかなかった私が何をどうこう言うことでもありません」
一旦言葉を切った瞬間、皇后様が何か言いたげに口を開いたのを瞬時に手で制して、私はまた話を続けた。
「そして、アーサー様が聖女様に騙されていたというのも、皇后様の思い違いでございます。
アーサー様に覚醒前の聖女様のお力を感じ取る力などありません。
覚醒前の聖女様のお力を感じ取れるのは、同じ聖属性を持つ人間、もしくは赤髪の魔女様のように鑑定眼を持つ人間、このどちらかのみ。
この事から、アーサー様が聖女様のお力に気付き、保護しようとしていた、という皇后様のお考えは全くの見当違いと言えるでしょう。
アーサー様は純粋に、聖女様を女性として愛し、結果聖夫様となっただけの事。
聖女様がアーサー様を騙したり、ましてや利用した訳ではありません。
お二人は純粋に愛し合っていただけですわ」
そこまで言ってまたティーカップに口をつける私を、皇后様が涙に濡れた目で睨み付けた。
「そのような事っ!アーサーが男爵令嬢如き、本気で愛する訳がないわっ!
あの女が、妙な力でアーサーに何かしたのよっ!
それにあの女っ!アーサー以外の殿方とも、ふ、ふしだらな関係を持っていたじゃないっ!
聖夫が13人もいる聖女だなんてっ!
そんな女の聖夫の1人が、私の可愛いアーサーだなんてっ!
なぜなのっ?おかしいわ、こんなのっ!」
私に言ってもどうしょうもない事を、八つ当たり的に声を荒げて口にする皇后様を、私はギラリと睨み付けた。
「おやめ下さい、不敬ですわよ」
ピシャリと私に注意された皇后様は目を点にして首を傾げている。
「何の事?不敬って、私が?誰に?」
訳が分からないといった様子の皇后様。
それもそうでしょう。
不敬だと責める方であっても、責められる立場であるはずが無いと思っているのでしょうから。
「聖女様に対して不敬だと、申しているのです」
ハッキリと教えて差し上げると、皇后様はフッと口の端を上げて皮肉げに笑った。
「エブァリーナ嬢、聖女だからとそのように謙る必要はありません。
私達皇家と、公爵家は、たとえ聖女であろうと同格であると認められているのですから」
そんなことも知らない小娘扱いをされた私は、心から残念だと深い溜息をついた。
「詳しく言えば、同格と認められているのは陛下と公爵家の当主です。
確かに皇家の人間と公爵家の直系の人間にも、聖女様と同等に接する権限がありますが、同格とまではいきません。
特に女性は、聖女様より上の立場にはなれないのです。
何故なら聖女様は、この国で最も高貴な女性にあたるからです。
聖女様の下に他の女性が並ぶのですよ、皇后様」
私の言葉に皇后様はハッとしたのち、顔を真っ赤にしてブルブルと震え出した。
ああ、あの謁見の間での一件の時、顔を俯かせていてどんな表情をしていたのか分からなかったけれど、こんな顔だったのね。
そんな事を呑気に考えながら、また私はティーカップを口に運ぶ。
「……そ、そんな……聖女の方が、この私より、上………?
私の可愛いアーサーを奪ったあの女の方が、私より、上だと言うのっ!」
ですから、〝あの女〟だなどど、不敬だと申し上げていますのに。
どうしても理解頂けないのね。
私はハァッと溜息をつき、ティーカップをソーサーに置きながら、静かに口を開いた。
「皇帝陛下にも許されていない、多くの伴侶を持つ権限を聖女様はお持ちなのですよ?
先程、皇后様は聖女様が多くの殿方と関係を持ちふしだらだと仰いましたが、この帝国内、いえ、たとえ他国であっても、それが許されているのが、聖女様です。
何故なら、聖女様の血筋は最も尊いと言われているからです。
聖女様の血筋には聖属性を持つ子供が産まれる可能性がありますから。
もちろんただの可能性とはいえ、その血が神秘である以上、どんな血筋より尊ばれてきたのです。
どんな掛け合わせで聖属性を持つ次代の聖女が産まれるか分かりませんから、多くの聖夫を持つ事が許されているのです。
代えのきく他の血筋とは違うのですよ、聖女様の血筋は」
そう言って最後にニヤリと笑うと、皇后様は真っ赤な顔を瞬時に真っ青に変えた。
そう、どうとでも代えのきく皇家の血筋より、聖女の血筋の方が尊ばれるのは当然の事。
この世でもっとも尊ばれる血筋を繋ぐ事が出来る聖女が、どの女性よりも1番上であるのは、何も不思議な事ではありません。
真っ青になって今にも倒れそうな皇后様を眺めながら、私はやれやれと内心深い深い溜息をついた………。




