EP.39
秘された皇子、隠された皇子。
彼を知る者は、そのように言った。
レックス・ヴィー・フロメシア。
この帝国の皇家、フロメシア家の次男。
れっきとした第二皇子である彼は、人々から隠された離宮で、ひっそりと暮らしている。
今年で11歳になるというのに、まともな教育も受けられず、人々から隠されているその訳は、皇家曰く、彼の生まれつきの脳の疾患のせいなんだとか………。
つまり、生まれつき知的に遅れがある、と暗にそう言っている訳ですわ。
確かに、それが本当なら、このような欲まみれの表舞台にレックス殿下を引き摺り出そうとする私達アルムヘイム家は、人々から見れば鬼か何かに見えるかもしれません。
そして、そんな息子を煩わしい社会から優しく守り続けてきた陛下と皇后様は、どんな子供でも我が子だからと愛する立派な両親、に見えるかもしれません。
まぁ、実際、表向きはそのような筋書きになっていますが、事実は随分と異なります。
この国では、皇帝すら一夫一妻制。
第二夫人や側妃や後宮女など、とにかく皇后以外の女性は認められていません。
他に女性がいればそれは、妾や愛人、つまり浮気相手。
皇帝による不貞行為になります。
再三言っていますが、陛下は凡夫ゆえ妻や子に誠実で、真面目な方。
皇帝という過ぎた重積を癒してくれる大事な存在として、家庭をとても大事にされている、良き夫、良き父親なのです。
………ですがその陛下が、12年前に過ちを犯しました。
皇后様の所に行儀見習いに来ていた、伯爵家の令嬢に所謂、お手つきをしてしまったのです。
当時アーサー殿下は7歳くらい。
つまり、その間に陛下と皇后様の間に子が生まれなかったという事です。
家庭人としては他の女性を求めるような方では無いとはいえ、陛下は皇帝として、子が1人では許されぬ身。
妾や愛人を勧める貴族達の声に、陛下は屈した、といえばまるで被害者のようですね、やり直し。
陛下とて、皇后様の2人目不妊にどちらかの身体的問題を疑っていました。
ですから、試してみたかったのでしょう。
試して相手に子が出来れば、問題は自分には無く責任から逃れられる。
実に器の小さい陛下らしい考えです。
更にその相手を、既に誰かの奥方であるマダムから選ばず、皇后様の所に行儀見習いに来たばかりの伯爵令嬢、未婚の侍女を選んだところがまた卑劣ですわよね。
結局は陛下にも、どうせなら若く美しい女性が良い、などという身勝手な願望があった、という事ですわ。
その伯爵令嬢は大変美しい方で、またその見た目だけでなく、令嬢にしては珍しく勉学にも明るく優秀で、読書家である為話題も豊富。
賢く若く美しい彼女に白羽の矢を当てた辺りが、陛下の下衆さを物語っているようです。
一方、皇后様の方は、貴族令嬢には珍しく、殿方顔負けの勉強量に、豊富な知識、日頃は聞かないような話をしてくれる彼女を物珍しさから重宝していたようです、始めは。
彼女の話す内容を皇后様がどこまで理解出来ていたか。
ご多分に漏れず、若い頃からその他の貴族令嬢と同じように勉学から離され、女性らしい所作や趣味、慎ましやかな令嬢として生きてきた皇后様には、博学な彼女の話など半分も理解出来なかったでしょうけど、賢い彼女はそんな皇后様にも分かりやすいように噛み砕いて、面白おかしく話してくれていたようです。
そのような才女を侍女に持った皇后様は、自慢げに彼女を連れ歩き、色んな人間に紹介していようですわ。
そのせいで、陛下やその周りの人間に彼女の存在が目に止まってしまったのですけれど。
自慢げに彼女を連れ歩いていた皇后様ですが、次第に彼女の知己と聡明さに周りの人間が自分より彼女に注目するようになっていき、密かに彼女へのコンプレックスを募らせていきました。
彼女に対して、もっと普通の令嬢らしくせねば、嫁の貰い手がなくなりますよ。
殿方と同格に話してはなりません、何も分からない女性の方が可愛がられるものです、などと小言を言うようになっていったそうです。
その皇后様に対して彼女の方は、ご心配をお掛けして申し訳ありません、ご忠言もったいのうございます、とよく頭を下げているのを見かけられる事が増えてきたのだとか。
その当時の話は、社交界から遠ざかっていたお母様の為に邸に呼ばれていたお祖母様、つまりお父様の母親が、社交界で見聞きした話をお母様に伝えているのを、私も隣で聞いていて知っている、という訳です。
他家とは違い、男女関係なく高い水準の教育を受けるアルムヘイム家の前女主人であったお祖母様は、その伯爵令嬢の賢さを大変気に入り、小言の増えてきた皇后様に、彼女を大事になさいね、と声を掛けたのだか。
いくら皇后様でも、アルムヘイム家の前女主人にそう言われては、何も言えず、ますます彼女へのコンプレックスが拗れていったのでしょう。
それに反して、あのアルムヘイム家の前公爵夫人から認められた令嬢、と、彼女は陛下の周りの人間から都合良く歪曲された解釈をされてしまったので、彼女の不幸の一端でもアルムヘイム家が関わっていると言えなくもありません。
それについては今でもお祖母様は後悔しています。
陛下の寵愛を受けるまでは良しとしても、その後の皇家の愚かな行いに、お祖母様は強い憤りと自分の軽率さへの後悔を今だに感じているのです。
そんな彼女が陛下の寵愛を受け、程なくして懐妊。
表向きは病気の療養として、皇家の持つ別荘に秘密裏に移され半ば軟禁されていた頃、皇后様も懐妊され(こちらは偽装)離宮に移られました。
産まれた子供は直ぐに皇家に取り上げられ、皇后様の産んだ子供とされ、産後の肥立ちが思わしく無かったその伯爵令嬢は、ひっそりとそのまま帰らぬ人に…………。
そうして産まれた第二皇子であるレックス殿下は、生まれながらに脳に疾患があり、知的に問題があるとして、離宮で密かに育てられてきたのですが、それも真実とは違います。
陛下の不貞を皇后様が激しく責め立て、我が子として産んだ事になっているレックス殿下を忌み嫌い、離宮に押しやった、というのが真実。
陛下も自分の家庭を壊す行いをした事を反省して、レックス殿下についてはまるで最初からいない者かのように扱い、父である皇帝から捨て置かれた皇子は、やがて人々からも忘れ去られた存在に。
皇帝を夫に持ち、その息子の存在を私情で消し去る甘ったれた皇后など、あまり聞いた事はありませんが、その皇后様を諌めるでもなく、言われるがままに皇子を隠匿し、せっせっとあのボンクラを育成した陛下には、もう開いた口が塞がりませんわ。
この夫婦だからこそ、あれ程までのボンクラ皇太子を世に出してしまったのでしょうね。
ボランティアで回収してくれたアメリアさんには、もう感謝しかありません。
さて、そのような生い立ちであるレックス殿下の名前を、誰であろう、アルムヘイム家の人間から出されて、誤魔化しの効かない状況の中、先程から陛下は掠れた声を捻り出そうと口をパクパクさせている。
その隣で、皇后様が伏せていた顔を上げ、悲しげにその睫毛を揺らしながら口を開いた。
「アルムヘイム公爵、エブァリーナ嬢………。
第二皇子を皇太子にと、そのように仰っていただき、ありがたいのですけど……あの子は……お恥ずかしい話、とても皇太子になれるような知性は無く……普通の生活を送る事さえ困難なほどで……。
どうかあの子のことは、このままそっとしておいてくれませんか………?」
そう言ってハラハラと涙を流す皇后様は、不憫な息子を庇う優しい母親を上手に演じられています、が、そのようなもの、私達には当然通用致しません、ごめん遊ばせ?
「まぁ、皇后様、そのようなご謙遜は必要ございませんわ。
レックス殿下の知能力量数値は通常を超えてらっしゃいます。
知能力量数値160を超えるという、大変優秀な高い知能をお持ちの皇子に、皇太子になる知性が無いなど、皇后様の理想の高さには感服致しますわ」
うふふと微笑み小首を傾げる私を、呆然とした顔で見つめる皇后様。
涙も一瞬で引いたようですわね。
ええ、そうです。
レックス殿下は母親である伯爵令嬢の知性をそのままに受け継いだ、所謂、高IQの天才です。
知らなかったのでしょうね。
赤ん坊の頃に離宮に捨て置き、そのまま存在さえも忘れかけていたのですから。
ちなみに知能力量数値というのは前世でいうところの知能指数です。
IQという言葉はありませんから、魔力量と同じような言葉で表されているのですね。
レックス殿下がお産まれになり、陛下と皇后様のあまりのなさりように、うちのお祖母様が密かに離宮に人を送り、彼らがレックス殿下を大事に育ててきました。
レックス殿下は幼い頃よりその賢さを発揮し、お祖母様の雇った家庭教師によると、10歳で既に高等教育課程相当を修了したそうです。
今は大学教育課程に進んでいるそうですから、紛れも無い天才ですわね。
もちろん、IQだけで人は計れません。
せっかくの先天的な能力も、本人の使い方次第。
その点レックス殿下は、自分の能力を勉学に注ぎ、幼いながらも優秀な成績を修めているのです。
母親に似て、学ぶ事が大好きなのでしょう。
………本当に、学ぶ事を知らない父親の方に、その爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいですわ。
内心の黒い笑いは表には一切出さず、私は穏やかな微笑みを陛下と皇后様に向け続けた。
ダラダラと汗を流す2人を、決して逃さないよう、一瞬も目を離さずに。
「ほぅ、レックス殿下はそのように優秀な方なのか?
それにしても、詳しいな、エブァリーナ」
またも白々しく問いかけてくるお父様に、私とジルヴィスは顔を見合わせ、クスクスと笑った。
「それはそうですわ、だってレックス殿下は私達の可愛い弟のようなものですもの」
「レックス殿下が幼い頃にお祖母様に紹介されて、遊び相手になるようにと言いつかり、レックス殿下がよちよち歩きの頃から知っていますよ」
クスクス笑いながら私とジルヴィスがそう言うと、お父様がわざとらしいくらいに大きく肩を上げた。
「なんと、母上からそのように言われていたのか。
それでは我がアルムヘイム家がレックス殿下の後ろ盾になり、皇太子に推挙しない訳にはいかぬではないかっ!」
大袈裟なくらいに演技かかったお父様の声に、陛下は焦りながら皇后様を何度も窺い、その皇后様はギュッと膝の上で服を掴み、また顔を伏せて震えている。
ああ、本当に情けない事。
帝国の皇帝とその皇后が、あのように狼狽えたり、何も言い返せないまま顔を伏せたりなど。
本当に未熟な方々です。
兄弟間で熾烈な争いが起こらぬように、帝国では第一子を後継ぎとして皇太子に据えるという、鉄の掟があるのですが、あのような未熟な者に果たして皇帝が務まるものか。
いくら決まり事とはいえ、臨機応変に対応した方が良いのではないかしら?
例えば私が、アーサー様を聖夫様として大神殿送りにしたように。
表向きさえ綺麗に整っていれば、皇家にも傷などつかないというのに。
まぁ、せっかくそうやって私が整えて差し上げたものを、国を顧みない私情のみでひっくり返そうとされては、いくら私でも黙ってはいられませんから。
陛下と皇后様には、自分達の愚かさをこの機会にしっかりと顧みて頂きましょう。
ええ、それはもう、しっかりと。
ここまでくれば、絶対に逃しませんからね。
そんな私と気持ちを同じくしているお父様が、居住まいを正し陛下にきちんと向き直ると、いつもの厳しい顔で真っ直ぐに陛下を見つめ、威厳ある声を発した。
「我がアルムヘイム家は、正式にレックス・ヴィー・フロメシアを皇太子として推挙する。
レックス第二皇子の後ろ盾に、我がアルムヘイム家が立つ」
淡々とお父様がそう告げると、集まった貴族たちがザワザワと騒めき始めた。
今までアーサー様を担ぎ上げておけば安泰と胡座をかいていた貴族たちが、アルムヘイム家がレックス殿下の後ろ盾になる事を聞いて、どちらがより自分達の今ある地位を守るのかと、皆が戦々恐々としていた。
その中で、1人の貴族が手を挙げた。
「畏れながら、我がウードリー伯爵家もレックス殿下の後ろ盾になります」
その声に、陛下と皇后様が絶望を顔に浮かべた瞬間、堰を切ったようように次々と、貴族達が手を挙げ声を上げた。
「わ、我がレフ伯爵家もレックス殿下の後ろ盾になり、皇太子へ推挙致しますっ!」
「我が家も、レックス殿下を支持致します」
「我が家も、どうかレックス殿下の後ろ盾にっ!」
「どうか、陛下、レックス殿下の皇太子即位をっ!」
「陛下っ!どうかご英断をっ!」
「レックス殿下を皇太子にっ!」
「陛下っ!」
「陛下、どうかっ!」
口々に迫る貴族達の勢いに、陛下はオロオロしながら周りを見渡し、貴族達の顔色を窺いながら、もう駄目だといち早く悟ったような顔で肩を落とした。
そうですわ。
もう全てが遅すぎたのです。
あなた方は数々の間違いを犯してきました。
愚かな間違いを………。
そのツケが今全て回ってきただけなのです。
せめて最後くらい、間違えたりせずに正しい道を選んで下さいね?
アルムヘイム家の支持するレックス殿下の方についていた方が、この先々必ず自分の利になると気付いた貴族達の声が、やがて大きなうねりとなって陛下に襲いかかる。
日頃から貴族達の顔色を窺いながら生きてきた陛下は、もう力も出ない様子で、皇后様を振り返る事もやめてしまった。
そして片手をスッと上げると、陛下のその行動に直ぐに静まり返った謁見の間をゆっくりと見渡し、せめて身につけていた皇帝らしい威厳ある声で口を開いた。
「余は、皇太子にレックス皇子を据る事に決めた」
いよいよ腹を決めた様子の陛下の言葉に、その場がわぁぁぁぁぁっと俄かに活気だち、皆から拍手が巻き起こった。
新たな王太子を迎える喜びに包まれる大広間の中で、陛下だけは暗い顔で、もう皇后様の方を振り返りも出来ないといったように、背中をビクビクと震わせている。
そして、皇后様の方は、深く顔を伏せていて、その表情を窺い知ることは叶わなかった……。
……まぁ、良いでしょう。
貴女の方には、少しお話ししておきたい事もありますから。
こちらから申し出なくとも、どうせ貴女の方から動いてくれる筈ですし。
今は我がアルムヘイム家が後ろ盾となった新しき皇太子の誕生を、素直に喜びましょうか。
レックス殿下は少々変わり者ではありますが、お祖母様が密かに可愛がってきた方。
それに私とジルヴィスも弟のように可愛がってきた方ですもの。
いつぞやのあのボンクラとは、違いましてよ。
きっとレックス殿下であれば、この帝国を今より強く、そして革新的な国にして下さいますわ。
私達もついていますし、ね。




