EP.12
「なるほど、では教授の見解では、番とは獣人の本能そのもの、という事ですのね?」
私の質問に、帝国一の獣人研究者であるクワント教授は深く頷いた。
「左様でございます、エブァリーナ様。
良いですか?獣人とはその昔獣から進化を遂げた存在です。
人族とて、祖先は猿に近しい生き物だったと言われていますから、何の不思議もありませんな。
ただ獣人は、そのオリジナルの獣の能力をそのまま保有し、更に強く進化した、いわば人族の上位に位置付けられる存在とも言えるのです。
だからこそ、本来なら人より寿命の短い筈の獣よりも遥かに寿命が長く、更に見た目もなかなか老いる事なく、人族よりも長く生きる事が出来るのです。
そのような存在の彼らは人族の失った野生を保持していると考えられます。
野生の本能ゆえに、人族には持ち得ない、個の求める遺伝子を嗅ぎ分ける力があると考えられます。
それの究極体がすなわち番であり、個の遺伝子の求める条件に奇跡的に全てが合致した相手であるのです。
それは抗えない本能が求める相手なのです」
教授の話に私は深く頷き、顎に手をやり考えながら口を開いた。
「では、番への欲求を抑える為には、獣人の野生的本能を抑えるしかないのでしょうか?
ですがそんな事をしたら、獣人の能力まで削いでしまう事になりかねませんわよね?」
私の問いに、教授はにこやかに笑った。
「いえ、そこに作用せず番への本能のみ暖和する事は可能です、理論上になりますがね。
ようは求める遺伝子の情報を読み解き、完全に一致する相手にのみ欲求を抑える事が出来れば良いのですから。
魔法学と錬金術を併せれば、飲んだだけでその個人にあった作用を発揮する薬は出来るでしょうね。
まぁ残念ながら、机上の空論でありますが。
まず、遺伝子レベルで働きかけるような繊細な魔法を使える者など存在しませんからな」
ハッハッハッハッと笑う教授に合わせて、私もにこやかに微笑んで見せた。
教授は子供の私の話も馬鹿にせず相手にしてくれて、しっかりと目を見て分かりやすく説明してくれる信頼出来る人間の1人。
生命学の権威で、月に一度私の家庭教師として邸にこうして通ってくれています。
獣人研究もなさっている事から、番への欲求を抑える薬の参考にこうして話を聞いてみたのですが、思いの外為になる話を聞く事が出来ました。
教授の言う通り、確かに遺伝子レベルの人智を超えた繊細な魔法を構築し、更にそれを錬金術に落とし込み薬に変化させるなど、現実的には無理な話です………。
残念ながら、そんな事が出来る人間など存在しないでしょうね………………。
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「私以外にはな。
まっ、私は魔女じゃからして、人とは言えぬかもしれんが」
クワント教授の言うところの、机上の空論なる薬を手にして、私はニヤリと笑った。
理屈さえ分かれば後はこっちの物じゃ。
運命だとか魂の結び付きだとか言われんで助かったわい。
遺伝子レベルの話なら、よっぽど前世での方が進んでいたのでな、イメージがしやすくて助かったよ。
「さて、あとはコレを………」
薬を持ってクルリと振り返ると、二つの檻に向かってニヤリと笑った。
「おいっ!出せっ!ここから早く俺を出せっ!
その女は俺の物だっ!早く俺に寄越せっ!」
ガシャガシャと檻を揺らしながら暴れ狂う一匹の猛獣。
山猫族の獣人の青年なのだが、今はすっかり正気を失っておるようじゃ。
ちと覗いてみたところでは、普段は気の良い明るい人柄で、誰からも愛されるような人物なのだが………。
今はその見る影もない、と言ったところじゃの。
対して、対面に置いてある檻の中には、鼠族の獣人の女性。
こちらは自分の胸を押さえ、ハァハァと荒い息で山猫族の青年を潤んだ瞳で見つめている。
大人しくて良い事だが、獣人族特有のフェロモンがだだ漏れで非常に危険な状態じゃ。
この2人、平民街でたまたま出会い、お互いが自分の番だと気付き、一気に理性を失って、あろう事か公衆の面前でおっ始めようとしておった………。
まぁ、番への強烈な本能ゆえ、獣人の国であれば許されていたかもしれんが、いかんせん、ここは人族の領域。
そういった事は秘めやかに行われるもので、決して真っ昼間の街中の衆目の中で行われるものでは無い。
そのままではまた獣人への要らぬ誤解が広まってしまうゆえ、私が速やかにここに攫ってきた、と言うわけじゃ。
薬の非検体としても打ってつけじゃしな。
いやぁ、ツイておる
やはり私はもってるな。
薬が完成したと同時に健康体の非検体まで手に入ったのじゃから。
さてこの2人には、獣人の歴史を変える最初の獣人となってもらおう。
ふっふっふっと笑いながら、私は静かに2人の檻に近付き、その口に薬をポイポイと投げ込んだ。
「がっ………ゴクン……おいっ!俺に何を飲ませ………ってあれ?ここ、どこだ……?」
さっきまで野獣が如く暴れ回っていた山猫の青年が、ハッとしたように大人しくなって部屋をキョロキョロと見渡し始めた。
鼠の女性の方も、荒かった息が治り、強烈に放っていたフェロモンも鎮まっていく。
「………あら?私、いつの間にここに……それより、ここはどこ?」
無事に正気に戻ったようで、青年と同じく部屋をキョロキョロと見渡している。
その女性の声に、青年が耳をピクリと震わせその姿を驚いたようにジッと見つめ、頬を染めた。
……さて、ここからじゃ……。
思わずゴクリと唾を飲み込む私の目の前で、青年はポーッとした顔で独り言のように呟いた。
「……うわっ……可愛い……すげータイプ………」
よしっ!一目惚れレベルにまで本能が抑えられておるっ!
期待を込めて鼠の女性の方を振り返ると、こちらも青年をポーッと見つめ、頬を染めているだけ。
番を前にして強烈に放たれていたあのフェロモンも、放出されていない。
よしっ、よしっ、よしっ!
成功じゃっ!
獣人の番に対しての衝動を抑える薬の完成じゃっ!
さて、問題はここからじゃな。
獣人の能力や自然な野生まで削ぐ事になっていないか、詳細に調べ上げねばならん。
まだこの2人にはたっぷり付き合ってもらうぞい、ふっふっふっ。
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「私達、人前でそんな事を………止めていただきありがとうございました」
自分の犯しかけた醜態に耳まで真っ赤にして頭を下げる鼠の獣人、メル。
「そんな事になってたら、今頃あの街には居られなくなってました、本当にありがとうございましたっ!」
ガバッと勢いよく頭を下げたのは、山猫の獣人、ガル。
「いやいや、2人には私の研究に付き合ってもらったのだから、気にするでない。
許可を取らず投薬などして、本当にすまなかったね」
私が軽く頭を下げただけで、慌てて2人はその私を止めに入った。
「いやいやいやっ!本当に助かったんで、気にしないで下さい、魔女さん。
にしても、怖ーなっ、番への欲求って。
番を見つけた事は獣人としては誉れな事だけど、俺らみたいに運が悪いと社会的に死ぬな、これ………」
ハハハ………と乾いた笑いで天井を見上げるガルの隣で、メルがますます真っ赤に茹で上がって目尻に涙を浮かべていた。
「獣人の社会では番は憧れの存在で、皆一度は夢見るものだけど、現実はかなり厳しいものだったんですね。
ヴァキリー王国内なら、まだ……いえ、それでもかなり恥ずかしいけれど……でも帝国内よりはマシだと思います。
あのままだったら私達、憲兵に通報されて捕まっていましたよね?」
羞恥に震えるメルには悪いが、私はうむと頷いて口を開いた。
「まず間違いなくそうなっておったじゃろう。
公然わいせつ罪で現行犯じゃな。
まぁ憲兵が駆けつけたところで、獣人の本能が引き摺り出された状態じゃからして、邪魔する者には害をなしておったかもしれん。
そうなれば傷害も追加されておったじゃろうて」
私の言葉にメルは真っ青になってカタカタと震えている。
実はだいぶオブラートに包んだが、人族より身体能力の高い獣人が2人も本能を剥き出しにしておる状態だったのだから、運が悪ければ人死が出ておったじゃろう。
……いや、街の憲兵如きなら、ガルに喉元を噛みちぎられて呆気なく、といったところじゃな、実際。
メルよりもその事に気付いているだろうガルは、真っ白な顔色で冷たい汗を流していた。
「……本当に、ありがとうございました。
魔女さんは俺達の命の恩人です。
俺達、何でも協力するんで、遠慮なく何でも言って下さいっ!」
再びガバッと頭を下げるガルに並んで、メルも深く頭を下げてきた。
「研究でも何でも、好きにして下さい」
ふむふむ。
気の良い若者達で本当に良かった。
勝手に投薬をした事を、もっと責めても良いのじゃがなぁ。
何せ、街中から場所を変えた時点で、番を求めるままに本能で行動しても何ら問題が無かったのじゃから。
なんせここは帝国の最南に位置する未開の大森林の中。
人の目も法も届かないようか場所なのじゃから。
が、せっかく2人がこう言ってくれているのじゃから、ここは素直に研究に協力してもらおうではないか。
元々拒否されても無理やり協力させるつもりじゃったがなぁっ!
ニョホホホホホホッ!
それから3日、2人に協力をしてもらって、薬の副作用が無いか徹底的に調べ上げた。
光魔法で体の隅々まで調べ上げ、更に2人には身体能力や妖力に翳りが無いか様々なテストを受けてもらい、味覚嗅覚聴力に至るまで、とにかく細部まで徹底的に調べに調べ、薬の副作用による獣人の体への影響が無い事を断定するに至った。
流石天才魔女たる私じゃな。
完璧じゃ。
全てが完璧じゃ。
天才過ぎて自分でも怖いくらいじゃ。
「今まで協力してくれてありがとうよ。
さぁ、これは協力費だよ、持って行きなさい」
2人を街に帰す事に決め、私は金貨の入った袋を渡した。
「えっ!き、金貨っ!しかもこんなにっ!
良いんですかっ、本当に貰っちゃってっ!」
目を丸くするガルの隣で、メルなど目を回して今にも倒れそうじゃった。
「ふむ、新薬の開発に許可無く参加させたのじゃから、それは当然の報酬じゃ。
今後も薬の効力の様子を見たいのでな、2人にはここに来てもらいたい。
もちろん、別途その都度報酬を払うからの。
それから、他にも薬を試したいという獣人がおったら紹介してくれんかの?
予防薬として飲んでくれたらありがたいのじゃが」
私の話を真面目な顔で聞いていた2人は、少し冷や汗を流しながらお互いの顔を見て、次に私を見た。
「もちろん、私達はこのまま協力を続けます。
本当は報酬など無くても、協力したいくらいですから」
メルがそう言うと、ガルが頭を掻きながら少し情けない声を出した。
「今頃俺達の事は、獣人コミニュティの中で話題になっていると思いますよ。
帝国内に住む獣人は今頃俺達の話を聞いて震え上がっているでしょうから、協力したいって獣人はいくらでもいると思うんで、帰ったら早速話を広めときます」
自分達の醜態と共に話を広めねばならん2人には申し訳ないが、それはこちらとしては大いに助かる話じゃった。
やはりガルは顔が広いようじゃの。
貴重な人材を憲兵なんぞに捕まえられんで、本当に良かった。
天才な上に運まで強いとは、これはもう私を止めれる者などこの地上には存在せんのではなかろうか、カッカッカッカッ!
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ガルとメルのお陰で、今までに無い全くの新薬だというのに、試してみたいという獣人が列をなして申し込んで来た。
やはり皆、あのガルとメルの寸での危機を目の当たりにしたり、伝え聞いたりして、この帝国内では番は憧れの存在であるだけでは無い、と危機感を持ったのだろう。
それで無くとも、獣人が人間に野蛮な種族と誤解されるきっかけとなった、あの、獣人による人妻拉致事件、実はもう百年近く昔の話であるというのに、今だに人族は子供に獣人に近づくなとこの話をするくらいなのだから、獣人族からすればそれ以上の事件を起こしたくないという思いがあるのだろう。
番への想いを全く消し去ってしまう危険な薬で無い事は、今ではおしどり夫婦となったガルとメルが証明してくれている。
せっかく番に出会えても、薬のせいで気付かないのでは無いかと恐れる者には、そんな事はないとガルとメルが丁寧に説明してくれた。
気が付くと私の優秀な助手として、申し込んでくる獣人達の整理や受付をしてくれているガルとメル。
報酬で潤った為、人族の荷運びや邸の清掃の仕事は辞めて、本格的に私の元で働いてくれておる。
押しかけてきただけだからと、報酬とは別に給料を払う事を最初は断られたが、ならば手伝いなど要らんと言うと素直に受け取ってくれるようになった。
ここでの報酬と給料で、いつか商会でも始めればどうか?という私の話に2人とも乗り気なので、その内私の発明品を世に広めてくれる商会が出来そうで、私はこれまたご機嫌で仕方なかった。
全てが上手くいくとは、こういった事なのかもしれんの。
あの時2人が番として出逢い、犯罪すれすれの行為を始めそうになったのも、こうなれば成るべくして、と言いたくもなるもんじゃ。
まっ、2人にしたら、冗談ではない話だろうけどの、フォッフォッフォッ。




