Another Story 〜皇女殿下と麗しの貴公子〜後編
初夏の風が心地よく髪を通り抜ける中、私は邸の庭園で午後のお茶を楽しみながら、不思議と落ち着いている自分にクスリと笑った、その時ーーーー。
「やぁ、良い午後だね、エーリカ」
そう言って片手を上げ、こちらに歩いてくるジルヴィス様に、私は顔を綻ばせた。
「ええ、本当に良い午後ですわ、ジルヴィス様」
ニッコリと微笑む私の目の前の椅子に腰掛け、ジルヴィス様は足を組んでそこに両手を置いた。
「それで?僕に話って何かな?」
ジルヴィス様らしからぬ性急な問いかけに、私はふと心の中で首を傾げた。
よくよく見るとジルヴィス様の表情がほんの少し強張っているように見えて、緊張のようなものも伝わってくる。
「その前に、お茶はいかが?
使用人は下げさせていますから、私が淹れる拙いものになりますが」
そう言って私はジルヴィス様の為にお茶を注ぎそっとジルヴィス様の前に置いた。
ジルヴィス様は優雅な仕草でそれを口に運ぶと一口飲み、驚いたような声を上げる。
「やぁ、これは実に美味い。
エーリカがお茶をこんなに上手に淹れられるだなんて。
一体いつの間に学んだんだい?」
ジルヴィス様は人を褒める時に少し大袈裟な口調になるけれど、それを差し引いても本当に美味しいと思ってくれている事が伝わってきて、私は嬉しさにますます顔を綻ばせた。
「ジルヴィス様、私はこの邸に花嫁修行として入っているのですから、お茶も学ばせて頂きましたのよ」
クスクスと笑うとジルヴィス様は困ったように眉を下げた。
「………本来なら、高貴な貴女には必要の無い事でしたね………エーリカ、僕達は」
ジルヴィス様がその先を口にする前に、私は静かに手で制して、ジッと真っ直ぐにジルヴィス様を見つめた。
微かにジルヴィス様が唾を飲み込む音が聞こえてくる。
「ジルヴィス様、愛しています」
穏やかな私の言葉にジルヴィス様はカッと目を開き、すぐにそれを抑えるようにキツく目を閉じ、また困ったように首を振った。
「エーリカ、君にはすまない事をしたと、本当に思っているんだ………。
年端もいかない頃から婚約者としてこの邸に移り、僕のような年上の男を慕わせるなんて……」
そのジルヴィス様を真っ直ぐに見つめ続け、私は緩く首を振った。
「いいえ、私は婚約者となる前から貴方を慕っていましたし、今では貴方を愛しています。
貴方が私に強要した事など何一つございませんわ」
私の真っ直ぐな眼差しにジルヴィス様は少し押されるように微かにたじろいだ。
「私達は婚約者同士です。
つまり、婚姻の約束をしているのです。
ジルヴィス様、約束を果たして下さいませ。
私を貴方の妻にして下さい」
ジルヴィス様から目を逸らさない私にジルヴィス様は目を見開き、僅かにその瞳の奥を戸惑いに揺らした。
「………確かに、僕達は婚約者同士だ。
君が望むなら、婚姻もしよう。
………だけど僕は君に傷をつけるつもりはない。
君と僕の婚姻は白いものに」
「いいえっ、いいえ、ジルヴィス様っ」
ジルヴィス様の言葉を遮り、私は強く言葉を続けた。
「致しません、白い婚姻になど、致しませんわ。
私は貴方の本物の妻になりたいのです。
私は貴方と一生を添い遂げてみせますわ」
じわりと目尻に涙が滲んだ。
胸の奥からジルヴィス様への想いが湧き上がってくる。
それが力となって、私にジルヴィス様と向き合う勇気を与えてくれていた。
「私は、貴方を愛しているのです。
たとえ貴方の愛する方が他にいようとも、私は構わない、それほど貴方を愛しています。
ですからどうか、貴方の本物の妻にすると仰って下さいまし」
一生分の勇気を使ってしまっているような高揚感に、私の瞳からポロポロと涙が溢れた。
ジルヴィス様は目を見開き、すぐに取り繕うようにいつもの微笑を浮かべた。
「エーリカ、君は何か勘違いしているようだ。
僕に他に愛する女性などいないよ?
僕が君との婚姻を白いものでと言っているのはそんな理由からじゃない。
何度も言うが、君はまだ若い。
それに皇妹という身分もある。
だからこそ、もっと君に相応しい相手のところに嫁ぎ直すべきなんだ」
いつものその美しい微笑みに、私はフルフルと首を振った。
「いいえ、ジルヴィス様………。
愛していらっしゃるでしょう………イブお姉様の事を………」
溢れる涙と共にジッと見つめると、ジルヴィス様は微かな動揺を隠すようにハハッと軽く笑った。
「何を言ってるんだい、エーリカ。
僕とイブは兄妹だよ?
確かに僕は養子だからイブとは血が繋がっていない、でもだからと言ってイブの事をそんは風に思った事は一度だって……」
「………いいえ、ジルヴィス様は確かに、イブお姉様を愛していらっしゃいますわ………。
ですが、私はそれで構わないのです。
私は、イブお姉様を深く、そして海のように広いお心で愛していらっしゃる、ジルヴィス様、そんな貴方だからこそ、愛しいと、お支えしたいと心から思うのです。
私はジルヴィス様を愛しております。
貴方が誰を愛していても、その私の心は変わりません」
ジルヴィス様の言葉を遮り、毅然とハッキリ申し上げた私に、ジルヴィス様はハッとしたように目を見開き、その目の下を微かに染めて幸せそうに広角を上げた。
意外な反応に私がつい驚きを顔に浮かべると、ジルヴィス様は照れ隠しのように下を向き、両手を参ったと降参するように上げる。
「………参ったな………。
エーリカ………今更、今僕が愛しているのは君だと言っても、君は信じてくれるだろうか?」
「……………えっ?」
ジルヴィス様の言葉に思わず口を押さえ呆然とする私の目の前でゆっくりと顔を上げると、その頬をほのかに染めて、ジルヴィス様は机に肘をつき両手を組んで、私が今まで見たこともないような幸せそうな顔で微笑んだ。
「確かに、婚約したあの頃は君はまだ12歳の少女で、僕も君に対してこんな気持ちを抱くだなんて思ってもいなかった。
ただ、日に日に美しく成長していく君の側にいる事で、どんどん君に惹かれていく自分がいる事に気付いたんだ」
そう言ってジルヴィス様は私の方にゆっくりと手を伸ばした。
私は呆然としたまま、そのジルヴィス様に応えるように片手をジルヴィス様の方に伸ばした。
お互いの手が触れ合った瞬間、ジルヴィス様の手が私の手を優しく包む。
「美しく成長した君に、僕は臆病になってしまっていたんだよ。
こんなに年上の僕じゃなく、君には君に合った相手がいる筈だと………。
そう思うのに、君の隣に僕ではない誰かが立っている想像をするだけで、嫉妬で頭がおかしくなりそうになったり………。
あまりに自分勝手な自分のこの気持ちを、君に伝える気は本当になかったんだ。
いつか君は、今までお世話になりました、もう貴方に庇護される必要も無くなりました、そ
う言って僕の所から飛び立っていくのだと、そう自分に言い聞かせてきた………」
そう言いながら、ジルヴィス様は親指で優しく私の手を撫でた。
たったそれだけの事で顔を真っ赤にする私を見て、クスリと笑う。
「今日、君に話があると呼び出された時も、ああ、いよいよ来るべき時が来たんだな、と思っていたんだ………。
僕はちゃんと笑って君を見送れるかな?なんて思いながらここまで来た……」
そこまで言って、ジルヴィス様は私の手と繋いだ手とは反対の手で自分の髪を掻き上げながら天を仰いだ。
「僕はいつもそうだ………相手の幸せを見守るフリをして、その実はただ自分が傷付く事が怖い、ただの臆病者なんだよ……」
そう言って言葉を切るジルヴィス様の頬に日の光が当たってキラリと光り、まるでジルヴィス様が涙を流しているように見えて、私は居ても立っても居られず、思わず口を開いた。
「あのっ、ジルヴィス様」
「でも、君になら傷付けられてもいい」
私の言葉とジルヴィス様の言葉が微妙に被さり、私はついポカンとしてジルヴィス様を見つめた。
そんな私にフッと優しく甘く笑い、ジルヴィス様はそのリバーブルーの瞳に真っ直ぐと私を捉えてしまった。
「エーリカ、君を愛している。
君よりずっと年上のくせに臆病な僕で良ければ、君を妻に迎えたい。
もう、白い婚姻だなんて自分に言い訳したりしないよ。
僕と本当の夫婦になってくれ」
ジルヴィス様の美しいホワイトブロンドの髪がサラサラと風になびいて、まるで一枚の美しい絵画のようだと思いながら、私は惚けたままただボーッとそんなジルヴィス様を見つめていた。
いつまで経っても私から何の反応も無い事に、ジルヴィス様は不安そうにテーブルを挟んで私の顔を下から伺うように見上げていた。
「あの、エーリカ?やっぱり、嫌………かな?」
そのジルヴィス様の言葉にやっと我に返り、私は慌ててブンブンと頭を横に振った。
「いいえ、いいえっ、嫌だなんて、そんな訳ありませんっ!
私は貴方と夫婦になりたいですっ!
ジルヴィス様、どうか私と婚姻して下さいましっ」
はやる気持ちのままにはしたなくも声を上げた私をジルヴィス様の優しい笑顔が包み込む。
「ははっ、君からプロポーズされるなんて、本当に光栄だよ」
淑女の方から殿方に婚姻を迫るなどはしたない行為だったわと私が顔を真っ赤にして俯くと、ジルヴィス様はゆっくりと立ち上がり、椅子に座る私の前に膝をつき跪いた。
俯く私の顔を下から見上げ、私の両手をそっと包んで真っ直ぐに見つめる。
「ありがとう、エーリカ。
こんな僕を諦めないでいてくれて。
愛してる、婚姻しよう。
2人で暖かい家庭を作って行こう。
一生、君の側にいて君を守ると誓うよ」
フワッと花が咲き綻ぶように微笑むジルヴィス様に、私はますます真っ赤になってコクコクと頷くだけで精一杯だった。
そんな私の様子にクスリと笑った後、ジルヴィス様の顔がゆっくりと近付いてきた。
ゆっくりと、私が嫌なら十分に避けられるくらい遠慮がちに………。
そんな所がジルヴィス様らしくて、私もクスリと笑うとゆっくり瞳を閉じた。
自分の唇に重なるジルヴィス様の唇の暖かさに、胸がいっぱいになって、ジワリと目の端に涙が滲む。
泣き虫な私だけれどこんなに幸せに包まれた涙は初めてだった。
やはりゆっくりとジルヴィス様の唇が離れると、私はその暖かさを一生自分だけのものにしていたいと切ないくらいに願ってしまっていた。
そっと瞳を開けると、幸せを凝縮した涙が一筋頬を伝った。
それを指で拭ってくれるジルヴィス様の手を自分の手で包み頬に押し当てながら私は幸せを噛み締め微笑んだ。
「必ず、貴方を幸せにすると誓いますわ」
私の言葉にジルヴィス様は驚いたように目を見開き、ハハッと声を上げて笑った。
「本当に君には敵わないよ、エーリカ」
嬉しそうに弾んだジルヴィス様の声に首を傾げると、ジルヴィス様は私の頬を優しく撫でながら、その瞳を愛しそうに細めた。
「僕はもう充分幸せだよ。
エーリカ、君とこの先の人生を共に歩いていけるのだから」
優しい木漏れ日がジルヴィス様のホワイトブロンドの髪に降り注ぎキラキラと光って、私は眩しくて目を細めた。
暖かい木漏れ日の中で私達はいつまでも手を取り合い、お互いを包み込むように見つめあっていた…………。




