EP.9
クライン男爵は私の言葉で治療を拒否する気が削がれたのか、そこからは大人しく私の治療を受けてくれた。
「……まぁ、これはいけませんね………。
胃に黒い影が……かなり広範囲に……。
他の場所にも転移していますわね、さぞ苦しかった事でしょう。
痛みを我慢なさっていませんでしたか?
吐血もあったのではありませんか?」
諌めるような私の口調に、クライン男爵はバツが悪そうに頭を掻いた。
「いや、申し訳もありません。
体が丈夫なもので、少々の痛みなら耐えられると慢心してしまいまして……」
「少々の痛みでは無かった筈ですけどね」
クライン男爵の言葉に呆れながら、私は立ち上がると彼の両肩に手を置き、そこから大量の光魔法を注ぎ込んだ。
私とクラウス男爵の周りを金色の光が包み、男爵の体の中に巣食っていた病の影がどんどんと消えていく。
流石に癌を綺麗に無くしてしまうには少々時間が掛かったけれど、10分もしない内にクライン男爵の体の中から癌を全て取り払う事が出来た。
「さぁもう、これで大丈夫です」
ニッコリ笑いながら椅子に腰掛けると、すっかり顔色の戻ったクライン男爵が不思議そうに自分の体のあちこちを触っている。
「本当に痛みが嘘のように失くなりました……それに、古傷まで……っ!」
驚いたように服を捲り上げ綺麗になった脇腹や腕や足をペタペタと触っているクライン男爵。
「その古傷ですが……碌に治療もされず放置されていたようですね……。
医者や治癒師に治療を断れましたか?」
厳しい声で指摘すると、またクライン男爵は困ったように頭を掻いた。
「いや、医者や治癒師に責はありません。
私は獣人の中でも特に頑健な黒豹族ですから、その、少々の傷なら自己回復出来ますし……」
ウロウロと視線を漂わせる男爵に、私は再び厳しい声で指摘する。
「では、自己回復すら出来ない酷い傷にも関わらず、捨て置かれた、という事ですわね?」
私の言葉にクライン男爵はギクリと体を揺らした。
まったく、この国の医療は一体どうなっているのかしら。
貧しくお金を払えない者達は救わず、騎士の称号があり、男爵という位があっても、獣人という理由だけで治療を断るだなんて。
私が成長した暁には、その卑劣な考えを根こそぎ薙ぎ倒して差し上げるわ。
医者とも治癒師とも呼ぶのも烏滸がましい、偏見差別金の亡者共をね。
「今後何かあったら迷わずここに来て私の治癒を受けて下さいね。
それから、そのうち我が家の資金からこの地区に医者と治癒師を派遣する予定ですから。
その者達の中で貧しい方や獣人に少しでも偏見のある者は、貴方が監視官として責任持って我が家に報告して下さい」
公爵家の人間として、威厳のある声でそう伝えると、クライン男爵はバッと立ち上がり、胸に手を当て騎士として深く頭を下げた。
「ハッ、このキール・クライン、しかとその任務拝命致しましたっ!」
苦しげだった治癒前とは違う、力強いその言葉に、私はホッとしてうふふと微笑んだ。
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あの後も何人かを治癒し、お父様に定められたタイムリミットを迎えた私は、邸に帰る為に護衛騎士達と共に馬車へと向かっていた。
「ま、待って下さいっ!お嬢様っ!」
後ろから声をかけられ、私は振り返ると瞬間、稲妻に撃たれたようにその場で目を見開いた。
その時一陣の風が吹き抜け、私の銀の髪を宙に舞わせた。
数十歩向こうにいる声をかけてきた彼も、その私に息を呑んでいるのが分かった。
「ここにいて下さい。彼と話がありますから」
私と彼の間に立とうとしたイザークを片手で制して、私はゆっくりと彼に向かって歩き出した。
その私を惚けるように見つめながら、彼は自分の胸の前の服をギュッと握っている。
「私に何かご用かしら?黒豹の獣人さん」
彼の目の前に立ちニッコリ微笑むと、彼はハッとしたように我を取り戻し、私に向かって深く頭を下げた。
「俺っ、あっ、僕は、キール・クラインの息子のカイン・クラインです。
父を助けて下さり、ありがとうございました。
体調がどんどん悪くなるのに、獣人だから誰も助けてくれなくて……。
お嬢様のお陰で、以前の健康な父に戻る事が出来ました。
本当に本当に、ありがとうございますっ!」
少し涙の滲んだ彼の言葉に、私は嬉しさのあまり踊り出さないように気をつけながら、ふふっと笑った。
「カイン、頭をあげて下さい。
私に………お顔を見せてくださらない?」
私の言葉にカインは恐る恐るといった感じで顔を上げ、その目が私の目と合うと、みるみる真っ赤にその頬を染めていった。
漆黒の光沢のある黒髪に、切長の瞳は黄緑色のペリドット。
幼さの中に既に黒豹らしい精悍さを併せ持ち、他の子供とは明らかに違うその美しい顔立ち……。
前世とはもちろん容姿は変わっていますが、私には分かります。
カイン・クライン……。
彼こそ私の運命の相手。
私の魂が幾度となく生まれ変わるたびに、必ず巡り合い、愛し合った人。
そして前世の私の夫。
ああ、本当にまた会えたのね。
カイン………カイン・クライン………。
今世でも貴方を逃しませんことよ?
「……あの、お嬢様………?」
無意識にカインの頬を両手で挟んでいた私は、そのカインの戸惑った声にハッとして手を引くとわざとらしく咳払いをして誤魔化した。
「んっ、ゴホンッ、貴方にも悪いところが無いか、ちょっと診ていましたの。
健康そのものね、問題無いわ」
私の言葉にカインは感心したように目をキラキラとさせて、はにかむように笑った。
あら、そうやって笑うと年相応でとっても可愛いわね。
「お嬢様はまだ幼いのに、凄いんですね。
俺、いつかこのご恩をお嬢様にお返ししたいのですが、どうすればいいのか、それさえ分からないんです……」
まぁ、ションボリすると頭の上の耳がペションとなるのね、まぁまぁまぁ。
あなたったら、そんな可愛らしい姿に生まれ変わっちゃって。
もぅ、本当に仕方ないのだから。
んふふっ、と思わず弾んだ笑いを漏らしながら、私はカインの両手を握った。
「カイン、貴方今おいくつ?」
私の問いにカインは首を傾げながら口を開いた。
「8歳です」
まぁ、じゃあ私とは2歳差なのね。
そんなところまで前世と同じだわ。
「では、あと4年したら帝国学院の騎士科に入学出来るわね。
そこで騎士の称号を戴けるように励んでみるのは如何かしら?
いずれ宮廷の近衛騎士になれば、要人警護の任につけるから、私の警護には貴方を指名するわ」
ニコニコ笑いながら提案すると、カインはパァッと顔を輝かせ、何度も頷いた。
「はい、俺、いつか父のような騎士になりたかったんです。
宮廷騎士になれるよう、頑張ります」
キラキラしたカインの笑顔に少し目を細めて2人で笑い合っていると、背後から厳しいイザークの声が聞こえてきた。
「お嬢様、お邸に戻るお時間です」
お父様からの命令は絶対、のイザークはこれ以上私達の逢瀬を許す気は無いらしい。
次からは絶対にイザークは連れてこないわ、と固く心に誓いながら、私は握っていたカインの手を名残惜しそうにスルッと離した。
カインは私のその手が離れた瞬間、小さくあっと声を出して、寂しそうな目で私を見つめた。
あなたにも、記憶は失くても私が分かるのね。
それにカインは獣人だもの………。
まだ幼くて理解は出来ていないみたいだけど、本能が私を離したくないと叫んでいるようだわ。
………ふふふ、私達、どうしても結ばれる運命にあるようね。
心配しないで、カイン。
身分差や種族の問題など、私が全て薙ぎ払って差し上げますわ。
私は必ず貴方を手に入れます。
必ず、ね………。
「お嬢様、まいりますよ?」
無遠慮なイザークの声に密かに額に青筋を立てながら、私はカインに向かって優雅に微笑んだ。
「では、カイン、お父上に師事してしっかり鍛錬なさってね。
私はまたこちらに伺いますから、その時は私のお手伝いをしてくださらない?」
私の言葉にカインは尻尾をブンブンと振って、無邪気な笑顔で何度も頷いた。
「はいっ!お嬢様っ!」
ああ、あなたったら、本当に可愛く生まれ変わっちゃって。
もうっ、もうもうもうっ!
カインの可愛らしさに身悶えしつつ、私は後ろ髪を引かれながらカインと別れ、馬車へと乗り込んだ。
邸に帰る道中の馬車の中で、私はフルフルと身悶えながら喜びを噛み締めた。
やっと会えましたわね、私のあなた。
あんなに可愛らしい見た目になってしまって。
確かに人族よりは精悍で子供らしさは無いけれど、素直で分かりやすくて大変宜しいわ。
耳ぺシャンさせたり、尻尾をブンブン振ったり、何あれ、反則ですわ。
もうっ、可愛くて可愛くて、今すぐ邸に攫っていきたい衝動を抑えるのが大変でした。
ふふ、それにしても獣人族だなんて。
また大きな課題を私に与えてくれたものね。
身体能力で人族を大きく上回る獣人族は、畏怖の対象であると共に、差別の対象でもあります。
その理由は彼らの見た目が大きく影響していて、動物のような耳や尻尾、種族によっては鋭い牙に爪。
人には持ち得ないその全てが、人族から見れば畏怖の対象なのでしょう。
ですが、獣人族は人族に比べて個体数が少なく、数の力でその昔人族に蹂躙されていた歴史を持つ悲しい種族でもあります。
愚かな人は、自分達とは違う見た目を持つ彼らを見下し、数の力でもって制圧した。
蹂躙された彼らは人の奴隷にされたり、最強の戦士として戦に出されたりと、屈辱を味わってきた。
何故人を上回る身体能力を持つ彼らがそのように人に狩られてしまったのかと言うと、獣人の種族それぞれの特性によります。
まず獣人は、同じ種族同士でないと群れを作りません。
中には群れ自体を持たない種族もあります。
同じ獣人族とはいえ、その生態や文化、習性は様々で、獣人が一つの集団となる事はあり得ませんでした。
それゆえ、人の数の武力に逆らえなかったのです。
ですが、その屈辱的な歴史を繰り返す中、獣人族にも種族を超えた結束が生まれ、獣人同士で身を寄せ合い互いを守るようになり、やがて一つの国が生まれました。
それが獣人の国、ヴァキリー王国。
帝国の南隣に獣人の国を興し、種族など関係無くほとんどの獣人がその国で暮らしています。
国土こそ狭いものの、人を超えた力を持つ獣人の集団に人族はヴァキリー王国を国として認めざるを得なくなりました。
ですがもちろん、和睦と親交を求める人族の国々に、ヴァキリー王国がそれを認める事は無く、完全なる独立国家として存在していたのです。
過去の過ちから、長く人の国とは国交を結ばなかったその獣人の国と初めて国交を結んだのが、かつて愚王と呼ばれた実の父親を打ち取り皇帝となった人物。
歴代皇帝の中でも今もなお国民からの人気の高いかつての賢王。
ですから帝国にはクライン男爵のように獣人が存在していますし、帝国の国籍も与えられているのです。
ヴァキリー王国は戦闘能力の高い戦士の軍団を作り上げ、他国に高い金で貸し出す事で利益を得、国を潤わせているのですが、それでは国として永く存続する事は難しいでしょう。
いずれこの国の大使として彼の国に赴き、ヴァキリー王国との更なる友好を結ばなければなりませんね。
両国はもっと深い関係になれる筈です。
ですがその前に、帝国民の獣人への意識改革が必要です。
それを成す為にどうしても作らなければならない物が………。
それは、番への衝動を抑える何か。
そうですね、薬のような何かになると思います。
番というのは獣人族独特の特性の一つ。
獣人族は稀に番と呼ばれる特別な相手に出会う事があります。
番に出会ってしまった獣人は、その相手への衝動を抑える事が出来ません。
普通の恋人同士のような距離の縮め方では無く、それは非常に激しい衝動で、暴走と呼べるものに近いでしょう。
獣人族は基本、同じ種族同士で婚姻し子孫を残しますが、番だけはそれに限りません。
種族さえ超え、それこそ相手が人族である事もあるのです。
実際過去には、人族の人妻がある獣人の番であった為、無理やり攫われ夫と子供から永遠に引き離された痛ましい事件もありました。
本当に稀な、不幸が重なった結果だったのですが、この話が一人歩きして、人族の中に獣人への偏見が刷り込まれてしまったのです。
獣人は野蛮で見境なく女性を襲う、だとか、攫った人間を食べる、など。
どれも根拠の無いくだらない噂話ですが、それを本当に信じている者が少なくないのが頭が痛いところです。
獣人族の見た目には形態があり、まず多いのがその種族の見た目のまま人語が話せたり二足歩行だったりする者。
つまり見た目が獣のまま、大きさは人族と変わらないかそれより大きく、二足歩行。
これが1番多い獣人族の見た目です。
次にそこから人と獣の中間(見た目に個人差あり)に変化できる者。
クライン男爵やカインがこれにあたりますね。
2人は見た目は殆ど人と変わりませんが、耳や尻尾はそのままでしたから。
更にそこから完璧な人の姿になれる者。
こちらは見た目では人族と大差無く、獣人族とは分かりません。
とはいえ全ての獣人がその三形態に変化出来る訳でも無いのです。
特に見た目が人に近い姿になれる者ほど個人の能力が高く、戦闘能力に長けていると言われています。
しかしどの形態にしても、人族よりは能力は高いので、本来彼らを差別出来るような立場では無いのですが……。
獣人族は戦闘民族ではありますが、実は性質が穏やかで寛容なので、そのような人族の傲慢さえ許容していてくれているだけなのです。
更に獣人はそれぞれの種族特有の妖術を扱えます。
まぁ、人でいうところの魔法みたいなものですね。
飛び抜けた身体能力と妖術を持つ獣人は人族より遥かに強く、寿命も長いのです。
これだけでも、獣人が人に劣る点など皆無。
獣人の発情期を野蛮だと言う人もいますが、年中発情している人族の方がよっぽど節操が無く野蛮に思えますけどね。
つまり、私がカインと結ばれるには、まず帝国民の獣人への偏見と誤解を解かなければいけません。
更に獣人が番を見つけても、理性を保てるような薬の開発。
それから身分差を埋める為には、カインにそれこそ英雄と呼ばれるような活躍をしてもらわなければいけませんし、爵位も必要になります。
これらをクリアしてなお、私とカインが結ばれるにはまだまだ問題は山積みなのです。
今世で彼を手に入れるのはなかなかに骨が折れそうですが、だからこそやり甲斐もあるというもの。
私、エブァリーナ・ヴィー・アルムヘイム。
狙った獲物は絶対に逃しませんわよ?
私の邪魔をする者がいれば、華麗に薙ぎ払って差し上げるわ。
あらゆる手を使って、ね………うふふふ。




