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あかたすあおは・星の前日譚

作者:

 私は一体、誰なのだろう。ここは一体、どこなのだろう。

 物心が付く頃には、私はもう箱庭の中にいた。高い壁で囲われた四角い世界。それが私にとって世界の全てだった。


 そんな世界で私は、ばあやと二人で暮らしていた。ずっと一緒に暮らし、私の世話をしてくれていた女性。けれど彼女は私の事をお嬢様と呼び、使用人としての態度を決して崩そうとはしなかった。だから私もばあやの邪魔にならないように、ただ大人しく本を読んで過ごしていた。ここには本だけは沢山あったから。

 そんな箱庭にも月に一度だけ、外から人がやって来る事があった。それは必要な物資を運んでくる商人たちだ。彼らはただ黙って所定の場所へ物資を運び込むだけだったけれど、小さくなった私の服なども回収して、次の月には少し大きな服を持って来てくれた。


 そんな、何不自由のない不自由な暮らし。

 けれど私の中には、決して消えない疑問があった。ばあやが本当はどこの誰なのか。商人たちを寄こしているのは誰なのか。そして、私自身は一体誰なのか。


 ある時、私がいつものように本を読んでいると、不意に聞き覚えのない声が聞こえて来た。

「やあ」

 驚いて顔を上げると、そこには見た事もない少年が立っていた。

「君は賢さとは、愚かさとは何だと思う?」

 初めは考え事をし過ぎて、自分がおかしくなってしまったのかと思ったけれど、少年は確かな口調でそんな質問を投げかけて来た。

「私には、分からない。…今は、まだ」

 その問いかけの意味すら分からない私だったけれど、その少年を前にして私は自らの無知を恥じるように、そう付け足してしまった。

「そう、じゃあまた今度、答えを聞かせてよ」

 あるいは、そんな私の心すら見透かしていたのかもしれない。少年は笑って姿を消した。


 それから彼は、たびたび私の前に姿を現すようになった。

 その度に同じ質問を投げかけてくる彼に、今更分からないなんて言えない。私は、あの手この手で答えを引き延ばした。

 そんな事を続けている内に段々と楽しくなってきて、私はいつしか彼の事を待ち侘びるようになっていた。

 何かが変わろうとしているのかもしれない、なんて。けれどそんな気持ちも、長くは続かなかった。


 ばあやが死んでしまった。

 その日、いつまでも起きて来ないばあやの部屋まで行くと、彼女はベッドの上で冷たくなっていた。

 その後の事は、余り覚えていない。けれどその時の私は、ばあやの死体が見つかったら、小さくなった服みたいに回収されてしまうかもしれないと思った。だからばあやの死体を背負って、商人たちが絶対来ないような裏庭の隅に埋めた。今にして思うと、自分によくそんな腕力と行動力があったなと思う。

 そしてやって来た商人たちは、元々黙って物資を運び込むだけだったので、ばあやが出て来なくてもいつも通りの仕事をして帰って行った。

 これでこのままの暮らしが続く、そう思っていたところに、あの異変が起こった。


 この館の中からも見える、西の空が赤く変わっていた。一体何が起こったのか分からない。けれど一つだけ分かった事がある。この時から商人たちが来なくなったのだ。彼らはわざわざ西側からやって来ていたのだろう。そしてそれはこの生活の終わりも意味していた。この館にもばあやが世話していた小さな菜園はあるが、とてもそれだけで生きていけるとは思えない。

 このままでは遅かれ早かれ干上がってしまう。私は意を決して門の扉を開けた。けれどそこから外へ出る事は出来なかった。そこには見えない何かがあって、私が外へ出ないように阻んでいたのだ。この時になって初めて私は、自分がこの館へ完全に囚われている事を知った。私を閉じ込めた人物は、私が絶対に外へ出て来ないようにしていたのだ。

 それを知った時、私の中の気力は消えてしまった。生きる為の気力が。先月運び込まれた分で、まだもう少しは生きられるが、それをして何になるのだろうか。

 何もする気になれず、私は自分の部屋へ戻ると、ただ机に突っ伏して時を過ごした。生きる気力は無くしても、頭の中には疑問が湧いて来る。結局のところ、私は一体誰だったのだろうか。こうまでして私を閉じ込めたのは一体誰だったのか。


 答えの出ない問いを繰り返していると、不意に覚えのある声が聞こえて来た。

「やあ」

 目だけをそちらへ向けると、そこにはいつもと何も変わらない様子の少年が立っていた。その姿を見た時に浮かんだ『救われた』という気持ちは、けれど次の瞬間には粉々に砕け散った。

「さて、そろそろ答えを聞かせて貰おうかな?」

 私の境遇になどまるで興味もなさそうに、いつもと全く同じ調子で尋ねて来る少年。いや、実際に私の境遇になど、何の興味もないのだろう。

 彼がまともな存在ではない事など、初めから分かっていた事なのに。そんなものに縋っていた自分が、今更ながら恥ずかしく思えた。

 私はきっと、何も分からずに死ぬ。

 何も出来ない愚かな私は、だからせめてもの爪跡を残すように。

 『賢さとは何か、愚かさとは何か』という、彼の質問に対して。

「あなたの質問に、答えはない。あなたはこれからも、ずっと考え続ける」

 私は呪いの言葉を吐いた。

 彼がこれからも、同じ問いを繰り返すようにと。

「そう、それが君の答えか」

 すると彼は、そう言ってニヤリと笑った。今まで見せたものとは違う、それは心底楽しげな笑顔。あるいは私の心を見透かして、呆れたのかも知れない。私がこの少年を見たのは、それが最後だった。

 そして私は、静かに意識を手放した。




 なんて、すっかり死を覚悟していた私だったけれど、次に目が覚めると慌てた様子のあの人が立っていて、それまでの人生観が一変するような暮らしが始まった。

 あの人は不器用で、植物が好きで、子供のように真摯だった。この世界の事を知らないというあの人に、私は本で読んだ知識で先生の真似事をして過ごす。その内に植物についてはあの人の方が詳しくなって、ここの菜園も随分と本格的になってしまった。

 そして何よりあの人は…。


 私に、かけがえのない『愛』を与えてくれたのです。

※彼女は正解を引き当てた。

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