9話 幸せなのは
「君と私の婚姻の発端は、王命によるものだ。この地に強制的に聖女を留まらせることで、魔物の対処に当たってもらい、公爵領に安寧をもたらし、栄えさせてほしいという陛下の意図でな」
「はい、承知しております」
「……だが、実際に婚姻を結んでしまえばレイミアは公爵夫人となる。となれば、聖女としてだけでなく、公爵夫人としての務めも果たすのが当然だと考える者が出てくるかもしれない」
「あ…………」
ヒュースの言葉に、レイミアは彼がなんと言おうとしているのか大方察することが出来た。
(なるほど……いくら聖女としての婚姻だとしても、公爵夫人としてあまりに腑抜けではね……)
レイミアは子爵家の娘のため、貴族としての一般的なマナーや教育はそれなりに済んでいる。
だがそれはかなり昔の話だ。子爵令嬢としてずっと淑女教育を受けている者でも公爵夫人というのは簡単ではないのだから、十年間神殿で暮らしていたレイミアには、直ぐに公爵夫人として立派に務められるほどの力量がないのは明白だった。
(神殿でも貴族教育を受ける機会はあったけれど、雑用ばかり任せられてそれどころではなかったから、確かに色々と学ぶ時間が欲しい)
理解したというようにコクリと頷くレイミアに、ヒュースは言葉を続けた。
「だからしばらくは婚約者のままでいよう。婚約者としてでもレイミアがこの土地に尽くしてくれるのであればなんの問題も無いはずだからな。陛下にもその旨は伝えておく」
「かしこまりました! ご配慮ありがとうございます、ヒュース様」
「……いや、貴族は人の至らぬ部分にばかり噛みつく奴が多いからな。……もし今後、私の我が儘でレイミアを傷付けることになるよりは我慢するほうが数段良いと思っただけだ」
「我が儘……? 我慢……?」
はて、今の会話のどこにヒュースの我が儘と我慢があったのだろう。
心優しくて慈悲深く、真面目なヒュースとはあまりにかけ離れた言葉だと感じたレイミアが無意識に小首を傾げると、ヒュースはレイミアの手の上に重ねたままだった自身の手にクイッと力を込めた。
手の甲を包むようにして彼女の指の間に自身の指を挿し込むように絡ませれば、驚きか緊張か、顔を真っ赤に染めたレイミアをヒュースは真剣な瞳で射抜いたのだった。
「我が儘を通して良いのなら、私は今すぐレイミアを妻として迎えたいということだ」
「…………っ!?」
「そんなに驚くことではないだろう」
(いえ、驚くことですヒュース様……っ!!)
ヒュースの言葉は、まるで熱烈な求婚のようだ。大切にすると言われて勘違いしそうになった前科があるレイミアは、自身を厳しく律する。
(……きっと、妻としての方が私がこの地に留まる確証になるからよね、うん。納得だわ……!)
自問自答をして納得したレイミアだったが、それと同時に絡められた手に意識を奪われる。
ちらりと手を見ながら「あの……」とか細い声を出したものの、そんなレイミアの手の上からヒュースが手を退けることはなかった。
「色々と落ち着いたら、婚姻を結ぶだけではなく結婚式もしよう。レイミアのウェディングドレス姿が今から楽しみだな」
「……っ、そこまでしていただかなくとも……!」
「言っただろう? 大切にするって。どうしても式が嫌なら考えるが、遠慮は無用だ。人前があんまりならば、この屋敷で慎ましい結婚式をしよう」
優しい声色で語るヒュースに、レイミアはきゅっと唇を引き結んだ。
(い、いくらなんでもお優し過ぎませんかヒュース様……!!)
加護なし聖女として嫁いできたことを許してくれた上、大切にするだなんて有難すぎる言葉を頂戴するだけでなく、結婚式だなんて──。
まあ、公爵家として聖女を迎え入れるのならば結婚式をするのは当たり前といっちゃ当たり前ではあるのだが、ヒュースの言い方から察するに、慣例的に行うからという意味でないことは分かる。
(……幼い頃、憧れだったなぁ。幸せそうに笑う、花嫁さんの姿って)
神殿に引き取られ、日々虐められてきたレイミアからは徐々にかけ離れていった憧れではあった。
けれど理由はどうあれ、ヒュースはそれを叶えようとしてくれているのだ。
その事実に、レイミアの胸のあたりはじんわりとした温もりを帯び、それが何なのか感覚的に分かった。
(幸せだ……私、こんなに幸せで良いのかな……)
自然と頬が綻んでしまう。昨日の朝はあんなにも憂鬱だったというのに。
それもこれも、加護が目覚めたこともあるが、全てはヒュースのおかげだ。彼の優しさのおかげなのだ。
(……加護が目覚めたのも、ヒュース様の優しさのおかげに違いないわ)
約十年間、レイミアは神殿内で罵倒され、苛められ、自身の言葉は一つとさえ聞き入れてもらえなかった。
そんなレイミアは日に日に明確な意志を持って言葉を紡ぐことは無くなっていき、ついには何を言っても意味がないからと意志を心の奥底に閉じ込めるようになっていった。
だから、いつ加護が目覚めてもおかしくない状態だったのに、レイミアの加護はいつまで経っても目覚めなかったに違いない。
自身の意志を魔力とともに言葉に乗せると発動する能力──言霊は、レイミアを取り巻く悪質な環境によって開花を妨げられていたのだ。
(けれどヒュース様が、身を挺して私を庇おうとしてくれるような、優しい方だったから)
こんなに素敵な人を見捨てられないと、レイミアは逃げるのは嫌だと意志を告げた。それが引き金となり、加護は目覚めた。
そして、それをきっかけに今、こんなにヒュースに大切にしてもらっている。もちろんシュナもそうだ。
廊下ですれ違った使用人たちからも、ほんの少しの悪意も感じなかった。きっとヒュースが、レイミアのことを良いふうに言ってくれたことも大きいのだろう。
「ヒュース様。……私、なんてお礼を言ったら良いか」
「結婚式のことなら君が恩を感じる必要は──」
「いえ……っ! 結婚式のことだけではなくて、その、全てに感謝しております……!」
レイミアがそう言って笑うと、「そうか」とだけ言ってつられるように小さく笑うヒュース。
あまりに優しいその笑顔に、彼の役に立ちたい、言霊の能力を皆のために役立てたいという気持ちが、レイミアの中でどんどん大きくなった。
「ヒュース様、今からの今日のご予定って……?」
「そうだな。急ぎの業務を終わらせてから、バリオン森林を見に行って、昼のうちに少しでも魔物を減らしておこうかと考えているが、レイミアは屋敷でゆっく──」
だからレイミアは考えたのだ。自分が何をすることが一番ヒュースの役に立てるのかと。
「ヒュース様! バリオン森林へ向かうのでしたら、是非私を同行させてください……! どれくらい皆さんのお役に立てるのか、言霊の能力を把握したいのです……!」
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