2話 ピンチは突然に
ヒュースの元へ嫁ぐ三日後は直ぐにやってきた。レイミアは一度天を仰ぐと、深いため息をつく。
「……まさか監視をつけられるなんて思わなかった」
逃げる可能性を考えたのか、この三日間は常に見張りがついており、気が休まらなかった。
「ふぅ、気が重い……」
手持ちの一番まともな緑のワンピースに、この日初めて支給された聖女の純白のローブに袖を通したレイミアは、再び重たいため息を漏らす。
「このローブをこんな機会で着ることになるなんて思わなかったな……」
聖女のローブは、名前通り聖女と認められた者にしか与えられない。レイミアには一応聖女という肩書はあるものの、実情はそうではなかったので、今日まで与えられていなかった。
「公爵様に会う際に、このローブを着ていたら聖女だという証明になるものね」
このローブが着られる頃には、アドリエンヌたちからの嫌がらせは無くなるに違いない。加護が目覚め、人の役に立てているに違いない。
(……なんて思って、着たくて着たくて仕方がなかった聖女のローブを、まさか公爵様を騙すために使うことになるなんて……)
──それは二日前のこと。
レイミアは監視がつけられている中でも、神殿内ならばある程度自由に動くことが出来たため、アドリエンヌに会いに行ったときのことだった。疑問を投げ掛けると、アドリエンヌは嘲笑うように鼻を鳴らした。
『加護なしだからってあんたが突き返されたらどうするかですって? そんなのローブを着ていればバレないわよ。聖女の力については調子が悪いとか言えば? とにかく王命なんだから、しっかりと結婚までは漕ぎ着けなさいよね。もし失敗して戻ってきたりしたら──』
(あー……思い出したくない……!! 理由はどうあれ王命に背いて戻ってきたら、牢屋行きだなんて……!)
それは嫌過ぎる。神殿で嫌がらせを受ける日々に戻るのも嫌だが、やはり罪人になるのと話は違う。つまり、レイミアはどうあっても聖女としてヒュースとの契を結ばなければならないのだ。
(公爵様側からの即離婚なら……罪にはならないのかな。どうだろう)
とはいえ、今はそれを考えても仕方が無い。というか、何をするにしてもレイミアには選択肢はないのだから、腹をくくるしかないのだ。
「ヒュース・メクレンブルク公爵様には悪いけれど……即結婚、その後に即離婚して、名指しで他の聖女を指名してもらうしか道はない」
ヒュースに対して尋常じゃない罪悪感はあるものの、レイミアだって罪人になるのは嫌だ。
何度目かのため息をついてから、重たい足取りで馬車に乗り込んだ。
◇◇◇
「メクレンブルク公爵様って、一体どんな方なんだろう……」
馬車に揺られながら、レイミアは罪悪感から将来の旦那様になる……かもしれない男のことを思い浮かべた。
──ヒュース・メクレンブルク。
二十六歳にして爵位を継いだ、若き公爵である。
彼の別名は『半魔公爵』であり、その由来は文字通り彼が人間と魔族の混血だからだと言われているからに他ならない。
「確か、ここ百年ほどで魔族や半魔族との共生が叶ったのよね。でも……」
魔族とは知能が高い。その容貌はかなり人間に近く、穏やかな性格の者が殆どだ。
何より魔族は、一般的に知能のない獣型の魔物とは違い、理由もなく襲ってきたりはしない。この辺りをきちんと理解していない者は、魔族と魔物を一緒だと思い込み、国から正式に共生が認められている魔族のことを嫌悪する者も少なくないのが実情だった。
(もしかしたら、私などよりずっと辛い人生を送っているのかもしれないわね)
公爵として領地や民を守らねばならないのに、救いの手である聖女に要請を断られるなんて。公爵領の魔物の数に怯んだこともそうだが、おそらく聖女たちが要請を拒んだ最たる理由は、ヒュースが半魔族だからなのだろう。
魔族は魔物と同じ穢れた存在。尊く、清いとされている聖女とは相反する者だと考えているに違いなかった。
「それにしても、なんて荒れた道なんでしょう……」
神殿を出てから半日ほど経ったころ。公爵領までは残りバリオン森林を通るだけとなったのだが、それが問題だった。
「相当魔物が出るのね……だから道の舗装も十分に出来ないみたい」
日の光があまり入らず、どこか湿り気がある森林を馬車で進むレイミアは、窓から外を眺めて見る。
パッと見は、それ程世間一般の森林とは変わらない。
だが、所々にある動物とは違う足跡に、ここが魔物の住処であり、公爵領の抱える問題の最たる箇所だということは明明白白だった。
(今大量の魔物に出くわしたら、命はない。馭者の方には申し訳ないけど、ここでは休憩を挟まずに進んで貰わなきゃ)
「うう……それにしても、長時間、馬車に乗っているのはきついわね……」
神殿での嫌がらせの一環で、残り物の食べ物しか与えられなかったレイミアの身体は酷く細い。肌もボロボロで、ウェーブの掛かった薄茶色の髪の毛には艶がなく、ローズクオーツを埋め込んだような瞳だけがキラリと光る。
「さて、と、もう少しで森林は抜けるかな──って、え!?」
──そのとき、ガタン!! と大きく馬車が揺れたと思ったら、次の瞬間、馬がヒヒィン!! と甲高く鳴いて足を止めた。
同時に「最悪だ……!!」という馭者の声に、レイミアは反射的に馬車の外に飛び出してしまったのだった。
「なっ……!! 魔物が辺りいっぱいに……!」
一般的な貴族令嬢であれば、嫁ぐ際には生家から数名の侍女をお供に連れて行く。もちろんレイミアにそれは当てはまるはずもなく、代わりに外を見に行ってくれる者が居ないのだから、その行動はある意味致し方なかったのだろう。
けれどこの判断は、レイミアを窮地に追い込むには十分すぎたのだ。
「こんな危険なところ進めるか!! おら!! 早く動け!! 引き返すぞ!!」
「……!? 待って……! 待ってください……!!」
素早く道を引き返した馭者は、レイミアの言葉など耳に入らないのか、その場にレイミアを残して去って行った。
「そ……んな……っ」
大切なものは常に持っておかないと、嫌がらせの一環で捨てられてしまう、壊されてしまう。
神殿暮らしの影響で、無意識に鞄だけは持っていたレイミアだったが、この状況ではそれは何の役にもたたなかった。
「いや……っ、死にたく、ない」
獣の姿に似ているが、一般的な獣とは明らかに違う魔物が、目の前に両手の指の数ほどいる。
馭者のように来た道を引き返そうかとも思ったが、一足遅かったようで、もう完全に囲まれてしまっていた。そもそも、人間の足で魔物に勝てるはずもないのだけれど。
(嫌だ、死にたくない、誰か助けて……こっちに来ないで……!!)
膝からカクンと崩れ落ちたレイミアは、迫る恐怖に唇を震わせながら、内心でそんなことを願った。
声に出さなかったのは──否、出せなかったのは、あまりの恐怖と、神殿で暮らした十年間、いかなる意見も、懇願も、叶わなかったからだった。
「…………っ」
魔物たちがレイミアに向かって一斉に襲いかかる。
レイミアはギュッと目を瞑り、どうせなら最期くらい苦しみたくないと願った、その瞬間だった。
「──大丈夫か」
ぶわりと、辺りに風が舞う。
頭上から聞こえる心地よい低い声に、レイミアはそろりと瞼を開けば、そこには頭に二本の漆黒の角を生やす、魔族と思われる眉目秀麗な男性が立っていたのだった。
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