16話 逸れ魔族と言霊聖女
(あれ……? 痛く、ない)
咄嗟のことで言霊を使うことをすっかりと忘れていたレイミアは固く目を閉じたのだけれど、いつまで経っても痛みはやってこない。
その代わりに何かがぶつかるような音と、少年の「うぐっ」という唸り声が聞こえ、抱き上げていたはずの少年の重みが無くなったことでレイミアはそっと瞼を開けると。
「えっ……!? き、君大丈夫……!?」
目の前には一括りにした美しい銀髪を靡かせた、ヒュースの姿。
少し体を斜めにすれば、その先には仰向けで倒れる少年の姿があったのだった。
ヒュースは顔だけで振り向くと、レイミアに普段は見せないような鋭い眼差しを向けた。
「大丈夫かレイミア! この者は逸れ魔族だ……! 油断をするな!」
「逸れ……魔族……っ」
──一般的な魔族や、ヒュースのような半魔族は、人間との共生が認められていることは周知の事実だ。
しかし、そんな彼らだが、なんの制限もないわけではなかった。
魔族は理性的であるが、人間よりも肉体は強固で魔力量が多い。そのため、徒党を組んで人間社会や人間たちを滅茶苦茶にすることは比較的簡単だと推測できた。
そのため、魔族には必ず手首や足首にバングルのようなものが着けられている。そのバングルによって魔力量はかなり抑えられ、人間の脅威とならないような仕組みになっているのだ。
魔族たちからしてみれば、たかがバングル一つでそれなりに穏やかに暮らせるのならば、大した問題ではないらしいのだが。
しかし、何事にも例外は起こってしまう。
魔族や半魔族の存在は必ず国の中枢に連絡が行くようになっているのだが、手違い等で存在が明るみにならないことがあるのだ。
──それが、逸れ魔族と言われ者たちであり、魔力制御のバングルをつけていない彼らは恐怖の対象だった。
とはいえ、怪我をしており、まだ幼い少年程度ではヒュースの足元にも及ばないのだが。
逸れ魔族である少年は、ヒュースに投げ飛ばされて地面に強く打ち付けた腰をさすりながら立ち上がると、鋭い瞳でレイミアを睨み付けた。
「そうさ! 僕は逸れ魔族!! 人間なんかとは群れないよ……!!」
「そんなことはどうでも良い。何故レイミアの命を狙った……!」
「それは……そこの女が聖女だからっ!! そいつのせいで魔物が森林の奥に頻繁に来るようになって……僕の住処が魔物たちに荒らされたからだ!!」
「…………!」
それから少年は、詳しく話してくれた。
少年は一ヶ月ほど前に両親に捨てられて、ここバリオン森林の奥深くで一人で暮らしていたのだという。
今まで森林の奥には魔物が住み着かなかったので、それなりに平和に暮らしていたんだとか。
けれどそれは、レイミアが来てから一変してしまったのだ。
「遠目で何度か見たんだ! あんたが言葉を使って魔物を操るところを! そのせいで……僕の家は魔物たちに荒らされて……抵抗したけど……数が……凄く多くて……っ」
「……そう、だったのね……」
おそらく少年の怪我も、魔物に対抗して出来たものなのだろう。
あまりの魔物の数にここまで逃げて来たのかもしれない。そこで、彼が傷つく元凶となるレイミアに出会ったのだとしたら──。
「……ごめんなさい。私、貴方のような子がいることを、全く考えていなかったわ」
「おい、レイミア……っ」
レイミアは立ち上がると、ヒュースの横を通り過ぎてふらついている少年の元へ向かう。
「止まるんだ!」と声を上げて手を掴んできたヒュースに対して柔らかな笑みを浮かべ「大丈夫ですから」と告げると、ヒュースは数秒悩んでから手を離した。
どうしてか、レイミアならば大丈夫なのではないかと、そう思ったから。
「っ、来るなよ!! 殺すぞ……! 近づいたら殺す……!」
ゆっくりと近付いてくるレイミアに、少年はそう言いながら後退る。
初めに仕留め損じたことと、ヒュースには敵わないと悟ったからなのか、口ではこう言っても少年の瞳には恐怖が帯びていた。
レイミアは少年の目の前まで行くと、膝をついてしゃがみ込み、じっと少年の顔を見つめる。そして。
「本当にごめんなさい……一人でずっと不安だったはずなのに、私のせいでお家も荒らされて……こんなに怪我をすることにもなって……」
「……っ、何であんたが謝るんだよ……僕はあんたを殺そうとしたんだぞ……!!」
「そうね。……けれど、今私は生きているし、君は私にもう何もしないはずよ。身体が震えているもの」
「…………!!」
瞳に帯びる恐怖、体の震え、少年の表情は、過去の自分と少し被った。
辛いのに誰も助けてくれない現実に、どうしたって自分の思い通りにはいかない日々。レイミアはそこから、自身の意見を言葉にすることを少しずつ諦めていった。
(けれどこの子は違う……昔の私とは、違う。だってこんなにもはっきりと、助けを求めてる)
彼の叫びは、抗議をしたいだけではないのだ。
その裏側にはどうにかしてほしい、助けてほしい、辛いよ、痛いよ、寂しいよ、そんな感情が含まれている気がしてならないレイミアは、警戒心を解いて少年へと腕を伸ばす。
腕の中に少年を引き入れるようにして力強く抱き締めれば、少年の身体はぴくりと小さく反応を示し、身を捩った。
「離せよ……っ、離せ……っ」
「ごめんね……私のせいで、傷つけて……っ、ごめん」
言霊の能力は、何も万能ではなかった。すぐに少年の傷を癒やすことも、どこにあるかわからない彼の住処を直すことも出来ない。
だからレイミアが今できることといえば、謝ることだけだった。
抱き締めたのは、傷つけるつもりはないことを証明したくて、そして、震えた体を温めたかったから。
「…………」
腕の中にいた少年が、はたと動きを止める。
……と思ったら、カクンと顔を前に倒して凭れかかってきたので、レイミアは目を見開いた。
「……えっ、大丈夫……!?」
「………………」
そこで、少年はしっかりと瞼を閉ざし、意識を手放した。
出血のせいだったのか、久しぶりに人肌に安心したからなのか、それはレイミアにも分からなかったけれど、表情が険しくないことだけが救いだった。
「……レイミア、とりあえずその子を屋敷に運ぼう。敵意がないならば、手当てくらいはしてやれるから」
「ありがとうございます……ヒュース様」
ヒュースにそう言われ、少年を馬車に運んでもらう。
それからレイミアの膝に頭を乗せるようにして目を瞑る少年の頭を、レイミアは優しく撫で続けた。




