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樽に入った龍

 魔王軍による襲撃を退けた翌日。

 僕とアノーラさんはオマール号の船倉で、メリュジーヌさんと向かい合っていた。


「具合はどうですか、メリュジーヌさん?」


 今、メリュジーヌさんは樽の中で、肩まで水に浸かっている。

 揺れるランプの淡い灯りが、蒼い髪と白い肌とを照らしている。


「本調子ってわけにはいかないけど、だいぶよくなってきたわ。でもまたあんなのに来られても飛んでいけそうにはないわね」


 メリュジーヌさんは川の龍だから、海の水に浸かっていると命に関わる。

 クラーケンとの戦闘で、思いっきり海に飛び込んでしまったため、しばらく真水の中で療養を続ける必要があるのだ。


「おめぇよぉ、倒れるってわかってんだったら海の中まで深追いすんじゃねぇ。ジャックの奴、サント・オルレアン号の甲板で倒れたおめぇを引きずって、必死でここまで戻ってきたんだぜ」


 クラーケンを倒した後、メリュジーヌさんが水夫の皆さんから称賛を受けながら倒れた光景を思い出した。


「しゃーないでしょ。あのときは頭に血が昇ってて、トドメを刺さなきゃ気が済まなかったんだから」


 メリュジーヌさんって、普段から余裕綽々といった風に振る舞うのに、ときどき熱くなりすぎるところがあるよね……。

 このまま放っておいたら、どこかで命を落としてしまうかもしれない。


「メリュジーヌさん。今度から敵の深追いは禁止です。特にメリュジーヌさんの命に関わる場合は絶対に止めてくださいね!」


「わかってるわよ。心配かけてごめん」


 樽の縁で両肘をつきながら、メリュジーヌさんが僕の頭を撫でる。


「……ってか、おめぇの奥に置いてある妙な置物はなんなんだ?」


 今、メリュジーヌさんが入っている樽の奥には、見慣れない形の白磁の壺のようなものが置かれている。

 円筒形のそれは2メートルほどの高さで、上部には蓋がされている。

 天辺から薬缶のような長い口が伸びていて、そこから水を出すようだ。

 下には何かを入れるスペースがあり、入口の小さな戸がついている。

 横にはそれより小さなサイズの、同じ素材で作られた甕もある。


「さあ? ここに運ばれてきたときは気づかなかったけど、なんか珍しそうな置物ね」


 待てよ。これと同じような構造のものを、師匠の書庫で見せてもらったことがあったな……。


「それとよ、後で船長にも礼を言っとけよ。今おめぇが浸かってる水、残り少ねぇ中から樽ごとくれたんだからよ」


「あの船長……気が利くじゃない」


 手で水を掬いながら、メリュジーヌさんは優しく微笑んでいる。


 シュルクフさんからしても……いや、この艦隊に属する全員にとって、メリュジーヌさんは魔王軍の攻撃を退けた立役者なのだから、命を救うために最善を尽くすのも当然だ。

 もちろん、僕にとっても、あの瓶の中から出てきたときからずっと……。



 それからしばらくして、僕はサント・オルレアン号の甲板で作業をしていた。

 引き裂かれた索具をメインマストに繋ぎ直す。


「ジャック、随分と作業が遅いようだな。我々勇者パーティもあちこち走り回らされているというのに」


 僕とアノーラさんは、勇者パーティの別働隊としてサント・オルレアン号の修理、その他雑務へと呼び出されていた。


「勇者さんよぉ、文句つけてる暇があったらおめぇも何かしたらどうだ?」


「なんだと!? 勇者である俺に大工仕事をしろとでも言うつもりか!」


「たりめぇだろ。命令ばっかで何もしねぇ奴に小言ぶつけられちゃたまったもんじゃねぇ」


「ま、まあまあ止してください、アノーラさん」


 僕がアノーラさんを制止したことで、ピエールさんは不機嫌そうに腕を組む。


「にしても、こりゃ船内の角材だけじゃ足りねぇだろうな」


 アノーラさんは木材を持ち、破損箇所に釘で打ち付けていく。


「クラーケンの攻撃を受けたから当然だけど……ひどい損害ですね」


 旗艦の甲板を見渡すと、索具と木材がクラーケンの怪力とスパイクにより、あちこちへし折れ引き裂かれていた。

 よく航行に支障を来すような損傷を受けなかったものだ。

 もちろん、それはメリュジーヌさんの活躍もあるだろう。


「船内もひでえ有様だ。あの殻付き大イカ、中に触手を突っ込んで、大砲や積荷をグシャグシャにしていきやがった」


 セルゲイさんは、割れた樽をひっくり返しながら言った。

 船員の犠牲は……言うまでもないだろうな。


「そういえば、あの龍人の女はどうしてるの?」


「メリーさんですか? あのときの戦いで海水を被ってしまったので、しばらく療養しなければなりません。龍の中には、海水が苦手なものもいますので……」


「ふ〜ん……海龍のような奴らもいるのに、種類が違うと海に入っただけで駄目なのね」


 マグナさんのような聖女なら、龍を相手にすることもあるはずなのに、あまり龍には詳しくなさそうだ。


「でもよぉ、せっかくジャックが水中から攻撃が来るかもって警告してたのに、この船は何してたんだ?」


 アノーラさんの糾弾を聞いて、ピエール様は訝しげな顔をする。


「……何だと?」


「真っ先にクラーケンが仕掛けてくる可能性に気づいたのは、間違いなくこのジャックなんだぜ。オマール号からの手旗信号は見てなかったのか? まさか無視したなんて言うんじゃねぇだろうな?」


 ピエール様を指差すアノーラさんに、セルゲイさんが食ってかかる。


「何手旗信号送ったぐらいで図に乗ってやがる? ましてや水中を探知する魔法が使えるのなんてマグナかロンドぐらいだし、何よりあん時は空襲の対応が優先だったんだ。あのワイバーン乗りの動きを見てりゃわかるだろ」


「つまり、おめぇらの不手際でクラーケンの奇襲を許したってのは認めるんだな?」


 ピエールさんとセルゲイさんは不機嫌になり、ロンドさんもいつになく険しい顔をしている。


「貴様、我ら勇者パーティが重大なミスを犯したとでも抜かすつもりか?」


「事実だろ? 現に、サント・オルレアン号がこの有様なのは誰のせいだよ?」


 船の中にピリピリした空気が漂い、他の船乗りの皆さんの視線が集まってくる。


「離してくれ! 全ては提督であるワシの責任なんじゃあああああ!」 


 そんな中、甲板から大声が聞こえてきた。


「落ち着いてください! そんなことをしても何の解決にもなりません!」


 船首楼からの叫び声に、僕らはいがみ合いを中断せざるを得なかった。

 上がってみると、提督のゴールさんが、船首楼から海へと飛び降りようとしている。


「おい、あんたここの提督か? 何やってんだ!?」


 アノーラさんが『蜘蛛の籠手』から伸ばした糸で、船長の手を絡めとる。


「ぐえっ!」


「あ……ありがとうございます、アノーラ・タゥルクー様」


 航海士からのお礼に頷きつつ、提督を押さえつける。


「何があったんですか、ゴールさん?」


 髭が生え、皺が入った大柄な老人が泣きじゃくっているものだから、僕もどうしたらいいかわからない。


「……く、クラーケンがこの船を襲撃したとき、よりにもよって船倉に置かれていた水の樽がいくつも破損してしまったんじゃ……」


「水が?」


 あのときの損傷で、そんなことになっていたなんて……。


「他にも保存食や酒の樽も巻き添えを食らって壊されておる。今残っている飲料水は、持ってあと2日。このままではアヴァロニア大陸に辿り着く前に水が底を尽きるじゃろう……」


「そんな……最寄りの港はないんですか?」


「この辺りの海域には島すらない。一番近いのがアヴァロニア大陸のニューマルクなんじゃが、そこでも4日はかかる。魔王軍のブラックギャップ島なら、せめて水の樽を分けてもらえるかもしれんが……」


 ゴールさんは魔王軍に頭を下げることすら念頭に入れている。

 それだけ、海の上で飲料水を失うというのは深刻なことだ。


「おい、魔王軍の港に頭を下げに行くだと?」


 気がつくと、ピエール様も船首楼まで昇ってきていた。


「この第5艦隊は、勇者たる俺を乗せた名誉ある艦隊だぞ! にも関わらず、魔王軍に施しを貰いに行けとでも言うつもりか!?」


「そ、そのような滅相もない……」


「なら、このまま真っ直ぐニューマルクまで進め」


 ピエール様……さっきの話を聞いた上でそんなことを?


「待ってください! それじゃ飲み水はどうなるんですか!?」


「知ったことか。我々勇者パーティの分さえ足りていればなんとでもなる。そんなに喉が渇くなら、海の水でも汲んで飲めばいい」


 冗談じゃない。

 メリュジーヌさんのこともあるけれど、人間が海の水を飲んだら余計に喉が渇いて苦しむことになる。

 それならむしろ、各々の船内に積まれたお酒を飲んだ方がいいぐらいだ。


「おい、このクソ勇者共! どんだけ自己中なんだてめぇらは!?」


 船首楼を降りるピエール様の後を追いかけていると、セルゲイさんも立ちはだかった。


「たかが水夫が死のうが知ったことじゃねえ。お前ら臭い冒険者も、水の配給を止められないように口には気をつけな」


 セルゲイさんは笑いながら、ピエール様の後について行った。


「……くそっ! ジャックからは聞いてたけど、実物を目の当たりにするとイラついて仕方ねぇ」


 海の水を飲めだなんて、ピエール様の名誉のために死ねと言っているのと同じだ。

 ゴールさんは平伏したまま、蒼い顔で考え込んでしまっている。


 ……あれ? そういえば、海の水といえば……。


「待てよ。もしかすると……」


 僕の脳裏に、オマール号の船内……ちょうどメリュジーヌさんが樽に浸かっている部屋で見かけた、変な置物のことがよぎった。

 確かあれと似たものを、僕に魔法を教えてくれたあの人が……。


「アノーラさん、一度オマール号まで戻ります! ゴールさん、ボートを1つ借りますね!」


「あ、ああ、それならいいが……」


 僕は甲板の右舷に置かれていたボートへと行き、それに乗り込む。


「おいおい、ジャック、何かいいこと思いついたのか?」


「サント・オルレアン号の水不足を解決する方法を思いつきました!」


 オールを漕いで、艦隊後方に浮かぶオマール号を目指す。

 僕の記憶が正しければ、あれが解決の糸口になるはずだ。

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